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夏の思い出  作者: 髙城 結衣
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僕とアイス

「行ってきます」


 と、気だるげに言って僕は玄関の扉を開けた。

 が、次の瞬間にはその扉を閉じていた。


「ただいま」


 外があんなにも暑いとは思っていなかった。扉を開けた数センチの隙間から漂ってきた熱気に、僕のやる気――はなからそんなものは無いに等しかったが――は全て溶かされ霧散した。それと熱気と共に滑り込んできたあのやかましい声。何故にあいつらは真夏にあんな大合唱を、大熱唱を繰り広げるのか。まったく気がしれない。というか、奴らの気など知りたくもない。セミの話だ。

 僕はしかめっ面のまま、ついさっき結んだばりの靴ひもを解いた。うん。図書館へ行くのはまた次の機会にしよう。


「あら、そうちゃん?」


 のんきな声がして、僕はそちらに顔を向けた。誰かと思えばリビングから顔を出した母だった。誰かと思えばと言ったけれども、僕以外に日中に家にいるとしたら母だけだ。他に人がいたとしたら通報の必要があるだろう。なんて。


「おかえりー」


 おや。「行ってきます」のあと間髪いれずに「ただいま」と言ったのは僕の記憶違いだったか。いや、そんなことはない。僕が言うのもなんだが、そこは何かしらのコメントが欲しかった。

 とはいえ、呑気な母のペースに付き合う気もなく、僕は素直にうなずいて脱ぎたての靴を揃えた。


「そうそう。冷蔵庫にアイス入ってるから、食べてね」


 そう言って母はリビングに顔を引っ込めた。

 そうか。アイスがあるのか。夏といったらアイスだよな。

 単純なものである。僕の心はアイスへまっしぐらだった。



* * *



 しかし、こういう時に限って邪魔というものは入るものである。


「あーそーぼー」


 アイスを手に入れて僕が二階の自室に上がろうとしたところで、予期せぬ来訪者だ。


「ようっ!」


 玄関には幼馴染みのやんちゃ坊主、みっちゃんだった。麦わら帽子に半袖短パン、おまけに手には虫取り網という出で立ち。そして肩からは水筒と虫かごが交差してかかっていた。


「……何か用? 悪いけど僕は今忙しいから、大した用がないなら日を改めて欲しい」


 冷房のきいた部屋でアイスにかぶりつく。そんな重要なミッションよりも大事なことなどないはずだ


「待て待て待て。用ならあるようっ!」


 無駄に韻を踏んで僕を引き止めるみっちゃんに、あからさまに迷惑そうな顔をお見舞いしてやった。が、みっちゃんにそれが効いている様子はなかった。

 ちなみにみっちゃんというのはお分かりだろうが彼のあだ名だ。三橋優太。だからみっちゃん。実にありがちなニックネームである。他にはみっちーとかはっしーとかがあるみたいだが、僕はみっちゃん派だ。と、いうのは余談であって、特にどうでもよろしい。


「あそぼーぜ!」

「やだ」

「なんだよ、つれないなー」


 僕の冷めきった態度に、みっちゃんは口を尖らせた。が、次の瞬間にはいつものへらへら顔に戻る。


「さっき外に出ようとしてたじゃんよ」


 見られていた。最悪だ。


「で、玄関開けた途端、この世の終わりみたいな顔して戻ってった。どうせのあっきーのことだから、暑いから外に出るのはやめて家でアイスでも食べてようとか、だらけたこと考えてたんだろう?」


 うむ。見事に見破られている。

 ちなみにあっきーというの僕のあだ名だ。詳細については、どうでも良いことなのではぶくことにする。


「ってことは暇じゃん。よし、あそぼーぜ」

「やだ」


 僕の即答に、うなり声をあげて腕を組み悩むみっちゃん。どうしても僕を連れ出したいらしい。


「あっきーさ。前から思ってたんだけど、ダメだよね。そういうとこ」


 びしっと僕に向かって指を突き付けてみっちゃんは詰め寄ってくる。やめて、暑いよ。


「夏休みだぜ。な・つ・や・す・み! だらだらして過ごす息子の姿を見たら、あっきーのお母さんも悲しむぜ?」

「あいにくうちの母さんは、今そこのリビングでソファに転がって昼ドラを見ながらだらだらしている」


 そしてこのままお昼寝タイムに突入することだろう。

 彼女と彼女の息子、つまり僕の名誉のために一応言っておくが、今日は職場が創立記念とのことで特別休暇だそうだ。決して毎日だらだらしている訳ではない。普段はバリバリのキャリアウーマンだ。……ちょっと言い方が古いか。


「夏休みだろうと何だろうと暑いものは暑いんだから、わざわざ外に出なくてもいいだろう。子どもが元気に外をかけずり回る時代は終わったんだよ。今や、子どもも紫外線予防、熱中症予防の時代だ。水分補給第一、健康第一、温度調整第一でだな……」

「そんなの知らねー! 子どもは外で元気に遊ぶんだよ! 満喫しようぜ、夏休みを!」

「いや、だから……」


 きらきらと眩しいほどの目で見あげてくるみっちゃんに僕は少しひるんだ。みっちゃんの底抜けな明るさはいつだって僕には眩しい。昔からそうやって何度押しきられたことか。


「そうちゃーん。誰か来てるのー?」


 と、押されぎみな僕の背後から声がする。

 リビングの母だ。間延びしたその声の調子から、彼女がソファに横になってだらだらしている情景が容易に浮かんだ。


「いや。誰も……」


 そちらに気を取られてしまったのが悪かった。


「俺がいるだろっ!! ほら、行くぞっ! あっきー」

「あ。ちょっと」


 一瞬の隙をつかれた僕は、みっちゃんに腕を引っ張られた。


「待って。わかったから靴くらい履かせてくれ」


 引っ張られる中、先ほどひもを解いたばかりの靴にいそいそと足を突っ込む。靴ひもを結ぶ余裕などない。

 玄関から一歩外に出た瞬間、熱気と蝉の声が頭上から覆い被さってきた。


「あら? やっぱり出掛けるの? いってらっーー」


 リビングの母の声は、背後の扉が閉まって途中で途切れた。

 ふと自分の手元を見ると、アイスを持ったままだった。

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