<削除権限>
「パイオニアくん、大丈夫かい」
後ろからラーノルさんの声が聞こえた。
「はい、大丈夫です。ベテランの冒険者の戦いを見るのは初めてで、心底驚いているところです」
「そうかい。でも、彼らはベテランなんかじゃないよ。十年そこらは冒険者を続けたのかもしれないけど、ベテランは格が違う」
見てきたようにラーノルさんは言った。
「こんなこと言うのは本当に失礼かもしれないですけど、ラーノルさんのレベルは幾つですか」
なぜ聞いたのかというと、僕を軽々と持ち上げていたことを思い出したからだ。
「僕かい? 僕のレベルは三十八さ。ちなみに職業は商人関連だよ。どうして?」
「僕を持ち上げたので驚いて」
ラーノルさんはニコリと笑った。
「商人もステータスぐらい上がるさ。上昇幅が狭いだけでね」
「それで、グレンさんも…」
「グレンさんは少し違うかな」
納得しかけた僕の声をラーノルさんは制す。
「そうしてですか?」
「グレンさんは商人の仕事だけじゃ経験値が稼ぎづらいからって、自己鍛錬して、あそこまで強くなったんだよ。戦闘スキルを一つも持っていないのに、その辺の冒険者と互角に渡り合える。僕には無理だ」
すごいな。グレンさんは今まで魔物を宙に浮かすことに専念している。それは、スキルを持った冒険者が倒すほうが効率がいいと考えての行動かもしれない。それに、冒険者たちの連携も途切れていないということは、グレンさんが邪魔にならないように的確に動いているからなのだと悟った。
僕はラーノルさんの顔が少し歪むのを見逃さなかった
「どうしたんですか」
「表情を読まれたか。商人失格だね。安心して、彼らならどうにかしてくれる」
ラーノルさんは苦笑を浮かべた。
その視線の先にはイノシシが写っている。いや、普通の大きさではない。グレンさんたちが戦っている魔物よりも数十倍大きなイノシシだった。
「運が悪いね。グレイトボアの登場か」
ラーノルさんが呟く。
大きなイノシシはグレイトボアと呼ばれているらしい。
まだ他のイノシシは五体ほど残っている。体力が切れてきているのか、討伐の速度も落ちてきている。このままでは、倒しきる前にグレイトボアが来てしまう。
「残りは頂戴。みんなはおっきいのを」
その時、風が起きた。
ケーシーと呼ばれていた女性の冒険者が倒れていた場所を見る。彼女の姿が見当たらないと思ったらら、彼女は戦場にいた。
「助かるよ! じゃあ、僕らはあっちに行こう!」
リーダーが叫ぶ。
「オーケー」
「おう」
「わかった」
みんな疲れているのか、心なしか最初よりも声が小さくなっている気がした。
「ラーノルさん撤退は出来ないんですか」
「難しいんだろうね。グレイトボア、というかボア種は執拗に追いかけてくる性質がある。会われている状態だと街の中にも入れてもらえないし、戦うしかないんだよ」
それでも、このままでは疲れた隙を突かれそうな気がする。
幾ら何でも五人じゃ、何十体もの魔物を倒したうえで親玉まで倒せるとは思えない。
イノシシの魔物は皮が厚そうだ。小さいほうでも倒すのに苦戦していたのに大きくなっては剣が通るかもわからない。
戦況は芳しいようには見えなかった。
グレンさんは疲労のせいか後ろで待機している。肩で息をしていて、地面に刺した斧で体を支えているようだ。
女性冒険者は言わずもがな、寝てしまっている。
盾役は受けきれないと察してか、武器を両手剣に持ち替えている。
今、盾役を務めているのはリーダーのようだ。彼の盾役の仕方がまた独特だ。
小さな盾を持っているのにも関わらず、絶対に敵の攻撃は受けずに避けている。避けきれない攻撃は盾で受けながす。そのような戦い方を僕は初めて見た。
僕の視線から察してかラーノルさんが説明してくれる。
「あれは回避盾と言ってね、絶対に敵の攻撃を受けない盾だよ。なかなか熟練している人じゃないと出来ないことなんだけどね」
「すごいですね。こんなに華麗に戦えるなんて…」
ラーノルさんの表情は晴れない。僕はそれに違和感を覚えた。
「もう時間が残っていない。そろそろ危ないぞ」
そう言われてリーダーの冒険者をもう一度見ると、避ける速度が遅くなっていて盾で受ける回数が増えてきた。
敵の攻撃を大きく受けた。その瞬間、リーダーの冒険者は大きく押す。自分の何倍も大きい魔物を押し返すと彼は叫んだ。
「スイッチ!」
「了解!」
ガタイのいいナックルを持った冒険者が反応する。
場所が入れ替わろうとした瞬間――ガタイのいい冒険者はグレイトボアの足によって吹き飛ばされた。
入れ替わることができずに重い足取りで走りこんでいくリーダーの冒険者とグレンさんを見ていると、胸の奥が疼く。なぜ、僕はここで小さくなっているのだろう。
俯いた視線は自分の手に付けられている<力手>に向けられる。グレートゴブリンの成れの果てだ。あの日は敵だったが今では相棒になる存在だ。
自分が何かの力になれるのなら身を投げ出してでも助けになりたいという衝動にかられた。
冒険者たちは肩で息をしながら魔物と相対している。
「ラーノルさん、僕は今からあの糞イノシシと対峙したいと思います」
「何を言っているんだい!?」
僕は行かなきゃいけない。英雄になるための一歩目を踏み出したい。〈力手〉を握りしめる。
「ちょっと待ってくれ、これを付けて行くんだ」
ラーノルさんは1枚の紙を僕に渡した。
「これは…?」
「お守りさ」
彼は笑う。
僕は決意をする。行ってやる。マキさんがいなくとも僕は十分に戦える。弱い僕じゃない。
「行け!」
僕の決意は固まった。これからあのイノシシ野郎をぶっ飛ばす。
疾走。今の僕ができる最高の速度で走る。レベルアップで早くなった速度に驚きながらも前を見据える。
「失礼します!」
走ってくる僕を見て、驚いた冒険者たちはどうしようかと戸惑った表情をした。それでも僕が走って来るのだから選択肢はないだろう。
「盾を!」
「うお!?」
大きな体の冒険者は僕の意図を察して盾を天に掲げた。
みんな一様に疲弊した顔をしている。糞イノシシはそこまでダメージを受けていないようだった。
足から血を流しているのを見れば、そこを集中的に狙われたのだろうと把握できる。
疾走から、盾を踏んで跳躍。僕は魔物の頭上に迫る。
<力手>のおかげで力が大幅に上がっている。それに、僕が飛ぶタイミングに合わせて冒険者が盾を押し上げてくれたおかげで、跳躍した先の高さはいつもと比べ物にならないものだった。
巨大な体を持ったイノシシの頭を軽々と超える。
そのとき、僕はイノシシの口に陽炎ができていることに気づいた。口に魔力を溜めている証だ。位置からして、見上げるような状態であるため、冒険者たちには見えていない。
陽炎が確固した形を持ち、刃の形をした風が巻き起こる。それは一直線に近づいてくる。
まずい。
空中で方向転換のできない僕はダメージを覚悟して腕を交差させる。
…だが、それは軽い衝撃で終わった。
遠くの方を見ると、ラーノルさんがこちらを見ながら親指を立てているのが見えた。
彼が渡してくれたのは衝撃吸収の魔法だったのかもしれない。
僕は、知らず知らずのうちに口の端が上がっていることに気づいた。
そして、その笑みが一層深くなるの感じた。僕はこの状況を楽しんでいる。それが面白くもあり、怖くもある。
空中で体勢を整え、力の集まった左手を前に出す。
自分の意志でこれが使えるか分からない。あのときは体が勝手に動いた。
躍るかのように胸が高鳴る。
瞬間、僕はできると確信した。左手に力が宿る。
「いっけ~~~!」
突き出した左手に黒い陽炎ができるのが見えた。重力に任せた体はすぐに魔物に到達してしまう。
「<削除権限>!!」
大きな爆発音とともに空間がゆがむのが見えた。歪みは膨らみ、全てを飲み込むかのように開く。
それが落ち着いたときにはイノシシの首は無く、体が力なく崩れ落ちていくのが見えた。それは地面につく前に光の塵になった。
僕の体は重力に押されて地面に近づく。
着地しようとしたのだが、体に力が入りきらず衝撃を流しきれなかった。足が痛むが大丈夫なようだ。
近くにいた冒険者の一人、リーダーが僕のそばまで来た。
「怪我はないかね。こちらが護衛する側だったというのに、かたじけない」
「いえ、僕は大丈夫です。それよりも、お仲間さんは」
魔物によって吹き飛ばされた冒険者を見る。
「ああ、あいつは大丈夫だ。俺ら以上に武術にたけている。受け流すぐらいはしただろうから」
「ならよかったです」
いつの間にかグレンさんが近くまで来ていた。
「お前ら、このまま進もうにも馬の調子がよくない。それに、みんな相当疲弊しているしな」
冒険者が答える。
「ええ、結構体にこたえました。今は休んだ方がいいかもしれません。幸い次の街が近いですし、太陽の位置も高いので少しぐらい休んでも大丈夫でしょう。大きな魔物が出現した後です。しばらくは他の魔物も現れないでしょう」
グレンさんは頷く。
そして、おもむろに腰から包丁を取り出した。
「昼飯にしようじゃねえか。モンスターとの戦闘後は、おいしいものを食べなきゃだしな!」
僕にそう言ってグレンさんは子分の方のイノシシと戦闘していた場所に行く。
そこには光の塵にならずに倒れているイノシシが五体ほどいた。
全て気絶させられているようだ。
「俺は肉商人だからな。殺さずに戦闘不能にするぐらいはできるさ」
とグレンさんは自慢げに言う。
「グレンさん、ナイフを入れたらそれで消えたりしないんですか?」
「商人をバカにしてもらっては困るぜ、パイオニア。これは無ダメージの能力を持ってる包丁さ。これで切ればイノシシは肉の素材になるのさ」
農作物の多い街では肉を食べることが少なかったので、初めて見た。
グレンさんは分厚い革を剥ぎながら丁寧に刃を入れていく。
グレンさんがイノシシを捌いた後、ラーノルさんが石を使って、燻製肉を作るための竈門を作る。それとは別のところにも焚き火をして、串刺しにした肉で囲んだ。
油の落ちる音が食欲をそそってくる。
しばらくして肉が出来上がり、香ばしい匂いが漂い始めた。




