長野インターチェンジを降りる車を眺めていました
長野インターチェンジは98年の長野オリンピックのために作られたインターチェンジです
検査業者さんを迎えに、長野インターチェンジまで行ってみた
無線の落成検査を、上越の業者さんにお願いしてあったので、わかりにくい自宅実家まで案内すべく
長野インターチェンジに迎えに出ました。
わざと早く行って、インターチェンジを出てくる車のナンバーを見て暇つぶししていたのですが
それこそ、全国の車が降りてきました。
オリンピックでできた自動車道路と、その長野と名のついたインターチェンジですが、実は松代だったりします。
なぜこうなったかというと、98年の長野オリンピックの開閉会式の会場が自宅そばにあり、いわゆる県庁だったり長野駅のある長野市街の南方8kmのところに長野と名のついた玄関ができてしまったわけです。
大阪駅と新大阪駅みたいなものですが、肝心のインターチェンジは長野市ではなく松代町だったところなのです。
何を言いたいというかというと
いっときのオリンピックのために遠回り
というのを永続的にしているわけです。
なんと環境の負荷の高いことか。
おかけで、実家自宅は、ある日突然長野の玄関先に位置するようになったのですが、それでも今の季節は
川中島の白桃のピンクの畑、もう少しするとリンゴの真っ白な畑に囲まれます。
ま、そんなところですが無線はできるので7、14、21mhzの500W免許を申請したのですが、そこで長年寄り添ったご本尊様が謀反を起こしました。
調整、確認しやすいようにICーPW1を引っ張り出したのですが、その時スライドスイッチを触ってしまい
親機の周波数変更が不能に。
リセットしてもダメ、周辺を取り去ってもダメ、やっと見つけたciーvのスライドスイッチの位置違いに気がついて
ことなきを得ましたが、それまでは壊れたかと思いました。
最後が実通なのですが、リセットしたためチューナーのメモリが消えてSWRが無限大に変動しましたが、なんとか2エリヤの知り合いの局と交信できました。
気を取り直して、信越総通に完了届を持参、道が空いていたので20分ほどで着きましたが、これがもし他県から
長野インターチェンジを降りて市街地へ向かったら、それだけでも環境への負荷が高いというもの。
これは、今ご開帳の善光寺に行く時も同じです。
オリンピックの時には開閉会式場及び選手村に直結の長野インターチェンジだったのでしょうが。
さて、まぁ何はともあれ苦労してとった近畿総通の500W免許を切らして信越総通の500W免許をもらい
これで死ぬまで電気代だけで老後を楽しむ算段がつきました。
これが1番エコかもしれない。
今となっては、かなり長野市街から外れた場所に、全国の車が降りて散らばっていきました




