魅了
「違う! あの時、ヒィミナ嬢はそんなこと聞いていない。ヒィミナ嬢はあの女が結界石に関わっていることをし、し、知らなかった!」
シラスが突然怒鳴った。真っ赤な顔をしているが額からはダラダラと汗が流れている。側でヒィミナは酷いと真っ青な顔をして小さく震えていた。
「シラス様、わたくしが嘘を吐いていると?」
シラスは虚ろな目をしながらもしっかりと頷いた。
「シラス、私はヒィミナ嬢にそれを聞かれたことを覚えている。それにお前は何故アグネの側にいなかった?」
キラキの言葉にシラスが怪訝そうに首を傾げる。だが、その動きは鈍くぎこちない。
「シラス様、貴方はアグネ様が結界石に魔力を注がれ魔力が回復されるまでの間、アグネ様を護衛されるように王命を受けていらっしゃるはずですわ」
シラスの目に力が戻ったとともにガタガタと全身を震わせた。ふらつきながらもヒィミナから一歩二歩距離をとった。
魔力の多いアグネの存在は国にとってとても貴重だった。結界石に魔力を注いだことで無防備になるアグネを攻撃魔法に特化したシラスが守ることは王命だった。
マイラルはハッとした。今日、シラスが側にいることに違和感があった。学園を卒業するという緊張からだと思っていたが、アグネのそばにいないシラスらしくない行動をおかしいと感じていたことに。
「それどころか貴方は守るべきアグネ様を攻撃された」
「それに何でこの甲冑に?」
ラーマの言葉に養護教諭が続ける。
「壇上から風魔法でしょ。出入口が真っ正面だから出入口を避けたのは分かるけど、右側中央にある甲冑にぶつけたのは?」
魔法が消されるの覚悟なら余計な操作しないで真っ直ぐに飛ぶようぶつけるでしょ。
養護教諭の言葉にシラスは首を横に振る。
「し、し、知らない。俺はただ出入口に行かせないように、人がいないないところ、をねらった、ただけで、甲冑に、向かってなんて……。そ、それに、お、王命! な、なんで、わ、忘れて……」
「シラス様」
両手で頭を抱え膝をつくシラスにヒィミナが心配そうに手を伸ばそうとした。だが、それは鞘に入った剣に止められる。止めたのは警備に当たっている者だった。
「ヒィミナ様、シラス様に触れないでいただけます? これ以上魅了されますとシラス様が壊れてしまいますわ」
「「「「「み、魅了!」」」」」
ばっと周りを囲んでいた者たちが後ずさる。
「ち、違います。私、魅了なんて」
ヒィミナは目に涙を浮かべ涙声で否定する。
「マイラル殿下たちの急な不可思議な行動。全てあなたが側にいらっしゃいました。魅了でもなければ説明がつきません」
ラーマの言葉を無視してヒィミナはマイラルの側に行こうとするがまた剣で止められる。今度は鞘に入っていない剥き身の剣で、だ。
「マイラル殿下、私、魅了なんて」
マイラルはヒィミナに手を伸ばし守りたいと思っているのに何故かそれをしたくなかった。警備の者に言われ大人しくヒィミナから更に距離をとる。
「ヒィミナ、それを証明するために誰にも触れないように」
マイラルにはそう優しく言うのがやっとだった。ヒィミナがそんな力を持っていないと信じているけれど、納得している自分もいる。魅了にかかっているなら相反する二つの思いがあるのも頷けた。
「恐らく接触することで効果が高くなり、何度も接触を繰り返して魅了魔法のかかりを強くしていく、のではないでしょうか?」
ラーマは解答を探すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「なので、マイラル殿下、キラキ様、シラス様には強い魅了がかかっております。それでもヒィミナ様から離れれば綻びが生じるようです。本当なら一人が限度の弱い力なのでは?」
ラーマの言葉にマイラルとキラキの顔から血の気が引いていく。それが本当なら先程の行動は自分たちで決めたものなんだろうか? 疑問に思い、それでいて納得する。
「ち、違います! わ、私は魅了なんて」
ヒィミナは涙声で叫ぶが誰も何も言わない。
「あ! 届いた?」
養護教諭はゆっくりとシラスに近づいた。その手には息を切らした警備の者から受け取った二つの金属の輪を持っていた。
カチャリとシラスの首に金属の輪を付ける。
「魔力を封じさせてもらう。洗脳と自我で魔力を暴走させると一大事だから」
「ア、アグネさ、ま」
シラスはそう呟くと体を大きく震わせてゆっくりと床に倒れた。養護教諭は直ぐ様シラスの様子を見ている。
「気を失っただけだね。洗脳を自我で抑えて魔力の暴走を防いでいたから」
養護教諭の診断が聞こえた者たちは顔色を失った。シラスの魔力が暴走したなら、ここにいる者たちは無傷ではいられなかっただろう。
「ヒィミナ様、念のため君にも付けさせてもらうよ」
養護教諭がヒィミナの方に一歩踏み出した。
「いや!」
ヒィミナは側にいた警備の者に触れた。警備の者は迷わず剥き身の剣を養護教諭に向ける。そして斬りかかってきた。すかさず違う警備の者がその剣を受け止めている。
はぁ。養護教諭は呆れた息を吐いた。
「自ら魅了を使ってますと証明してどうするの?」
ヒィミナは真っ青になってブルブル震えている。
養護教諭はスタスタとヒィミナに近づくとその首に金属の輪を填めようとした。ヒィミナの手が養護教諭に触れているが、金属の輪はしっかりと音を立ててヒィミナの首に取りつけられた。
「な、なぜ?」
ヒィミナは驚きで目を見開いていた。養護教諭を魅了出来なかったことに。
「僕はね、魔力を吸収する防具を常に持ってるの。じゃないと、魔力暴走起こした生徒を早く治療できないでしょ」
養護教諭はジャラリとした腕輪を見せた。
その後の調べでヒィミナは淫魔との混血児であることが分かった。この国を魔族に襲わせるために潜入させられていたことも。
ヒィミナが担っていた任務は二つ。
この国を攻め落とすのに邪魔なアグネを排除すること。
アグネを排除後、魅了した者に結界石に魔力を注がないようにさせること。
たった一日、いや一刻でも結界がなくなった時、魔族はこの国に雪崩れ込み征服する予定だった。だが、それには強い魔力を持つアグネが邪魔になる。だから、結界石に魔力を注ぎ弱っている時に殺すことにした。
甲冑の持つ剣を本物にし、シラスに二つの風魔法を使わせた。一つはアグネを甲冑に向かわせること。もう一つは甲冑の持つ剣でアグネを殺すこと。アグネの身体強化で脇腹を傷つけただけになってしまったが。
シラスは王命を守らずアグネを攻撃した罪の意識から自我が崩壊し魔力を封じられ幽閉された。結界石に魔力を注ぐ順番が来た時だけ警護の者に外に連れ出されその任をこなすだけの存在となった。
キラキは後継者を辞退しラーマとの婚約も解消しようとしたが、ラーマの強い希望で婚姻した。ただ、家督は一番低い子爵位、そして結界の境界線に近い領土を継承した。結界の境界線近くの土地は荒れ地が多く作物が育たない。キラキはその地を豊かにすることに尽力した。
そしてマイラルは………。
マイラルはアグネが眠る部屋に来ていた。無理やりでも時間を作り毎日アグネの元を訪れるようにしている。
まだ青白い顔をしているアグネは一命を取り留めたが目を覚まさなかった。
「アグネ……、すまなかった」
マイラルは冷たいアグネの手を額に当てて謝罪する。
マイラルはアグネに嫉妬していた。
誰よりも強い魔力を持ち国に貢献しているアグネ。彼女が素直で心優しい女性であることは分かっていた。マイラルの隣に立つために並々ならぬ努力をしていることも知っていた。
「本当にすまなかった、アグネ」
純粋に好意の籠った目で見つめてくるアグネがマイラルには眩しく嬉しかった。だが、アグネとの差を自覚するとそれが重荷に思うようになった。
だから、甘い言葉を囁いてくれるヒィミナに靡き、簡単に魅了されてしまった。
「アグネ……、許してくれ」
マイラルはアグネが目覚め、許してくれても傷つけた罪を一生償っていこうと決めていた。
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「貧血かもしれないね。少し休んでいくといいよ」
養護教諭はそう言って女生徒に奥のベッドで横になることを勧めた。
「せんせー、腕治して」
男生徒が乱暴に保健室の扉を開けて入ってきた。シャツを捲り上げた腕から血が出ていた。
「またお前かー。それくらいの傷、治癒魔法かけるまでない」
「えー、ケチ」
「ほら、座る。手当てはしてやるから」
「それ、滲みるからやだ!」
「寝てる子いるんだから静かに」
「はーい」
「で、明日の午後から居ないから」
「当番?」
「そう、だから明後日休みで週明けにはいるから怪我するなよ」
「はーい、気を付けるよ」
男子生徒は来たときよりも随分大人しくなって保健室を出ていった。
養護教諭はベッドに近づくと寝ている女生徒の頭に手を翳した。
「仮病は良くないよ。だから、本当にするのにするね」
ニヤリと笑う養護教諭の顔はとても邪悪だった。