第七話:後輩少女は振り向かない
部室の扉が開け放たれ、一礼を澄ませた小柄な女子生徒が入室してくる。ショートボブの黒髪少女で、灰色の制服に淡い赤のミニスカートを穿く。目尻の尖った性格のきつそうな女生徒だった。身長は一五〇センチ前半が妥当だろう。スカートの色が赤ということは、信也よりも一学年下の生徒ということだ。
年下のはずな彼女が、やけに学校の上下関係に反抗的に見えたのは、黒髪少女が不機嫌そうな面構えで、ずかずかと床を踏み鳴らしたからだった。
「あの、夢見先輩。あたし、さっきので五回目のノックなんですけど」
「ごめんね、舞依。ちょっと話し込んじゃって」
「まっ、いいです。夢見先輩が部室に男を連れ込んでも、あたしには何の関係もないので、お二人でよろしくやっていて下さい」
サッと少女が扉を閉めようとし、紗希が首を振って呼び止める。
「違う違う、誤解してるわよ舞依。彼は入部希望者の日比野信也君、覚えてない? 十年前に私達が知り合った男の子、実は彼がそうなのよ」
「興味ないです――っていうか、こんな部活に入る物好きがいたんですね。まっ、初対面のようなものなので、挨拶だけはしときますねえ。あたし、蒲原舞依っていいます。一応、よろしくです日比野先輩」
「あっ、うん。よろしく、蒲原さん」
両手を後ろで組み、蒲原舞依は信也の弱点でも探すように、小悪魔的な笑みを浮かべる。紗希は信也に耳打ちし、「仲良くしてあげてね」と念押しをした。
掴みどころがなく、ツンケンとした後輩少女だ、さぞ紗希も手を焼いているのだろう。苦手な子かもなあ、と信也は思いつつ、二人の少女へ首を縦に振っておく。
そこでふと、信也は蒲原という苗字が引っ掛かった。
「蒲原っていうと、もしかして輪菜さんの家族だったり?」
「はい、蒲原輪菜はあたしの姉ですね。日比野先輩、輪姉をご存じなんですか?」
「うん。僕の姉ちゃんも役場に通ってるんだけど、色々お世話になってて」
「はぁ、そうなんですか。まっ、だから何って感じですけど」
「いやまあ、だよねぇ」
あはは、信也には引き攣り笑いしか浮かばない。舞依は親しみやすい輪菜とは対照的に、かなり攻撃的な性格をしている。困り果てた信也を見て、楽しんでいる節すらあった。
紗希も場を取り繕うために、作り笑顔のままだ。正念場なのだろうか、ここは学校の先輩として敬意を払うよう、言ってやるべきかもしれない。舞依に声を掛け、彼女を咎めようとしたが、ぎろりと鋭い眼光で睨まれ、「何のようですか、先輩?」と威圧されてしまい、信也は畏縮する。
ヘタレてしまうとは情けないが、女の子を自分が脅したようになるのも嫌だし、ここは信也が折れるとしよう。断じて後輩を怖がったわけじゃない、本当だ。
と、信也が自分に言い訳をしていると、紗希が舞依に尋ねる。
「舞依は何の用事で部室に来たの? 貴女が部室に来るなんて珍しいでしょう」
「顧問の先生に部活に必要な備品を用意した事を、夢見先輩に知らせるよう頼まれたんです。それ以外の理由はないので、期待はしないでくださいね」
「そう、わざわざご苦労様。ごめんね、手間取らせて。舞依は人数合わせに協力してくれただけなのに、ここまでしてもらっちゃって」
「本当ですよ。あたしはこの部活に入ったら、幽霊部員でもいいって聞いてたんですよ? それなのに、雑務係とか遠慮したいです」
刺々しい物言いをする後輩へ平謝りをする紗希に、信也は焦燥感に駆られる。舞依の口ぶりからすれば、まるで紗希だけで部活動をしているようにさえ、聞こえてしまう。
思い返せば、町民と一緒に撮影されたと思しき写真には、全て紗希しか写っていなかった。これがどういうことか、答えは簡単だろう。
つまるところ、この地域振興部を回しているのは紗希一人だということなのだ。何か感じ悪いなと、部を取り巻く環境が信也はたまらなく嫌だった。
ずっと一人で教室の隅にいた彼だからこそ、友人への渇望は人一倍強いのだ。ゆえに、信也は舞依の言い分が納得いかず、声をあげてしまったのだろう。
「ちょっと待ってよ! 蒲原さんって、いつも部活に出てるんじゃないの?」
「当たり前じゃないですか? あと、あたしは舞依でいいです。一応後輩なので」
「わかったよ、舞依ちゃん。でも、当たり前ってどういう……?」
さも当然のように笑う舞依に、信也は呆気にとられる。
参加しないのが普通の部活動、それは本当に部活動と言えるのだろうか。信也にはわからない、分からないのだけれど、心に燻った苛立ちはどうすることもできなかった。
すると、紗希が舞依を庇うように立ち、信也に落ち着いてほしいと申し出る。
「いいの、舞依は悪くないの。無理矢理に勧誘したのは私なんだから、これくらいはしないと、先輩が後輩に命令したみたいになるでしょう」
「そういうことです。夢見先輩はなんやかんやと優しいですからね。日比野先輩もそれ狙いで入ったんじゃないんですか?」
突き放すように言った舞依に気圧され、信也は縮こまっていく。
「そんな、僕は本気でやろうと思って……」
「ホントに物好きな先輩ですね。まっ、あたしが止めるようなことでもないですし、ちなみに早く教室には行った方がいいですよ。お二人とも、時間です」
両手を背中で組んだ舞依が、軽快な足取りで部室を退室した。先程、再会に酔いしれていた信也と紗希は黙りこくり、部室に無機質な静寂が流れた。後輩に根負けするとは先輩の面子が丸つぶれである。
座る者のいない長机は部室の明かりを反射し、綺麗に輝いている。これが正常だとは思えなかったし、色々と言いたいこともあったのだが、紗希の決めた方針ならば、新参者の信也が口を出すことではない。
だからこそ、信也は気を取り直し、
「今日は何をするの、紗希?」
紗希へ協力する意志を示すのが限界だった。舞依が部活動の方針に従っているのだとしたら、信也に糾弾する権利はない。少し寂しい気もするが、信也は自分の目的を優先するために行動するだけだ。
「本当に協力してくれるの、信也?」
「当たり前だよ。僕は秋祭りを再開させるために、この部活動に入ったんだから」
「そう、ありがとう。じゃあ、放課後の集合場所は校門で待っていて」
「了解。とりあえず、今は教室に戻らないとね。ホームルームに遅れちゃうから」
信也と紗希は頷き合い、放課後の予定を決める。たとえ部活動に参加しないメンバーがいるとしても、二人の行動が変わることはなく、自分達の目標が秋祭りの再開にあるのことは揺るがない。
部員達と過ごす部活動に、本当は信也も憧れていたけれど、そう簡単にはいかないのならば、選択肢は進むの一本道なのだった。信也は少しばかり憂い顔になりつつも、胸中の閊えを原動力にかえる。
「ところで、やる気になっているとこ悪いのだけど、入部届は出しておいてね」
「あぁ、うん。そうだったね、忘れるとこだったよ」
部室を出て廊下を走り、教室に急ぐ最中に、信也は紗希から釘を刺されて縮こまる。何とも締まらない、信也は大口を叩いて熱くなっていた自分を恥じる。
どれだけ勢いがあろうと、入部していなければ意味のないことだった。
やがて朝霧は晴れ――
朝日が眩しく照りつける運動部の喧噪が消えた学校の敷地内を移動し、入部届を学生鞄に押し込んだ信也は 紗希と肩を並べて本校舎の教室に向かう。
◇
放課後、日の傾きかけた空の下で学生達は各々の活動に移る。
運動部の生徒達はグラウウンドや体育館で毎日の日課たる練習を始め、文化部の生徒は部室に集まった仲間達と趣味を分かち合う。無所属の生徒達は帰宅、又はアルバイトへ急いでいるところだった。
様々な生徒達の人波に紛れ、日比野信也は紗希との約束を守る為に校門へ向かっている。地域振興部顧問の教師へ入部届を提出するのに手間取ってしまい、約束の時間よりも遅くなり、信也は帰宅者達の合間を縫って足早に進んだ。
運動部の掛け声や帰宅者達のお喋りが賑わう中、信也は校門の石柱に凭れ掛かり、サイドアップした髪を揺らす紗希を見つける。彼女は二つのメガホンの紐を右手に持ち、印刷物を挟んだクリップ板を左手に携えて息を吐く。随分と待ち惚けさせてしまったようだ。信也は右手を大きく挙げ、紗希へ駆け寄った。
「ごめん、お待たせ。入部届を先生に提出してたら、遅くなっちゃって」
「私は大丈夫。今日は初日だったから、先生の話が長かったんでしょう?」
校門の壁から紗希が体を離し、信也は膝に両手をついて呼吸を整える。運動不足かもしれない、信也は自らの体力の無さを痛感した。
しかし自分も男だ、たとえ非力で比較的に細身な少年だったとしても、同い年の少女に荷物持ちを任せるつもりはない。
「荷物は僕が持つよ。今日は、紗希の仕事ぶりを見学しないといけないからね」
「ただ持ってもらうのも悪い気がするし、メガホンだけお願いお願いできる」
「了解、部長さん」
軽い冗談を織り交ぜた信也は紗希へ頷き、彼女の差し出した二つのメガホンを受け取る。信也が紗希に渡されたのは、赤と青のプラスチック製の軽いメガホンだった。
プラスチック製のメガホンの重量はさほど重くなく、持ち運びも苦でない。信也がメガホンを受け取ったところで、紗希が本日の予定を話し始める。
「今日は柳仙谷町の商店街に行く予定なのだけど、信也は場所わかる?」
「残念だけど詳しい場所は知らない――っていうより、覚えてないって感じかな」
「そうよね、あの日から十二年も経つのだし。それに、今の商店街は……」
クリップ板を胸元に包み隠した紗希の顔が曇る、都合の悪い事があるのかもしれない。信也は紗希の表情を窺い、メガホンの紐を手首に巻きつけた。
「商店街がどうかしたの、紗希?」
「いえ。行けばわかると思うから、ひとまず信也は私についてきて」
徐に校門の外へ進み始めた紗希に続き、信也は眉根を顰めて歩き出す。柳仙谷町の商店街と聞き、信也が思い出した風景は、客引きをする店員達に幼い紗希達と行った駄菓子屋、そして大判焼きを売っている店だ。老舗だった大判焼き屋の品物が美味しく、微かに紗希達と一緒に食べ歩きをした覚えがある。
既往の日々を振り返りながら、信也は紗希と丘陵の坂道を下っていく。二人がガードレールで仕切られたカーブに差し掛かると、小さな町の景観が一望できた。
信也と紗希は自分達の住む田舎町を見下ろせる位置で立ち止まり、暫し肩を並べ合う。様々な民家の屋根は色を違え、うねった道路にミニカーのような車両群が行き交っている。
遠くから眺めた景色からは、人通りの多い場所と少ない場所がはっきりと区別できた。大通りは騒がしく、裏路地は静まり返っている。
「ここから見ると、柳仙谷って田舎にしては結構大きな町だよね」
「そう、信也にはそんな風に見えるのね。私にはすごく小さく映るけど」
信也は昔と変わらぬ町並みに思いを馳せ、紗希は自分とは別の町並みを眺めるかのように俯き、悲しげに微笑んだ。二人の瞳に映る町に違いがあるとすれば、それは暮らしてきた日々の長さによるものだろう。信也の心中は願いを得た充実に染まり、紗希の胸中は望みを失った空虚に支配されているのだ。
「そういえば、紗希の持ってるプリントってなんなの。あと、僕のメガホンも」
信也の左手は紗希の持つクリップ板を指差し、左手はメガホンを掲げる。
正直に言えば、信也はこれから何をするかも分かっていない。せめて、本日の活動内容程度は把握しておこうと思う。信也は「助力する」と宣言しておきながら、まだ何もできていないのだから。
「これは署名活動用のプリントよ。メガホンは町中で協力を呼びかけるためのもの。地道だけど、宣伝が一番効果的だと思うの」
「成程ね。そりゃ、選挙みたいに車で回れる程の予算はないよね」
「当たり前でしょう、詳しくは歩きながら説明するね」
車道の端により、信也と紗希は肩を寄り添わせてクリップ板を覗き込む。著名活動用のプリントは、『華姫祭り再開の請願』と題し請願主旨が明記され、氏名と住所を書き込むスペースが設けられていた。
紗希は指でプリントの文字をなぞり、懇切丁寧に説明してくれたのだが、しかし信也は彼女の解説に集中できない。鼻先に触れる紗希の髪からシャンプーの香りが伝わってしまう。
ムッツリな信也は煩悩を振り払えなかったのだ。流し見た少女の横顔に、彼は心臓が脈打つのを隠し、懸命に相槌を打っているだけ。
実に不甲斐ない、信也は顔色一つ変えない熱心な紗希へ、言葉を発せず謝罪する。
「この耐性のなさが、今後の課題かもね」
などと、信也は自分の俗気と戦いつつ歩き、なんやかんやと紗希が解説を終える頃には、足揃える二人も街の大通りへと合流していた。