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祝詞 ―願い人の残華―  作者: 輪叛 宙
第一章:友との再会
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第五話:姉の真意

 役場の駐車場に止まる車両は先程より少なくなり、ほとんどが役場職員のものとなっている。小さな町役場のため、来客の数も普段から多くないのだが、空きスペースだらけの駐車場は物寂しくはある。

 そんな閑散とした駐車場の片隅に、円を描くように配置された丸石に囲まる銀杏の木があった。銀杏の葉は黄色く色づき、肌寒い秋風に攫われると、枝から落ちて空中に舞い上がる。

 もうすぐそこまで、冬がやってきていると体感できる気候だ。ひんやりとした秋風は信也の頬を吹き抜け、自分の体温を泥棒していくようだ。

 

「丁度いいし、あそこで話しましょう」


 紗希は銀杏の下にあるベンチを指差し、信也の顔を窺いながら歩き出す。彼女へ一つ頷いて続こうとした信也だが、ふと思い止まった。早急に警告すべきがあったからだ。

 紗希は前方不注意のまま歩き、進行方向に待ち構えている手すりを見落としている。なんとなく嫌な予感はした。


「いや、待って! 夢見さん前を見て、危ない!」

「えっ、どうしたの? 日比野く――うっ!」


 信也が右手を突き出した瞬間、紗希は手すりの角を腹部にめり込ませた。紗希は腹部を強打し、肩を小刻みに震わせて蹲る。彼女は襲い来る痛みに耐えるように、両手で腹部を抱えていた。

 信也の頬には冷汗が伝い、少女の不幸に同情する。存外、紗希には間抜けな所があるようだ。


「あのさ、大丈夫? 思いっきりぶつけてたけどさ」

「も、問題ない。だ、大丈夫、全然平気だから。日比野君は気にしないで」


 瞳に涙の粒を溜めた紗希が、拒絶を訴えて気丈に振舞う。物凄く痛そうだ、しかし強がる少女へ止めを刺すのも憚られる。信也は追及を避けて旗を巻く。


「と、とりあえず、ベンチの方に行こうか?」

「そうしましょう、私も落ちつける場所が欲しいから」


 紗希は自らの失態に赤面しつつ立ち上がり、信也と共に五段程度の階段を下りた。そして二人は銀杏の傍まで歩み寄ると、銀杏の落ち葉で覆われたベンチを手で払い、二人は座り込む。

 信也達に払い飛ばされた木の葉は、駐車場の敷地内を転がっていく。地面を転がる枯れ葉を眺め、ようやく信也は一心地ついた。


「それで僕に何の用があるの?」


 信也と紗希は肩幅程度の間隔をあけ、つかず離れずの距離でベンチに並ぶ。紗希のサイドアップした髪が風に吹かれ、信也の制服の肩をときおり滑った。

 終業前ということもあり、もう役所の駐車場に人影はない。二人きりになったようなものだが、自分は緊張してしまい、気の利いた声をかけられない。

 ただ流れていく沈黙に話し辛さを感じ、無意識の内に癖で頬を掻いてしまう。柔らかな秋風に吹かれ、紗希から運ばれてくるシャンプーの香りに、信也の鼓動は早まっていた。

 これはいけない、平常心が大事だ。信也は紗希の告白に耳を傾け、顫動せんどうする心を落ち着かせる。


「本当はね。私が秋祭りを再開したいのには別の理由もあるの。華姫祭りは、私の兄さんが大好きだった祭りでもあったから」

「へぇ、夢見さんにはお兄さんがいるんだ」

「うん、いるよ。私よりも五歳年上になるのかな?」


 兄の話をし出した紗希は、すごく楽しそうに笑う。もしかすれば彼女は、生粋のお兄ちゃんっ子なのかもしれなかった。自慢話ばかりが思い浮かぶのだろう。信也は姉の香奈絵と口喧嘩ばかりなので、そこまで素直に感謝を示せる紗希の真似は、どうもできそうにない。

 姉に感謝はしているけれど、素直に慣れないのが自分の悪いところだ。紗希ほど兄弟を誇れはしないけれど、多少は見習った方がいいかとも思う。

 姉の友人、輪菜からはそれでも仲が良い方だと言われるが、あまり実感はない。


「夢見さんは僕と同い年だもんね。お兄さんが五歳年上なら、もう就職しててもおかしくないか。なかなか里帰りはできないよね」

「うん、兄さんは秋祭りの復興を目指してたんだけどね。結局、この町には帰って来なかった。仕方のないことではあるけど」

「就職難だもんね、田舎は――そりゃ、帰り辛くもなるか」


 前髪で顏を隠しながら、少し寂しそうに微笑む紗希に、信也は自分を重ねる。もし姉が仕事で信也の元を離れ、別の場所で家庭を持ったならば、今の関係は変わっていくのかもしれない。

 特に姉を異性として見たことはないが、療養中に自分にばかり構ってくれた香奈絵が離れていけば、弟として寂しい気持ちもあった。紗希も似たような心境なのだろう。

 弟と妹、上に兄弟がいる身としては、その話題だけで数時間は潰せそうである。


「それじゃあ、夢見さんにとっての華姫祭りは――」

「心残りみたいなものかな? だから、日比野君に会えて嬉しかった」

「どうしてそうなるの? 僕は関係ないような気がするけど……?」

「そんなことない。祭りの再開希望者が、私以外にいてくれたのは大きいもの」


 紗希は首を左右に振り、銀杏の木を見上げる。もう過去の行事として捨て去られた祭りだとしても、そこに込められた願いは万人が共通するものではない。

 信也が友人との思い出に馳せるように、紗希もまた町を去った兄の面影を追っているのだろう。しかし、その郷愁も個人の愚かな願望に過ぎず、過去は美化されて現在に記録として残っているだけだ。

 ゆえに、信也は諦めを隠せない。


「私は、信也に協力してほしいなと思ってる。身勝手なのは分かっているのだけどね、やっぱり同志は募っておきたいかなって……」

「そうだね、前向きに検討してみるよ」

「ありがとう、その答えだけで十分。じゃあ、この話はおしまいだね」


 体よく切り上げると、紗希が役所の自動ドアを眺めた。もうすぐに役場の終業時間になる。香奈絵が出てこないか、彼女は確認してくれたのだろう。

 しかし姉が帰還する気配がない。終業時間手前に上司から睨まれ、余計な作業を押し付けられたから、片付けに手間取っているに違いない。「もう少し時間潰そっか」と紗希に提案され、信也は頷く。


「信也君は入院中に、お姉さんにお世話されてたんだっけ?」

「それで間違いないけど、どうして夢見さんが知ってるの?」

「香奈絵さんから聞いた。面倒のかかる病弱弟を世話してたって」

「姉ちゃんか……ほんと、適当でお喋りだなあ」


 口の軽い姉を非難する信也だったが、逆に紗希は「香奈絵さんの気持ちもわかるかな?」と、姉を味方するような発言もする。

 というのも、都会に出た彼女の兄だが、入社一年目にバイク事故を起こし、右足を骨折した経験があるそうだ。 兄は平気な顔をして病室で横になっていたが、紗希の方は気が気ではなかったという。

 急に病院から実家の旅館に連絡が入り、家族は大慌てだったらしい。随分と破天荒な兄だったようだ。男としては潔いと思うが、紗希にしてみれば、非常に迷惑な話だったとか。

 「わかるわかる」と、下に生まれた弟妹きょうだいの悩みを信也は紗希と共有し、あるいは「それはちょっと」と男女の違いも感じながら、楽しい一時は過ぎていく。


「お待たせ、信也。ぼさっとしてないで帰るわよ」


 何時の間にやら、仕事を終えた香奈絵が役場の駐車場に顏を出していた。ついでに、と姉が送迎を申し出たが、紗希は首を振って退散を決め込んでくれた。

 「また明日ね」、そう告げた紗希がベンチから立ち上がり、香奈絵と信也に手を振ると、役場から道路へと続く小さな坂道を下っていく。信也は少女の背を見送り、彼女の決意の固さを再確認した。

 恐らく紗希は、自分のしていることが如何に不毛なのかを知っている。それでも、彼女は己に掲げた目標を貫くことだろう。それが少し羨ましかった。


「どう? 大したもんだったでしょ、紗希ちゃんは」

「うん、気持ちは伝わってきたよ」

「なかなか、いい雰囲気だったものねえ。隅に置けないじゃない、信也」

「あのさ、姉ちゃん。もしかして、わざと遅れてきたの?」

「さあ、どうかしらねえ。隠れて見たりはしてなかったわよ」


 早く帰りましょ、とキーホルダー付きの鍵を人差し指で回す姉に促され、信也は職員駐車場に停止した彼女の車の方に歩き出す。このはぐらかし方から察するに、仕事が終わったにも関わらず、香奈絵は信也達二人を遠巻きに眺めていたのは、ほぼ確定だ。

 家族の姉とは付き合いが長いし、彼女も隠すつもりはないようだったから、信也はしてやられたと割り切るべきなのだろうが、けれど理解した上で寒空の下に追いやられていたというのも、些か弟への待遇が理不尽にも思える。

 

「姉ちゃんさ、待ってた僕らに対して酷過ぎない?」

「何言ってんのよ、連れて帰ってあげるんだから当然でしょ?」


 香奈絵が肘の関節を曲げてバッグを持ち、軽自動車の鍵を開けて乗車する。信也は肩をげんなりと垂れ下げ、姉に続いて助手席へ乗り込んだ。信也がシートベルトを装着し、香奈絵がハンドルの下に差し込んだ鍵を捻ると、軽自動車の軽快なエンジン音は鳴り響き、信也を乗せた車は走り出す。

 夕暮れの帰路。狭い路地を走り抜ける車両の中で、道路の凹凸に揺られる信也の胸の内には、素志そしと諦めの心がせめいでいた。



    ◇



 夕食と入浴が終わり、ジャージ姿になった信也は自室で布団を敷く。

 部屋の蛍光灯は明かりを灯し、廊下を遮るように障子戸は閉ざされていた。六畳半の和室には本棚に勉強机、服を収納したタンスが置かれ、信也の日用品を管理する。

 布団を広げた信也は両手を腰に当て、ふと本棚の方へ歩み寄った。役場の駐車場で紗希と会話して以降、信也は結ぼれ心のままだ。本棚に仕舞った十年前のアルバムを探し出し、自分は布団に寝そべってページをめくる。張り巡らされた写真のほとんどが家族との写真だった。

 クリスマスやお正月、五月の連休にお盆も、そして自分の誕生日すらも、写真に写されているのは、信也と家族の笑顔があるだけ。学校行事の写真というものは、片手の指で足りるくらいしかない。

 その中で唯一、外の爽やかな空気と家族以外の他人が写っている写真があった。十年前の秋祭り旅行の記録である。


 夕暮れ時、川辺の公園で栗色の髪を団子に結った少女と、子供の頃の信也が肩を組み、カメラへ満面の笑みを向けてピースをしている。

 十年の歳月が経ってしまい、信也は少女の名前を思い出すことすらできないけれど、それでも彼女達と過ごした二日間は、かけがえのない思い出だった。

 断片的にではあるが、それは信也の脳裏へ焼き付き、離れようとしない。


「この子達、今どうしてるんだろ。都会の高校に出ちゃったのかな?」


 信也は幼少時代を懐かしみ、アルバムをめくる手を止めない。

 もう随分と昔の出来事となってしまったが、同年代の少女達と出会った証拠である写真を手に、信也はちくりと胸を痛めた。やはり、信也は秋祭りへの思いを振り払えずにいる。


「だけど、どうすれば――」


 信也はアルバムを握り締めて苦悩するが、紗希に協力したいという衝動に駆られた反面、失敗が怖かった。精一杯に紗希を助力したとして、その行為が報われる保証はない。

 無為に終わるくらいなら、初めからやらない方が傷つかないで済む。クラスに溶け込めないから過去を求め、されど自尊心から今変える努力をしない。

 酷い自己矛盾だ。信也が自分の弱さを顧みていると、誰かの足音が障子戸の外に近付いてきた。


「ねぇ信也、少しいい? あんたに伝えておきたいことがあって……」


 廊下から聞こえてきたのは香奈絵の声だった。

 障子戸に姉の背中のシルエットが浮かび上がり、影は揺れる。お風呂上りなのだろう。香奈絵はポニーテールを結っていたヘアゴムを解き、長い髪を障子に擦りつける。


「それはいいけど、僕の部屋に入ってきたら姉ちゃん?」

「別にいいわ、積もる話でもないし」


 障子越しに首を振る香奈絵の背に、信也は布団から起き上がる。姉の要件に察しはつくが、気持ちの整理をつけるために、信也はあえて口出しをしなかった。


「紗希ちゃんの誘い受けないの? 秋祭り、もう一度見たいんでしょ?」

「そうだけどさ、失敗した時を考えると嫌なんだ」

「ほんと、あんたはネガティブね。そんなんだから、彼女の一人もできないのよ」

「いや、それは関係なくない? 姉ちゃんがポジティブ過ぎるだけだから」

「言ってくれるわね。でも、あたしも後ろを振り返る時もあんのよ」


 はあ、とため息を一つ、香奈絵の声のトーンが僅かに下がる。障子を挟んで廊下に立つ姉の表情を窺い知ることはできないが、信也は胡坐をかいたまま、彼女の影を見つめた。


「あたしね、たまに後悔する時があんのよ」

「どういう事? 高校の時から、姉ちゃんは公務員志望だったんじゃないの?」

「そうよ。だから、高校の時には勉強ばっかしてた。友達の誘いを断ってね」

「それでどうなったの、姉ちゃんが嫌な目にあったとか?」

「違うわ、驚く程に何にもなかったのよ。あたしは青春に何も残せなかった。だから思う時があんのよ。もっと友達と遊んどけばよかったとか、大学行ってたら楽しかったかな、とかね」


 今更だけど、と何時になく優しげに諭す香奈絵の言葉に、信也は布団の上で胡坐をかいたまま聞き入った。恐らく、彼女にもかつてはやりたいことがあったのだ。

 それを弟が病気だからという理由で投げ打った。ゆえに、信也は姉に罪悪感を覚えてならない。


「それ、僕の手術費のためだよね。ごめん……」

「何であんたが謝んのよ? 言っとくけど、あたしは信也を責めたかったわけじゃないわ。あたしは諦めて後悔だけはすんなって言いたかったのよ」


 おやすみ、と一言だけ残し、香奈絵の影は信也の部屋から遠ざかる。

 と、隣の和室から障子戸の閉まる音があがる。一方、姉に戒められた信也は、自嘲気味な笑みを浮かべて立ち上がり、アルバムを閉じて本棚に戻した。


「ありがとう、姉ちゃん。僕、やってみるよ」


 香奈絵が信也にくれたのは、行動を起こすための契機と後押しである。何のことはない、いくら自問しようと答えは決まっていた。他でもない自分のために、信也は初めから紗希を手伝いたかったのだ。信也が恐れを抱き踏みとどまったのは、美しい過去を追憶の断片にすり替えてしまうことが恐かったから。


 無くなってしまったものを懐かしんで、一人の自分を慰めていたかった。


 しかし、過去は記憶の中にしかありはしない。信也がなすべきことは今と過去を隔て、自分の願いに向けて努力することだ。ならば、もう一度やり直すしかない。

 かつて友人と過ごした秋祭りの思い出を、あの日とは違う別の誰かと分かち合うために。


「やることができたし、今日は早めに寝ようかな?」


 信也は自室の明かりを消し、布団に包まり瞳を閉じた。星々の輝く夜空の下、小さな平屋で小さな少年の願いが灯り、星月夜は明けてゆく。

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