冤罪
「どいて、どいて。怪我人はどこですか?」
白衣を着た男性が人を掻き分けて現れた。学園の養護教師だ。
「これは酷い」
強い光が傷口に吸い込まれていく。流れ出ていた血の量がみるみる減っていく。
警備の者から話を聞きながら、養護教師は首を傾げた。
「おかしいな。甲冑が持っていた剣は模造品で柔なものなんだけど、切り裂いた? そんなことあり得ないんだけどなー」
マイラルとキラキはその言葉に驚きを隠せない。崩れた甲冑の側にある剣にはベットリと血がついている。確かにあの剣がアグネの脇腹を傷つけた。
「それにいくら剥き身の剣でも甲冑が持ってたくらいでここまでの傷を負わせられる威力はないはずだけど。二階から落としたとかなら可能性はあるかもしれないけどー」
養護教師は首を傾げながら治療を続けている。
「風で? あり得ないなー。アグネ嬢がぶつかる前に余波で甲冑が崩れるはずだし、剣だけ舞い上がってたまたま脇腹? 偶然過ぎるでしょ。それに強化魔法で受け身をとっていたのならここまで傷が深くなるはずがない」
アグネが風魔法で飛ばされたと聞いて養護教諭はますます首を傾げている。軽い口調で語られる言葉はその場の雰囲気をますます重くする。
マイラルは自分に刺さる疑いの視線に気が付いていた。邪魔な婚約者を始末しようとした、そう考えられても仕方がない状況に愕然とする。アグネに怪我を負わせようなど微塵も思っていない、今も。
「傷は塞がったけど流れた血が多い。助かるかどうかは本人次第だ」
担架が運ばれ、アグネが乗せられる。馬車が準備でき次第アグネはこのままティストン家に運ばれることになった。
「キラキ様。私は孤児院から修業を得てアグネ様の侍女となりました。同じような境遇の者はティストン家には何人もいます。アグネ様が私たちを虐げている姿を見られたことがありますか?」
キラキはアグネの侍女の言葉に顔を歪ませる。仲の良い姿を見た覚えがあっても不当に叱責されている姿は思い浮かばない。
「あー、あれ? ヒィミナ嬢が元平民だから虐められてるってやつ?」
養護教師がアグネに毛布をかけながら、のんびりした声を出す。
「アグネ様に頼まれて、ヒィミナ嬢に会うときは必ず教師が二人以上付き添っていたけど、常識の範囲しか注意してなかった、て話だよ」
なのに何であんな噂が立ったんだろうねー。
養護教諭の言葉にマイラルは唇を噛む。ほとんどの報告書はそうなっていた。アグネは立会人がいるときしかヒィミナと会わなかった、と記載されていた。
「そ、それは先生たちがいない時に……」
苦し紛れのキラキの言葉にラーマが凛とした声で否定する。
「アグネ様は一年生、四年生のヒィミナ様を誰にも知られず呼び出すのは難しいですわ。放課後は妃教育や結界の研究でアグネ様の個人的な時間はほとんどありませんのに」
キラキもマイラルも答える術がない。
一年生と四年生は校舎も離れ授業内容も全く違うため接することはほとんどない。食事をする場所も幾つもあり偶然会うことも稀だった。唯一共通で使用する施設は図書室くらいだ。
「けど、ヒィミナ嬢が虐められていたって!」
シラスがヒィミナを連れて壇上から降りてきていた。片付けられていない血溜りに顔を引き攣らせる。
シラスは周りの視線が冷たくなっていることに気が付いていなかった。
「では、アグネ様がされていたという証拠は?」
馬車が用意出来たようでアグネが運ばれて行く。青白い顔をした侍女が付き添っていった。キラキは心配そうにそれを見送っていた。付いていきたいが、今回の件をはっきりさせなければならない。
「ティストン家の護衛、マイラル殿下の婚約者として付けられた護衛、全て証言をとりましたの?」
「ああ、食い違う所はあったが、虐めていたと証言もあった……」
マイラルは自分の発言にハッとする。ほとんどの者がそんな事実はないと言っていた。王家から付けた護衛のほんの数人が証言した。同じ日に護衛に当たっていた者と食い違っていたが気にせず詳しく調べなかった。
「その証言の真偽を確認しましたか?」
「彼らの方が真実を言っていると思って」
食い違っているのならもっと詳しく調べなければいけなった。虐めていたと証言した者たちが少数だったため、権力に屈せず真実を話したと思い込んでいた。後で証言を覆した者もいたが、アグネが脅したのだと思った。その者たちを守るためにアグネの護衛からは外したのに。何故証言を変えたのかも確認しようとは思わなかった。
「それよりもヒィミナ様、何故、魔法の拒否を? あなたの魔力なら私より早く傷を治せた」
養護教師はヒィミナに冷たい声を浴びせた。治癒魔法を使う者として怪我人を見捨てたことは許しがたい。
「だ、だって、わ、わたし、アグネ様に」
ヒィミナは可愛い顔を悲しそうに歪ませて涙声で訴えてる。
元気になったらまた虐められると思って出来なかった、と。
「では、今からこの国から出て行きなさい」
「ひ、ひどい」
シラスが庇うようにヒィミナの前に立った。マイラルとキラキもラーマを睨み付けている。
「言い過ぎだ」
キラキが険を含ませて注意するが、ラーマは困ったように息を吐いただけだった。
「今、アグネ様の魔力でこの国は守られています。何故、アグネ様が自分を見殺しにしようとした方まで守らなければならないのです?」
そうだ! と声が上がる。アグネの魔力だから一ヶ月持つ。通常なら魔力を持つ者が十日ごとに順番に結界石に魔力を注がなければならなかった。魔力を結界石に注いだら三日ほど魔力は戻らず体が重い。それはアグネでも同じだが、マイラルとキラキの卒業パーティーのため今日は無理をして出席していた。
「来月、結界石に違う方の魔力が注がれたら戻っていらしたらよろしいですわ」
「わ、わたしに死ね、と」
結界の外側は魔族しかいないと云われている。魔法が使えても魔族と戦ったことのない女が一人で放り出されたら数分で見るに堪えない姿に変わっているだろう。いや、戦える者でも多勢に無勢、負けるのは明らかだった。
「そうは申しておりませんわ」
ラーマは首を横に振る。そんなことは望んでいない、と。
「ただ、あなたはアグネ様に守られる資格はない、と思っただけですわ」
「わ、わたし、アグネ様が結界石に魔力を注いでいたなんて知らなかったのです」
キラキはその答えはおかしいと感じた。ヒィミナとの会話で何回かアグネが結界石に魔力を注いでいることを話した覚えがある。いくら魔力の多いアグネでも毎月は無理で数ヵ月に一度だと説明したことも。
「あら、キラキ様が壇上からシラス様に叫ばれましたわ」
誰か声をあげる。
「ああ、私も聞いた」
「僕も」
それに答える声がある。
「それにアグネ様が結界石に魔力を注ぎに行ってること知らない奴っているのか?」
「この学園では存じて当たり前ですわね」
「アグネ様が結界石に魔力を注ぐ日だからと予定が変わったこともあったのに?」
ヒィミナに対しての不信が広がっていく。
「虐めたって聞いたけど、見たことないよな」
「先生たちも交えて話しているの見たことあるけど、アグネ様、正論だった」
「一年生が四年生のところへ歩いていたら目立つし、その逆もしかりだろ」
「アグネ様も放課後は王城か結界の研究で学園にほとんどいないしね」
「それに………」
「「「ヒィミナ様(嬢)って、ほとんどマイラル殿下たちと一緒にいるから一人でいる所って見た覚えがない」」」
マイラルとキラキ、シラスは周りの言葉に戸惑うばかりだ。彼らも聞こえる声を嘘だと怒る声とその通りだと納得する声が頭の中でさざめき合っていた。
「わ、私、本当に…」
「知らなかった…とは言えませんわ。わたくし、その場に居合わせておりましたから。今日の式典にアグネ様が参加さるかどうかヒィミナ様が確認されているのを。その時にキラキ様が仰っていましたわ」
『結界石に魔力を注いだ直後で魔力が回復していないから本当は休ませたい』
「キラキ様にお聞きしたいことがありまして、ちょうどサロンにいましたの」
キラキは思い出した。ラーマの言う通りだった。このパーティーのことでラーマと話すためサロンで待合せしていた。その時にシラスと一緒に通りかかったヒィミナ嬢にアグネの出席の有無を聞かれた。
「それなのに知らないなんてよく言えますわね」
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「ちょっとあんたとこから帰ってきてから旦那が使い物にならないんだけど」
そう言って殴り込んできた女にかっぷくのよい娼館の女将はコロコロと笑った。
「旦那様、年甲斐もなくはりきりすぎたんだねー」
「昨夜は一番人気がお相手だったからね、そりゃあ足腰たたなくなるよ」
女は顔色を赤黒くして何かを金切声を上げようとした。
「すいません、奥様」
奥から出てきた綺麗な娘が女の手を取り、涙ぐんで謝った。
「えっ、あっ、そ、その・・・」
何かを叫ぼうとした女は耳まで真っ赤にして言葉に詰まっている。同性でも見蕩れるほどその娘は綺麗だった。
「私が悪いのです」
「あっ、仕事だから仕方がないよ。主人にはよく言い聞かせておくから。年を考えろ、て」
そう笑って女が帰った後、娘は女将さんに言った。
「すいません、女将さん」
「いいってことよ。あの旦那、金払いはいいけど客としてはタチが悪いからねー。あんたが相手してくれたから大助かりだよ」
「で、女将さん、明日から四日間、お休みをいただけますか?」
「レイの当番かい? お貴族さまだけで回してくれりゃいいのに。魔力がある者の義務とはいってもねー」
「それで結界が守られるのなら」
「あんたはイイコだねー。しっかり休みな」