第八話:寂れた商店街
二車線の国道には車両が行き交い、下校中の学生達も人の流れに混ざっていた。小さな田舎町の細やかな喧騒にまみれ、信也と紗希は大通りを一列になって歩く。
信也が度量の深い男ならば、紗希の隣を歩いていたのだろうが、どうにもそこまでの度胸はなかった。恋人に見られたらどうしよう、なんて思い上がった杞憂を抱きつつ、独り相撲を取る自分はなんと滑稽なことか。理想的なカッコいい男にはなれないなと、華奢な自分の体が恨めしかった。
「信也、商店街は駅前通りの近くだから行きましょう」
「駅前通りか。何か少しずつ思い出してきたような気がする」
信也に一度だけ振り返り、また紗希は歩き出す。信也の記憶の中の深い谷底に埋もれ、曖昧になった情景がうっすらと浮かび上がり、自分は前を進む紗希の背中を追っていた。
学生達の中に溶け込んだ二人は、多くの歩行者や自転車とすれ違いながら、いくつもの交差点を抜けていく。誰かが見てくれることもなく、流れゆく時の一ピースにしかなれない信也は、自分が極めて小さな存在だと痛感した。どんなに小さな町の中でも、信也は六十億もいる人という存在の一部なのだ。
どこにでもいる普通の男子学生、特別な力なんて何一つ持ち合わせてはいない。果たして、どれくらいの人が秋祭りに焦がれているのだろうか。
過ぎ去る人々の気持ちを読み解くことはできず、信也は自らを信じ、紗希の進む道へ同伴するしかなかった。
「駅が見えてきたってことは、もうすぐ到着ね」
しばらくして、信也と紗希はようやく柳仙谷町の駅に辿り着く。
柳仙谷駅の中には、切符の販売機が設けられており、改札口から歩廊への直通となっていて、駅の裏手には、線路を跨ぐように歩道橋が架かっていた。ショッピングモールが揃う都市部と違い、駅の外には自動販売機しか置かれておらず、客足も疎らだ。
数名の学生と高齢者が時刻表のある駅前広場のベンチに座り込み、電車の到着まで待機している程度の侘しい駅である。
「商店街はこっちよ、信也」
駅の正面にある裏路地に差し掛かり、信也は紗希に促されるままに進んでいく。個人営業の小さな居酒屋や飲食店を横目に見て、彼は紗希と共に商店街の入り口に立った。
変わり果てた商店街を目の前にあり、信也は絶句する。
「随分と、静かになっちゃったんだね」
遠い日の残映が揺らぐ。商店街の安売りを狙った主婦達の喧噪も、親に連れられて歩く子供達の笑顔も、そして学校帰りに群れる学生達の姿もありはしなかった。商店街のゲートは塗装の塗り直しもされずに錆びつき、通りを自転車のペダルを漕ぐ高齢者が、我が物顔で走り抜けていく。
商店街にかつての栄えはなく、シャッターの閉じた店舗が、商店街の両脇を埋め尽すように並ぶだけ。商店街の白い天井には、『ようこそ 柳仙谷町の商店街へ』という折れ曲がった垂れ幕が風になびき、信也と紗希を精力なく出迎えた。
「丁度、祭りが廃止されてからかな。商店街の売り上げが一気に落ちてきてね」
「どんどん、店が潰れちゃったってこと?」
「元々、商店街の売り上げは悪くなっていたのだけど、祭りの廃止が止めを刺したって感じ。買い物はスーパーで近くの済んじゃうし、仕方ないんだけどね」
知らず知らずの内に、町並みは良くも悪くも変わっていく。クリップ板を握り締め、唇を噛む紗希には触れず、信也は彼女と一緒にシャッター街をぶらついた。
「この店も、閉店しちゃったんだ」
ふと、信也は雨戸の閉じた店舗の前で足を止める。色褪せた木彫り看板には、読み取れない文字で店名が刻まれていた。昔、信也が紗希達に連れて来られた駄菓子屋の跡地だ。
「富田お婆ちゃんの駄菓子屋ね。三年前に富田お婆ちゃんが亡くなって閉店したの、一番長く店を開いていたよ。子供が好きな人だったから」
「そっか、そうだったんだ。僕、また寄ってみたかったんだけどな」
眉をひそめて店を見上げる信也の隣へ、紗希はゆっくりと近づく。
十年も経てば、町に生きる人々も移ろいゆく。栄華な過去に取り残されていたのは信也だけであり、現実はいつも残酷な成行きを記録するだけなのだ。その事が少し、信也は悲しかった。
「信也、行きましょう。部活の用事があるの」
紗希に袖を引かれ、信也は駄菓子屋の跡地から遠ざかる。紗希によれば、商店街全ての店舗が倒産した訳ではなく、未だに営業している店もあるらしい。
当然ではあるが、商店街も完全に消沈していないようだ。紗希が商店街の店を回るのも、生き残った店舗に秋祭り再開の呼びかけをするためだという。
「あった。ひとまずは、あそこからね」
薄暗い商店街の中、明かりの漏れ出る酒屋を紗希が指差す。
旅館の仕入れ先なのだろう、彼女に入店する事への抵抗は無さそうだ。酒屋の入り口前に到着した信也は、九月に二十歳になったばかりの姉の使いだと自らに嘯き、紗希と並んで自動ドアを潜った。
小さな酒屋の店内では地酒や焼酎、ビールといった飲料が商品棚に陳列されている。なんとなく、信也は間違いを犯しているような錯覚に陥り、そわそわして落ち着きなく店内を見渡した。その傍らで、紗希はいの一番にカウンターへ直行した。 なんとも畏れ多い、肝っ玉の据わった少女だと思う。
「正樹さん、お話ししたい事があるのですけど」
両手で口を覆うトンネルを作り、紗希はカウンターの奥へ身を乗り出して呼び掛ける。と、カウンターの死角からひょっこりと顔を出し、頭にタオルを巻く三十代半ばくらいの男性が現れた。
「お待たせ、紗希ちゃん。今日は何のようだい、英里さんの使いかな?」
「違います、今日は別の用事できました。信也、この人は伊野本正樹さん」
「よろしく、ここの店主だ。しっかし女みたいな顔の坊主じゃないか。飯食ってるか、飯。それも紗希ちゃんのこれだから、そのままがいいとか言われたか?」
「いや、何の事ですか!? 僕達はそんな関係じゃないです」
冗談めかす正樹へ信也は切り込み、商品棚から目を逸らしてカウンターに向かう。軽いノリの男性だ、一瞬で信也の遠慮会釈も崩壊する。
「生きのいい学生じゃないか。冗談だ、坊主は真面目だねぇ」
「当たり前ですよ、冗談はやめてください」
はっはっ、と伊野本正樹は笑い飛ばし、信也の肩を右手で叩く。そこでふと、紗希は口を噤んでクリップ板を握り締め、躊躇うように正樹の顔色を窺う。
言い出し辛い事でもあるのだろうか、信也は酒屋の男性との会話を中断して紗希に視線を送る。
「どうしたの、紗希? さっきから様子が変だけど」
「俺への相談に関係あるのかい、紗希ちゃん? 部活の地酒調査なら喜んで協力するぞ、どんと聞いてくれ。もっと店をアピールしないとな」
「いえ、今日は以前も尋ねた著名活動への協力を求めたくて来たんです」
おずおずと、紗希がクリップ板をカウンターの上に滑らせる。
その請願書を見た瞬間、正樹の顔色は険しくなり、腕組みをして目を閉じてしまった。怒りというより困惑の混じった様子だ、正樹の急激な変化に、信也はぼんやりと立ち竦む。
「悪いな、紗希ちゃん。前も言ったが、今の状況じゃあ賛同は無理だ」
「やはりそうですか。すいません、毎回しつこくお願いしちゃって」
「いいさ。俺も協力したいのは山々なんだが、うちの代表が動いてくれないと書き辛くてな。こっちも付き合いがあるんでね」
肩を竦めせて落胆する紗希に、正樹も申し訳なさそうに眉根を下げていた。彼は決して否定的ではない、ならば名前を書き込めない理由があるのだろう。信也は正樹へと視線を送る。
「どういう事ですか? 著名するのは個人の問題じゃあ……」
「そうなんだがな、坊主。大人には、世間体ってものがあんのさ」
信也の問いに正樹が頭を掻いて答える。彼の言うことには、商店街は柳仙谷町の商工会に属しており、代表は老舗の大判焼き屋の主人が務めているらしい。
その店主が、祭りの再開に乗り気じゃないようだ。商店街に店を構えている手前、正樹も独断で紗希の頼みを聞くことが憚られているという。
「あの人の協力がないと、どのみち秋祭りに出店は出来そうにないからな」
「それじゃあ、あの大判焼き屋のおじさんに許可をもらえればいいんだよね」
「まあね。でも、信也は簡単に言うけれど、それが一番大変なのよ」
「あのおっちゃんは頑固だからなぁ。坊主達の言葉に耳を傾けるかどうか」
光明を得て表情を明るくする信也に対して、他の二人が暗い顔つきになる。大判焼き屋の主人は、随分と気難しい人なのかもしれない。
一旦は信也もまごついてしまうが、商店街まで骨を折って移動してきたのだ。成果もなく帰るのは悔しかったので、チャレンジだけはしてみたい。
「どうせだし、二人で大判焼き屋に行ってみない?」
「そうね、尻込みしいてもしかないし、また当たって砕けないと」
「あっ、砕けるのが前提なんだ」
紗希が空元気に胸の前で握り拳を固め、信也は苦笑いを浮かべる。どれくらい意固地な人なのだろうか。言い出したはいいが、途端に信也の不安は加速した。
「行きましょう。この時間なら、大判焼き屋のおじさんも家にいるはずだから」
紗希が気合いを入れ直して仕切り、酒屋を出て行こうとする。
その瞬間、酒瓶の並ぶ商品棚の角に、彼女のつま先がぶつかった。
「痛っ! 足元見てなかった。お店の商品は……無事、みたいね」
「おいおい、紗希ちゃんは大丈夫なんかい?」
「いや、僕に聞かれても困るというか。紗希のあれは天然っぽいし」
耳打ちし合う信也と正樹の前で、紗希はスニーカーの靴先を押さえて蹲いた。
衝突の影響で酒瓶達の液面が揺れ、疼痛に歯を食い縛りながらも、商品の心配をした紗希を安堵する。彼女の舵取りは、毎回締まらないな、と信也は苦笑い。
すると、自分が小馬鹿にされたのを直感的に感じたのか、背後を振り返った紗希は信也達を恨めしそうに睨む。ちょっとだけ顔が紗希の顔が怖い。
「信也、何か文句があるの?」
「ああ、いや。次は大判焼き屋だね、早く行こうか?」
紗希に敵意を向けられ、信也は取り繕うように誤魔化した。全く緊張感がなくなったが、深くは突っ込まない方が身のためだろう。と、二人の敵対関係に終止符を打つみたいに、正樹が声を上げた。
「そういや、紗希ちゃん。さっき、暁嗣の奴がバイトから上がったんだ」
「本当ですか? だったら、大判焼き屋で鉢合わせするかもしれませんね」
紗希と正樹が頷き合い、意思の疎通をする。暁嗣とは誰の事だろうか、信也は首を傾げ、値札のみが残った空欄の商品棚を一瞥した。
信也達が酒屋に訪問して数分が経っているが、客足はない。それでも商品が売れているのは、別の販売ルートがあるということなのだろう。
「それじゃあ、お二人さんも頑張ってな。個人的には応援してるからさ」
正樹に声援を送られ、信也と紗希は酒屋を後にする。店内の酒瓶達は、訪問時と同じく静かに二人を見送った。サインは貰えなかったにしても、応援してくれる人がいるというのは良いものだ。
二人は正樹から活力を分けられ、颯爽と酒屋の自動ドアを通り過ぎた。