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第2話 塩素の匂い

 

「ねぇ」


 何事もなく高校初日を終えて帰ろうとした矢先、まさかのゲリライベントが発生。

 隣の席に座る女子生徒から、突然声をかけられてしまった。

 彼女は横目で俺と目が合ったことを確認すると、無表情な顔をこちらに向かせて再び口を開き始める。


「あなた、水泳やってたの」


「……え? まぁ、多少」


「……そう」


 彼女は素っ気ない返事で会話を切り、そのまま席を立ち始めた。


 結局、何が言いたかったんだ……?


 その瞬間、俺はあることに気が付いた。

 いや、気が付いてしまった。


 彼女の淡い褐色の肌、あれは長年日焼けに曝さていた証拠だ。しかし、それにしては焼け色が薄く赤みがない。女の子らしい艶のある綺麗な肌をしている。

 そして、人目を惹く明るめな茶髪。ショートウェーブな髪型で誤魔化されてはいるが、所々細い髪の毛が跳ねている。おそらく、塩素が染み込んで黒から茶に髪色が抜け落ち、傷んでしまった地毛だろう。


 間違いない。彼女も水泳人生を歩んでいた一人だ。


 そんな変態じみた分析を繰り広げている間に、彼女は学校指定のスクールバックを肩に下げ、何事も無かったかのように俺の背後を通りすぎようとした──その刹那、


 俺の脳内に一筋の電流が迸る。


 彼女からふわりと漂う独特な匂い。女の子特有の香りではなく、その奥底でほんのりと鼻につく、俺にとって懐かしさをもたらすそれは──、


 そう、塩素の匂いだ。


「ん、匂うな……」


 俺の本能を直接刺激したそれは、彼女に対して思い浮かんだことを反射的に口走らせてしまった。


「……は?」


 案の定、俺の右斜め後方で誰かの立ち止まる音がする。


 これは、まずい。


 後頭部から顔面に貫くほど誰かの鋭い視線を感じる。

 れーやは……まだバッグを漁り、探し物をしているらしい。

 他に接点のあるやつはいない。


 ……つまり、そういうことだ。


 だが、無問題モウマンタイ。俺は恐る恐る後ろを振り返る間に、思い付いた無数を言い訳を用意して決して悪意がなかったことを──、


「あっ、いや、そのー……」


 前言撤回。

 頭上から見下す彼女の目を見れば、俺の非は明らか。

 彼女の大きな瞳は、しっかりと俺の姿を捉えていた。


「最低」


 彼女は、静かにその言葉だけを吐き捨てると踵を返し、足早に教室から出て行ってしまう。


 ……本人も気にしてたのか。


「あったあった、お待たせーってどうしたの? おーい? けーと、 帰るよー?」


 親友の言葉に目もくれず、俺は少しの間その場で硬直していた。


 ──廊下で、自分の二の腕と顔を寄せる彼女の後ろ姿が見えた。



 ▽▼▽▼▽▼



 (……気まずい)


 時刻は午後14時。昼休みを過ぎた5時限目の授業中、俺はなんとも言えない居心地の悪さを感じていた。


 何故、こんなことになってしまったのか。

 その原因は言わずもがな隣の席に──いや、俺が悪いです。すいません。

 いくら悪意がなかったとはいえ、初対面の女の子に対してデリカシーのないことをしてしまった。『今も絶対嗅いでる』と思われているに違いない。


 しかし、当の本人に至っては相変わらず無表情のまま、こちらを気にかける様子もなく、淡々と一日を過ごしていた。


 ──鷹口たかぐち 水萌みなも


 教室に張り出された座席表から一応、彼女の名前だけは確認しておいた。


 淡い褐色の肌に、柔らかくショートウェーブをかけた明るい茶髪。その髪型に包まれる整った小顔、ぱっちりとした大きなつり目。どこか大人びた雰囲気を持つ彼女だが、見方によっては幼くも見える。それに、塩素の匂いもする。これがわかる人は俺以外にいないだろう。


 てっきり、今日は鷹口 水萌と出会う度に──、


「キモい」

「変態」

「臭い」

「死ね」


 など、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられると思い、その全てを受け入れる覚悟さえしてきたが……どうやら、ただのクラスメイトとして、知らないフリを通すつもりのようだ。


 まぁ、彼女がそうしたいなら、俺もあまり関わらないようにしておこう。

 その方がお互いのためかもしれない。


 そんなことを考えている間に、校内には一日の終わりを告げるチャイムが鳴り響いていた。


「ねぇ、けーと! 今日から部活見学だけど」

「やだ」

「即答だね……でもほら! 泳ぐわけじゃないし──」

「い、や、だ」

「……」


 れーやの言う通り、今日から新入生の部活動が解禁される。名目上は『部活動見学期間』としているが、期間内外問わず部活の見学・体験・入部は自由となっている。


 そして、俺がここまで嫌がる理由は明白だ。

 れーやは既に水泳部の入部を決めているため、わざわざ見学に行く必要がない。つまり、俺を水泳部へ連れて行き、部員たちにあることないこと吹き込んだ後に自分が入部すれば──、


「え? もちろん、君も来るんだよね? (先輩の圧)」


 とか


「橘君! 次の大会に向けて頑張ろう!!(部長命令)」


 とかなんとか言わせて、あわよくば俺を逃がさないようにするつもりなのだ。ふん、残念だったな、れーや君。全てお見通しだよ。


「本当にいいの? ここのプールは、莫大な費用をかけて建設した超快適プールだって話だよ?」

「大袈裟だな」

「体育で使うと言っても、年に一回の授業でしかお目にかかれないんだよ?」

「……」

「維持費も馬鹿にならないみたいだし……まぁ? けーとがそこまで言うなら仕方ない。君の分まで堪能してくるよ」


「……待て」


「ん? どーしたの?」


 これ以上ない満面の笑みを浮かべて振り返る親友。

 どこか裏がありそうなニヤけ顔が少し腹立たしいが、


「……行く」

「え? なんだって?」


「行くよ、行けばいいんだろ」

「そっか! じゃあ、決まりだねっ!」

「見学! あくまで見学するだけだ」


 まぁ、確かに? せっかく入学したのに行かないのは勿体ないし? そこまでハードル上げられたら、生粋のプールマイスター(自称)であるこの俺が直々に拝んであげないこともないけど……ん? 決まり? こいつ今、決まりって言ったか? 


 まぁ、いい。ただ見学するだけ。それ以上は何もしない。誰の口車にも乗らない。


 ──俺が、俺であるために。


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