3ー4
「ようやく来たんだね、福ちゃん」
「ふ、福ちゃん?」
そう声を掛けてきたのは黒髪の美人こと結だった。結は襦袢姿でうろついているのを真砂子に窘められていたが、まるで適当にあしらって福松の相手を続けた。
「いや、ホントに若い男子がいるってそれだけでいいわぁ。妖怪って爺か婆か物か子供か、もしくは私みたいなうら若い美人しかいないから、うっかりしてると枯れそうになるのよね」
「撮影所には若い男のスタッフも、二枚目の役者だっているじゃねえかよ」
「バカね。どれだけ綺麗になっても見てもらえないんだったら張り合いがないじゃない。あ、真砂子さん。私にもお煎餅ちょうだい、お腹すいちゃった」
結はそう言って髪を解く。しかし長い長い黒い髪の毛は重力に逆らって、蛇のように動き始める。そして器用に煎餅を二、三枚つまむと前にある口と後頭部にある口の二つに運んだ。三カ月前にも見せてもらったが、やはり時間を置くと少しビビる。
彼女は『二口女』という妖怪だ。
すると結を皮切りに他にも化生部屋の妖怪たちがドリさん以来の貴重な霊能者に和気藹々と詰め寄ってくる。
「住まいはどこら辺にしたんだ?」
「あ、はい。梅津にいい物件があったのでそこを借りました」
「あら。じゃあ歩きでも来られるくらいじゃないの」
「そうですね。今日は自転車でしたけど」
「今の時期は桂川の河川敷がいいよねえ。昼寝するのにもってこいだ」
天狗の犬駆、べとべとさんの宇城、猫又の鍋島らがどしどしと話し相手を買って出てくる。撮影中は人間の姿かたちなるのだが、化生部屋では一切の遠慮なく妖怪本来の姿をさらけ出すので未だに恐怖感は拭えない。しかし三カ月前と違って妖怪たちの数が少ないので相対的にはマシだった。
福松は気になる事を真砂子へ聞いた。
「そう言えば、他の皆さんは?」
「ああ、ここの撮影所の中なら出歩くのは自由だからね、いつもここにいる訳じゃないんだ。あの時は久々に大物が来るっていうから皆で物見に集まったけど」
「なるほど」
そう言えば民ちゃんは大道具の倉庫を寝床にしていると言っていた。他の妖怪たちも所内にベストプレイスを持っているのだろう。
しばらく閑談していると、直にドリさんが民子を引き連れて戻ってきた。シャワーでも浴びたのか、えらくサッパリしていて幾分生気を取り戻したように見えた。そこで初めて洋服姿のドリさんを見た福松だったが、和装とはまた一味違うダンディズムな雰囲気に少々見惚れてしまった。
「よっしゃ、行くかい」
「はい」
福松が返事をすると民子がきょとんとした顔つきで尋ねてきた。
「どこかいくの?」
「ああ。来たばかりだから車折神社でも案内してやって、それから飯でも奢ってやろうと思ってな」
「えー、いいなぁ。民子も車折神社行きたーい」
すると結がそれに便乗してきた。
「そうだよね。福ちゃんの歓迎会なら私らもやってあげたいし」
「ドリさん、連れてってよ。ねえ」
「うーむ」
ドリさんは困った様な表情になってしまった。何か理由があるのかと思ったが、すぐに渋った理由を口にする。
「今日はしんどい現場だったからなぁ。オレの体力がそろそろ限界なんだよ、民ちゃん」
「むぅ」
福松はそうか、と思った。ドリさんは妖怪たちを憑依させて夕方までの撮影に臨んでいたのだから疲労も蓄積して困憊しているだろう。無理をして身体を壊されては一大事になりかねない。
そう言われた民子は我儘と言う最後の切り札も通用せず、すっかり諦めモードになってしまった。すると福松は先ほど、真砂子から聞いた話を思い出した。
「だったら…僕に憑りついてみる?」
福松がそういうと化生部屋にいた全員の視線が一気に集中した。
一瞬、ビクッとした福松だったがそのまま言葉を続ける。
「さっき真砂子さんから聞きましたけど、人間に憑りつかないと撮影所から出られないんですよね? 今はドリさんに憑りついているそうですけど、その内僕にもお鉢が回ってくるなら一回どんなものなのか経験しておきたいなぁ、なんて…」
すると民子の顔がぱあっと明るくなった。が、その隣にいた真砂子もニタリと笑っていたので結局は恐怖が勝った。そして真砂子も民子と同じくらい嬉々とした声を出してきた。
「そうだね。自分で言っておいて忘れてたよ、いいアイデアじゃないか」
「なら早速、憑りついてみるかい?」
妖怪たちがこぞって憑りつく準備をし始める。それを見ていたドリさんが慌てた様子で全員に落ち着くように言った。
「いやぁ、けど…大丈夫かい? せっかくの歓迎会でこいつがへばったんじゃ本末転倒だぞ」
「だ、か、ら。大丈夫かどうかを確かめるんじゃないか」
言うが早いか結は軽くジャンプしたかと思うと、まるで着ぐるみの中に入るかのように福松の背中から彼に憑りついた。そして数間置いて肩から上半身だけを覗かせると、何やら呆けた顔をしている。
「どうだった?」
結はただただ茫然としている。そして肩口から福松を見下ろす。
「な、何これ? アンタ、どうなってんの?」
「はい? 何がですか?」
訳の分からない事を聞かれて福松は混乱した。いや、訳が分かっていないのは結以外の全員だったが。
「結、結局どうなんだい? 儂らも入って平気そうかい?」
「とにかく、もうみんな来ちゃえばいいのよ」
百聞は一見に如かずと判断した結は自分の髪の毛を化生部屋いっぱいに広げると、中にいた妖怪たちを漏れなく全員絡めとって、無理やり福松に憑依させた。それを見ていたドリさんは取り乱してしまう。
「アカンやろ! そんな急に!」
てっきり急激に妖気に当てられて福松が卒倒するだろうと、ドリさんは思った。何故ならかつて自分が初めて複数体の妖怪を憑依させたときに船酔いと二日酔いを一度に体験したくらいに体調を崩したからだ。
しかし、待てど暮らせど福松は顔色一つ変えない。当の本人よりもドリさんの方が困惑していた。
「だ、大丈夫なんか?」
「え? ええ。なんともないですけど」
「何んともないは嘘やろ。あんだけ一度に入ったんやから、重いとか気持ち悪いとか…」
福松は集中して自分の体に違和感のある場所を探したが、本当に何も感じない。だから首を傾げて、
「やっぱりなんもないですね」
と言った。
福松がそう言うと彼に憑りついていた妖怪たちが体の至る所から顔だけを出してきた。皆一様に驚いた表情を浮かべているから、余程衝撃的な事があったのだろうと予想するのは難くなかった。
しかしドリさんはその奇妙な装いの方が気になってしまった。
「百面観音か」
思わずそんなツッコミを入れてしまう。だが今の妖怪たちにとっては大抵の事は取るに足らない事であった。
「す、すごいよ、ドリさん」
「何が?」
「福松の中がだよ。化け物か、こいつ」
「化け物はお前らやろ。何が凄いんだ」
何がと聞いても誰もがうまく表現できない様子だ。その内に『しょうけら』の川良が乾いたぞうきんを絞ったような言葉を出す。
「なんていうか、キャパシティーがね。ドリさんの中が1Kの物件だとしたら、福ちゃんの中は…」
「なんや? 3LDKくらいあるんか?」
「いや…イオンモールくらいあるね」
「い、イオンモール!?」
「しかも地方にあるイオン」
「尚更デカイやないかい!」
例えの突飛さにドリさんも驚きを隠せない。人間に憑りついた妖怪の感覚など知る由もないが、例えの通りだとすれば妖怪たちが驚くのも納得だった。そしてそれが本当ならこれだけの妖怪に憑りつかれてもピンピンとしている福松の様子にも説明がつく。
改めていい人材がやってきたと皆で実感していた。
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