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5ー4

 補強用に貼られたマスキングテープを剥がし、頭に巻き付いているテープを外していく。鏡越しにやるとあべこべこになってしまっていて少々手こずってしまった。ところでぎゅうぎゅうに締め付けられていたものだから、テープが緩み頭蓋骨が圧迫から解放された時の快感は中々のものだった。


それでもやはり頭に残る鬢付け油の不快感は強かった。


「よし。じゃあ今のと同じことを今度は一人でね。さっきも言ったけどツブシはまだいい。羽二重だけできれば」

「やって…みます」

「オレ、裏で作業してるから。とりあえず下ハブつけたら呼んで。チェックする」

「わかりました」


 クチナシは宣言通り裏に引っ込んでしまった。口調から予想はしていたけれども、大分スパルタだと福松は感じていた。まあ、時代劇塾とは違って相手の善意に甘えている訳だからこのメイク室を使えるだけでも御の字だと思う事にした。


 福松は気を取り直して、いよいよ一人での羽二重付けを特訓し始めた。


さっきまでの工程を思い起こしながら下ハブを生え際に乗せテープで固定をする。そこまでは良かった。問題は次にある。


剃髪した頭皮に見せかけるように羽二重を細かく畳んで皺を伸ばさなければならないのだが、これがどうしてもうまくいかない。中途半端な力では皺は伸びないし、反対に力を入れ過ぎると羽二重がズルっとズレて最初からやり直しになってしまう。


 マスキングテープ使ってずれない様に固定してみることも試したが、そうすると今度は羽二重が動かなくなり皺が畳めないという悪循環に陥ってしまう。結局は三十分ほど悪戦苦闘をし、様子が気になったクチナシの方から声を掛けてきた。


「おーい。どうなんってんの?」

「…で、できてないです」

「あー…ホントだな。ゆるゆるで皺も伸びきってないし、羽二重の位置も微妙に低い」

「これ、どうしてもズレちゃんですけど、どうやって押さえればいいんですか?」

「頑張って押さえる」

「えぇ…」

「分かんないよ。だってオレ、人に付けたことはいっぱいあるけど、自分で自分に付けた事ないもの」


 …そりゃそうか、と福松は妙に納得してしまった。自分でやるのと人にしてあげるのと出は勝手が違うのだ。何故か自分ではネクタイを結べるけど、他人にネクタイを結んであげることはできないという、関係あるのかないのか分からない事柄が頭の中に連想されていた。


「ま、練習あるのみだな。もしくは自分でできる大部屋の役者に聞くとか」

「けど。何とか明日までに一人で羽二重をできるようになんないと」

「明日まで? 何でよ?」

「そうしたら現場に連れて行ってくれるってドリさんが…」

「…ははあん。なるほどねぇ」


 すると、噂をすれば影が差すという諺に倣ったかのようにドリさんが床山部屋へ戻ってきた。


 ドリさんの顔は心なしかすっきりしている。仕事が順調だったのだろうか。


「よう。どうだった? 一人で付けられるようになったか?」

「いや、それが…」


 福松は素直に羽二重が習得できなかったと伝えようと思った。できないことをできると偽って痛い目を見た事がある。


 しかし彼が返事をするよりも先に、クチナシが口を開いた。


「こいつなら一人で羽二重付けられますよ」

「お、できるようになったか?」

「ええ。誰が教えたと思ってるんですか? 明日の現場も問題ないですから」

「なら良かった。じゃあ明日の初現場はよろしくな。帰り際に下に寄って伊佐美ちゃんに声かけてくれ。明日の詳細を教えてくれるだろうから」

「え、あ、はい…わかりました」


 ドリさんはそう言い残すと機嫌よく床山部屋を後にした。


 福松はそれを見送った後、怪訝な顔をしながらクチナシを見る。


「クチナシさん、どういう事ですか? まだ、一人で出来ないですよ」

「オレがつけてやればいいんだろ?」

「いや…それだと一人で付けたことにはならないんじゃ」

「オレは人間じゃないから。手伝ったところで一人でつけてるだろ?」


 …え?


 そんな一休さんみたいな事をしていいですか?


 福松は言葉に詰まってしまった。しかし他ならぬクチナシが言っているのだから問題ないようにも思える。


「それとも出来ないからって明日の出演を断るか?」

「うう…」


 そこを突かれると痛い。何をどうしたって撮影の現場には出向きたいのが福松の本心だ。しかし嘘をつくことには若干の抵抗があった。眉間に皺を寄せて悩んでいる福松に対してクチナシは肩を組み、耳打ちするように言う。


「とりあえず、この場は凌いで明日は出演してその内できるようにすりゃいいじゃねえか。習うより慣れよって言うだろ。慣れるためには、まず現場に出なけりゃ話になんねえぞ。それに少しくらいズルを覚えないとこの業界でやっていけないって」


 と、福松の耳にどんどんと悪魔の囁きが入ってくる。


 そして結局はクチナシの口車に乗せられて、更なる精進を誓う事で罪悪感を誤魔化すことにした。


 福松はチラリと時計を見た。今の時刻は17時を少し過ぎたところ。今日は急いで帰らなければならない予定もない。


「…せめて、もう少し練習させてもらえませんか?」

「そうこなくっちゃ。役者はうまく立ち回らないとな」


 クチナシから更に一時間の猶予を貰うと、福松はすぐに化粧台の鏡とにらめっこを始めた。ところが嘘をついた負い目が良い方向に働いたのか、下ハブだけならばクチナシから及第点を貰えるくらいの巻き方を覚えることが叶った。しかし、上ハブはまた勝手が微妙に異なり一時間の特訓程度ではコツを掴むことさえできなかった。特に皺の伸ばし方が下ハブの倍くらいに難しかった。


 そして、いよいよタイムアップとなってしまう。


読んで頂きありがとうございます。


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