何もいらない
私は、その、胸の中にぐらぐらと熱く煮えたぎって、どうしようもなく抑えきれなくなった怒りを、全て、自分の左手の甲に打ち込んだ。行き場のない感情を発散するために、私は右手に掴んだ石で、何度も何度も左手を打った。痛みなんか感じなかった。打つごとにぐらぐらと熱く、熱く煮えたぎる胸の熱気を全身に感じながら、もう頭がおかしくなって笑いたくなる衝動にかられ、そして打ち続けた。左手の甲は、変色して、私に恨めしそうに訴えてくる。
やめて やめて やめて
それは、私の心の叫びだった。
もうやめて
私は自由にいたいんだ
私は私でいたいんだ
なんだっていつも邪魔をするんだ
なんでいつも 人と比べてばかりで
私の頑張りを認めてくれないんだ
どうして私はいつもこんなに惨めでおどおどしていて いい子でいなければならないんだ
ちきしょう ちきしょう ちきしょう
私の気ちがい行為を全て受け止めた左手は、どす黒い紫色になって、もこりと腫れあがり、元の状態に戻るのに長い日数がかかった。左手の甲がもとのようになっても、私の心は変わらずに、いつも気ちがいじみた熱い気が、ふつふつと腹の底で煮えていた。表からは決して見えない暗くて深い所で、絶えることなく煮えていた。
学校では、時々ちょっと面白いことを言ってみたりして、明るくて真面目なキャラクターで、いた。先生の指示に従い、規則は抵抗することなく守り、あてがわれた役割はちゃんとこなした。
“サボル”・“クチゴタエヲスル”・“フザケル”
そういう事を暮らしの中に、何の躊躇もなく取り入れている人達を見ると、自分とは違う人種だと強く感じた。軽蔑するとか、怒りが湧くとか、ではなく、“羨ましい”のひとことだった。そういう事を難無くこなす人がキラキラと輝いて見え、心底羨ましかった。そんな行いをしたために叱られていたとしても、その叱られている姿でさえ素敵に見えた。
“いいなぁ~私もそんなふうになってみたいよ”と、思った。
人ってそれぞれ個性があるとは言うものの、自分が一体どんな人間なのか、なんて、どれだけの人がわかっているのだろうか。私など、全くわからん。明るいのか暗いのか。人の世話を焼くのが好きなのか、面倒でやりたくないのが本音なのか。素直なのか、天の邪鬼なのか。人と話すのが楽しい?億劫?
こんなものなのか?だって、状況に応じて対応しなければならないではないか。相手によって、環境、立場、体調、様々な物・事柄によって、対応の仕方は変わって当然だ。自分はこんな感じの人間だと思っていても、そんなにいつも、これだと決まった“型”にはまりこんだような自分でいられるわけがない。だから時々落ち込み、自己嫌悪になり、更に時々ぶちぎれる。私のように、周りから、“大人しくてお利口さん”という勝手な名札をつけられた者は、特にそうなりがちなのではないか、と思われる。周りが!親が!こんな私にしたのだ!と、思いたくなって、周りや親を責める気持ちも湧いてくるが、最終的に自分自身がそのようにしている=(イコール)自分が自分で決めてそうしているのだ、と思うと、誰も責めることは出来ない。私自身にこそ、責任があるのだった。
と、理解してもなかなかそんな窮屈な状況の自分を、大空のもと、囲いのない広い空間に開放することは難しい。なんとか糸口を見つけようともがいても、駄目な時は駄目なもので、試みて駄目だったぶん、その反動で相当苦しんで、無惨な状態になる。
でも私は、こんな事を何度も何度も繰り返しながらも、ずっとずっとあきらめないできたのだ。自分を解き放つのは、その原動力は、自分の中にこそある。チャンスが来たらきっと、その時が来たらきっとわかる。そしてその時には、それまで培ってきた自分の力が発揮され、全てが大きな流れになって、向かうべき方向へと進んでいくのだ、と考えていた。
そうだ、中学一年生で左手を腫らしてから、そのあたりから私は少しずつ本来の自分を見出していたらしい。とはいうものの、自爆を繰り返しながらも長い間、本来自分はどうあるべきなのかを考えずに、いや、“自分で考える”という意識を持たずに、居心地が悪いと感じつつも不明な自分でいた。
私の中で何かが弾け、自分の生き方のようなものを思い改めたのは、30代半ばだった。遅い?いや遅くない。私は心の中で言った。“頼ってはいけない”・・・そうなのだった。いつだってきっと私は、周りにいる人々に頼って、ずる賢く生きていたのだ。一見、良い人間の素振りをして、さも周りの人々に尽くしているかのように装っていたが、それは本当のところ、自分をよく見せて、自分が安全な状況にあるがための手段だった。そうしておかしな無理をして、自分で自分を追い詰めていた。知らず知らずのうちに、相手に見返りを求めていたのだ。知らず知らずのうちに、自分を守るどころか、自虐していた。私は長いこと気付かなかったのだ。自分は保身の術でしていたことが、全く逆に、自分で自分を傷つけることにつながっていたなんて。いつも・・・いつも・・・私は苦しかった。生きていることが、窮屈で仕方がなかった。
「粒さんは、いつも穏やかで、そばにいるとなんだかほっとするわ~。子供さんを叱ったりすることなんて、ないのでしょうね。」
「それに、旦那様も優しそうで。粒さん、大事にされているのでしょう?きっと、あなたのことが可愛くて仕方ないのでしょうね~。いいわね~ほんと、羨ましいわ。」
“いやいや、そんなわけないよ。だってあの人、いつも私のことを構うどころか自分の体調不良をバンバン訴えてくるよ。それに私がラクしようものなら、必ず自分の苦労を押し付けてくるし、私が嬉しそうにしていると、「それに比べて僕なんかっ・・・」って言うし・・・あはははは・・・笑えてきちゃうわ”
本当の事は何にも知らないと思われる、知り合いたちの何の罪もない言葉に、私の心の中に積もった汚泥は量を増し、臭くて汚くて重いどぶ水がだぷんだぷんと反応した。
子供たちは可愛い。可愛くてかわいくて、本当に愛おしい。が、そんな子供たちとの優しい時間も、配偶者は台無しにする。この人、心が子供のままだ。しかも、素直で純粋な子供ではない。愛に飢え、変に歪んだ、非常にプライドの高い、タチの悪い子供だ。ああ。子供たちもそういったことを察知して、配偶者には冷たい態度をとっている。ああもう!疲れる。
「お父さん、こっちに来ないで!!」
配偶者の爆弾に点火する子供たち。そして予想通り“ドカーン”と大爆発。
「誰に向かって言ってるんだ!」
ドッカーン!バーン!ボーン!!!大爆発。
「お父さんキライ」
ドッカーーン!ボン!どどおん!ああ、心臓が不健康な動きをしているのがわかる。目に見えない私の望んでないものが、どんどん身体の中を埋め尽くしていく。私はこんな思いをするためにこれまで生きてきたのではない。こんな、耳を塞ぎたくなるような冷たい言葉を聞くために、子供たちと人生を共にしているのではない。私は、配偶者に向けて浴びせたい言葉が喉から吹き出しそうになりながらも、必死で耐えた。耐えきれずに吹き出そうものならば、話し合いになるどころか、修羅場になってしまうだろう。これまで、なにか問題が生じた際に、穏便に問題解決に至ったことなどない。今以上に配偶者の怒りが爆発して、今以上に子供たちの心に傷が増える。
私は、心の中で知らず知らずのうちにつぶやいていた。“こんなことはいつまでも続かない。いつか終わりが来る。私の心が自由になれる時がきっとくる。子供とともに、穏やかな気持ちで暮らせる日がきっとくる。いつか、きっと。”
「お父さんのことがキライなら、もう飯、食うんじゃない!」
配偶者が止めを刺してくる。
“えー!えええー!嫌われるようなことしている方が悪い。権力を振りかざしている。問題をすり替えている。何故、子供にそんなことを言われてしまうのか、何故子供の口からそんな言葉を吐かせてしまうのか、考えようともしないのか。考えてみてよ!”と、心の中で叫ぶ。決して届かない心の叫びだ。
こんな事の繰り返しだ。心がささくれる。この様子は、親子の在り方ではない。子供同士の喧嘩だ。この男は、自分を何だと思っているのだろう。目の前に存在しているこの子たちをこの世に招いておきながら、この子たちに、生まれてきてくれたことの喜びも感じていないのだろうか。愛おしい気持ちもわいてこないのだろうか。子供に対して、自分の手を煩わせ、時間を奪い、お金を消耗する、厄介なものとしか思わないのか。自分にだって、幼少期というものがあったのに、子供の気持ちをほんのわずかでもくみ取ろうとしないのは、何故なんだ!!
配偶者が一日中家にいる休日などは、配偶者と子供の衝突を避けるため、そして、私自身の精神を守るために、二人の子供を連れ戸外に逃れた。平日も公園で過ごすことが多いが、休日は公園に訪れている人の層が違う。平日には見かけない家族連れや、父親と連れ立った子供の姿が多いように感じる。楽しそうにキャッチボールや、サッカーをしている。微笑ましいなぁと思う。そうして父子が遊んでいる間に、普段、家事育児でてんてこ舞いのママは、ほっと一息、お茶の時間でも楽しんでいるのだろうか・・・。それとも、今のうちに!と張り切って、掃除や調理に専念しているのか・・・。私といえば、ひとり、サッカーボールを蹴ってはキャッチして、蹴ってはキャッチする、を繰り返している息子の姿を見守りつつ、抱っこ紐で固定している娘をあやしている・・・。なんだかとってもさもしい気持ち。男性を頼るとか、守ってほしいとか、もっとラクしたいとか、そういう気持ちは毛頭ない。私は元々そういうタイプではないし、なんというか・・・あたたかくないな、と思う。心が。ただひたすら、さもしいのだ。子供が元気でいてくれて、少しでもたくさん笑っていてくれて、私が子供たちに出来るだけたくさんの愛をそそいでいけたらいい。私はそう願いながら、黙々と一日一日を送った。
「お母さんは、なんでお父さんと結婚したの?」
“!!!”
驚いた。私が即答しないでいると。
「お父さんの事、好きで結婚したの?」
と、更に投げかけてくる。
“おおう。これは、答えるのが非常に難しい質問だ。好きではないのに結婚したなどとは、言いにくい。正直言うと、好きになったことがない。しかも逆に、大嫌いだ。好きになるどころか、年を追うごとに大・大・大・・・嫌いになって、今じゃあもう表現のしようがないくらいに嫌いになっているよ。”
本心を話すのはどうかと思うが、嘘はつきたくない。それに子供たちは、もうちゃんと親の心を見抜いている。よおーく見ているのだ。10歳と5歳のふたりの子の顔をじっと見つめながら、私は答えた。
「お父さんとお母さんはね、お見合い結婚だったの。“好きー!”って感じで結婚したのではないなぁ。魁と、あん。ふたりに出逢うために結婚したんだよ、きっと。」
ふたりの子供たちに出逢うため。きっとそうだ。私は、心からそう思っていた。
子供たちは、ふうんという感じで私の言葉をのみ込むと
「お母さんは、お父さんじゃない人と結婚すればよかったのにね。似合わないもん。僕、お父さんじゃないお父さんがよかったなぁ。お父さん怒ってばっかだし・・・」
「あんもー」
“お父さんがお父さんでなかったら、あなた達はここにこうして存在していないのだよ”と思い、私は子供にこんなことを言わせてしまっている自分を、不甲斐ない、情けない母親だなぁと思った。最悪なことを、子供に言わせている。子供は、両親の心が通い合っていないことを、愛し合っていないことを、よくわかっている。そして、そんなふたりが、結婚という儀式を交わして、共に生活しているということが、不思議で異質なことなのだと思う年頃になったのだ。
もう、繕っても無駄だ・・・私はこれまで、自分の配偶者に対する感情は別として、子供たちにとってはかけがえのない父親なのだから、父子の関係が育まれるようにと様々な配慮をしてきた。家族のために働いてくれているお父さん。お父さんのお陰で、美味しいご飯が食べられて、綺麗な洋服も着れるし、学校や幼稚園にも行くことが出来る。お風呂にも入れるし、あったかいお布団で眠れるし・・・エトセトラ・・・エトセトラ・・・とにかく、お父さんのお陰で何の不足もない生活を送ることが出来ていることを力説した。普段一生懸命お仕事を頑張っているから、お休みの日は静かにして、お父さんに休んでもらおうね。お父さんはお仕事で疲れているんだから、大きな声で騒がないでおこうね。お父さんが怒るのは、魁とあんのためを思って、いろいろ教えてくれようとしているんだよ。あんなにおこりんぼうなのは、きっとお仕事で大変なことがあったからだよ。ほら、魁とあんも、学校や幼稚園で色々あるでしょう!お父さんにもあるんだよーいろいろと。行きたくない時があっても、お仕事行かないとお給料がもらえなくなって、家族皆生活していけなくなってしまうから、お父さん本当に大変なんだよ。
その都度いろいろな角度から、子供達には話してきた。話はしてきたが、そもそも子供たちが目にするのは、日々ドタバタと慌ただしく動き回り、家の用事や家族のあれこれをこなしている私の姿ばかりである。父親のお陰だと言っても、実際にお給料を手に、食料や衣類や日用品等を調達してくるのは、私だ。子供たちが出掛ける先に、その都度付き添い必要な物をそろえるのも、病院に連れて行くのも、何から何まで私だ。父親に対してといえば、仕方のないことではあるが、一生懸命仕事をしている姿を見ることもなく、主に目にするのは機嫌悪く、場の雰囲気をぶち壊す事の多い、家での姿なのだ。それに、更にいうと、そもそも、私自身が配偶者に対して愛情をもてないでいるのに、子供たちに何を言おうが伝わるわけはないのだ。でも、私と配偶者との関係とは違い、子供たちと配偶者は親子なのだ。間違いなく血の繋がった親子なのだ。だから、開き直っていうと、私は仕方ないにしても、子供が配偶者になつかないのは異様な事ではないのか。これは、私の責任ではないのでは?配偶者自身に責任がある事じゃあないか。自分で子供に距離を置かれるようなことばかりしているのだ、仕方がない。
「なんだ、お父さんばかり除け者にして」
などと言われても、知らんがな。だ。
私はもう辞めた。もう、繕うのはよそう。意味のない言葉を、無理やり紡ぎ出したところで、伝わらないものは伝わらないし、変わらないものは変わらない。私の大切な時間と動力を、意味のないことに使うのは勿体ない。子供たちはよくわかっている。ちゃんと成長している。私は、子供たちに、配偶者に対する言い訳じみた弁明をすることを、きっぱりと辞めた。そうすることで、私はすこうし身が軽くなったような気がした。私が配偶者の弁明をする様が、きっと子供たちには、私が配偶者に媚びをうっているように見えていたのではないだろう
か、と後になって思う。それからも、私は少しずつ少しずつ、これまでの自分の保身の術のあり方を問い、自分の生き方を探り続けた。遅くない。いつになるかわからないけれど、きっとその時は来る。諦めないで考えて行動してゆけば、きっと・・・
“その人”を、私は“におい”で感じた。香りというのとは違う。体臭・・・というのとも違う・・・ような。明らかに、既製品の匂いではない。その人が、纏っているというか、その人の“もと”となっているような“におい”だ。なんだか、そんな気がした。偶然、地下鉄の車内で、隣の席に座った“その人”から私に運ばれてきた、何とも言えないにおいに、私の全神経は一気にくつろいだ。勝手ながら、同じ“にんげんのもと”を持っている人だと感じた。本当に、心安らぐひと時だった。こんなことは初めての体験だった。ああ、人って、こんなにも温かい存在で、こんなに心地良い匂いを持っていて、そんな人の隣にいると、私はこんなにも穏やかな精神でいられるのだ。と、気付いた。ずっと、ずっと、ずーっと、この心地良き状態でいたい。出来ることならば、この見ず知らずの、まだ顔も見ていないこの男性らしき人に寄りかかって、すやすやと眠ってみたい。ああ、私、今、すごく幸せだ・・・。
とても残念なことに、その幸せは長くは続かなかった。私は、下車する予定の駅に到着してしまった。駅名を告げるアナウンスが入り、ドアが開く。ああー。ずっとこの人の横で、この匂いに包まれて、穏やかな気持ちで過ごしていたい・・・私は、親に手を引かれつつも「まだここにいたいー!帰りたくないー!」と泣き叫ぶ、幼い子供のような心境だった。だって、こんな稀な体験、もう二度と出来ないよ!心が呟いた。ぬくもりに飢えているのだ。私は・・・。そう。心がさもしいのだ、いつも。
この人は、私の隣に腰を下ろすなり、背にしょっていたリュックを膝にのせ、リュックの中から本を取り出し、読書を始めたのだった。ちらりと目をやった時に、私の視界に入ってきたその人の手は、力強そうでいて、美しかった。
私は不自然な動作を、出来るだけ不自然に見えないように、立ち上がって扉に向かう前に、まるで自分の座っていた所に忘れ物がないかと確認する風を装い、その人に視線を向けた。読書をする格好が、凄く様になっていた。が、頑張った割には、一瞬盗み見した私の脳が、その人の顔を認識することは全く出来なかった。とても、残念な気持ちでいっぱいだった。でも、ほんのしばらくの間隣にいたその人の、背格好、その人のもたらす存在感と究極の“におい”で、私は満たされていた。一時包まれていた優しい空間から、現世界へと歩み出した私は、感嘆と嘆息の混じり合った、長い息を吐きながら、肩にバッグをしょい直した。
「今晩のおかず、何にしようか・・・」
ぽちりと呟いて、家に向かった。
『来週あたり、都合の良い日にお茶しませんか?』
真利さんからメールが届いた。
『うわぁ嬉しい!私は、木曜日以外なら、いつでもOKです』
本当に嬉しい。こんな無精者の私に、時折お茶に誘ってくれる人がいる。私の方から声を掛ける事は滅多にない。私は自分から、他人を巻き込む用事を作りたくない。それに、私は無職だから、仕事についている人の大切な時間を奪ってはいけない。という思いがあるからだ。そして更に私は、出来ればずっとひとりで過ごしていたい人間だからだ。
でも、誘ってもらうと嬉しい。時折声を掛けてくれるのは、真利さんと美苗さん。私は、真利さんと美苗さんが好きだ。ふたりのもたらす空気は、私をおびやかさない。
何度かメールのやり取りをして
『じゃあ来週金曜日の9時に、“すまいる”でね』
と、いつも3人で会う時お決まりの、ファミレスでの待ち合わせが決定。早速私は、書き込みのほとんどないスケジュール帳に予定を書き込む。ニコちゃんマークも付けた。
人との交流を出来るだけ持ちたくない私は、スケジュール帳が空っぽでも全く平気だ。外で人と人が親し気に話しているのを見ても、全く何とも思わない。いや、思う。面倒だなぁと。私にも、人との交流を求め、人脈を広めようと生き生きとしていた時期があった。そう、一人目の子供が小さかった頃。所謂、ママ友作りだ。公園やスーパーや、何かの行事に参加した際に、同じ年頃の親子に出会ったならば、即、名刺替わりの笑顔を差し出す。めいっぱい親しみを込めた笑顔で接し、明るい円満な親子像を印象付ける。話が弾めば、連絡先の交換をして、先ずは、第一段階として、自宅にお茶に招く。そこから、親子共々の親交を深め、日々の生活に彩りを?英知を?安心感を?もたせてゆくのだ。確かに、ママ友親子と共有する時間は楽しく、有意義で大切な時間だと思った。でも私は本来、人と付き合うのが苦手というか、億劫な体質で、ひとりマイペースに過ごす方が性に合っているから、それ相当にストレスが溜まってゆく。
『いつ、どこどこで、何時に集合ね!』お雛祭りにピクニックに、水遊びに誰々ちゃんのお誕生日会に、ハロウィンパーティーにクリスマス会・・・子供の体調に気を付け、その時々に応じて下準備。手荷物や手土産、子供同士のトラブルに気をもみ、出来るだけ“変人”と思われないように自制して・・・頑張り通した。子供のため、と思ったからこそ頑張れたのだと思う。
私が危惧したことは、私自身は一匹狼的な生き方でも全く問題なく、むしろその方が気楽に生きてゆけそうなのだが、果たして子供にとってはどうなのか?ということだった。私がそうあることで、例え子供は子供で一人の人格者だとしても、常に保護している母親がそのような人間だとしたら、子供にどう影響するのか・・・。子供自身が、ゆくゆく私のような生き方を選ぶのはいいが、ひとりで行動出来ないうちから、母親である私の狭い世界の中でだけの人や物事とのかかわりしかもてないのでは、良くない気がしたのだ。
だから私は、二人の子供が、自分で身の回りの事が出来、自分の意志で選択し行動するようになるまでは、出来るだけ“普通の母親”でいることを心掛けた。後々思い出すにつれ、我ながらよく頑張ったと思う。
世の中には様々な母親がいて、私のように、子供の行く末を案じて自分の在り方を変える・・・などということはせずに、ガンガン自分の生き方を貫いていく人も沢山いるようだ。けれど、ひとそれぞれなのだから、私は私のやり方で良かったのだと思う。ストレスは多かったけれど、楽しいことも沢山あった。心強いと感じたことも、学ばせてもらった事も数多くあった。でも、やはり不自然だった自分も沢山思い出される。本当に、人とのかかわりにおいて不器用なのだとしみじみ思う。やるとなるととことんやってしまう。かといって、不器用だから不完全なのだ。人を不快にさせてしまったり、唖然とさせてしまったり・・・ドン引きされてしまった事は数知れず。子供のためにと思ってしたことが、逆に子供に悪い印象を与えてしまったことも沢山あるにちがいない。思い返すと不安で押しつぶされそうになるから、この辺でやめておこう。
ああ!今は、その点、自由だ!本当に会いたい人とだけ会って話せる。嬉しい。
真利さんも美苗さんも、相変わらず優しく平和に微笑んでくれる。
「どおう?元気だった?」
「ご家族の皆さん、元気?かわりない?」
「元気元気!」
「でも、日々衰えを感じるわ~。白髪もシミも皺も増えて、身体のあちこち傷むし・・・いらないものばかり、どんどん増えていくの。」
「ね。じわじわときてるよ、老いが。」
「そうそう。もう無理はきかなくなってきたわね」
「でもでも、二人共、若い若い!!出会った頃から変わってないってー」
と、真利さんが、美苗さんと私の肩で手をぽんぽん弾ませて笑いながら言う。
私は、心の中で思う。“いやぁ~そんなわけないよー。ほうれい線も以前にも増してくっきりしてきたし、顎の輪郭も崩れて、以前はこんなではなかったと思われる、見覚えのないたるみが二重顎を形作ってる。目元には、とぎれとぎれに何本もの皺が、まるでペンで下書きをしたかのようにシャワシャワと描かれているし・・・”真利さんがかけてくれた優しい言葉に対して、一瞬にしてこれだけの返信をした。心の中にて。そして、さらに心の声を付け加える。“それは変貌もするわよね~子供たちも大きくなって・・・愛のない配偶者との生活も早22年にもなるのだから・・・”
「で、つぶちゃん、仕事は?どこか決まった?」
美苗さんが尋ねてきた。私が事務のパートを辞めてから、3か月経っていた。
「ううん。まだ、次の仕事決めてない。家にいるよ。」
「そうかぁ。家にいられるなら、居た方がいいよね。で、ちゃんと家の事をしていた方が、家族にとってもね。私は、少しでも稼がないと、まだまだ子供にもお金かかるしなぁ・・・。」
美苗さんはとても几帳面。人生設計もしっかり立てて、しっかり稼いでしっかり管理しているに違いない。金銭感覚も、私とは全く違うと強く感じうるものがある。見習わなければとは思うものの、体質?なのか、性質?なのか、私は美苗さんのような生き方は向いてないという事が、とうの昔にわかってしまってからは、そんなふうにきちんとしている美苗さんの話を聞いていても、全く焦ることもなく“しっかりしているなー”とただ感心するのだった。隣で美味しそうにパンケーキを頬張っていた真利さんが、コーヒーでパンケーキを流し込んで一息ついてから言った。
「勿論、家計の事もあるけど、私はずーっと家に居るのは苦痛なのよね~。外で働いている方が性に合っているみたい。っていうほど、ガッツリ仕事しているわけでもないけどね。それに、パートとはいえ、人間関係だの身体の衰えで疲れが取れないだの、問題山積みでもあるんだけどね~。でもやっぱり、家にずっとは無理だなぁ。」
そして、ゆっくり味わってコーヒーをコクンと飲むと、目を大きく見開いて
「でもほんと、お金って、どれだけあってもいいよね~。あれやこれやと、いろんなことにお金かかるもの。きりがないわ。やっとお給料が入ってきたー!と思ったら、横流れ。あっという間になくなっちゃう。」
美苗さんも大きく頷いて
「稼ぐのは、時間も労力も沢山かかって本当に大変だけど、なくなるのは速い速い。」
三人で顔を見合わせて
「ねーーー!」
と私も賛同はしたものの、ふたりのように家事と仕事を両立させてもいないので、肩身が狭い。しかも、配偶者が稼いできてくれるお給料で、生活させてもらっている。という負い目がある。食べるのに困窮することはないが、心が窮屈だ。
そんなこんなで私達は、たまーに、の細やかな楽しいひと時を、気を楽にして集えるファミレス“すまいる”で過ごすのだ。細やかなのがいいのだ。人付き合いの苦手な私にとって、貴重な存在であるふたりの友人との、大切な時間。私にとっては凄く贅沢な時間なのだ。
パートを辞めて3か月が過ぎたが、私はなかなか新しい働き先を探す気になれずにいた。パートに出なくても、一家四人が食べて行けるだけの給料を、配偶者が稼いでくれている。この先、配偶者が定年を迎え収入が無くなる事や、まだしばらく掛かる教育費。老後にかかるお金の事や、想定外の出費など、考え出したら切りのないお金にまつわる不安はある。不安はあるが、本当に、考え出したら切りがないのだ。今現在、食べていくのには、事実、困っていない。肩身は狭いが、私は自身の役目だと思い、日々家事に一生懸命取り組んでいる。家庭内で発生する様々な雑用も、全て引き受けている。もう随分前から、配偶者の休日には、私から用事を頼むことは一切せず配偶者が自分のペースで休日を過ごすことが出来るように気を遣っている。それは、その時私が専業主婦でいようが、働きに出ていよう関係なく。それに、配偶者に頼みごとをしないのは、休日に限らず、だ。頼めば頼んだで、一応は動いてくれるものの・・・ハッキリ言うと、有り難くないのだ。配偶者に協力してもらうための、“良き誘導の仕方”のようなアドバイスに、『ほめる』『感謝する』等々あがっているが、私にはどうしてもそんな気持ちを持つことも、相手に向けることも出来ないのだった。私が完璧主義者で、とても頑固な性格だという事が大きな理由だとは思うが、正直、配偶者に何をしてもらっても、有り難くないのだ。ぶつぶつと文句を言われたり、作業の過程や終了後に嫌な気持ちにさせられたり、たまらず私がやり直す羽目になったり・・・“言われたからやった”、“やればいいのだろう”感が、グルグルと渦巻いて見えてくる。その、動作やなされ方が、私にはたまらなく嫌だった。どうしてこの人は、こんなにも何もやりたくない人なのだろう。自分に『利益』をもたらすこと以外は、全てやる意味のない無意味なことなのだろうか。初めは全くやる気のなかった事でも、取り組んでいるうちに何だか楽しくなってきたり、“ここを、こんなふうにしてみようか・・・”などと思いが膨らんできたりもするものではないのか?この人が、子供のように無邪気に何かに没頭している姿を、生活を共にするようになってから、私は一度も見たことがない。
配偶者は、毎日真面目に仕事に行っている。私には、同じ職場に長年勤務した経験はない。日々、様々な事があるだろうから、私には想像できない配偶者の苦労が、沢山あるのだろうと思う。心底凄いと思う。お陰で、私達一家は、金銭的には何不自由なく生活させてもらっている。お陰様で。その面では、とても感謝している。
生活していくためには、収入が要る。果たして、今現在、私がひとりで生きていこうと決意したとして、どう生きていこうか。何をして収入を得ようか・・・大昔に取得した保育士免許はあるけれど、それ以外には、特に特別な技術を身につけていない。ずっと長い間専業主婦をしてきた。時折、ベビーシッターや、某会社の事務、運送会社の荷物の詰め込み作業、清掃作業・・・等、様々な職場でパート勤務を経験してはきたが、正規の職員としてフルに働くことはなかった。大好きな書き物や、イラスト等で、道が開けたら…などと、ぼーっと思い描くことはあったが・・・これは夢というのでもなく、妄想のようなものだった。たまに、思い立って投稿した作品が、新聞や情報誌に掲載されるたび、私は至福の喜びに包まれ、相当長い間心が豊かでいられた。
そうだなー自立するには、しっかり稼げないとなー。と、しみじみ思う。がっつり稼いで、しっかり子供も自分も養っていけたら、どんなに気持ちよく生きていけるだろう。魁はそろそろ自立の目処がたってきたが、あんは、まだしばらく学生だし、社会に出て独り立ちするのには数年かかる。よく、配偶者が
「働いてもいないのに?」
「収入もないのに?」
と、会話の中にフイッと入れてくる、この台詞に、私はこれまで、どれだけ傷つけられてきただろう。買い物をしてレジで支払うこのお金は、配偶者が稼いだもの。住居費も光熱費も日用品費も、衣服費も医療費も子供たちの教育費も、たまに鑑賞するレンタルDVD代も、何もかもが配偶者の稼いだお金だ。
世の中には、自分が元気で仕事が出来るのは、家族の支えがあってのことだと述べている人もいるが、我が家では、そのような言葉を聞いたことがない。彼にとっては、自分の仕事以外の事は私がやって当然。家の事は全て、私がやって当然。しかも、そのことに、私がどれだけの時間と労力を費やしていたとしても、彼にとっては、無価値で無利益なことなのだ。
どうしてくれよう。私の、この何十何年もの歳月を。無価値で無利益なことに費やしてきたと思われている、私の人生・命を、どうしてくれよう。
自分自身に問う。どうしてくれようか・・・。
「お母さんはさ、どっかに働きに行くの、向いてないんだって。」
「そうだよー。だからいつも何か起きちゃうんだって。」
「ムリに働きに行くのやめときなよー。」
私が、求人情報誌を食い入るように見ている横で、ふたりの子供たちが交互に阻止してくる。実をいうと、私自身もあまり気が進まないのだ。これは、引き寄せの法則とでもいうのか、何故か私が働き始めると、厄介な出来事が起こり、仕事を続けるのが困難な状況に追い込まれるのだ。いつもいつも。世の中の大多数の人々は、「そんなこと当り前よ。日々生きてりゃなんだってあるわよ!それを乗り越えて仕事してんのよ!生活してんのよ!!」と、おっしゃるだろう。私もそのようであらねばならないのだが、そのように踏ん張ることが出来ない気弱さと、配偶者の収入がある安心感が根底にあるため、辞職の道を選ぶのだ。今、目の前に突発的に表れた緊急事態に全集中する道を選ぶのだ。そうして、ああ、またかぁ~と小さくなる。身も心も・・・。
そんな事を何度も繰り返してきているのだ。子供たちに、チクチクと胸に刺さる事を言われても仕方がない。配偶者が大怪我をした、義母の認知症の症状が悪化した、実母が病に倒れた・・・。誰もが乗り越えなければならないことだ。でも私は、両立出来なかった。チクチク刺さるけれど、仕方がない。私は弱虫だから。根性ないから。なんだかんだと言って、配偶者の収入を当てにしているから。
そうだそれだ、それなのだ、と自分のとても卑怯な所に行き着く。なんだかんだと言って、未曾有の出来事を全て利用しているのだ・・・配偶者を、利用しているのだ。私は、被害者意識や“自分はちゃんとやっている感”をてんこ盛りにして、実はこらえ性のない、ずる賢い、嫌な人間なのだ。
おおっ。近い。近すぎる!
こんな、美しい人の瞳に、私の姿、いや、私の顔がアップで映し出されるなんて・・・考えるだけで冷や汗がタラタラ流れてくる。
撮影時に使う、被写体がきれいに映るフィルターをかけてほしい・・・いっそ、目の前のこの人の瞳の中に、そういった機能があったらいいのに。さもなくば、彼には、私の瞳に映る、“彼”自身だけを見ていてほしい・・・私の瞳の中だけを、一点集中で見ていてほしいと心底願った。だって、こんなにも素敵な若い男性と、喫茶店で、テーブルを挟んではいるけれども間近で、一対一で話すなんてことは、私の未来予想絵図には思い描かれてもいなかったことだし、経験がなさ過ぎて、ドキドキが止まらない。
でも、恥ずかしいとかなんとか言っている場合ではないのだった。私は今、打ち合わせの最中なのだ。目の前にいる相手と話し合うために、今ここにいるのだ。顔を上げて、しっかりと相手の話を聞き、そしてまた、自分自身の意見をしっかり話さなければならないのだ。まともに相手の顔を見ることの出来ない私は、膝の上、机の上と行き来し、そして書類を運ぶ彼の手に目をやった。まあ、あんまりじいっと相手の顔を見つめるよりも、少し視線を落としがちにしていた方が、ちょっと控えめな中高年の女性という感じでいいのじゃあないか、とも思った。力強そうでいて、美しい手だった。丸っこくない、そう分厚くもない、でも、薄っぺらじゃなくてある程度の厚みがあり、美しいけれど華奢ではない。ピアノを弾くにも似合いそうだし、工具を持っても様になりそう。何より、ペンを走らせたり、そう、本に好まれる手だなぁ・・・と思った。本に対する深い愛情が、本に対する敬意が、熱意が、彼の手から本に伝わっている気がした。好きだなぁ、この人の手。ゾクッとキュンが一緒にくるような手、だと思った。愛しく思う人をただ、ただ見つめているだけで心が満たされて、幸せに包まれていた青春時代の1シーンに身を置き、私はぽーっとしていた。
「・・・さん」
「・・・さん。よろしいですか?」
学生時代、授業中にウトウトしていて、先生に呼び起された時のように、“ビクッ”と “ハッ”が一緒にきて、私は慌てて
「す、すみません。何でしょう」
と、相手の顔に目を向けた。その人は、ちょっと控えめに微笑むと
「何か気になる事でもおありですか?どんなことでも、お話しください。」
「日和さんの描かれた作品と、作品に込められた思いを、微塵も残さずに一冊の本としてこの世界に送り出すのです。」
「日和さんの思いが、沢山の人々に生きわたっていって・・・何かが生まれる本を創りましょう!」
“微塵も残さずに”という言葉に、私の心はグッと来た。私は口元で「はいっ」と言いながら、こくっと頷き、その人の目をじっと見た。
その人の瞳には、澄んだ光が見えて、そして、希望がみえた。
私は気を引き締めた。そうなのだ、私は思い切った決断をしたのだった。趣味で書いたり描いたりしていた自作の物語を、書籍化することにしたのだ。
そして、私の目の前にいる、力強く美しい手・・・だけでなく美しい顔も・・・いや全てが美しい容姿の持ち主は、書籍化するにあたって私の担当となった編集者である。名前は、星加光翼。名前も美しい人だった。
一大決心をしたのは一か月前のこと。携帯の画面を見ていた私の目に留まった【自費出版】という文字。その文字が表記されている同じ画面には、【自費出版】についての、様々な情報や、アドバイス、忠告?のようなものまでも書き込まれていた。私はだいたいざあーっと目を通すと、思い切った決断をした。これまで、子供が生まれる前から、まだ正社員として働いていた時から手を付けず守り続けていた私の個人的財産。所謂小遣いである。ガンガン稼いでいる人からすれば、それ程大袈裟なことではないかもしれないが、私にしたら大した財産だ。これまで、手を付けずにちみちみと守ってきた。いくら結婚したら財産は全て夫婦ふたりの物、なのだとしても、これだけは絶対に譲れない。それを自費としてつぎ込み、出版社に自身の本を創ってもらうことに決めたのだ。文章も絵画も、専門的に学んだ経験はない。登竜門とか言われているコンクールに入賞したこともないし、年がら年中ずっと書き続けているわけでもない。時折思い立って家事の合間に突発的に描いた作品を、話を膨らませ、絵をブラッシュアップ(カッコイイ言葉…打ち合わせで初めて知った)していき、本のサイズ、どのような紙で、どのような色あいで、表紙や裏表紙、カバー・・・様々な過程を経て生まれて初めて、私の本が誕生するのだ。世に出るのだ。いいじゃないかと思った。あほにされてもいいやと思った。ドン引きされてもいいと思った。もどかしく、八方塞がりのような状態で、鬱々としてきたこれまでの自分を、なんとかしたかった。悶々と生きてきた自分の何かを、どうにかしたかった。ろくに稼げてもいないのに、とか、これから掛かる生活費の心配とか、不安は挙げれば切りがないが、お金が使えばなくなるのと同じで、命もなくなっているのだ。一日一日・・・一刻一刻と。行動に移したという事は、私自身が何かを感じたからだ。誰かに相談など、全くしようとも思わなかったが、ただ後々面倒な事になるのは嫌だと思い、配偶者に報告した。
「金にはならんよ。」
「そんな大金、ドブに捨てるようなものだし・・・どれだけの人間が作家目指していると思う?で、その中で、どれだけの人間が思うように仕事が出来て、作家として食ってけてると思う?」
“うん。言いたいことはよくわかる。まるで、就活中の子供が親に説き伏せられているような状況だな・・・。言っていることは間違いないと私も思う。実際に、我が子がその道を志願していたとするなら、やはり無謀なことだと思うだろう。まず、確実に生活していける基盤をつくってから、挑戦したらどうだと言いたくなる。”
しかし、私は黙って配偶者の言葉を聞き流す。
“私は作家になろうと、出版を決めたのではない。私は、この状況を変えたくて決めたのだ。自分自身によって、固く小さく圧縮された私の精神を、今の状態から変化させるきっかけにしたかった。このことは、どう説明してもこの人には理解できないだろう。黙っていよう・・・”私は固く口をつぐんで、じっと配偶者の口から排出される音の止むのを待った。
「夫婦だぞ。お前の小遣いは、俺の物でもあるんだから好き勝手は許さない!」とか、言われなくて本当によかった。言いたいことを言うだけ言ったら、もう後はどう後悔しようが知ったことではない・・・という余韻を残して自室へと姿を消した配偶者に、少しだけ感謝した。
黙っていることは、何かと窮屈だ。悪いことをしているわけでもないのに、コソコソしたくない。しかも、多額のお金の掛かることだし、黙って事を始めて途中で知れた時に、根掘り葉掘り問いただされたりするのは、本当に面倒だし屈辱だと思う。言葉では全否定されて、阻止されたけれど、断固として阻止されたのではない。脅しみたいなことも散々言われたが、まぁ、本当の事を言っているといえば、本当の事なのだ・・・確かに。私が、子供たちが、何かに取り組もうとすると、後押しよりは後ずさりさせるようなことをまくし立てて不安にさせるのは、いつもの事だ。もう慣れている。温かい言葉も、気持ちが和らぐ言葉も、勇気が湧いてくるような言葉も、配偶者のその口から出てこないことはよくわかっている。
次回までに、と言われた原稿の一部と必要な書類を鞄に詰めて、私は打ち合わせに来た。星加さんは素敵な人だ。打ち合わせの場で、先に席に着いて待っていて下さる姿を目にした途端、何ともいいようのない恥じらいのようなものが沸き起こり、物凄く照れてしまった。年を重ねるごとに、結構大胆不敵な女性になった自分を、客観的に見ている自分がいて“おお、このように女の人は強くなって、悪く言うと、ふてぶてしくなっていくのかぁ~”などと時折感心していたが、少女のような恥じらいもまだ残っていたのかと、らしくない自分に少し驚いた。そして、新鮮だった。ワクワクした。打ち合わせなのに、デートのような錯覚を勝手に起こしていた。“おいおい、あんたは一大決心をして、今ここにいるのだよ、しっかりしなさいよ!”自分に喝を入れる。するとすぐに“いいじゃない!だって仕方ないよ、こんなに素敵な人とこんなふうに話す事なんて、今までなかったもの・・・。少しくらいドキドキしてワクワクしたって・・・相手に迷惑かけるわけじゃないし。いくつになっても、ときめくことは大事だって!”と、これまた自分が言う。今日は、いつも姿をみせない自分がひょこひょこと顔を出してくる。
星加さんは、丁寧に挨拶をされ、私の耳に心地よく響く、温かい言葉をかけて下さった。そして、私が提出した原稿や書類を、一枚一枚丁寧に確認していく・・・その手に私は釘付けになる。勿論、自分が持参した原稿に対する星加さんの反応や、書類に不備がなかったかを気にしながらだ。
「お忙しい中、どうもありがとうございます。原稿見せていただきました。素晴らしいですね。日和さんの、この作品に込められたお気持ちが、こちらにも伝わってきます。幅広い年齢層の方に、読んでいただきたいですね。なんだか心が、穏やかになります。このキャラクター、とても愛らしくて、僕大好きです。」
“大好きです”という言葉が、私の胸を射抜いた。ズバーン!と。これまで私の胸は、違う意味で射抜かれっぱなしだった。
「ろくに働いてもいないのに?」
「~さんとこは、共働きだから安泰だよなー。」
「カッターシャツのさ、腕のところのアイロンの線が二重になっていたから、一日中気になって気になって・・・」
「子供が周りになじめないのは、やっぱり母親に性質が似ているからじゃないの?」
「もう、髪にキューティクルの輪っか、ないね」
「大変そうにしてるけどさ、お母さんて、自分で仕事作って自分で勝手に忙しくしてるんだよなー。」
グサッ グサッ グサグサグサグサグサ・・・・・
私の胸はこれまでに、一体何本の矢で射抜かれてきたのだろう。刺さった矢には、まるで矢の先に毒でも仕込んであったかのようで、その仕込まれた毒がじわじわと私の心や体に浸透してきて、私はどんどん蝕まれていった。自信、自尊心、希望、夢、光あるものが自分から次々に遠ざかって行く。そして、私の中のふつふつ煮えたぎる熱い怒りが、ひと回りふた回りと大きくなり、絶対に足を踏み入れたくない、どぶの中の汚泥が増える。だぷんだぷんと、嫌な音を立てて。望んでなどいない、要らないものばかりが増えていく。
「日和 粒さん」
名前を呼ばれてはっとした。“日和”という苗字は別として、私は“粒【りゅう】”という名前が気に入っている。自分の名前を、改めて星加さんに呼ばれて、何だか私の全てが、浄化されたように思えた。今しがた思い返していた望まないものどもを、星加さんが追い払ってくれたように思えた。
「はい」
“ありがとう”の気持ちで返す。
「絵本の著者名は、ご本名でよろしいですか?」
特に、ペンネームも思いつかなかったし、本名に対して何の抵抗もなかった私は
「はい、本名でお願いします。」
と答えた。私は“粒”が好きだ。苗字は結婚して、そう名乗るようになったものだが、嫌いではない。日和って、なんだか優しくて可愛らしい感じがするし。名乗る人間がどうであれ、名前に、その言葉には何の罪もなくそれぞれに深い意味を持ち、生きている、と思う。
「“粒【りゅう】”という字は、“つぶ”とも読みますよね。ですから私、小さいころから“つぶちゃん”と呼ばれることが多くて。“つぶ”って、なんだかちっぽけな感じがするじゃないですか。でも、“つぶ”って、始まりなんですよね。なんでも、どんなものでも、最初は小さいこと、小さいものから始まるでしょう。小さいものが集まって、どんどん集まって、大きくなっていく・・・その始りの“もと”って、なんか素敵だと思いませんか?」
「だから、私、凄く好きなんです。“粒“という名前が。」
「あ、でも、時々この名前のせいかもと思う、理不尽なこともあって・・・。名前が“粒”だけに、私って時々つぶつぶになって、分散しているのじゃあないかと思うことがあるんです。私、嘘をつくと、必ずばれるんです!どんなに巧みに嘘をついても、必ずばれてしまうんです。きっと、わたしの体が粒状になって、嘘をばらしに行くんですよ。そうとしか思えない。だからもういつの頃からか、嘘をつくことはきっぱりやめました。」
私は、一体何を話しているのだろう。べらべらと・・・。禁酒しました!とか、禁煙することにしました!とか、はたまた、ギャンブル辞めました!みたいな報告をしているみたいではないか。ただ単に星加さんは私に、著者名はどうするのかと確認してこられただけなのに、私はどうでもいいような事を、長々と話し続けてしまって・・・。
「ごめんなさい。長々と、要らない話をしてしまって。星加さん、お忙しいのに。」
星加さんは素敵で、目の前にいるとちょっと緊張するというか、照れるというか、ときめくというか・・・そして、星加さんの存在は、とても穏やかな何かを醸し出していて、私を“もと”の私に近づけようとする、ような気がする。気のせいかもしれないけれど、なんだかそんな気がした。
「悪事を働いて、誰も見ていないと思っても、自分自身が見ているのだよ・・・というようなことでしょうか。」
星加さんは、真面目に応えてくる。
「でも、長い間、なんて理不尽なんだろうと思っていました。だって、同じように嘘をついても、ばれずに飄々としている人は沢山いて、私なんて、たま~に嘘をつくと、まるで仕掛けられた罠にかかるみたいに、簡単にばれてしまう。嘘に限らず、です。私は、ズルが出来ないし、気を抜くことが出来ないんです。確かに、星加さんがおっしゃるように、自分が自分にそうさせないように見張っているのですね、きっと。そのお陰で、これまで、真っ当な人生を歩んで来ることが出来たのでしょうけれど。」
でもそれは、息(生き)苦しく窮屈な日々だった。真面目な子という名札を勝手に貼られて、そんな自分は果たして本当の自分なのかどうか、わからずにいた。
「ああ、すみません。また、ぶつぶつと、愚痴のようなことばかり・・・。」
星加さんは、にこっと笑うと、
「日和さん、“粒”って10回言ってみて下さい。」
と、真面目に言った。“ん?”と思ったが、さっそく私は言い始めた。
「つぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ・・ふふふふふ・・」
途中から笑いに変わった。
「はははははは。うわーやっぱり名前って、人を表すっていうか。なるほど、私が愚痴言いなのは、こういう事だったのですね。」
「いえ、そんな・・・というか、すみません・・・変な事を言わせてしまって・・・。というか、すみません、大切なお名前なのに・・・。」
と、星加さんは何とも言えない表情で、申し訳なさそうに頭を下げる。ヒョイと口に出してしまった事が、私に対して失礼な事だったのではないかと、とても気にしているようだ。でも、私は感じていた。星加さんは、私の鬱々とした気持ちを、払拭しようとしてくれたのだ。ふふふふふ・・・また笑いがこみ上げてきて、私の腹部が波打った。本当に、名前は人を表していると思った。星加さんは、人に希望や夢のように光あるもの・・・眩しすぎたりせず、そして、強く刺すような光でもない。夜空に瞬く星のように、優しい光を与えてくれる人だ。そこにいて、チカリ チカリと光を放ち“ここで見ているよ。大丈夫だよ、安心して”と囁いてくれるような人だと思った。
早朝、まだ月が空に明るく浮かんでいる。4時。私は目覚まし時計を止め、むくりと起き上がり、上着を羽織ると洗面所へ行き顔を洗う。そして、塩で簡単に歯磨きをする。気持ちよく、さっぱりして身も引き締まる。それから、鳥肌を立てながら出来るだけ急いで服に着替えると、玄関にまとめておいたその日に出す予定のゴミを手に、暗闇の中、ゴミ置き場に向かう。早朝とはいえ、全く人気を感じないわけではない。一体何時から働いておられるのかと不思議でたまらない新聞配達の人が、自転車で通り過ぎて行く。こんな時間から?と思わせるほど、結構普通な音量で歌を口ずさみながら、ウオーキングしている人もいる。私と同じように、ゴミを出しに来る人もいる。“早くない?一体何時に起きているの?二度寝はなし?”と思うけれど「あんただって、早いじゃないのさ」と言われるよね・・・。空になった両手をぷらぷらさせて家に戻る途中、空を見上げる。何とも言えない深くて濃い藍色の、しんと静かに存在する澄んだ空は、私だけのもののような気がする。今、この時だけ。明るく光る月がじっとしている。と、その少しだけ離れたところに、チカリ チカリと優しく光る星が。ああ、今日も見えた。私は手を伸ばす。星は、星加さんになって現れてくれたのかもしれない・・・。いつも思っていた。いつかいつか・・・と、星に願いをかけていた。私の中に、チカリと光が瞬く日が来ますように・・・と。
家に戻ると、お弁当作りと並行して朝食の準備、昨晩室内に干しておいた洗濯物を片付けて、今朝かける分の洗濯物を入れて洗濯機を始動させ、アイロンがけをする。あっという間に、それぞれがそれぞれの行先に向かって家を出る時間がくる。クルクルと時間が過ぎていく。クルクルと日が過ぎていく。年を経ていく。
私は家族が元気でいてくれることに感謝し、自分の役割だと思う事柄に黙々と取り組んだ。いつからか、いつも見上げてその存在を探していた星が、私の中にも存在し、瞬いていると感じるようになった。
「さむっ」
息を吐くのと同時に口から出る。
「さむっ」
言って寒さが和らぐのでもないのに、つい口から吐いてしまう。ああ、指がジンジンする。いや、それを通り越して、もう感覚の無くなりつつある指もある。私は寒さに弱い。私の体が寒さに弱い。暑いのも身に応えるが、寒い時期は身も心も両方やられる。はっきりとは思い出せないが、数年前のある日以来、私の手の指先が極度の寒さに遭うと、まるでそれは死んだ人のそれのように真っ白になってしまうようになった。初めてその状態になった時は、自分のその指を見てギョッとした。パニックになった。寒いからといって、そんなに血の気のない自分の指を見たことが無かったから、自分の身に何かが起きているのではないかと、凄く怯えた。元々冷え性で、冬には必ず霜焼けになるし、常に足元や首回りがゾクゾクと寒い。夜、寝床に入っても、足が冷え過ぎていてなかなか寝付けない。足と足をこすり合わせてみたり、湯たんぽのぬくもりで、と思ってもなかなか芯まで温まることは出来ず、そうこうしているうちに今度は尿意をもよおしてくる。それで、用を足すためにトイレに向かうが、寝床に戻る時にはまた、身体が冷え冷えなのだ。寝入る前にこんな事を数回繰り返し、夜中に二度ほどトイレに起きる。このようなことは体質だからなのか、歳だからなのか・・・。
初めはギョッとした指先だったが、慌てて手をこすり合わせたり、脇に挟んだりしているうちに、ジンジンと痺れる感覚がしてきて、そのうち自分の本来の手に戻ってくる。指の白さが怖くて出来るだけ指先が冷えないように、手袋を二枚重ねてはめたり、カイロで時折温めたりしてしのいだ。それでも、長時間寒い中に身を置くと、一本二本とやはり指先が白くなってしまうのだった。
星加さんから指示のあったページ数分の作品が出来上がって、それを見てもらうために、出版社へ出向いたその日も、身に堪える寒い日だった。一生懸命に一枚一枚描いた作品が、私の心の糧となっていくごとに、ふくふくと喜びが湧いてきて、私の干からびていた心がふくよかになっていった。出版社のビルの一階には、一見、何が描かれているのか全く解らないのだが、見ているうちになんとなく心が落ち着いてくる、不思議な壁画に囲まれた喫茶店があり、そこが、編集者との打ち合わせ場所となっている。編集者との打ち合わせ・・・とてもカッコイイではないか。私の人生の中に、このような場面が組み込まれていようなんて、想像もしなかった事だ。命の不思議、人生の不思議。壁画を見ながら思う。この不思議な壁画に出逢えたのも不思議。私が、自費出版を決意しなければ出逢えていなかった。ここにこうして来ることなんて、なかった。と、考えながら担当の編集者を探す。ああ、見つけた・・・店の奥。観葉植物の隣の席だ。私がこの店の中で一番好きな席だ。そして、ふわりと会釈をして『ここです』と知らせてくる星加光翼さん。出逢えるなんて想像もしていなかった、美しく優しい人。
「おはようございます」
「おはようございます」
「寒い中、お越しいただき、どうもありがとうございます。」
星加さんはどれくらい前にこの席に着いて、私の事を待っていてくださったのだろうか?今日の打ち合わせ内容を確認したり、私に伝えなければならない事の確認なんかをしていたのだろうか・・・それとも、業務終了後のデートの事とか考えていたりして・・・などと、余計なことを思い巡らすなんて。初めて出会った時の緊張感が随分とほぐれている自分に気付き、ああこれも、年を重ねてきた証なのかもと思った。
「よろしくお願いいたします」
私はお辞儀をした。そして、出来るだけ余計な時間を取らせてはいけないと思い、急いで上着を脱ぎ、鞄と共に、足元の荷物入れに入れて席に着いた。ああ、手袋を外さなくては、と慌てて二重にはめていた手袋の先っぽを引っ張った。もう一方も同じようにして、私はさっさとぬくもりのある手袋を鞄の中に押し込んだ。本当は、ずっと手袋のぬくもりに包まれていたい。その方が、実際手も温かいし安心感もある。建物の中とはいえ、私の指先はいきなり白くなるのに場所を選ばないのだった。“ん・・・?”目のまえの星加さんの目が私の手を見ている。じいっと見ている。ふと、自身の手に目をやると、やはり、蒼白になっていた。
「手・・・」
星加さんが、じっと私の手から目を離さずにもう一度言った。
「手が白くなっていますよ。」
「私、寒さに弱くて、指先がすぐにこうして真っ白になってしまうんです。」
私は、星加さんを驚かせないようにと、早口で説明した。“初めてこの指を見たら、それは驚くのも無理はない。死んでいるもの、この指”
「大丈夫です。マッサージして温めれば、しばらくしたら元にもどりますから。」
と、私が話し終わるか終わらないかのうちに、星加さんはすっくと立ちあがると、足早に調理場の入り口のような所に向かった。そして、中にいるスタッフに何か言っている様子だったが、私は星加さんが何を思って、何をしょうとしているのか全く分からず、ひたすら手のマッサージをして、一刻も早く元通りの手に戻すことに集中した。焦れば焦るほど、自分の手に戻るのに時間がかかる。いつからか、何となく、こうして指先が白くなるのは、なにも寒いことだけが原因ではないのではないか、ということを感じ始めていた。緊張したり、異様に興奮したり、愕然としたり、自分で理不尽だと感じる怒りに震える時等、時には寒さと連動しているようで、また時には、感情のみの作用かと思われる時もあった。必死で指を温めている私の横に、匂いがきた。この“におい”は!この匂いに再び逢えるなんて。私の鼓動は大きくなり、鼓動がマッサージしている指先にまでどくどくと届いてくる。頭の中に一気に血が巡り、カーっと熱くなる。“ああ、そうだ。この人は、星加さんは、あの時電車の中で隣に座った匂いの持ち主なのだ。”間違いなくそうだ、と確信した。こんな体験はこれまでしたことがないのだ。頭で判断する、とかではない、私というものを成り立たせている全てのものが、そういっているのだ。
ゴトンとテーブルの上に置かれたのは、ガラスのボウルだった。そのボウルの中には、水?いや、湯気立つ湯のようなものが入っていた。星加さんは私の手をつかむと、そのボウルの湯の中に入れ、無言でさすり始めた。私は感情が真っ白になってしまって、思考も止まってしまって、ただ『無』の状態でいた。
“ええええええー”と正気に戻った時には、今度はどんな態度を示せば良いのか、どんな言葉を発すれば良いのか、全く分からず、引き続き『無』でいることにした。
「良かった!!赤みが出てきましたね!」
ハッと自分の指先に目をやると、確かに安心な色になっていた。ほのかにピンクになって、私の頬とお揃いになっていた、と思われる。私は、このような人に、いきなり手をとられ、さすられるという、どうひねくりだしても私の生涯に起こるとは思いもしなかった出来事に、動揺と喜びに心が震えていたが、出来る限り年相応の冷静さを装って
「ありがとうございました。助かりました!」
と礼を言うのがやっとだった。
もうこの日はこの、胸ときめく出来事に脳が支配されていて、他の事は何も頭に入ってこず、その出来事以外の記憶は何も残らず、一日を終えた。
あの匂いに再び出逢えた喜びと幸福感。そして、私の死にかけたような手に施してくれた、あのあたたかい処置。私は、時間の経つごとに、薄れるどころか、より鮮明になっていくこれらの出来事を思い返す度、リアルタイムでその思い出の中にいて、全身幸福に包まれていた。そんな日々が長く続いた。
“何もいらないな”とふと思った。
小さいころから結構人の目を気にして生きてきた。親に心配をかけてはいけない。人に迷惑をかけてはいけない。言われたことには素直に従い、自分に出来る精一杯を尽くす。規則は守るためにある。確かにそうだ。人が喜ぶことをしてあげよう。確かにしてあげたい。人がなんて思うか考えてごらん?様々な言葉に支配されてきたような気がする。
本当の自分がどんなかなんてわかりはしないし、わかろうと思っても生涯掛かってわかるかどうか・・・。だけれど、自分に正直に生きているかどうか、ならわかる気がする。私が時折心の抑制が効かずに、全てが嫌になり、全てが無意味に思え、自分の無価値さと汚さと小ささが、とことん嫌になり絶望的になるのには、自分に正直に生きていないという訳があったように思う。
私は、粒と名付けられた。粒・つぶ・小さな個体・・・こめつぶ・・・。親しい人からは『つぶちゃん』と呼ばれることが多かった。どんなものでも小さなものから成り立っている。どんなことも小さな積み重ねから成り立っている。全ては、小さな一つから始まっている。この広い宇宙に存在するものひとつひとつが、全て小さなものから出来ている。私もその一部であって、私自身も目に見えない、認識するのも困難な、小さな粒から出来ている。私にこの名をつけてくれた両親は、もう既に他界していて、その姿を肉眼では見ることが出来ないが、存在し続けているように感じる。私が周りから名前を呼ばれる時、名前を付けてくれた両親も存在する。私が思考を巡らせる時、生まれて独り立ちするまで養育してくれ、支えてくれた両親もそこに存在する。私が生きている限り、様々な場面で、良くも悪くも存在し続けるのだろう。
これまで培われてきたものは、全て意味のある事だった。例え、人から見て無意味で無価値なことであっても。例え、自分を苦しめるような、自分をないがしろにするような選択をしてきたとしても、きっと意味のある事だった。そうして、それら全ての要素で成り立っている私が、今ここにいる。
“何もいらないな”と思う。
私は、あの匂いに出逢って、覚醒したのかもしれなかった。何も知らず何も出来ない、小さく弱い生き物だった新生児から、多くを学び多くを体験し多くを感じ、今ここにある自分になるまでの道のりは長かった。それはそれは途方もない小さなものの、粒の積み重ねで今日まで来た。その道のり上で、確かに大金持ちになりたいとか、有名人になってみたいとか、立派な役職に就いてみたいとか思った事もあった。あんな物があったら便利だとか、こんな暮らしだったらとか、ひとつ叶うとまた新しく浮上してくる切りのない欲望。それは、子供に対してもそうだったかもしれない。でも、今はもう、何もいらないのだ・・・あ、やっぱりいる。ひとつだけ欲しいものがある。あの“におい”。あのぬくもり。それを持つ人。
“あの、心から安心できる匂いに包まれて生きていけたら。あの人の存在を感じながら生きていくことができたら、どんなに心地よく幸せにいられるだろう・・・”私は、覚醒したのではなく、壊れたのかもしれない。まだ数回会って言葉を交わしただけで、しかも、一社員と客の関係であり、そもそも彼の匂いに強烈に魂を奪われているなんて。
「元気そうで何より!」
「寒いね。」
「ね、毎日寒いねー。でもさ、今日久々に、いいお天気で良かったね。」
「ほんとに!今日は洗濯物、乾くよね!」
「さ、早く中に入ろうか!」
お決まりの“すまいる”の店頭で落ち合った三人は、暖を求めて早急に店内に入った。真利さんも美苗さんも元気でよかった。二人の顔を見ると、ほっとする。二人に会うまでは、それまで起こった出来事の、あんな事もこんな事もと、話したい事が山積みなのだが、いざ二人を前にすると不思議と話そうと思っていた内容が、どこかへ飛んで行ってしまう。不思議だなあと思う。それで、最初は訊ねられた事や投げかけられた事に対して返答したり、専ら二人の会話の聞き役に徹したりするところから始まり、そのうち頭が回ってくるというか、徐々に身の上話が出来るようになってくる。いつもなら。ところが今日は、なんだろうか、話す気になれずにいる。本当は、信じられないような出会いがあった事を、二人に聞いて欲しかったのではないか。実は、自分は、今までの殻を破って、違った世界へ行こうと試みているのだと伝えたかったのではないか・・・。と、私は心の中でもぞもぞしていた。
「ね、つぶちゃんは?検診とか受けてる?」
不意に投げかけられた、真利さんからの質問に
「ん?ああ!メタボ検診は受けてるけど、乳がんとか、大腸がんとか、そういうのは受けたことないなぁ」
少しぼぉーっとしていた頭の中を、クルリと見まわして、答える。
「そろそろ受けた方がいいよー。よく言うじゃない。もっと早く受けておけばよかった!とか。他人事だと思ってたけど、まさか自分が!とか」
真利さんが、身を乗り出して言う。
「なんだか歳と共に身体に自信がなくなってきて、ちょっとどこか具合の悪い所があると、ああ、ひょっとして何か大きな病気でも患っているんじゃないかと、凄く不安になったりしちゃって。」
頬杖をついていた手で、両頬を包み込んで本当に不安気に、美苗さんが言う。
「自分に何かあったら、家族にも迷惑かけるだろうし・・・。」
二人の話していることは、確かなことだった。
“ああ、私にはこういう思考回路が全く働いてなかった。”と、困惑した。私はやはり一般的ではないのだ、考え方や感じ方や言動が。と、改めて思った。そして、今日二人に話そうとウキウキしていた、少し前まで口元にまで来ていた話題は、そのまま静かにゴクンとのみ込んでしまうことにした。
普通、といっていいのかわからないけれど、普通は、妻で母親ならば、家族の事を考え家族の幸せを願い、仕事に家事に育児にと日々生きる。そして、その日々の中に喜びや幸せや充実感を感じる?夫や子供を愛し、癒され。ああ、私はこの家族の一員で良かった。ずっと末永く仲睦まじく、暮してゆきたい・・・と心から思う?
私は、これから子供に掛けてやりたいお金がまだまだ必要だろうというのに。今後どんどん年老いてゆき、労働力も右肩下がりで、それなのに、長寿社会でこれから先一体いくらあったら安心な生活が出来るかもわからないというのに。私は、大金をつぎ込んで、自費出版。そして、人に説明のしようもない恋のようなものをして、ぽわぽわしている。
その後も私は二人の話を熱心に聞き続け、心の中で“話さなくて良かった”と、何度か呟いた。
やめて やめて やめて
心が悲鳴を上げていた。
自分がなんなのか、どうしたいのか、どうするべきなのか・・・
それを、絶えず人から、どうあるべきなのかをいつも伺っていたのか、私は・・・
自分で自分に石を打ち付けて、そんな自分を懲らしめたかったのか。目を覚まそうとしていたのか。
人は何とでも言うのだ。だって皆、自分が一番可愛いのだから。自分に都合のいいことだったら、他人が大変な目に遭っていたとしても、平気なのだ。そんな風に思ったことも何度もある。それは、本当の事だと今も思う。だってそんな、人の事ばかり気にしていたら、生きていけない。気がおかしくなってしまうだろう。人の痛みを知るのも大概にしておかないと、自分がおかしくなる。だから、自分可愛いでいいのだ。その方が、精神的に安全に生きていける。先ずは、自分。自分の精神を守らないと!
やはり、私は、常識外れな人間かもしれない。けれど、そんな風が心地よいのだから、しようがない。長い間我慢してきたよ。すごく頑張ってきたよ。それが、自分にとって必要としないものだったとしても、やり切ってきた。もう、いいじゃない。
【レイノー現象】だという事がわかった。私の指の症状は、この現象が起きていたのだ。指先の血管が痙攣して細くなることにより起こる症状で、寒冷刺激や、精神的なストレスによって誘発されるが、原因は様々らしい。総合病院で受けた血液検査の結果、心配したような病気ではなかったが、医師には、今よりも頻繁に起こるようになったら、すぐに再診すること。そして、この症状が長く続くようになると、潰瘍や壊死を生ずることもあるから、と注意を受けた。
蒼白になった指はまるで死人のそれのよう・・・私は死に始めているのかもしれない・・・心が、身体が、死人に近づいているような気がした。自ら自分をそのような状態に仕向けてきたのだろう、長い間。一番に大切にしなくてはいけないのに、一番に可愛がらなければならない自分自身を、長い間痛めつけてきたのだと、強く思った。私の血の気を無くした指が、そう訴えているような気がした。
「今日は、大丈夫そうで良かったです!」
“屈託なく笑うあなたのお陰で、私は救われたのですよ”本当にそうだった。私はどれほど救われたかしれない。関係性も、立場も場所も何もかも、あの時、彼の頭の中にはなかった。ただ、私の蒼白の指をどうにかしなくては、の一心で行動したのだろう。心が揺さぶられるではないか。私は、未だかつてあんなふうに、身も心も救われたことが無かった。あの時は驚きと感動、動揺、いろいろなものが混じり合って、指の感覚がいつもに増して麻痺していたし、身体じゅうが麻痺しているかのような状態だったように思う。多分、お湯につけてもらって、指をさすってもらって、とても温かかったろうと思う。確かに温かかった。私の内部にある、表面には絶対に出てこない、ずうーっと奥に潜むなにかが、そう感じていた。そしてその時、物心付いた頃からくつくつと煮えたぎり続けている、知らざれる感情のたまり場に、光が差した。あたたかいぬくもりを感じた。そして、今も、この人の傍で私はぬくもりを感じている。
「先日は、本当にどうもありがとうございました。お陰様で、助かりました。星加さんがあのように対処してくださって、ほら、この通り、指は元気にしております!」
と、私は指を滑らかに動かして見せた。
「ペンもスムーズに動かすことが出来て、作品も順調に仕上げることが出来ました。」
私は、自分の分身のような作品を、星加さんに手渡した。
「いえ、僕はあの時、なんとかしなくてはと考え、衝動的にというか、日和さんの合意もなく勝手な事をしてしまい、ご迷惑をおかけしたのではと、心配していたんです。」
「一刻も早く温めなくてはいけないと思い、咄嗟に『お湯だ』って思いついたのですが・・・。」
「本当に、よくわかりもしないのに、勝手な事をしてすみませんでした。」
「でも、お元気で良かったです。本当に。安心しました。」
「頑張って仕上げられた原稿、拝見します。」
星加さんが原稿を確認されている間、私は彼の様子をうかがいながら、心はふわふわとさまよい歩いていた。これまで幾度も配偶者は、私の蒼白な指を目の当たりにしてきた。その都度、“うわ~”とか“お気の毒に~”と言っているかのような表情を見せるだけで、一度として、私の指を何とか甦らせようと働きかけたことはなかった。手に触れることすらなかった。まあ、私は全面拒否するだろうけれど・・・。星加さんは、異質な人なの?星加さんはいつもあのように、衝動的に動く人なの?星加さんは誰に対してもあのように対処するの?星加さんはどうして私の好きなにおいなの?星加さんはどうしてそんなに美しいの?見た目だけでなくて、どうしてそんなに心も美しいの?だってそうではないか・・・いざという時に後先考えずに、人のために動くなんて出来ないよ。心もきっと美しいよ。うん、顔に出てるよ内面が。で、星加さんは、あの時電車の中で私の隣に座った事、覚えてる?私は、テレパシーの使い手ならば、次から次へと湧いてくる質問を目の前にいる星加さんに投げつけて、星加さんの内部を掘り起し、回答を得ることが出来るのになぁ・・・と、ここまで考えたところで、星加さんがこちらに目を向けた。ドキッとした。ひょっとして、星加さんは超能力者で、私の考えていることを、全て見通しているのではないだろうね?
「日和さん。僕、本当に大好きです、この作品。」
大事に原稿を揃えて、星加さんは言った。私の胸が、トクトクと喜びの声をあげた。私は心底嬉しかった。誰よりも、星加さんにそう言ってもらえて、嬉しかった。星加さんの言葉にはおべっかな匂いが全くしない。例え、立場上そう言ったのであったとしても、いいのだ。もう、その、星加さんの一言を聞いた瞬間に私は、私がした一大決心は間違いではなかったのだと思えた。
「仕上がりが楽しみですね!」
「日和さんの本を手にするのが、楽しみです。」
そうかそうなんだ、と思った。もう、私のやるべきことは、終わったのか。ほんのひと会話前には、嬉しかったのに、あれ?なんか私、しゅんとしてる。
「じゃあ、これで私の作業は終わりですか?」
そうなのだとわかっているのに、敢えて尋ねる。私っていつもそうかも・・・と思う。何かに取り組んでいる最中は、脇目も振らず、無我夢中で取り組むのだけれど、仕上がったとたんに、もう一気に気持ちがしゅんとなる。幕が閉じる感じだ。
そしていつものそれにプラスして、今回は生まれて初めての体験だったし、なんといっても正直に言うと、星加さんに会えなくなる寂しさで、一気に生気を失ったのだ。
私は、鉛筆書きだった絵を、ペンで上書きした。その場にあわせて、太さの違うペンで慎重に丁寧になぞっていった。薄く、ペンや鉛筆で色付けした箇所もある。本当言うと、鉛筆の質感がたまらなく好きだから、出来ることならば鉛筆書きの状態のままがいいのだが、印刷するうえで薄くなってしまい、せっかくの絵のインパクトが弱くなるのは残念だから、ペン書きした。でも、色付けはしないでおいた。シンプルなペン書きが、私のイメージに一番合うと思ったし、試しに色を付けてみたのだが、やはりピンとこなかった。そして、その絵に合わせてページ毎にお話を入れてもらうのだが、これは自分でよく考え決定したものを、星加さんをはじめ出版社の方に入念に確認していただき、いろいろと教えていただいたり、アドバイスをいただいたりして創り上げていった。表紙や裏表紙、カバーは、私の希望でお話の一場面を取り上げてもらう事にした。そして出版予定日は、2月4日。密かに私の46歳の誕生日である。
ある小さな女の子は、ちょっと繊細で意地っ張り。遊び友達がいましたが、些細な事で喧嘩をしてしまいます。女の子は、“自分は悪くないもん”と思い謝りません。それは、相手の子も同じ。その時女の子の心の中に、小さなトゲのようなものが芽生えます。日に日にトゲは育っていきます。女の子の心の中に、不安や不満や不信感や理不尽な気持ち等が積もるにつれ、トゲはどんどん成長していき、そのうち女の子はトゲに支配されてしまうのです。自らが知らず知らずのうちに、大きく育ててしまった、自分の化身に。自分の化身にがんじがらめになった女の子は、ひとり静かに考えます。どうして自分はつんけんしてしまったのか、どうして自分はイライラプンプンしてしまうのか。どうして・・・。生きているから・・・。トゲトゲの女の子のところに、小さな生き物たちが来てくれます。何にも言わないけれど、いてくれるだけで、あたたかい。生きていると、いろんなことがおこります。いろんな気持ちが生まれます。腹が立ったり、辛かったり、寂しかったり、虚しかったり、わけがわからなかったり・・・心の中が嫌な事でいっぱいになってしまった時は、吐き出してしまえば楽になります。そうしてまた、挑戦を始めるのです。そしてまた、心が要らないものではちきれそうになったら、吐き出せばいいのです。
私の絵描いた作品は、そう、私自身のこと。そして、私に似て、繊細で集団生活の苦手な娘、あんのこと。子供だって、大人だって、同じように苦手な事は苦手だ。そして、人それぞれ性格が違うのだから、人それぞれ苦手な事ももちろん違う。だから、皆ある意味同じなのだと思う。傾向としては偏ってしまうのだろうけれど、ひとりひとり何かを抱えていて、何かを背負っている。人のこと全てを知り尽くすなんて出来ない。自分の事も、他人に理解してもらえなくても仕方がない。だから、自分なりの生き方を、模索していくしかない。自分の全てが、そう、自分を成り立たせているひと粒ひと粒が、幸せを感じることができるように。
出版された【作・絵 日和 粒】の絵本は、出版社の宣伝のお陰で、恐れ多くも私が作者であるうえに、全く魅力的とは思えないプロフィールだった(写真はなし)わりに、買い求めて下さる方がそれなりにいて、「日和さんすごいです」と星加さんに言われた。このことを私は、星加さんに褒められたと思うことにした。そう思うことで、嬉しさが倍増したし、何となく、お世話になった星加さんに、恩返しが出来ている気分になったから。
動けば何かが変わる。私が動いた分だけ、私の周りの何かも変動する。それは目に見えない何かであったり、視界にしっかりと入ってくるものもある。子供たちは成長している。日に日に様々な事を学び、体験して、心身ともに大きくなっている。私の良き相談相手となってくれるようになった。相変わらずな父親との関わりも、いつのころからか、難無くやり過ごすことが出来るようになった。幼いころは、よく父親の導火線に点火して、私をハラハラさせていた。が、今では、傍でやり取りに耳を傾けていると、どちらが年長者なのかわからないくらいだ。魁は、就職先も決まり、もうすぐ一人暮らしを始める。あんは、もうすぐ大学生。大きくなったなぁ~としみじみ感じる・・・そんな日々の中で、いきなり“その時”は来た。
「お父さんさぁ~。お母さんは、お父さんの奴隷じゃないんだよ。」
突破口を開いたのは、魁だった。
いきなり何を言い出すのだ。久々に、父親のダイナマイトの導火線に点火したか!と私は息をのんだ。魁は、父親の反応をうかがうこともせず、
「小さい頃から、ずっと思ってきたけど、うちはなんかおかしいよ。お父さんとお母さんは、全然夫婦って感じじゃないし・・・。家族ってもんじゃなかった。お父さんにとって、お母さんや俺やあんは、一体どういう存在だったの?確かに、お父さんのお陰で今があるって感謝してる。でも俺は、小さい頃からずっと、自分はお父さんに愛されてないって感じてきた。お父さんからの愛情を、感じたことがないんだよ。お母さんはさ、このままこうして過ごしていくの?お母さんはこれまで、家族のためにいろいろ尽くしてきたんだから、これからは、自分のために生きなよ。お母さんはもう自由になって、好きに生きればいいと思うよ。」
私は、自分のことを言われているのに、まるで他人事のように、魁の言葉が、まるで本に書かれている文章を読み上げているかのように聞こえ、不思議な感覚におちいった。“そうなの?もう自由に生きていい?“心の中で呟いた。私は自由になりたかった。いろんなしがらみから解き放たれて、自由になりたかった。
配偶者は、魁の言葉をどう受け止めているのか私には全くわからなかった。今までも、配偶者が何を思い、何を考えているのかはわからない事が多かった。思いもしない発言をして、驚かされたことが度々あった。物を見る視点が違うというか、感覚が違うというか、共感することが難しく、どう対応したらいいのか戸惑う事が多かった。私は、生活している中で、様々な面で自分を殺してきた。子供たちを独り立ちさせるまでは、生活を守らなくてはいけない。皆が健康で元気に、気持ち良く過ごせるように、環境を整えて、生活習慣を正しくして、子供が、ご飯をモリモリ食べている姿に喜び、笑っている姿に幸せを感じて・・・。私は一生懸命だった。私は“家族”ではなく、子供たちが大事だった。魁が言う通り、私達は、家族ではなかった。
配偶者は、その後、魁に何か言い返していたようだが、私はもう配偶者がどんな発言をしようがどうでもよかった。魁が開いてくれた突破口。私は大きなチャンスを与えられたと思った。一気に力がみなぎり、身体が震えた。
そもそもどうして魁はあのような事を話し始めたのか・・・確か父親を呼んで、
「ちょっと話したい事があるんだけど・・・」
から始まったのは覚えている。私は台所で夕食の下準備をしていたのだが、魁が改まって父親を食卓に呼んだから、何か二人だけで話したい事でもあるのかと思い、私はその場を離れようとした。そしたら魁は、
「お母さんも聞いてて。」
と、言ったのだ。まさか、次の瞬間、あのような過激な言葉が飛び出すなど、想像もしていなかった私は、瞬間冷凍状態だった。
別居して一か月が過ぎた。未だに信じられないことだ。が、事実だ。
私はあの魁の発言の後、配偶者にこれまでの思いの全てをぶちまけたのだ。私の言っていることが、配偶者に伝わろうが伝わらなかろうが、理解してもらえようがもらえなかろうが、そんなのはお構いなしに話した。そして、もうこの先共に生活していきたくないこと、独りになりたいことを、伝えた。そこから三日間配偶者は、自室にこもった。私はひるむことなく、突き進んだ。これから住む新しい住まい探し、生活するための仕事探し、新生活をするにあたっての必要な様々な費用、手続き、物・・・。考え、書き出し、出来ることから取り掛かった。もう、絶対に、この機会を逃さない。今しかない。必死だった。
配偶者は、ようやく平常通り活動するようになると、何かにつけ私に、考え直すようにと働きかけてきた。配偶者にとって、魁の発言も私の発言も思いもよらぬ内容で、理解することもできず、相当面食らったようだった。そして、自分がこれまで家族のために尽くしてきた事や、自制してきたこと等を弱々しく語った。これから自分は年老いていくのに、皆知らんぷりなのかとか、周りに知れたらなんて思われるかとか、私がいなくなると、あんなことやこんなことやと数々の家事雑用を並べ挙げて、全て自分がやらなくてはならないのかとか・・・自分の心配で頭がいっぱいなのだった。
私は配偶者に何と言われても、どんなに責められても、脅されても、ひるまなかった。自分の意志の固いことを、言葉と態度で示し続けた。不安や、恐れなど微塵もなかった。希望しかなかった。どんどん前に、どんどん上に、私は一日一日これまで通り、今自分がやるべきことを見定めて、一生懸命取り組んだ。きっと来る・・・と信じていた時が来たのだ。私の全身、私の全てが喜んでいるのがわかる。私というものを構成している粒が、ひとつひとつの粒が、喜んでいるのが凄くわかる。これまで、私を成り立たせてきてくれたもの全てのお陰だ。信じていた流れだ、と思う。私が今の私であるためには、これまでの全ての過程が必要だった。私は、今の自分が好きだ。これまで生きてきた、どの時の自分も消したくない。経験してきたことには必ず学ぶべきもの、得るべきものがあった。大切な出会いもあった。
“星加さん。私、あんまりぶつぶつと、愚痴を言わなくなったよ”私は、星加さんの優しい笑顔と、穏やかなにおいに一瞬包まれたような気がして、身体がふっと緩んだ。
「それにしても、未だに信じられない。何だか嘘みたい。」
「あの時はもう、ほんと、家に帰ってきたことを後悔したもん。マジで、もっかい出掛けようかと思ったよ。」
と、口をモグモグさせながらあんが言う。確かにそれはそうだったろうなと、思う。魁が突破口を開いてくれたあの日、あんは、友人と映画鑑賞に出掛けていた。友人と楽しいひと時を過ごし、映画の余韻に浸りながら帰宅した、あんを待ち構えていたのは、いつもに増して暗く重い家の中の空気だった。何事かと思っただろう。そこにいた父、兄、母、誰にも何も尋ねることのできない空気。まさか、あんな話が出ていて、こんな事になるなんて、夢にも思わなかっただろうね。
「ね、本当に、信じられないね。でも、夢じゃないよ。」
あんは、迷わず私と共に家を出る事を選んだ。というか、望んだ。父親に何と言われようが、一切耳を傾けることなく、本当にあっさりとしたものだった。
「お母さん、良かったね。なんか、若返った気がするよ。」
食後に淹れたコーヒーを飲みながら、ふたりで心からほっとする。
「ん、そういえばさ、今日授業で面白い話聞いたよ!」
目をクルクルさせて、楽しそうに話す。
「あのね、どこかの大学での実験らしいんだけどね、男子学生が着用したTシャツの匂いを女子学生に嗅がせて、好みの匂いの物を選ばせる。そうしたところ、MHC遺伝子っていうのの値が、自分から遠い男性のTシャツほど、“好きな匂い”って答えたんだって。」
「そのMHC遺伝子っていうのは、免疫にかかわる遺伝子らしくて、これが多様であるほど感染症とかに対して強くなるんだって。だから女性にしたら、自分とは出来るだけ違った遺伝子を持つ相手と結ばれた方が、より強い生命力を持った子孫を残すことが出来るってわけ。生物って、どうもその遺伝子を、匂いでかぎ分けるらしいよ。」
「ね、面白いでしょう!」
「ようするに、“いい匂いだな~”って感じる異性とは、遺伝子レベルで相性がいいってことらしいよ!」
あんは、どうだどうだ面白いだろう!という顔でニコニコしている。
私は、あんの話の途中から、胸がドキドキして、頭の中は星加さんのことでいっぱいになっていた。そうなんだ~。遺伝子レベルか~。かぎ分ける、というか、私の細胞がかぎつけたんだね、きっと。この人だ!って。ほんとに?
「なんか、ロマンチックだね。」
「それに、なんだかわかるような気がするよ・・・そういう好きって思う匂い、お母さんも感じた事があるもん。」
「まさか、お父さんではないよね。」
あんが、ちょっと顔をしかめて聞いてくる。
「お父さんではないなぁ~」
“思えば、配偶者に対して、いい匂いだと感じたことは一度もなかった。相性が悪かっ
たという事か。そういえば、魁もあんも、小さな頃からよくいろんな病気を罹ったなぁ~。決して丈夫ではなかった。やはり相性が悪かったということか・・・遺伝子レベルで相性が悪いって・・・なんか救いようがないではないか。”
「あんは、もしいい匂いに出逢ったら、速攻でアタックしなきゃ!」
「なかなか出逢えるもんじゃないと思うよ。ああ!この匂い好きって思ったら、もう、すぐに声かけなきゃ」
ああ、そうなんだ。子を産む女性の持つ本能が働くのだろうから、100パーセント正しいかどうかわからないとはいえ、やはりそういう感覚的に感じるものは大切だと思う。しかし、もう子供を産む機能の衰退している生物に、このような本能が働くこともあるの?それって必要なくない?
“あんは、本当に好きな人と人生を共にしてね”心の中で願う。
「ま、私は結婚しないけどね。」
ほらね。言うと思った。魁もあんも、我々夫婦のもとで育ってきたから、結婚に対して、夢も希望もなく、結婚は己の不幸を招くものだと思っている。
「ま、結婚しようがしまいが、人を好きになるのは素敵なことじゃない。」
「好き。好き。好き。って、頬をすりすりしたくなるくらい好きな人がいたら、それはもう本当に幸せだよ~。」
あんが、気の毒そうに見てくる。私ら夫婦には、そんなことは微塵もあり得ない事だった。そのような様子を想像するだけで、鳥肌がたつ。バチが当たるかもしれないが、しようがない。よく魁とあんという、尊い命を、授けていただけたものだと心底思う。感謝する。
200万円。私の命綱。
私から見たこの世界は不思議に満ちている。私の人生も不思議に満ちている。この宇宙には想像できない生物が存在していて、それぞれが、それぞれの命を生きている。それぞれが、奇跡的に生きている。
そうしてコツコツと生きている私のもとにやって来た転機に、その流れに乗って、長年掛けてきた貯蓄型保険の期間満了の日がやってきた。200万円を、私は命綱として携えた。本当にありがたい。この保険を契約する時に、満了時、別居、そして離婚の予定などという未来は予測していなかった。でも、このタイミングで満了になるなんて、これも立派に保険の役割を果たしている、と思った。保険職員は、私の人生のこれから起こりうるであろう様々な不幸を予測して、それらに万全に備えるための、次なる保険を提示して下さった。けれど、私に必要な物は、将来の安心ではなく、今すぐ手にすることの出来る現金だった。住居費に、光熱費、通信費、生活費・・・お金が要る。兎に角お金が要る。保険の職員に、どれだけ心配されたとしても、将来の事なんて誰にもわからない。後で後悔したとしても、兎に角、後より今なのだ。
別居を申し出た時は、それは前々からいつか何とかしたいと思ってはいたものの、きちんと計画的に切り出したのではなく、突発的になってしまった。予想はしていたが、配偶者は最後の最後まで、これまでの生活をこれまで通り続ける事を希望し、そして勿論住まいは配偶者が存続し、私が家を出ることとなった。家探しから、契約まで、経験しなければわからない事ばかりで、ドラマや映画などで、いとも簡単に転居したり、入居したりしているシーンのイメージが強かった私は、しみじみと、経験してみないと本当にわからないものだと思った。命終わる時までこういうふうにいろいろな事を、経験していくのだろうなと思った。それにしても、と思う。魁は、自立心の旺盛な子で、親元を離れるにあたり、ほとんどの事を自分でこなした。親が介入すると、口うるさいばかりで、頼りにはならないと思ってのことだと思う。賢いことだ。私も、最小限の事にしか、かかわらなかった。お節介な事をしても、嫌がられるだけだ。私も賃貸物件に入居するのは生まれて初めてなのだが、魁も、こうして自分であれやこれやと物件を探して、様々な書類と向き合い、入居したのだと今更ながら思い、感動した。
お金の面で一番に確保しなければならなかったのが、あんの学費だった。家計簿をつけず、何でもどんぶり勘定で大雑把な管理の仕方で、これまで家計を運営してきた私だが、魁とあんの、学費だけは死守してきた。教育を受けるにあたってのお金の心配だけは、してほしくなかったから。でも、特殊な、専門的な分野に進んだ場合を除いてだが。ふたりとも、そういった方面への希望はなかったから、何とかなりそうだった。ただし、お金の出所は、ほぼ配偶者のお給料だ。私は強気で配偶者に、あんに学費をだしてやるのは親の役目で(世間一般にはいろいろ意見があるが、我が家としては)、あんは、安心して教育をうけるべきだ。勿論、私はそのお金に一切手を付けないから、あんに、自身の学費の管理を任せて欲しいと申し立てた。配偶者はあっさり受け入れてくれた。私は胸をなでおろした。良かった。あんが、私と共に家を出るにもかかわらず、了承してくれるなんて・・・例え、私に対しては敵意むき出しだとしても、やはり、子供となると違うのだな、この人でも、と思った。
命綱を携えることが出来たけれど、お金の行先が沢山あるから、新たに入ってくる方法を考えないと・・・働く。そして、必要な物は出来るだけ吟味して最小限で済ませ、大切に消費する。これは、私の人生なのだなと、しみじみ思った。
星加さんは、元気にされているのかな・・・。慌ただしい日々だけど、心は穏やかで、私は長い時間をかけて少しずつ私の内部に蓄積されていた、大量に積もっていたはずの汚泥の音を、聞かなくなった。
私が初めて手掛けた絵本を、どのような書店で、どの様な人がどのような状況のもとで、手に取ったり、購入したりしてくださったのか・・・と時折想像して、さらに、読んでくれた人は、何か思うところがあったかなぁ・・・と思ったりした。出版されて一年になる頃、出版社から、契約の延長をしないかとの、電話がきた。契約の延長をするには、ある程度のお金が必要になる。私の絵本の在庫がまだあって、是非とも延長をと勧めてこられたが、私にはそのために費やすお金はない。確かに延長すれば、より多くの人に、絵本を手にしてもらえる機会は増えるのだろうけれど・・・。ああ、書店で山積みにされている本の著者のように、沢山の人に読んでもらえるような人は、逆に出版社からの入金があるのだなぁ~。すごいなぁ~・・・。とても尊いことだ。そんな人は、どうしてそんな人になれたのか知らないけれど、凄いことだと、すこうし、その過程に触れた今ならわかる。私は丁重にお断りし、これまでお世話になった事のお礼を述べて、契約期間を終えた。話をした相手は、その部門専門の方のようで、星加さんではなかった。
不思議なことに、寒い季節が到来しても、私の指が蒼白になることはなくなった。きっと過度なストレスのせいだったのではないか、と、あんが言う。なんでもかんでもストレスのせいにするのはどうかとは思うが、私もそうだと思った。身体は正直だな。身体と心はそもそも別ではなく、常に連動していると実感する。
行く先々で、私は無意識にあの匂いを探し、星加さんの存在を探していた。パート勤務の道中、買い物の道中、電車の中で・・・行く先々に、その存在はなく、その匂いにも逢えなかった。契約のきれた人物が、用もないのに、ひょこひょこと出版社に行くことなんて出来ないし。ああ、売れっ子の作家だったら、こっちから行かなくても、向こうが喜んで来るのになぁ~。ああーいいな~売れっ子だったらなぁ~印税生活出来るのにな~あーあ!私のこの思いは、星加さんに会いたいためのものなのか、自分の今後の生活の安泰のためのものなのか・・・きっとどちらもなのだ。でも待て待て、一冊の絵本を世に出すので精一杯の自分が、そういう仕事で生きていこうなど思うことは物凄く甘い。妄想でしかない。それに、逆にいうと、書き続けていかなければならなくなるのだ。書きたくなくても、書くことが無くても、書きたくない事でも、兎に角書き続けなければならないのだ。無理だー。やはり、気が向いた時に、書きたいことを綴る喜びを感じていられる今の状態が、私は幸せだ。
「お母さん!!!もう、びっくりしたじゃないの!!!」
あんの、息せききった様子と緊迫した表情に、心拍数をあげて、無我夢中でここまで来てくれたことが、すごくわかった。
「ごめんごめん。ほんと、ごめん。」
「心配かけて、本当にごめん。」
私は、あんに、心から謝った。
「心配かけてごめんだけど、もう大丈夫だよ。ね、元気そうでしょう?」
「もう、ほんと、心配したわ。ああ、心臓に悪い。」
「心臓のドキドキが止まらないよ。それで、本当に大丈夫なの?」
あんが、顔を覗き込んでくる。私の顔を見て、ちょっと安心したようで、顔の表情が緩んできたのがわかる。
私はそもそもあわてんぼうだ。やらなくてはいけない事があると、気が急って身体中が、まるで全細胞がワイワイ湧く、とでもいうか、前のめりになるとでもいうか、やたらと走り回るのだ。走れる範囲で、だが。それで、職場でも本来の習性丸出しで、パタパタと走ってしまっていた。とある施設の清掃業務なのだが、先輩のパート職員に、私の小走りを目撃される度、『走るでない』と、注意を受けていたにもかかわらず、走り続けた結果今に至る。滑って転んだのだ。転んだ際に床に凄い勢いで側頭部を打ち付けて、一瞬“あ、救急車に乗るかも・・・”と思った。周りにいた人も、血相変えて飛んできた。転ぶ際に、抱えていた施設の物品を床にまき散らし、ズドンという派手な音をたてたものだから、周辺にいた人達はずいぶんと驚いたと思う。私はむくっと起き上がると、恐る恐る打った患部を触ってみた。“出血はしていないようだ”ちょっと安心した。
「大丈夫?ね、大丈夫?」
「すごい転び方したけど、頭打った?どこか痛い?」
「あ、無理に動かないでいいから。」
あれだけ注意されていたのに・・・やってしまった。と思うと同時に、私が死んだら、あんはどうする?ああ、もうあんは、ひとりでもやっていけるか・・・しっかりしているもの・・・と、知らず知らずのうちに、心の準備をしていた、違う世界へ行く事になるかもしれないと思って。
「ね、救急車呼ぶ?」
駆けつけてくれた職員同士の会話が耳に入った。ハッとした。
「いえいえ、大丈夫ですから。救急車は呼ばないでください。ほら、大丈夫。」
と、私は無事を証明しようと、ニコニコしながらゆっくりと立ち上がった。取り敢えず、緊迫したその場の空気は和らいだが、やはり何かあるといけないからと、職員のひとりが、私を総合病院に運んでくれた。頭部の無事の確認と、身体に異常がないかの検査を受けるように、という訳だ。
「ねえ。お母さんてさあ。今、こんな状況でいうのも何だけど。もう大丈夫そうだし、言いたくてたまんないから言うけど。」
あんが、クックックックックッと肩を震わせて顔を赤らめていった。
「ほおんと、やっぱり!お母さんが仕事に出ると、何か起こるよね!今回は、お母さん自身に起きたじゃん。」
「今、そうして元気そうだから笑っていられるけど。ねえ、少しでもおかしいな、と思ったら、すぐに看護師さんに言ってよ!我慢しちゃだめだよ。」
「ほんとだね。なんでだろうね~。でも皆、何かしらあると思うけどね。見えないだけで。日々生きていると、なんやかんやあるのは、仕方ないよ。」
「生きているんだから。」
“逆に、死んでしまったら、何も起こらないものね・・・”
念のために、一晩病院で過ごすことになっていたので、あんに頼むべき事を伝え、気を付けて帰るようにと促した。
“ああ、何故私は走るんだ?生き急いでいるというのでもないと思うけど・・・。生き急いでいるのだったら、この年になるもうずっと前に、一旗揚げていてもいいのではないか。やっぱりあれか、自分は頑張っているよアピールか”
痛みが鈍く残る頭で、真実を導き出した。
ガンガラゴン、と音を立てて差し出されたペットボトルのコーヒーを取り出して、私は、自販機の割と近くに設置された、外の景色の見えるブルーの椅子に腰かけた。この自販機コーナーには、数種類の飲み物の他に、冷凍食品やアイスクリーム等、ちょっとワクワクする自販機が数台あった。結構自分は図太いのかもしれない。ま、いいや~。どうあがいても、なるようにしかならないし、こうなったのも何かしら意味のあることなのだろう。だって思い起こすと、これまで、本当に、何かに導かれているとしか思えないような事が沢山あった。後になって振り返ると、そういった事が見えてくる。
“!ああ、やっぱりそうなのだ!!!”自販機コーナーの入り口の扉がカラカラと開いて、自販機に向かって歩いて来る人の気配を感じた時、そう思った。匂いを感じたのだ。私が恋焦がれていたあの匂いだった。確信をもって目をやると、懐かしい人の姿がそこにあった。
「星加さん!」
嬉しさのあまり、堪えきれない喜びの声色で呼びかけた。
「日和さん!」
「お久しぶりです。お元気でしたか・・・じゃなくて、どうかされたんですか?」
相変わらずこの人は、美しく冷静なのだなぁ~。この人は私のように、ちょこまかと意味なく走ったりはしないのだろうな・・・。
「私はどうってことないんです。それより、星加さんの方こそ、どうして?」
そうだ、星加さんに会えて嬉しいけれど、ここは病院なのだ。会えた事を喜ぶべきではない。それに、軽はずみに何でも尋ねてはいけない。私は、グッと浮ついた気持ちを抑えた。
「僕は、その、検査入院です。」
「全く普段の生活にも支障はないのですが、定期的に検査を受けなくてはならなくて・・・。」
「あ、心配しないで下さい。本当に、変な話、ピンピンしていますから。」
と言って、元気ポーズをして見せてくれた。私は、心底ほっとした。
私は、星加さんが本当に元気そうだったし、ここで会ったが100年目?だったかなんかそんな感じで、今、星加さんと「では!」などと別れてしまっては、もう二度と会えないような気がした。だからお互い、飲み物を飲む間、共にどうかと打診した。星加さんは、快く「いいですね。」と返してくれたので、私は天にも昇るような気持ちになって、もうどうにも浮いた気持ちを抑えることが難しくなった。それで、大胆にも、私の視界に入ってきた庭園を指差して、あそこに行きませんか?と誘った。私達のいる付近の扉を開けると、庭園につながる通路があって、そこから庭園へと入って行くことが出来た。各々飲み物を手に、お揃いのアメニティのパジャマ姿で・・・。ここが温泉とかで、お揃いの浴衣姿だったらなんて素敵だろう・・・と不謹慎な妄想が湧いてきたが、いやいやお互い元気で?なによりだし、私はこれ以上ない幸福感に包まれていた。
植え込まれた木々の葉がさやさやと揺れて、とても爽やかだ。薄緑色の若葉がてかてかと光って、その生気を周りに振りまいている。緑が目に染みる…。やっぱり、自然はいいなあ。私と星加さんは、程よく爽やかで、程よい陽の当たり具合の石のブロックに、並んで座った。打ち合わせ以外で、社員と客という関係性以外で、星加さんと一緒にいるのは、とても新鮮でワクワクした。全く緊張感もなく、私はとても気分が良かった。星加さんの隣にいられることが、もうこの上なく幸せ過ぎて、また、あの言葉が浮かんだ。
“ああ、もう何もいらない”
私は幸せをかみしめた。何も話さなくても、私は星加さんの隣にいられるだけで、充分だったのだけれど、自分から誘っておいて、黙り込んでいるのも失礼な事だと思い、口を開いた。
「星加さん、電車に乗られることありますよね?」
!!!なんと。私の口は、というか、私はどうしていつもこうして、落ち着きなく思っていることを、ぺらぺらと晒してしまうんだ!
「はい?」
星加さんは、不思議そうに私の顔を見ると、ふっと微笑んだ。そして、
「はい、時々利用します。」
と、答えた。私は、脳内にある『あの日あの時、電車の中で、私の隣に座っていたのは星加さんだったのではないか』という疑問を、どのように星加さんに投げかけようかと思案した。私の中では、そのふたりが同一人物であることを確信しているのだが、一応本人に確認してみたかったのだ。星加さんは「それが何か?」みたいな催促は、全くせず、気持ちよさそうに、そよ吹く風にさらされていた。私も、心地よい風に身をさらした。私を私づくっている全てのものの間に、さーっと風が吹き抜けた。星加さんに確認しようとしていた事が、もう、どうでもよくなった。
「私。もう、ぶつぶつと愚痴ることがなくなったんですよ。星加さんのお陰です。」
本当にそうだと思った。星加さんに会うごとに、私は自分自身を理解し、受け止め、無理をしなくなったような気がする。自分に正直に動けるようになっていった。まあ、生まれつきの性格のような、どうにもしようのない部分はまだ沢山あるのだけれども。そう、変化したお陰で今、この時があるのだ。
「僕も、ぶつぶつと愚痴を言うことがなくなりました。日和さんのお陰です。」
・・・?私は、星加さんの顔を見つめて、首を傾げる。思い当たる事が、ひとつもない。それよりも、星加さんはやっぱり、いい男だ、と惚れ惚れした。眉毛の形もいい感じだし(自分でカットしているのかな?上手だな・・・)目は、横に長く縦幅もまあまああって、程よい大きさ。鼻はこれまた程よい高さで、自己主張せずにさり気に顔を引き立てている。唇は、色っぽい。可愛らしく、キュートな感じ。どちらかというと大きい方かな・・・。
「日和さん、覚えておられますか?」
「ほら、打ち合わせの際に、喫茶店のトイレに行かれた際の事です。入ろうとされたトイレが詰まっていて、スタッフに伝えに行かれましたよね。」
「ああ、ありましたね~そんな事。懐かしい。ん?というか、どうして星加さんがその事をご存知なのですか?」
私、席に戻った時、星加さんに報告した覚えがないけどなぁ。
「僕、あの喫茶店を良く利用するもので、そこのスタッフと話す機会があるのですが。実は、トイレがよく詰まるらしくて・・・。あそこのトイレって、個室がふたつありますよね。まず、誰かがどちらかのトイレを利用して水を流したが・・・流れていかない・・・ああ詰まらせてしまったーどうしよう!と思っても、まず報告されることはない。ま、ゼロではないかもしれませんが。あと、気付かないで行ってしまうという事も、あるでしょうが。」
私は、うんうん、と、相槌を打つ。
「それで、次にトイレに入って来た人が、個室に入り用を足そうとしたところ、詰まっていることに気付く。そこで、ああ、と思い、もう一方のトイレに入り用を済ませる。」
私は、うんうんと相槌を打つ。うん。終わり?
「日和さんは、違った。日和さんは入ろうとされた、片方のトイレが詰まっていることを知った時点で、スタッフに伝えに行かれた。」
「スタッフによると、用を済ませることが出来れば、特に伝えなくてもいいかと思われるのか、詰まったトイレが放置され、いつもスタッフが気付くまで、トイレは詰まったままなのだそうです。」
「だから、自分が気付かれた時点で、すぐにスタッフに知らせに行かれた日和さんのことを、僕に話してきたんです。僕が担当者だとわかっていたから。」
ああ。私はただ、入って利用しようとしたら明らかに水が流れてなくて、これは使用できないと思い、このままだと、次に入って来た人も使えないし、店の人に伝えなければこのまま放置されるのかな・・・と思い即知らせに行った。そのまま。思ったそのまま行動しただけだ。珍しいのか?
「あと、ほら、日和さん、自分の座っている以外の席のお客さんの忘れ物に気付かれたり、店の入り口のマットがめくれているのを直されたり・・・。スタッフにとって日和さんは、とても印象深いお客さんだったようですよ。」
確かにそんな事もあった。どれも、いつものように思ったまま行動しただけの事だった。
「日和さんは、よく見ておられますね。周りの様子や、その場の空気の流れ。そして、ご自分以外の人達の事をよく見ておられますよね。感情までも読み取っておられるかのように思います。」
私は、こんなんだから、周りの人に逆に気を遣わせる。私はこんな風だから、いつも配偶者から、疎ましがられていた。私はこんなだから、自分で自分を疲弊させ、自己嫌悪に陥り、どんどん自分が嫌になった。でも、仕方がない。これが私なのだから、と、星加さんの存在のお陰でなだめられてきたのだ、今日まで。なんだか、目がうるうるしてきた。
「僕は、日和さんにお会いして、気付かされることや、考えさせられる事が沢山ありました。それに、日和さんとお会いしている時は、何というか心が和むというか、ほっとするというか、自分でいられるというか・・・日和さんはなにかそういう力を持っておられるのかもしれないですね。」
「いえ、それは・・・私も同じで、私は星加さんとお会いしている時、凄く幸せな気持ちでいっぱいでした。」
「今も、凄く幸せです。ほんとに。」
“叶う事なら、ずっと星加さんの傍にいたい・・・ずっとというのは強欲すぎるから・・・
定期的にとか・・・はぁ~”
はぁ~と、深く息を吐く。これは、溜息ではない。
あの星加さんとの幸せなひと時を思い出す度に、私の胸がほわあっと熱くなり、口から熱い息が出るのだ。あの時本当に、ほぼ強引に星加さんを誘って良かった。よくやったぞ自分!と思う。結構いつも衝動的に動く私には、失敗談が数多くある。けれど、後悔はない。あの時、ああしていれば・・・という後悔はほぼない。と思う。でもこれは、自分的に見て、だ。だから、人間を創り出した大きな存在からは、「まだまだそんなもん、なまっちょろいわ!!!」と、言われるかもしれないけれど。
あの日は結局、私も星加さんも、飲み物を口にすることはなかった。折角自販機で購入したペットボトル飲料だったのに、手でつかんだり、コロコロしてみたり、包み込んだりしていて、封を開けずに終わった。私は、その時星加さんと時間を共にしたそのペットボトルを、10か月近く経った今でも、大切に持っている。封を開けて、飲んでしまうことなど出来ない。大切な思い出が減ってしまいそうで・・・あの時感じていた星加さんの存在が私の感覚から薄れてしまいそうで・・・。あれから星加さんはどうしているだろうか。私の方は、この通り何の変化も異常もなく、ピンピンしている。ありがたいことだ。
私は、あんに勧められて始めたのだが、webに投稿する小説を書くことに夢中になり、日々思いを巡らせて書き綴るようになった。朝目覚めて、今日は何をしようか・・・などとワクワクするような生活を送ることができるなど、数年前の自分にはあり得ない事だった。配偶者とは、出逢ってから結婚、子育て、と長年生活を共にしていたが、ドキドキと胸をときめかせることもなく、ぴったりとすり寄って、頬をすりすりしたい衝動にかられたこともない。傍にいても、心地よいと感じたことは一度もない。一度も、だ。常に居心地が悪く、胸が圧迫されるような不快感に押しつぶされそうな日々だった。私は何処かおかしいのかもしれない、私は配偶者に対する思い、考え、関わり方を改めなければならないのではないかと、散々思い悩み試行錯誤したけれど、何ともならなかった。いつの頃からか、もう自分のなかで時効にすることにした。許されるだろうと思った。私はもう充分頑張ってきたし、身体が、精神が、もうこれ以上は無理だと訴えていたから。私だけでなく、配偶者だって、居心地が悪かったはずだ。私という存在と共にする、空間は。
私はすっころんで散々心配をかけた職場で、今も働いている。あんも、アルバイトをして家計を助けてくれている。先のことは、分からない。一秒後だって分からない。分からないから楽しい、ワクワクする!
配偶者の扶養家族として養われていた私は、経済的には恵まれていたが、いつも心が落ち着かず、不安だった。だからなのか、それこそ常識外れな事をしていたように思う。洗剤やシャンプー、ボディーソープ、漂白剤等の日用品や長期保存のきく食品等を、こんなに必要ないだろうという程買いためてしまうのだ。子供達にも指摘されていたのだが、ビニール袋も集めた。自然に溜まってしまうものも、定期的に処分する事が出来ずにどんどんため込み、更に各種のビニール袋を、多めに多めに買ってしまうのだ。子供たちには
「お母さんは、ビニール袋依存症だね。」
と言われた。きっと私は、自分の心の至る所にある、穴を塞ぐためにそんなことをしていたのだと思う。不安だったのだ。心がとにかく、さもしくて、落ち着かず、何とかしないと、何とかしないと、と、日々キリキリしていた。辛かった。
今はあの頃が嘘のように、シンプルな生活ぶりだ。ストック品も必要最小限で納得できる。食材も必要な物を、無駄なく購入している。ビニール袋も過剰に必要とすることはなくなった。それに更に大きく変化したのは、排出されるゴミの量が激減したことだ。何がどう減ったのかはよくわからないのだが、人数が減った事はさほど関係なく、何かが変わったのだった。だから、余計な出費も減り、必要のないものはどんどんそぎ落とされていった。
“何もいらない”
星加さんと出逢って、私はこう心で呟くようになって、どんどん身も心も軽くなり、生活スタイルもシンプルになった。本当に必要な物。自分が心から求めて愛せるもの。心癒すもの・・・拠り所。それがあれば、幸せに生きてゆくことが出来るのだなぁと、しみじみ思った。
「さむっ」
口を開くと飛び出すこの言葉。私は相変わらず、寒い季節が苦手だ。けれども、あの、温かい思い出ができてからは、私にとって、ただ寒くて辛いだけの季節ではなくなった。両手をぐっぱーぐっぱーと、動かしてみる。うん、調子いいぞ!星加さんに救われた私の両手は、以前は頻繁にレイノー現象を起こしていたということを忘れてしまうほどに、寒い季節がやってきて、容赦のない冷気に襲われても、蒼白になることはなくなった。まるで、星加さんがガードして、守ってくれているのではないかと思うくらいに。あの時の、嬉しかった気持ちが甦ると身体中が温かく、幸せに満たされる。星加さんがお湯の中で、必死に温めてくれた、この手。ドックンドックンと、私の命を司る心臓が、うっとりと脈を打つ。私はそうして、心臓の鼓動を感じる度に、私の身体中を絶え間なく行き来している血液が、どんどん綺麗に浄化され、若返っているように感じる。きっと今私は甦っている、とわかる。
仕事帰りに通る道の脇に、枯れっ枯れの小さな植木が寒そうに並んでいた。その木々に、まるで通せんぼされているかのような状態で、ひらひらとチラシのようなものがはためいていた。気にはなるが、いちいち路上で見かける度に、落ちているゴミを拾うことはしていない。けれども通り過ぎる際に、フイと目をやるとやはり何か気になって、ついつい手に取ってしまった。そうして何気に私の視界に入って来た紙面に、星加さんとおぼしき人物の写真があった。私はうっくんと、唾を飲み込んだ。星加さんは、どうも、作家のようだった。その、元々は情報誌の一部だったであろう紙面には、数冊の本と、その著者の紹介がされているらしく、星加さんはその中の一人だった。私は静かに納得した。星加さんは編集者と、作家の両方をこなしておられたのかぁ~。私は、時代劇でよくあるシーンの、ぶわさぁっと刀で切られて、「うおおおおっ、やられたぁ~」とうめいて絶命してゆく、お侍さんになった気分だった。ん、待てよ。私がお世話になった時は、まだ、作家業に就いておられなかったかもしれないし・・・もし、その時既に兼業されていたとしたら、一体いつから作家さんだったのか・・・。それにしても、なんで私は気付かなかったんだ?なんで私は知らなかったのだろう、星加さんという作家さんの存在を・・・たまたま、手にとってなかったのだろうか・・・だって、紙の本が読まれなくなったとはいうものの、この世に本は沢山存在する。一生かかっても読むことなど出来ない、物凄い数の本が存在するもの、と思い、再び星加さんの記事に目をやると、
「わっ」
思わず声が出た。内心は、うえええええええー!うそおおおおおお!である。鳥肌が立った。この写真に写っているのは、紛れもなく星加さんだと私は思う。こんなに星加さんそのものでいて、こんなにも星加さんを思わせるものを放っているのに、星加さんでないわけがない。だとしたら、この星加さんの顔写真の所にある、この名前は?所謂ペンネーム。だとすると、ほんとに?えええー!また鳥肌が立つ。
そこに記されていたのは、【谷中 宏彰】だった。
6年前・・・私は疲れ切っていた。それまでも、いつも、疲労感と言いようのない不安感を背負っているような状態ではあったが、その頃は特に辛かった。日々悶々として、家の中も殺伐としていて、パート先では物言いのとても厳しい人に、よく叱られていた。子供たちも、まあ、幼い頃からずっとと言えばそうなのだが、『健康体で元気いっぱい』ではなく、『大らかに朗らかに』というのともほど遠い雰囲気を醸し出していて、私が何とか盛り上げようとシャカリキになっても、空回りするばかり。年々年老いていく双方の親の問題事や、意志疎通の出来ない兄弟たちとの事、在宅中はずっと重い空気を放ち、態度も言葉もピリピリとトゲのある配偶者への嫌悪感。私はもう死んでしまいたかった。この先もこんな日々がずっと続いていくのかと思うと、もう何の希望もなく、夢見る気も起らず、無気力だった。いつも、いつかいつか・・・と、前へ前へと自分を励ましていた力がちっとも湧いてこなかった。もういいや、どうにでもなれ。きっと私がいるから、こうして何もかもがいいように回って行かないのだ。私がいつも余計なことばかりするから、こうして皆を不幸にして、暗い雰囲気にしてしまうんだ。家事も育児も仕事も、何をやってもドタバタしているだけで、肝心なところが出来ていないのだ。私は一生懸命やっているつもりなのに・・・もう私にはどうしようもないのに・・・。私がいなければ、皆の邪魔をする者がいなくなれば・・・きっとうまく回っていく・・・。
私は路上で自転車に乗っていても、歩いていても“私なんか、はねられて死んでしまえばいいんだ”と思ったりして、自暴自棄に動いていた。
そんなある日、私は図書館にいた。館内の奥の方にある、大きな本棚の中に並んでいる本を、無気力に見ていた。読みたいと思う作者名も浮かんでこない。読みたいと思うジャンルもない。つらつらと、本の題名と作者名を順々に、ただ目に映していた。と、少し先にある白い背表紙に、囁かれた気がした。手にしてみた。ページをめくる・・・よくきたね。よく僕のところに来てくれたね。嬉しいよ。あなたが来てくれることは、わかっていたよ。大丈夫、もう大丈夫だから。もう、そんなに自分を責めて頑張らなくていいから、僕のところでゆっくりやすんでいいよ・・・と言ってくれたように感じた。その本は、小説でもあり、自己啓発本でもあり、エッセイでもあるような、今まで出逢ったことのない本だった。その本は、その作者は、私の弱りはてた心と体を元気づけてくれ、優しく癒してくれた。私の正気を取り戻してくれた。その、本の著者が【谷中 宏彰】だった。その本の作者は、優しく語りかけてくれる。こんな事もあるよね、あんな事もある、いろいろあって大変だけれど、大丈夫だよ。なんとかなるよ。あなたが頑張っていることを、僕はよく知っている。でも、あなたは何のために頑張っているの?あなたが頑張っていることは、あなた自身が幸せになるためのことなの?・・・
私は、何度も何度もその本を読み返した。読むごとに、体内の衰弱していた細胞が、元気を取り戻している気がした。子供達が大きくなるにつれて、あまり足を運ばなくなった図書館で、たまたま出逢った本だった。“ああ、あの時も星加さんは私を救ってくれていたのだ”
じっと見ていると、視線を送っている相手が、視線を感じてこっちを見て、目が合うという話はよく聞く。でも、どんなに思っても思ったからと言って、その想い人にピピピと電気のように思いが伝わるかどうかは分からない。その、思っている相手に引き合わされる可能性も、少ないと思う。熱烈なファンだからといって、思いが引き寄せて俳優さんとバッタリ!なんて、そんなんだったら、その俳優さんは、身体がどんだけあっても足りないもんなぁ~。それに、そうか!相思相愛じゃないとね!
ああ私は本当に、こんないい歳をして、こんな楽しい事に思考を巡らせる事が出来て、幸せだと思う。と、幸せを感じた次の瞬間に、ハッと閃いた。“ああ、そうだった。私は粒だった。”
そうだ、幼いころから、嘘の付けないズルの出来ない、どんくさい粒だった。それはそれで、恵まれた境遇であったのだろうけれど、窮屈だった。わたしは粒だよ、つぶつぶになって、それこそ星加さんの所に伝えに行ってよ!大好き!って伝えに行ってよ!
そんな事を考えながら歩いていた仕事の帰り道、気が付いたら、星加さんの記事を見つけた植木のところまで来ていた。ここから家までの所要時間は、約10分。うん、あと少しで我が家。うん!?
「星加さん」
「え、星加さん!」
「うわーほんとうに、星加さん!」
私は信じられなかった。でも、私の目の前に存在するのは、間違いなく星加さんだった。
「星加さん!」
私は、何回星加さんの名前を呼べば気がすむのだろうか。相手の反応をものともせず、一方的に自分の感情をぶつけるなんて、立派なおばちゃんに成長したものだ。でも、いいのだ、おばちゃん丸出しでも何でも。おばちゃんだからこそ、強引にならないと、だって残りの人生がどんどん減っていくのだから・・・。
星加さんは、バス停のベンチに座っていた。私が何度も連呼するものだから、星加さんは少し照れくさそうに(いや、迷惑そうに・・か)ベンチから立ち上がり、私の目の前に歩いて来てくれた。私は咄嗟に、“ああ、星加さん、折角一番にバスに乗れるところだったのに・・・戻るように言うべきでは・・・。私に声を掛けられて「げっ」とか思っていたらどうしよう・・・”と、弱気になったけれど、私は、これはきっとつぶつぶ達の仕業で、こんなに思い続けている私のために、星加さんに引き合わせてくれたのかもしれないという思いが沸き上がり、気を盛り返した。そして、もう星加さんにどう思われようが、今日が星加さんに会えた最後の日になったとしても、思い残すことのないようにしよう。と心に決めた。
「日和さん!お元気で、良かった。」
そうだね。星加さん。これだけ張りのある声で、こんだけ勢い良く名前を連呼出来るんだから、私が元気なのは、一目瞭然ですね!
「はい!お陰様で。」
と、私は返したが、星加さんの声を聞いた途端、私は“素”になってしまったようで、
「星加さん、今お忙しいですか?」
と、今バスに乗ろうとしていたことを知っているにもかかわらず、久しぶりに会った大好きな人に、おかしな問を投げかけた。
「えっと。これから帰宅するところです。」
「お仕事は終わられたのですか?」
「これから、お家に直行ですか?」
「はい、そうです。」
星加さんは、内心はどうであれ、兎に角、私の知っているままの様子で、丁寧に答えて下さる。私は、もう止められない勢いで
「あの、ひょっとして、お家でどなたか、星加さんの帰りを待ってらっしゃるとか・・・?」
「いえ、僕は一人暮らしですので・・・。」
流石の星加さんも、矢継ぎ早にこうどんどん問いただされてイライラして来たか、と、表情を観察しても、特に変化はなく、私はホッとして、
「では、本当に、本当に、厚かましくご迷惑なことですが、少し私にお時間をいただけませんか?」
と、星加さんにとどめを刺した。星加さんは、じっと私の顔を見て
「僕は大丈夫ですが、日和さん、お忙しいのではないですか?」
と、私の方の心配をして下さる。私は主婦で、いろいろとしなければならない事があるのではないか・・・家で待たせている、家族がいるのではないか・・・と気を配って下さる。
「私は、大丈夫です。心配して下さって、ありがとうございます。それで、本当によろしいのですか?お時間をいただいても。」
「はい」
と、星加さんは、今度はにっこりと笑って答えてくれた。私は、「やったー!」と、思いっきり飛び上がりたかったが、両手をギュッと握って
「うわぁ!嬉しい!」
と、星加さんに頭を下げた。
私は、あんに、急用が入ったから、少し遅くなるということを、ラインで伝えた。了解!
と、返事が来た。
私は、折角星加さんにいただいた時間を、少しも無駄にしてはいけないと、さっさと星加さんを誘導した。バス停の近くにある公園へ。何処かお食事にでも、とか、喫茶店にでも、とお誘いすべきかとも思った。でも、時間が勿体ない。少しでも多く星加さんと話がしたかった。それに、星加さんのことだから、本当は何か予定があったかもしれない。
「寒いのに、本当にすみません。」
私は自販機で、星加さんに何がいいかと尋ねることもせず、ホットコーヒーを二本買うと、
「これを飲んで、温まって下さい。」
と、手渡した。私は、星加さんと会えたことで、一緒にいることで、体温がいつもよりだいぶ高くなっていたので、そう寒さは身に堪えなかったけれども、星加さんに風邪をひかせてはてはならないと思い、直ぐにペットボトルのキャップを開けて、こくんと飲んだ。
「あったまる~。星加さんも、飲んで、温まってください。」
星加さんは、私に促されて、コーヒーを飲んで
「ほんと、温まりますね。」
と、優しい笑顔で言った。全く。私に強引に誘われて、強引にこんな寒々しい公園に連れて来られて、強引に、勝手にセレクトされた飲み物を飲まされて、どうしてこの人は、こんなに穏やかにしていられるのだろうか。ベンチに隣り合って座っていると、星加さんと初めて出逢った時の事を思い出す。ああ、今もちっとも変わらない。やっぱり、星加さんだ。星加さんの匂いは、私をほころばせる。私を、幸せにしてくれる。今日星加さんに会えて、本当によかった、心の底から思った。
「星加さん、星加さんは作家さんだったのですね?私、数年前、星加さんの本に出合って、とても救われたんです。もう身も心もボロボロになっていて、死んじゃいたいくらいだったの。そしたら、偶然星加さんの本に出合って・・・お陰様で元気になることが出来ました。」
「本当に、ありがとうございました。」
星加さんは、黙ってじいっと見てきた。
「その本の作者名が、星加さんと全く違う名前だったから、その本を書かれたのが星加さんだなんて、思いもしなかったです。知った時は本当にびっくりして、鳥肌が立ちましたよ。」
「最近知ったんです。偶然に。それで、どうしても、星加さんにお礼が言いたかったのです。」
「それに、私の手!ほら、打ち合わせの時に白くなってしまったことが、ありましたよね。星加さんが温めて下さって、甦った私の指。もう、全然白くならなくなりました。あの時、私の体の中で、きっと何かが変わった気がします。何だかとても温かかったんです。指も、心の中も、ホッカホカで。」
「本当に、今日会えて、よかった~。もう、私のつぶつぶに、感謝です。きっと、星加さんに伝えてくれたのだと思うんです。私、星加さんのことが、大好きだから。」
私は、ぺらぺらと、次から次へと打ち明けた。もう今後、星加さんに会うことはないかもしれないのだから、思っていることは、全部伝えなければ・・・
「私、星加さんに会えて、本当に良かった!お陰様で、私、今、とっても幸せなんです。」
休むことなくしゃべりまくる私の話を、星加さんは真面目な顔で聞いている。私は、自分が星加さんに伝えなければいけない事を、頭でクルクルと考える・・・
「日和さん。僕も、です。・・・僕も幸せなんです。」
「僕も、日和さんと一緒にいると、凄く幸せなんです。」
星加さんは、真面目な顔のままだった。私は、今、耳から聞こえてきた言葉が、本当に星加さんの口から出たものなのかどうか、本当に星加さんがそう言ったのか、と疑った。
「日和さんと、出版社でお会いする前から、僕は日和さんの存在を知っていました。日和さんは、ご存知ないと思うのですが、僕、日和さんと一度、電車の中でお会いしているんです。」
私の全身に、ざわざわっと鳥肌が立った。
「日和さん、その時、髪が長くて、結んでおられました。」
確かにそうだった。その後私は、自費出版を決意して、景気づけに、髪をバッサリ切ったのだった。私は、じーっと星加さんの顔を見つめるしかなかった。“私は知っていたよ、星加さんがあの時隣に座っていた人だったって・・・。私、体中で感じたんだよ。”
「あの時、たまたま座った、日和さんの隣で、僕は何だかとても心地よくて。それまで、誰かの傍でそんな気持ちになったことのなかった僕は、ずっとこのままこの人の隣にいたいと思ってしまった。初めて出逢って、というか一方的に、なのですが、離れたくないな・・・と、思ってしまって・・・。」
「僕、その時、読書をしようと本を手にしていたのですが、何とも言えない心地よさに包まれていた僕は、全身の機能が全て休んでしまっているかのような不思議な状態で、本の文字が全然入ってこなくて、ずっと同じページを開いたままだったんですよ。」
“ああ、そうだったね。星加さんは、本を手にしていた・・・。読書している姿が、様になっていたなぁ・・・。でも、本、読んでいなかったのか・・・というか、読めていなかったのか・・・私の影響?そんなふうには、全然見えなかった。ウソみたいな話だ”私は、その時の情景を思い浮かべ、身体がぼおっと熱くなった。
「変に思われないように、出来るだけ、頑張ってはいたのですが。」
ははははは・・・星加さんは、頭に手をやって、笑った。
「それから、日和さんの事が忘れられなくて、また、何処かでバッタリお会いできないかと、いつも、心で思っていました。」
「そして、偶然、僕が担当することになった人が日和さんだと知って。驚くのと同時に、とても嬉しかった。身体が震えました。」
「僕は、日和さんに一目惚れしたんです。」
「そして、会うたびにどんどん好きになってしまって。」
夢を見ているようだ。信じられない。
「嬉しいです。星加さん。ありがとう。」
「私、凄く嬉しいです。私にとって星加さんは、もう、私の一部だったんです。ずっと前から。ごめんなさい、勝手に私の一部にしちゃって・・・。」
「すごい、もう、残りの一生分のプレゼントをいただきました。こんな、夢みたいなこと・・・。明日、私の誕生日なんです。一日早い誕生日プレゼントをもらった。嬉しい!」
ハッと、した顔で、星加さんは鞄に手を突っ込んで、何やら探していた。
「これで、お祝いしましょう!」
と言って、私に見せたのは、【福豆】と大きくプリントされた袋に入った、大豆だった。そうか、今日は節分だった。
「今日、取材先でいただいたのです。日和さんの、これからの無病息災と、ご活躍を祈願して、この豆でお祝いしましょう!」
私は楽しすぎて、嬉しすぎて、たまらなく幸せだった。星加さんに言われるままに、両手で器を形作ると、星加さんは
「1・2・3・4・5・・・・・・・・・・」
と数えながら、私の手に、豆を載せていく、私が魅せられたあの力強く美しい手で。星加さんが守ってくれた、私の両手の中に。根気がいるだろうに…私の手の器に、どんどん山積みになっていく豆を見つめ、しみじみ思った。私は、こうしていろんなものを積み上げてきたのだなぁ。沢山のいろんなもので、私は出来ているんだなぁ。
「・・・・・48」
星加さんは、そんな私のこれまでを、共に愛おしんでくれているかのように、ひと粒ひと粒豆を数えてくれた。丁寧に、明日、2月4日に迎える、私の年の数まで・・・?
「どうして、知っているんですか?」
私、自分で言ってないよね?
「だって、僕、日和さんの担当でしたから。日和さんの個人情報を目にしていますから。勿論、秘密厳守で。」
覚えていたの?すごいな。ん?覚えていてくれたの?嬉しいな。そうか、あれから2年たったのか・・・
私は、折角年の数まで豆を積み上げてもらったのに、両手が塞がっていて食べることが出来ないので、一旦、豆を、星加さんに預けた。星加さんに豆を渡す時、まるで、自分の人生を星加さんに預けるようなおかしな感覚に陥って、変だった。
「おめでとうございます。」
と言われて、また、おかしな気持ちになった。なんで、ここでこうして星加さんに誕生祝いをしてもらっているんだろうか。何がどうなって、どうなったら、こうなったんだ?へんてこりんだ。この世界は、本当に、へんてこりんだ。私はありがたく、豆をいただいた。ポリポリ、ポリポリと音を立てて食べているうちに、泣けてきた。何だか、いろんなものが一気にこみ上げてきて、涙がポロポロ落ちてきた。口ではポリポリ、目からはポロポロ・・・。どうして人って、食べている時に、無性に泣けてきたりするのだろう・・・。今まであった様々なこと。私のドロドロだった心の中。小さかった頃の子供達・・・。あかん、もう、止まらなくなってしまった。豆を食べながら、ひっくひっくと泣いている私を見ていた星加さんは、危険を感じて、私に飲み物を差し出し、食べることをやめるようにと制してきた。
その後、私は気持ちが落ち着くと、今度は星加さんの手に、星加さんの年の数だけ豆を数えてあげた。星加さんの豆の数は、28粒だった。
星加さんは、幼い頃によく、母方の祖父母の所に遊びに行っていたそうだ。祖父母のことが大好きで、特に祖父と連れ立って、公園などに出掛けていたらしい。とある日、その日もお爺さんが漕ぐ、自転車の荷台にまたがり、公園を目指していた。星加さんのお爺さんは、物凄くパワフルな方だったらしく、自転車の速度も、めちゃめちゃ速かったそうだ。幼い星加さんはそれが楽しくてたまらなくて、おじいさんにしがみつきながら、ビュンビュン飛んでいく周りの景色や、全身に体当たりしてくる風を楽しんでいた。そして、あまりに楽しくて興奮し過ぎた星加さんは、お爺さんに重々注意をされていたにもかかわらず、足をバタバタと動かしてしまった。次の瞬間、ばたばたと動かした足が、その星加さんの、まだ細くてか弱い足が、容赦なく回り続ける車輪に巻き込まれてしまった。星加さんの足を巻き込んだ自転車はひっくり返り、お爺さんが慌てて星加さんに目をやると、星加さんの足が大変な事になっていた。
「僕が、祖父との約束を守らなかったために起きた事故なのに、祖父はひどく悲しみ、自分を責め続けたのです。」
「その事故で、僕は右足を痛めてしまいました。幸い手術は成功して、歩くことは出来るようになったのですが、走ることが出来なくて。祖父は、光翼はもう走ることが出来なくなってしまった。友達と、鬼ごっこや、野球やサッカーや、いろんなことをして遊びたかっただろうに。じいちゃんのせいで、ごめんな、と、何度も何度も僕に謝るのです。何度も何度も。」
「僕は、祖父に本当に申し訳ないことをしたと、ずっと思っていました。自分の不注意で、自分を傷つけてしまい、そして、祖父を傷つけた。祖父は、僕が大きくなって走る姿を、野球やサッカーや、いろんなスポーツに夢中になっている姿を見たかったに違いない。楽しみにしていたに違いないのに。」
「僕が、足の自由がきかなくなってから、祖父はよく本を読んでくれるようになりました。それまでは、祖父が本を読んでいる姿は、あまり見かけたことがなかったのですが。きっと、あれやこれやと図書館や書店で、僕の喜びそうなものを、見つけてきてくれたのだと思います。」
「今の僕があるのは、祖父のお陰なんです。」
「僕が、本を大好きになったのは、祖父が沢山の本を読んで聞かせてくれて、本の素晴らしさを教えてくれたから。僕が、作家になったのも、編集者になったのも、祖父の影響なのです。そして、日和さんとこうしてお話できるのも・・・祖父のお陰なのです。」
「僕のペンネーム。あの名前は、祖父の名前なのです。残念ながら、祖父に、その名前の入った本は、見せることが出来なかった。早くに亡くなってしまったので。」
星加さんにも、積み重ねてきた様々なものがあって、今、ここに存在している。
私は、この世界、宇宙にまで意識が飛んで、全てのものを、とても尊く感じた。
以前、星加さんと病院で偶然出会ったことがあった。星加さんは、足の事で来られていたのだな、きっと、と思った。そうだったのか・・・。
私はあの時、病院の庭園で、パート先で転んで検査に来たのだと星加さんに伝えたら、「大丈夫ですか」と心配され、そして、少し笑われた。今思うに、へんてこりんな考えなのかもしれないけれど。私が走り回る理由は、星加さんの分も走るためなのだ。きっと。だって、私はいつもふたり分走っているもの。これからも走り続けると思う、ふたり分。ただし、こけないように注意して。
あの日、二人で豆を食べた日、私は星加さんとの別れ際
「星加さん、私、個人情報に変更があります。私、苗字が【日和】ではなく、【如月】に変わりました。」
と伝えると、星加さんは、切れ長の目をまるくして
「え、日和さん、ご結婚されたのですか?」
「え?あれ、ご結婚されていたのですよね。確かお子さんもいらっしゃって。あれ、え?」
星加さんは、名前が変わったと聞いても、『離婚して、旧姓に戻った』という事を、すぐに連想しないのね。え?ひょっとして、私が結婚しなおしたと、思っている?離婚して、再婚した、と。そうなの?
「星加さんは?星加さんは、ご結婚はされていないのですか?」
こんなに、長い時間拘束しておいて、こんなにいろいろ告白しておいて、こんなに凄く愛おしく思っておいて、今更聞いてどうするのかと思ったけれど、つい、聞いてしまった。そういえば、一人暮らしだと言っておられたな。けれど、単身赴任中かもしれないし・・・。と、取り敢えず答えを待った。
「僕は独身です。」
やっぱりそうかという気持ちと、ほっと安心する気持ちが同時に湧いた。思えば私は、星加さんが結婚しているのかどうかという事を、これまで意識してなかった。何となく、勘で感じとっていたのか、どう見ても星加さんが、結婚しているふうに見えなかったのか。だから、星加さんに対して、初めは緊張したりもしたけれど、遠慮のない、厚かましい態度をとってしまっていたのかもしれないな、と思った。私は、星加さんの前で、割と、ありのままの自分をさらけ出していたような気がする。星加さんだから、そうできたのだとも、思う。結婚されていると知っていたら、感じとっていたら、いくら私でも、もう少し控えめに接していただろう・・・。それにしても・・・と、思う。どうして、こんなに身も心も美しい人が、よくどなたかの配偶者にならずに、今日まで過ごしてこられたのもだなぁと、感慨深く私は星加さんの顔をまじまじと見た。でも、まだ若いし、これからと言えばこれからだけれど。
「星加さんは、これまで、好きになられて結婚を考えられた方は、いらっしゃらないのですか?」
と、お節介な質問を、投げかけてしまった。訊ねたと同時に、やめておけばよかったと、思った。いなかったから、結婚していないのだ。そして、いなかったから、私は心おきなく、星加さんに接することが出来ていたのに・・・。星加さんの存在を感じて、心を満たしていたのに・・・。それに、結婚が全てじゃないし。
「僕は、日和さんのような方と、時を重ねていきたいです。いや、日和さんと。」
「と、思っても叶いませんけれど。」
と、星加さんは、渋く苦笑いした。私はもうたまらなくなって、
「重ねていきましょう。」
「叶います!ふたり分の願いが。」
「私、【如月 粒】独身です。」
と、言った。
その日、星加さんに、私の誕生日の前祝いをしてもらったりしていて、帰りが遅くなってしまったから、あんには、ちょっと心配をかけてしまった。でも、興奮冷めやらぬ私が、帰るなり、星加さんとのやり取りを大まかに説明すると、そんな事があったのかと驚き、なるほど、と納得し、これまで私が星加さんを心の支えにしてきた事をよく理解している、あんも、それはそれは興奮して、
「すごいすごい!よかったね、お母さん!うわー、なんかドラマとか映画の中の世界みたい!」
「星加さんは、お母さんの運命の人だったんだね。」
と、ものすごく、喜んでくれた。
それから、我が家での節分行事をと、あんと一緒に、私にとっては二度目の『年の数の豆』を食べていた時、
「そういえば、星加さんね、28歳だって。」
と、私が言うと
「え、そうなの!そうか、歳の差20か。ますますロマンチックだね!なんせ、遺伝子レベルでぴぴっときたんだもんね!」
「私にも、そういう人との出逢い、あるかな~」
と、あんは、うっとりとした表情でくうを見た。
私はめでたく、48歳を迎えた。人生で初めて,【福豆】での誕生日の前祝いを、最愛の人にとりおこなってもらった。
歳をとる、というけれど、歳は得るのだと思う。私が、私自身を生かしていくための、新しい舞台をもらった気分だ。その舞台は、これまで私が培って得てきたものが、土台になって出来ている。ひとりひとりが、それぞれに、その人が培ってきた土台のうえに今を生きている。
この世界は、不思議に満ちている。自分の体にしても、図鑑などを見たりして、何となく構造は分かっても、やはり、『生きている』ということが、不思議で神秘的でたまらない。どうして、心臓は絶え間なく動いてくれているのか?どうして、こんなふうに立っていられるのか?どうしてこんなふうに、感情が湧いてくるのか?考える、感じる、思い、の違いって・・・星加さんを身体中で感じたのはなぜなのか・・・。
そして、私は魂のような存在を、何となく信じているのだけれど、思いを巡らすと、不思議で楽しい気持ちになる。そのような存在があるとしたら、私は今は、私だけれど、私の前は、今の私ではない、私だったのだ。私のもともとのその存在が誕生して、存在し始め、その存在が今の私になって現在48歳だけど、全部合わせると、私の魂は一体いくつになっているのだろうか・・・魂は、ひとつひとつ、別々に誕生したのかなぁ・・・全て一斉に誕生したのかなぁ・・・もしそうだとすると、星加さんと私は実は同い年ということになるなぁ、等と考えると、楽しい。私は初対面の人の、年齢とかを当てるのが苦手で、「私、いくつに見える?」とかと聞かれると、困ってしまう。何かの事件が起きて、証言するとしても、私の目撃証言は、きっと役に立たないと思う。そして、時々、実際に聞いた年齢よりも遥かに若かったり、年配に見えたりする人がいるけれど、それは、ひょっとして、その人の魂の年齢が影響しているのかも・・・などとも考えてしまう。それで行き着くところは、歳は人それぞれがその人なりに得ていくもので、目安としての仮数値、のようなものなのかもなぁというところだ。という私の勝手な持論に基づき、私は星加さんとの年齢差は気にしない事にした。というか、思えば最初から、若い人、という認識で終わっていて、何歳なのか知ろうともしなかった。気にならなかった。星加さんという存在そのものが全てで、後は、どうでもよかった。私の自分勝手な思いなのだけれど。ただ、傍にいてくれるだけで満たされる、大切な存在。その存在に出逢えただけで、もう何も注文をつける事などなくて、もっとこうなら良かったなんて思うところなど何もない。
星加さんとは、映画を観たり、ミュージカルや演劇等の鑑賞をしたり、コンサートに行ったり、美術館や博物館に行ったり、その時々に興味を持った所に、足の向くまま気の向くまま出掛けて行く。ひとりの時間も大切にする。でも、何といっても至福の時間は、背中合せで本を読んだり、自然の中に身を置き、ぼおっと過ごしている時だ。そう、さやさやと葉の囁く音、心地よく通り過ぎてゆく風、鳥のさえずり、土や草や花や木や、様々なものの聖なる匂い。それら全てが身体の中に、優しくしみ込んでくる。
「星加さんの匂いは、何処からくるのかなぁ。クンクン・・・」
星加さんの匂いは次元を超えてきているみたいに、匂いの出所がわからない。身体から、ではあるのだけれども、皮膚から、という訳でもなく、内部からという訳でもないようで、とても不思議に思う。他の人にも認識出来るものなのか?でも他の人には、認識されて欲しくない。認識出来るのは、私だけの方がいい。
「クンクン…クンクン・・・」
特にクンクンとしなくても、存在と共にそこにあるのだけれど、敢えてそうしたくなる。これは、甘えなのか・・・。これまで私は、甘えるという分野に入る行為をしたことがなかった。性質的にも、環境的にも、出来なかったし、しようともしたいとも思わなかった。今は、自分の気持ちに正直に素直に、感じ、行動出来ているような気がする。だって、私はいま、そうしたくてしている。星加さんに、すりすりしたくてしている。以前の私らしくないことを、自然体でしている。私を生存させてくれているもの達が、どんどん新しく生まれ変わっている、という気がする。
「私、なんか自分で自分の変化というか、成長を感じるんです。頭の中?というか・・・考え方とか思い方とか、あと、身体中の。人って、いつまでも成長し続けるのかな~と。」
「となると、歳を得ていって、しわしわになることだって、生き続けていないとそうなれないから、それはそれで成長するってことにはならないですか?ピンピンの肌が、しわしわに成長した!なんて。ちょっと違うか・・・」
「きっと粒さんは、いつまでも生き生きと成長されていくと思いますよ。どんな事にも興味を持って、果敢に挑む。そういう粒さんだから。」
星加さんは、携帯の画面にタタタタタ・・・と打ち込んで、
「ほら、【成長】とは、というところにこうあります。『(前の文章略)個体がその発生から死に至る過程で、もっともよく発達した形へとその姿を変える間の変化をさす』って。『もっともよく発達した形』というのを、どう受け止めるかで変わってくると思いますが、粒さんを見ていると、今日が、いや今が人生で一番いい時って感じるんです。」
「ということは、粒さんは、日々、刻一刻と『もっともよく発達した形へとその姿を変えている』んですよ。だから、ずっと成長し続けているんです。これからもずっと成長し続けていかれますよ、きっと。」
星加さんは、ぎゅうううううっと抱きしめてくれた。“いいにおいだ”すごく安心する。私のつぶつぶが、全細胞が、それよりももっと小さいもの達が、喜んでいる。幸せを感じている。私は星加さんを吸い込む。『猫吸い』ならぬ『星加さん吸い』だ。私は安泰だ。
私は、あんと共に、一日一日を大切に、その日出来る事を丁寧に取り組んで生きている。心も体も平穏で、昔よく聞こえたどぶ水の音も、自分で自分を苦しめる声も、辛い叫びも、いつかいつかと自分を奮い立たせる声も、聞かなくなった。常に不安で、無理して強気でいて、自分の事が好きではなかった、さもしい私は、今の私の土台になった。
元配偶者は、元気にしている。私は彼とは、心を通わせる事が出来なかった。どちらが悪いというのではなく、どちらも悪くなく、ただ心が通わなかったのだ。でも、お互いにそういう巡り合わせの中で、必死に頑張ってきた。だから、今がある。たま~に、元配偶者と、あんと、私の三人で食事をするが、しみじみこれで良かったと思う。あんも「これくらいの距離がいいね、心が平穏にいられるわ。」と言う。あんにとってもそうなのか。
そういうあんは、就活真最中で、いろいろと、しなければならない事や考える事も多く、煮詰まってくると、今はしっかり落ち着いた社会人である、魁に、話を聞いてもらったりしている。
「私がめでたく社会人になったら、お母さん、星加さんと暮らしたらいいよ。私、自立するから!」
と、頼もしい事を、言ってくれる。
私は、パート勤務の合間に、物語を綴っている。星加さんと引き合わせてくれた、一大決心は大成功で、私に本当に沢山の喜びと幸せをもたらしてくれた。思えば、星加さんとの共同作品だ!と、後になって改めて思って、自分の絵本を手にするたびに、心震えた。今も、この本を手にするたびに、星加さんと、本に対する愛おしさでいっぱいになる。絵を描く事も、文章を書く事も、更に好きになった。私が綴る文章は、私そのもののような気がする。絵本を作ってもらった際にも感じたが、作品は、私の分身なのだ。綴るごとに私のつぶつぶが、浸透しているようだ。沢山のつぶつぶの浸透した、この物語を書き終えたら、星加さんに読んでもらおうと思っている。電車に隣り合って座って、景色の良い自然豊かな所に行って・・・。
「粒さんの作品、僕大好きです!」
って言ってくれるかな・・・あの大好きな笑顔で。
おわり
*この小説を書くにあたり
近畿大学 生物理工学部 遺伝子工学科 宮本裕史教授(2020.02.14 当時)
スイス・ベルン大学 クラウス・ウィトキンズ博士 (1995年に発表されている)
がされた実験報告について記載された記事を、参考にしました。