5ー3
そして生え際と羽二重の間に横一文字にマスキングテープを張った後、クチナシが言う。
「はい、終わり。次は上ハブ。こっちはドーランとかツブシが張り付いてるから素手で押さえないように、タタキって布を一枚噛ませる」
「この鼠色の湿ってるヤツですよね?」
「そう。それを使ってさっきみたいに上ハブを両手で押さえて。テープの所は触っていいから」
「はい」
クチナシは下ハブを覆い隠すように上ハブを乗せた。上ハブは脂ぎっていて、ぺとぺとした感触が下ハブを通り越して伝わってきた。そして同じ要領で頭に固定されると、細かく畳むのを繰り返してどんどんと皺を取っていく。三分も経たぬうちに、まるでどこかのお寺の坊主のような頭になってしまった。
とは言えども、まだ地肌と上ハブのつなぎ目はバレバレだ。これをメイクで誤魔化さなければならない。
福松の予想通りにクチナシはその工程を説明し始めた。
「で、羽二重としては次が最後。ツブシって言って、羽二重と額の境目を消す。特に最近は4Kが導入されて解析度が上がってるから、余計に気をつけないといけない。メイクも同様。従来より少し凝らないとばれちゃうから」
「ははあ、なるほど。カメラの性能が上がるとそういう弊害もあるんですね」
テレビドラマを見ていても、確かに最近の映像は背景などがより鮮明に映るようになっている。特に時代劇に至ってはセットや小道具がとても明確に見えてしまい、如何にも舞台装置のような気がして、福松はあまり好きではななかった。
古めかしいフィルムとカメラの時代に取られた作品は、その不明瞭さがよい溶暗となり背景に説得力を持たせていたと思う。尤も思うだけではあるのだが。
そんな事を考えていると、クチナシがツブシを福松に手渡して説明を始めた。
「これがツブシ。ドーランと油を練ってある。境目を潰すからツブシ…って名前なのかどうなのかは知らん」
「あ、はい」
「とりあえず人肌に暖めて柔らかくしないと使えないから、しばらく指で捏ねてて」
「わかりました」
言われるがままに茶色い練り消しのようなソレを指先で転がす。最初は堅かったが徐々に柔らかくなってきた。妙に油っぽくて福松の好きな感触ではなかったが。
クチナシはそれを受け取ると竹櫛を使って額と羽二重の境目に塗り込むようにしてつぶしていく。竹櫛はやすりを掛けたように優しい丸みを帯びており、力強さの割に痛みはなかった。
何もできることがない福松は正面の鏡越しにクチナシの仕事を見ている。
見る見るうちに羽二重と地肌の境がなくなっていくメイクは魔法のようだった。いや、妖怪に化粧を施されているのだから、文字通り化かされていると言った方が適切かもしれない。
ある程度までツブシが塗り込まれると、それに数種類のドーランを混ぜて肌の色との調整を図る。仕上げにフェイスパウダーを満遍なくまぶされると、羽二重と肌との境は自分の目でも分からないくらいになっていた。
「ついでだからかつらも合わせておくか。何の役で呼ばれたって言ったっけ?」
「えっと…中間です」
「中間ね」
クチナシはそう言ってすぐ後ろにあった棚から取ったかつらを福松にかぶせた。
かつらと言うと今ではウィッグのような毛だけで作られたものを想像されることが多いが、時代劇の場合は金属で支えを作って形を固定するためそこそこの堅さと重さがあるのだ。いつか日本舞踊の先生の荷物持ちとしてかつらケースを運んだ時の事を、福松は思い出した。
ただ、てっきりどんなものでもすっぽりと収まると思っていたので、何度も何度も合わせられるのは驚いた。中々丁度いいサイズの物が見つからない。クチナシは徐々に機嫌が悪くなり、
「ああ、もう! お前、頭デカいよ!」
と、どうしようもない文句を言われてしまった。まさか小さく削ることもできないので福松は
「す、すみません」
と理不尽を感じつつ謝ることしたできなかった。
そうこうしている内にようやく福松に合ったかつらが見つかった。何かしらのコピー用紙の裏に名前を書くと、それをテープでかつらの内側に貼り付けたところで「かつら合わせ」が無事に終わった。
「じゃあ、全部外して最初から一人でやってみるか」
「う」
「なんだよ、「う」って。一人で羽二重をつけられるようにするんだろ? 本当はツブシまでやってもらいたいところだ」
「え? ツブシも本当は一人なんですか?」
「当たり前だろ。けど、ツブシは半端にされると現場で崩れたりして返って面倒だから当面はやってやるよ。けど羽二重くらいは一人で付けてもらわないとな~」
「…分かりました。頑張ります」
意地悪く言うクチナシに対して、福松は少し対抗心を持った。
「なら、羽二重の外し方を教えるから。その逆をやればいいと思って復習だな」
クチナシはかつら取って棚に戻すと、コピー用紙の切れ端を持ってきた。そして竹櫛を福松に手渡してきて説明を開始する。
「まずはツブシを櫛で取っていく。一度使ったツブシは捨てるしかないから、このざつ紙に移して丸めて捨てて」
「はい」
「極力、自分の肌に乗っているツブシだけを取れよ。上ハブには残しておいて。そのまま使えるかもしれないし、下手に櫛で触られて破かれたりしたら面倒だから」
福松は言われた通りに櫛を駆使してツブシをこそげ落としていく。何だか化石の発掘現場で土を掘っている気分になった。取ること自体は大した労力ではなかった。皮膚に残る油の不愉快さは気分の良いモノではない。
「で、次に羽二重を取っていくけど触っていいのは黒いテープのところだけ。布本体にはあまり触らない。ドーランが取れたり破れたりするから」
クチナシはやたらと羽二重の保護を強調してくる。福松はそれほど丁寧に扱わないといけない代物だという事は肌で理解していた。
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