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6ー8

「お疲れさまでした。駕籠中間の方々は以上で終了です。侍の人たちとダブりがある人以外は上がってください。残る方たちはしばらくお待ちを」


 貝ケ森がそう言うとぞろぞろと一団が第五セットの方へと移動し始めた。手荷物などをそちらにおいているので休憩の間は、そこで時間を潰す算段なのだろう。福松ら中間役の面々も倣って歩き始める。するとその三人に声をかけられた。


「福松さん」

「あ、愛島さん。お疲れさまでした」

「どうでしたか、初現場は?」

「いやあもう、あっという間としか言えず…色々教えてもらってありがとうございました」

「いえいえ」

「けど初現場にしては大分こなせてましたよね?」

「それな。というか初現場で駕籠中間て中々ないっすよ」

「ドリさんのお墨付きの新人ですからね」

「ははは…」


 そんな会話で盛り上がりつつ、四人は第5セットで小道具をバラシ始めた。名残惜しいと言えば勿論そうなのだが、身体中に変な汗をかいており福松はさっさと風呂に入りたいという気持ちも高まっていた。


「中間木刀はこっちで、履き物は洗うと思うんでこっちに分かるように置いておいてください」

「分かりました…この後は?」

「そしたらもう扮装もバラシてカツラと一緒に返して終わりです」

「朝みたいに自分らと一緒に行きましょう」

「そうします」

「じゃ。お疲れさまっした」


 俳優部には専用の部屋があるらしく、愛島は一礼してから第五セットを後にした。福松はちょっとした充実感と反省を胸に抱き山田と大野田に続いて支度部屋に帰っていった。


 その時の事である。


「おーい、福松」


 とドリさんの声が聞こえた。見れば侍姿に扮装したドリさんが第五セットの入り口でてを振っていた。てっきり福松は遅れてきた陣中見舞いか初仕事の労いにでも来てくれたのかと勘ぐった。しかしドリさんの表情は明るくなく、焦りの色が見えていた。


 福松は山田と大野田の二人に会釈して別れると彼のところに駆け寄った。するとドリさんはやはり困ったように訪ねてきた。


「おう。お疲れ」

「お疲れさまです」

「これで出番は終わりだよな?」

「はい。お陰さまで」

「この後に予定はあるのか?」

「い、いえ。どのくらいかかるか分からなかったんで、丸一日予定は空けました」

「! 助かる。ちょっと手伝ってもらいたいんだ。化生部屋まで来れるか?」


 返事をするとドリさんは福松を連れ、駆け足で化生部屋へと向かった。いざ辿り着いてみると真砂子や八山らがうんうんと唸りながら何かを思案していた。


 すると二人の来訪に気がついた結が声を出した。


「あ。ドリさんと福ちゃんが来たよ」

「お疲れさまです」

「福松行けるって?」

「ああ。だから後は頼むぞ。俺は現場にいくから」

「あいよ。任しておきな」


 それだけ言い残すとドリさんは大急ぎで来た道を戻っていった。唯一事情を知らぬ福松は二重の意味で置いてけ堀を食らった気分になってしまう。するとこちらから訪ねる前に真砂子が事の子細を教えてくれた。


「実はね。偽雲の調子が悪くってね」

「偽雲さんの?」


 今、名前の上がった偽雲というのは化生部屋の面子の一員で『煙羅煙羅』という妖怪だ。煙羅煙羅は読んで字の如く煙の妖怪であり、竈や風呂の焚き釜などで燃えた薪の煙に顔が浮かび上がり人を驚かすという。撮影所ではエキストラとして出演することはほとんどなく、専ら裏方に精を出していた。特に「スモーク」と呼ばれる霧や靄を演出するシーンなどで活躍しているのだが、煙がルーツであるせいか偽雲は化生部屋の妖怪たちの中でも特に力が弱く繊細な奴だった。


 福松は部屋の隅で三角座りをしてうずくまっている偽雲を見た。


 皆が言う通り、いつもの儚げな幸薄い顔が更に薄ボケている。父親の葬式が終わった途端に母親の通夜が始まったような沈んだ空気を纏って動こうともしない。


「この後のシーンで朝靄を作りたいってのにこの有り様でね」

「一体何が…あ、元々妖力が弱いんでしたっけ?」

「ま、それもあるんだけどね」

「他にも原因が?」


 ちらりと目線を送ると偽雲は声も上げず、ただ一滴の涙の滴を頬に伝わせた。


「どうしたんです?」

「ずっと推してた地下アイドルがTwitterで引退と結婚を報告したんだと」

「は?」


 ボソッと囁かれた八山の言葉を素直に飲み込むことができなかった。一瞬、何かの冗談を言って場を和ませようとしているのではないかと勘ぐったが化生部屋の面々の顔を見る限り、どうやら本気らしかった。


 福松は開いた口が塞がらないという慣用句のお手本のような状態で突っ立っていることしかできない。


「そんなことで落ち込んでるんですか?」

「そんなこと、だって!?」

「ひいっ!!」


 幽霊よろしく手をぶらぶらと揺らし、獲物に襲いかかる猫の速度で寄ってきた偽雲に福松はのけ反って反応した。そのまま偽雲は福松の方を掴み、ぐわんぐわんに揺らしながら鬱憤と自らの悲壮を浴びせかけてくる。


「そりゃお世辞にも日の目を浴びるタイプのアイドルとは言えなかったよ!? けど腐っても地下でもアイドルじゃん。引退宣言ならまだしも結婚よ!? しかもできちゃった婚だよ!? 何でそんな事をツイートするの!? 一身上の都合でって便利な日本語を何で使わないのさ!?」

「そう言われても…」

「うぅ…叶うことなら東京に行きてえよ。一度で良いから生でライヴとか行ってみたかったよう」


そう言って泣きつかれた福松はいよいよ打つ手がなくなってしまった。そもそも何で自分がここに呼ばれたのかもわからない。


福松は助けを求める意味でも他の妖怪たちを見た。


「で、何で俺が呼ばれたんですか?」

「にっちもさっちもいかないからね。本当ならドリさんに憑依させて無理から連れ出すんだけど出るシーンが被っちまってるんだ」

「ドリさん以外にあたいらを入れても大丈夫な人間なんて福ちゃんしかいないだろ?」

「あ、なるほど。けど連れていくだけでいいんですか?」


 この調子じゃ本来の仕事ができなそうだけど。そう思ったのも束の間、真砂子がビックリするようなことを口にした。


「もちろん、連れていっただけじゃ使い物にならないよ。だからお前さんがどうにかしてスモークを作るんだ」

「はい?」

「はい? じゃなくて。お前さんが偽雲を操って撮影用の舞台装置を仕上げるんだよ」

「…はい?」

「妖怪が人間に憑依するとその妖怪の術を使えるようになる。だからお前さんが煙を作って良い感じの朝靄を表現するんだ」

「……はい?」

「ささっと支度して現場に戻るよ」

「………はい?」

「おちょくってんのかい!!??」


 真砂子は怒声を浴びせかけた。福松はその瞬間に電気ショックを与えられたかのようにビクッと体を強張らせた。


 そして真砂子の怒りの矛先は偽雲にも飛び火する。


「あんたもいつまでも泣いてるんじゃない。現場に迷惑かけるんじゃないよ!」


 そういうと偽雲の背後から遠慮のない蹴りをかました。煙のお化けである偽雲の体は軽く、ほとんど抵抗なしに吹き飛んで福松の体の中に取り込まれ…もとい憑依した。しかしそれでも福松は頭の整理が追い付いていない。ただでさえ初現場を緊張と共に終えたというのに、さらにスタッフとして現場の演出を手掛けるなんて想像もできない。しかも役者ならいざ知らず裏方としてのノウハウなど素人に毛が生えた程度の知識かないのだ。


 考えれば考えるほど福松の顔は蒼白になっていく。当然、その不安と緊張は化生部屋の面々にも伝わった。そして真砂子は打って変わって優しい声音で福松に告げる。


「大丈夫だよ。ワシらも一緒に憑いて行くから」

「つ、着いて来てくれるんですかぁ?」

「いくらなんでも素人同然のお前さんを一人で現場に放り出せるかい」

「それに面白そうだし」


 結はそんな他人事な台詞を吐いた。いや、このさいどれだけ不純な動機であろうとも一人きりにならないだけ何よりもマシだ。


 そんな人の不幸を高みの見物で眺めたかった不届き者は他にもあったようで、化生部屋にいて手の空いている妖怪たちはほとんど全員が福松の中に入って憑いて来ることになった。


 特にこの間の車折神社への参詣にいなかった妖怪たちは福松に憑いて行くこと自体が目的になっているようだった。


 スルスルと流し素麺のように数多の妖怪たちが福松の背中からお腹から入っていく。一人よりも二人、二人よりも三人の方が心強いのは当然なので福松は次第に落ち着きを取り戻していった。すると、そんな福松とは正反対に妖怪たちは彼の中でドン引きしていた。これほどまでに妖怪を憑依させられるキャパシティを持った人間がいることに改めて驚愕していたのだ。

読んで頂きありがとうございます。


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