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福松の就職した企業はいわゆるブラック企業であったのである。学生レベルでも多少のリサーチをすればわかるほど悪名高い会社であったのだが、就職活動に満足な時間を割かなかった彼は大学の就職係に寄せられてた求人を禄に吟味もせずに片っ端から応募をかけていた。
そうして就職した会社で無茶な働き方を強いられて心身を疲弊させた福松は、一年と持たずに退職を願い出た。するとその時の直属の上司が辞表を持参した福松に向かって、
「仕事なんてどこいっても同じくらい辛いんだぞ。人間に天職なんてものはないんだから置かれてる場所で頑張って、今の仕事を天職にするしかないんだよ」
と言ってきた。
上司としては上手く言いくるめて退職を考え直そうとしていたのかも知れないが、その言葉は想定していたものとは違う形で福松の心を打った。
何をしても辛いのだったら、せめて好きな事を仕事にして辛い方がいいじゃないか、と。
そう思い立った福松は勝手に背中を押された気になって辞表を取り下げるどころか、かつて一瞬だけ頭の中に思い描いた夢を実現できるのではないかという確証のない自信を持つまでに至っていた。つまりは役者として生きていくという夢だ。
具体的な退職を決めた彼は、すぐさま今後の身の振り方を考えた。役者と言えどもそのカテゴリはいくつもあるし、なる方法となれば更に多くの選択肢がある。福松はかつて自分が携わった公演やワークショップの記憶を反芻し、一体どんな役者になりたいのか、どの役が一番楽しかったのかを検討し始めた。
そして三日が経ったとき。
福松は時代劇で活躍する役者になりたいという一つの結論を導き出したのだ。
彼が時代劇と言う答えに辿り着いたのには理由がある。
それは福松の学年の大学卒業記念公演のこと。六人いた同級生たちが演目を話し合っていた際にこの四年間で色々なジャンルの演劇をしたが、本格的な時代劇だけはやったことがないから最後にそれをやってみたい、と歴史学部の部員が言い出した。福松を含めた残りの四年生はその意見に満場一致で賛成し、江戸を舞台にした時代劇の公演を正式に決定させた。
しかし色々と問題は山済みだった。現代劇とは違い、用意すべきもののなんと多いことか。
衣装、かつら、時代考証、言葉遣い、小道具、殺陣などなど。クオリティを追求すればするほど予算が高くついてしまう。結局のところ妥協に妥協を重ね、発案当初の構想とは似ても似つかないような演劇とせざるを得なかったである。そして福松にはそれが何とも言えない、心のしこりとして残っていた。
だからこそ時代劇に心惹かれるのかも知れない。それを自覚しているのか否かは福松自身にも分からないが、少なくとも彼の中には時代劇は楽しいものだという思いはあった。
時代劇で活躍できるようになりたい。そんな指針が決まると次々に今の自分に足りないものが次々と浮き彫りになってきた。本格的に勉強をしようと思ったら独学や地方にたまにくるワークショップなどではとても賄えない。
もっともっと実践的に勉強をして時代劇で通用する役者になるには――。
福松は思った。
…。
そうだ、京都行こう、と。
思い立った福松はすぐに情報収集を始めた。京都が時代劇撮影のメッカであることはその通りだが、だからといって考えなしに京都に行っても何にもならない。そこで福松はかつてワークショップで一度だけお世話になったことのある、映画監督にダメ元で一通のメールを送った。
すると幸いなことにその日のうちに返信があった。メールに京都の映画撮影所で時代劇のこれからを担う人材を育成するためのスクールが開校されているという旨の事がつらつらと記されていた。
望んだ情報がすぐに手に入った事に福松は天命に似た何かしらを感じ取り、すぐにその時代劇専門のスクールを開催している撮影所に連絡をしてみると、あれよあれよと言う間に話が進んだ。案ずるより産むが易しとはこの事かと思うほどだ。そうして準備した書類の選考が終わり、最終面接のために仙台から京都まで片道十三時間のバスに揺られたという訳だ。
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