7ー2
元々長風呂でもなく、サウナに慣れてもいない福松は若干のぼせながら風呂から上がった。出入口のすぐ脇に置かれていた扇風機の風がかつてないほど心地よい。先程と違って爽快感のある汗をタオルで拭いながら福松は着替え始めた。
その時の事だ。
福松の向こう正面にほとんど同じタイミングで風呂を出た利用客がいた。年の頃は三十を越えた辺りだろうか。筋肉質と言うわけではないが無駄な贅肉はついておらず、さっぱりとした印象を与えてくる。男はくあっと欠伸をしながらもテキパキと着替えを済ませていく。それだけの動作で銭湯通いに慣れていることが分かった。
そうして男は伸びをしながら出口へと向かっていったのだが、福松は彼が忘れ物を指定いることに気がついた。ロッカーの上に財布が起きっぱなしになっていたのだ。
福松は体が半分濡れている状態で服を着ると、財布を手に慌てて彼を追いかけた。
するとカウンターのところであたふたとしている男の姿が目に入る。ポケットや手荷物をひっくり返している。もしかしなくても財布を探しているに違いなかった。
「あの…脱衣所に忘れていましたよ」
「え? あ、俺の財布。拾うてくれたんか?」
「はい。ロッカーの上に置いて出ていくのを見て追いかけて来たんです」
「いやあ、ありがとなぁ」
と、福松からしてみればコテコテの関西弁でお礼を言われる。絵に描いたようなフレンドリーな人で気圧されてしまった。そうして大人しく財布を渡してさようなら、となるかと思いきや男は福松にこんな提案をしてきた。
「兄ちゃん、急いでるん? もし良かったら隣の食堂で一杯奢らせてや。財布を拾てくれたお礼に」
「え? い、いんですか?」
と、予想外の展開に警戒よりも思わず欲を優先させたような答えをしてしまう。
「ええよ。ほな、すんまへん。飯食うことになったんで支払いはまた後で」
男はカウンターのスタッフにそう言うと、半ば強引に福松を連れて併設されている飲食スペースへと歩き出した。普通のファミレスくらいの広さのある食堂は、やはり和をベースとしたコンセプトになっているようだ。しかし平日の昼間という時間帯はこちらにも影響しており、福松らを除けば二組の客しかいなかった。
風呂と同様に慣れた動きで席についた男に倣って福松も四人掛のテーブルへと腰かける。するとすかさず聞いてきた。
「兄ちゃん、いける口?」
「ええ、もう大好きです」
「ええやん。ほな風呂上がりやし、ビールで乾杯しよか」
「はい」
と、ここまできたなら好意に甘えてしまおうと思った。男は店員を呼ぶと何はさておきビールと簡単なツマミを頼んだ。メニューを見る素振りもないので余程通い慣れてることが伺い知れた。となると地元の人なのかもしれないと、そんな予想を立てていた。
すぐさま運ばれてきた瓶ビールを互いに注ぎ合うと、
「乾杯!」
と、景気の良い声を出して口を付ける。
福松は生来酒は強いし、風呂上がりということもあって喉を鳴らしながら一気に飲み干した。そして二人は打ち合わせでもしていたかのように「ぷはっ」と小気味良い息を吐いた。
「ええやん、ええやん。もっと飲みぃや」
「あ、すみません。頂きます」
こんな棚からぼたもちのような展開が本当にあるんだな。そんなことを考えながら二人は杯を重ねる。ツマミが来る間もなく矢継ぎ早に瓶ビールを三本も開けてしまうと、空きっ腹に流し込んだことも手伝ってあっという間にほろ酔い気分の二人組が出来上がってしまった。
「いやあ本間にいけるな、兄ちゃん」
「今さらですけど、なんだかすみません。財布拾っただけで…」
「十分やん、本間に助かったわ。あ、この揚げだし豆腐食うてや。マジでうまいねん、これ」
「い、頂きます」
ようやく運ばれてきた細々としたツマミをもそもそと食べ始める。
そうして腹もこなれてきた二人はビールを止めて酎ハイを頼み出す。するとオーダーが通るまでの間、会話をする間が訪れた。
「そういや兄ちゃんは観光か?」
「いえ。もうちょっと南の梅津ってところに住んでますよ」
「へえ? にして関西弁は喋らんのな」
「宮城県から越してきたばかりなんです。だから地理も言葉も全然」
「ああ。なるほどそういうことか。なら俺のことも知らんよなぁ…」
男の意味深な発言が福松は気になった。そして更に男は言葉を続ける。
「越してきたんは仕事で?」
「はい。実は役者を目指してまして。今日もこの先にある梅富士撮影所からの帰りなんですよ」
と、別段隠している必要もないと思い真実を打ち明ける。
フランクな性格の人だったので、てっきり食いついて来て根掘り葉掘り聞かれるんじゃないかと思った。しかし、実際の反応は真逆のものだった。男は今までのテンションが嘘のように冷めた視線を送ってきていたのだ。
「…お前、役者か?」
「え? あ、はい」
「ほーん。けったいな話になっちまったな」
「どういう、事ですか?」
何か失礼な事を無意識的に言ってしまったのかと疑心暗鬼に陥る。男は残っていたビールをぐいっと飲み干してから言った。
「因みに今日の現場は? 国見組の『霧の刃』じゃないのか?」
「え? 何で分かるんですか?」
「俺も出てるから、霧の刃は」
「…って事は役者さんですか? えっと…」
ここまで話を聞いて福松はまだ眼前の男の名前を聞いていないことに気がついた。そしてそれを察したのか、男は今更ながら素性を明かしてきた。
「俺は#荏原__えばら__#。『シュライン』ってコンビ組んで芸人もやってんねんけどな」
「ぼ、僕は福松と言います。よろしくお願いします」
まさかこんな風に同業の人間に会えると思っても見なかった福松は慌てつつも、笑顔で取り繕った。しかしそれは逆効果になってしまう。荏原と名乗った男は更に眉間のシワを増やして今までのフレンドリーさが嘘のように思い声を出してきたのだ。
「笑てる場合とちゃうぞ? 役者を目指してるんやろ? かなり失礼なことしてるのは分かってるか?」
「え?」
「エキストラで出たってこと?」
「あ、はい…」
「今日、撮影だったってことは現場入りしてんねやろ? なら台本は…聞くまでもないか。自分の出てるシーンを確認したくらいか?」
「…」
図星だったので福松は沈黙を答えにする。それよりもこの状況と、荏原の雰囲気の変貌ぶりについていくのがやっとで思考が上手くできていなかった。
なぜこんな剣幕で自分は怒られているのか、こんな重苦しく詰問されているのか。それの理解が追い付いていない。そんな福松に荏原は真意を打ち明けてきた。
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