思い出のヒト
❑-パイオニア
僕のあ母さんは町娘として育ち、貴族の側室として若い時代を生き、また街の人として暮らしている。
それを知識としては知っている僕だけど。母から若かった頃の話を聞いたことがない。
嫌な思い出だったからだと思っていたのだけれど、母は家宝のように水色に光る小さな玉を大事にしていた。
これはライト侯爵様からもらったものなのよ、と母は言った。
それを言うときの母の顔は、苦い思い出を語るような表情はしていなかった。
コナの街はライト侯爵所有のライト領に属している。母は若かった頃、ライト侯爵に嫁いでいたという。
ある日、母はその玉を箱に入れて紐を通し、ペンダントのようなものを作った。
それを僕の頭に通しながら、お守りだから大事に持っていて、と言った。
僕は、その貴族との間にできた子供らしい。今まで大切に育ててくれたことに対して母には、これ以上ない感謝をしている。
「イオナ、どうしたの?疲れたのなら日陰で休んでもいいのよ」
僕の止まっている手を見て母は声をかけてきた。
僕は毎朝日の出と共に起き、昼まで武芸の稽古をしている。稽古と言っても自己流であるため、中々に上手くなれるようなものではない。
「ありがとう、でも僕は大丈夫」
空を仰ぎ見る。太陽の位置が変わっている。
僕の兄であるアルノアが畑仕事に出かける時間だ。
見送りのついでに見に来てくれたのかな。
兄貴は決して広いとは言えない畑を毎日手入れしている。家計を支えるためだ。
母はどうして、貴族の暮らしを捨ててまで田舎の街に引っ越したのだろうか。
聞けばわかるのかもしれないけど、母に過去の話を聞くのは僕の中ではタブーになっていた。
「イオナ?」
「あ、またぼーっとしてたみたい。…ごめんね」
「あなたは何も悪いことをしてないのよ。だから、謝らなくていいの」
母は眉を八の字にしながらいつもの口癖を言う。謝らなくていい、と。
そうじゃないんだよ、お母さん。僕が家の助けになっていないことに対して謝ってるんだ。
「うん…」
僕はうつむいた先に見えた、迷ったように一匹で歩いているアリを見た。
惨めだな…。
「おい、見てくれ。あそこにいるのは、穀潰しのパイオニアではないか」
「あ、ほんとだ。はは、笑える。ママに背負われて一生を生きるつもりだってさ、あいつ」
通りすがりに行ってくるのは近所に住んでいる同い年の奴らだ。
そろそろ成人になるにも関わらず仕事すら探さない親不孝。それが客観的に見た僕だと思う。
「いいのよ、イオナ」
キッとなってそいつらを睨め付けた僕を諫めるように母は言った。
母の悲しむような表情を見た瞬間、溢れ出してきていた怒りがいっきに冷めた。
「本当に…ごめん…」
僕はトボトボと家に向かって歩いて行った。
今日はもう木刀を振る気にはなれなかった。
自分の部屋に入り、ため息をつく。知らずの内に視界がぼやけてくる。泣きたいわけでもないのに、なぜ涙は溢れるのだろう。
勝手に嫌な思い出が頭をよぎる。
「僕は勇者になってお母さんに楽をさせるんだ!!」
「ちび、それもいいけどよ。お前にはお母さんを養うって大事な使命があるんじゃねえのか?」
稽古に付き合ってくれていた、元冒険者のおじさんが僕に言う。
「お前には剣の才能も槍の才能もねえ。弓なんて言わずもがなじゃねえか。そんなやつが冒険者になって何をしようってんだ。諦めな」
「そうです、君は速急に辞めて畑で動物の糞でも蒔いている方がお似合いなのだよ、フフ」
こんなときに限って嫌味を言ってくる奴らが集まってくる。
「僕は、親孝行をしたいんです」
「お前の行動は矛盾しているんだ」
僕は英雄になって親孝行をしたいんです!家族に楽をさせてあげたいんです!
心の中で何度も叫んだ。
考えるのを辞めるために、何かないかと周りを見渡す。
ふと自分の部屋に立てかけてある剣に目が留まった。旅の途中でコナの街に立ち寄った冒険者にもらった物だ。
こっちはいい思い出。
去年の出来事。
街に魔物が現れた。ライト領で魔物が現れるのは日常茶飯事だと言ってもいい。でも、その日は違った。
「魔物だ~!クリムゾン種の魔物が来たぞ!!」
街の森に近い方角で狩りをしていた人の声が響いた。
僕は昼寝をしていたのだが、大きな声に驚いて目が覚めた。
それと同時に魔物の声が聞こえてくる。
魔物は、金属を引っ掻いたときのような音で鳴いていた。
慌てて寝間着のまま外に出ると、不運なことに魔物が丁度家の前を通り過ぎる瞬間だった。
「KIIIIIII!」
金属のような鳴き声。
それは血を被ったかのような赤い毛並みをした鳥の魔物だった。
「イオナ!!」
どこからか、お母さんの声がした。
畑から駆けつけてくれたのかもしれない。
クリムゾン種と呼ばれる鳥の魔物は、姿が大きいのが特徴的だ。血のように赤い色をした羽毛に包まれていて、その顎は竜種の骨すらもかみ砕くことが可能だという。
初めて見る大型の魔物に、僕は何も出来ずに固まってしまった。
「KIIIIIII!」
魔物は、もう一鳴きすると獲物を見つけたとばかりに獰猛なその目を僕に向けた。
「あ…その…」
声が出ない、話せばわかる相手でもないが。
遠くから母が僕の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
街の人たちが母を引き留めようとする声も。
赤い頭は首を後ろに引き、体を反るようにする。狩りの時間。
その頭がいっきに振り下ろされる瞬間…黒い影が僕の前に立つのが見えた。
「ク…!」
次の瞬間には死んでいるのだろうと内心で考えていた僕は苦痛に耐えるような声を聞いて我に返る。
目の前には男がいた。振り下ろされた魔物の嘴を両の手のひらで抑えている。その手からは刃物のように鋭い嘴が貫通するように飛び出している。そして、絶えず血が噴き出していた。
「大…丈夫…かい?」
その男は自分の状況をわかっていてもなお、僕を心配してくれた。
近くの家から子供や大人が何人か出てきて、街の人達が集まっている方向に走って逃げる。
僕もその人たちのように逃げられればよかったのかもしれないけど、恥ずかしながら足が動かず、立っているのが精一杯だった。
男が小さく呪文のようなものを囁くと、魔物は眠るように体を倒した。
嘴が抜けた手のひらを庇いながら男は苦痛に耐えるように声を出す。
もう一度、男が魔物に小さく声をかけると、今度は眠ったようにしていた魔物が起き上がり、一鳴きした後に大人しく森へ帰って行った。
振り返った男は僕に朗らかな笑みを見せる。
「これで、もう安心だ」
街には歓声が響き渡った。
その晩、彼は街の英雄として担ぎ上げられた。街では些細ながらも彼のために祭りが行われた。
僕は、その祭りに行ってはいけないような気がして、近くの丘で眺めるだけにしようと思った。
丘に登ると、先客がいて、どうもと頭を下げてくる。戸惑った僕も同じくどうもと頭を下げてしまった。
先客である街の英雄は僕に隣に座るように手招きする。その通りに座った。
「君は祭りが嫌いかい?」
風は冷たくて気持ちがよかった。祭りが行われている場所を見ると、はしゃぐ子供のように町のみんなは踊っている。音楽の音も小さくだが聞こえてきた。
「嫌いではないです」
「じゃあ、どうして行かないのかな」
英雄の男は祭りの明かりを眺めながら僕に質問する。
「あの人たちは僕のことは、どうでもいいと思っているから…です」
僕が下を向きながらそういうと、彼はまじまじと僕の顔を覗き込んできた。
「小さな子に聞くのはおかしなことだと思うけど、君は嫌われているのかい?」
「わかりません。でも、いいようには思われていません」
僕は、また祭りの明かりを見る。
「では、私と同じだな…」
横で呟かれた言葉を聞いて、僕は素っ頓狂な声を上げながら彼を見る。
「私はね、故郷で嫌われ者なのだよ」
「どうしてですか。こんなに強いのに」
「私の強さが異端だからね。君は私のスキルを聞いたら私のことが嫌いになるかい?」
僕は彼のスキルについて考えてみる。
すごい速さで傷が治るとかかな。人間じゃないって言われそう。でも、手には包帯を巻いているし、治療のスキルを持った人に魔法をかけてもらっていた。
毒でなんでもドロドロにしちゃうとか。
いくら考えても答えは出そうになかったけど、考えているうちにどのようなスキルを持っていても嫌いにはならないだろうという確信を持てた。
「僕は嫌いになりません。命の恩人ですから」
「それは、ありがたい。…私のスキルはね、魔物を従えるのだよ」
「…え?」
冷たい風が吹いた。
彼は、また朗らかな笑みを浮かべる。僕にはそれが悲しく見えた。
魔物を従えるスキル。確かに嫌われ者になるかもしれない。街でも魔物は憎悪の対象だ。それを従えるとなると、悪魔と言われかねない。
「僕は席を外させてもらうよ。このような人が横にいると嫌だろう」
立ち上がろうとした彼の裾を掴んで引き留める。
「嫌いにはなりません。もう少し、話をさせてください」
彼は心底驚いたような虚を突かれたような顔をした。
それがなんとなくおかしくて僕はクスっと笑ってしまう。
すると彼もクスりと笑う。先ほどまでの朗らかな笑みとは少し違う表情に見えた。多分こちらが本当の笑い顔なのだろうなと思った。
「君は怖くないのかい」
「だって僕はクリムゾンにも逃げなかった男ですから」
おどけたように男の部分を強調して言うと、彼はまた笑う。
「あはは、それは腰が抜けて動けなかったの間違いじゃないのかい」
「違います」
頬を膨れさせて否定すると、また笑う。
僕らはひとしきり笑ったあと、笑い過ぎたせいで目に溜まった涙を拭きながら、また祭りを見た。
そういえば、なぜ主役がこんなところにと思う。
「祭りには行かないんですか」
「人が集まる場所は好きじゃないんだ。どうせ酒も回った頃だろうし問題はないさ」
それからは何も話さなかった。
話題がないわけではなかったけど、言葉を発すると今の温かい気持ちも吐き出してしまいそうで怖かった。そして、綺麗な夜空の前で語るには僕の話題など小さすぎた。
しばらくすると、母の声が聞こえてきた。大変な事があった後なのだから寝ていなさいと言われていたのを抜け出してここに来ていた僕はバツの悪いような顔をしただろう。
「誰を呼んでるんだい」
彼にも声が聞こえたようだ。
「僕のお母さんです。僕はパイオニアと言います」
「そうか、よろしく。パイオニア。私の名前はキルノタイトだ」
彼は、キルノタイトは立ち上がる。今度こそ行ってしまうのだろう。
僕は勿体なくて話せなかった最後の話題を口にする。今言わなければ一生後悔すると思った。
立ち上がって僕は言う。
「僕はキルノタイトさんのような英雄になりたいです」
彼は目を見開く。
その後、また笑顔に戻る。最初に話していたときのよそよそしいそれではなく、本当の笑顔。
「君のペンダントは綺麗だね」
おもむろに彼はそう言った。
僕は自分の胸にかかっている母からもらったペンダントを見る。
「君には天性が備わっている。それを発揮できるなら君は英雄になる」
そうか。僕は英雄になれる。
「イオナ!こんなところにいたのね」
気づけば母が横にいた。
「今ね、キルノタイトさんと…」
興奮しながら彼がいる方向を見たが、そこには誰もいなかった。
「誰?その人」
「ううん、なんでもない!」
これは僕の秘密にしておこう。
彼のいた場所には一振りの剣が置いてあった。大人が持てば短剣に見えるだろうが、僕が持てば剣ぐらいの長さだ。
それを拾い上げて、帰ろうと母に言う。
遠くの方で先ほど街を襲っていた鳥の魔物の声が聞こえた。
母はまた来たのかと身構えたが、僕はそんなことをしなかった。それが彼のお別れの挨拶だとわかっていたから。
帰り道の途中、母は僕を見ながら優しい声で言った。
「何かいいことでもあったの」
「なんで?」
「ずっと笑ってるじゃない」
「あったよ」
「お母さんにも教えてくれる? イオナがこんなに笑うのは久しぶりに見たわ」
「いいよ…あ、秘密なんだった」
「え?」
「ひ・み・つ」
母は笑う。
お母さん。お母さんがそんなに幸せそうに笑う顔も僕は久しぶりに見たよ。
英雄になれると彼は言った。僕はその言葉を信じたい。
自分の信じたいものを信じることに何の問題があるというんだ。
◇◆◇
目が覚めると、感触から布団に寝かされていることが分かった。
夢を見ていたのかな。あの頃のことを久しぶりに思い出した気がする。
布団は薄い物で、温かい日差しを浴びているにも関わらず肌にはひんやりとした感触を送ってくる。
布団から出て、開け放たれた窓から差す日差しに目を細めた。
ん…?窓?
窓と表現したが紙が木枠に貼られているそれは、壁一面に広がっており窓と呼ぶには違和感があった。
「目が覚めたようだね」
後ろから話しかけられたので、驚いて体を強張らせながらも後ろを振り返る。
そこには三十近い年頃の…いや、もっと若いのかな。なんとなく年齢が掴みづらい顔をした男の人が立っていた。
朗らかな笑顔を浮かべたその顔には見覚えがある。どこで見たんだっけ。
「あなたは誰でしょうか?」
男の人は一つ頷いた。
「うん、それを言うのもいいけど君はこの家の造りがなんて呼ばれているかわかるかい」
家の造り…。
周りを見渡すが初めて見るようなものばかりで全くと言っていいほどわからない。
木や紙がよく使われていて、自然の中にいるような匂いがする。
僕は首を横に振る。
「この家の造りはね、日本家屋と呼ばれている。この部屋は書院造りと呼ばれているね。木枠に紙を貼ったのが障子、床は畳。聞いたことはあるかい?」
「わかりません。誰が考えたのでしょうか、気持ちのいい場所だと思います」
男は朗らかに笑う。
「君とは趣味も合うようだね。では、名乗るとするよ。久しぶりだね、パイオニア君。私はキルノタイトだ」
キルノタイト…。そうだった、忘れてはいけなかった。
僕に冒険者の資質があると唯一言ってくれた人だ。
そして、この国で最も実力のあると言われるようになった冒険者。