最終話:そして私は願いを残す
遠く、遥か遠くから和太鼓の音が聞こえてくる。
黒く深い闇に落ちた何もない世界に、あの日の秋祭りの光景が浮かび上がった。何が起こったのだろう、酷く風化した景色を見つめ、私の意識は止める。
もう消えるだけだと思っていたのに、私は最期に思い出の秋祭りの中にいた。夢見統司の心に残った淡い記憶に、私は引き寄せられたのかもしれない。
色は褪せて、壊れかけの世界だったけれど、そこに彼の思いは残っている。屋台が並び、人々は笑い、色のない温かな風景が私の周りに流れていく。
お姉ちゃん、と誰かが声を掛けてくれた。元気のいい四人組だ。まるであの日の仲間達のような子供が、私に頭を下げて走り去っていく。
水辺の冷たさも、秋風に舞う木の葉の美しさも、あの日のままだった。どんなに時が経とうと私は言える。この騒がしい喧騒に満ちた秋祭りが好きだったのだと。
夢見統司が願いを宿した場所だから。いいや違う、何よりも私がかけがえない場所だと思える秋祭りだったから。
私は歩く。景色が揺らぎ、思い出の風景も徐々に消えてしまう参道を。ただ静かな微笑みを口元に浮かべ、私は古びた社を目指した。
今なら胸を張って言える、私は小さな柳仙谷の田舎町を愛していました。夢見統司の想いに触発されただけかもしれないけど、それが私の本当の気持ち。
滝前の中州。古びた社を見上げ、ようやく私の願望は成就する。
『やっと会えた。これでもう、俺は幽霊探しをしなくて済む』
廃れた拝殿の前で夢見統司は待っていた。いつかの彼が申し訳なさそうな顔をして、ここで私を見てくれたように。今度は私が少しだけ達成感の顔をして、やり切ったよ、満足したよと彼に報告しよう。
仲間に見えない私を友人の輪に加えたい、それが彼の願いだったから。そこまでしなくとも、私は楽しかったと胸を張って言えたのだ。
「とても大切な絆を手に入れたよ。私にはもったいない物だった」
『それでいいの? 結局、祷は信也にしか見つけてもらえなかった』
「それで十分。君が私を生み出したから、こんなにも晴れやかな気持ちで退場できるんだよ。‶虚無〟だった私にはもったいないくらいの思い出だよ」
だから良いのだと笑った私に、彼は「ありがとう」と呟いた。ずっと私に言いたかったみたい。彼が会いたかったのは華弥姫神社に祀られた巫女姫のはずなのに。
彼は自分を支えてくれた私こそが本物だと言ってくれる。
うん、嬉しかったよ。
願望として生まれた私に意味があったのなら、もう思い残すことはない。
お礼を言ってくれた彼が、思い出の風景と共に瓦解していくように、私も去ろう。きっと日比谷信也の心に触れ、彼は未練は断たれたのだろう。私は光の粒と化していく自分の体を眺め――
『君の願いも、叶うといいね』
日比野信也の夢が果たされるように祈り、私は静かに消えてなくなる道を選ぶ。華弥姫と呼ばれた巫女の幻影。私はある少年の願望に宿り、突発的に生まれた存在だ。
それでも私個人の願いを持つことが許されるのならば。せめて一つだけ、ここに私の抱く憧憬の念を記そうと思う。
――どうか未来を見失った人々が、願望を見つけられますように
と、その祈りを。願い続ければ達成される、そんな都合の良い夢はない。人が諦めようとしなくとも、届かない望みはあるからだ。
だけど人間は空想の産物でしかない私とは違い、掲げた目標を果たすために努力することを許された生き物だから。
――それは忘れないで。
私は誰の中にも存在して、誰もが願える思いの一部。もしこの願いが届くなら、それは君達であって欲しい。崩壊していく秋祭りの追憶に溶け、私は最期まで願いの伝達者で在り続けよう。
夢見統司が遺してくれた思い出の景色に包まれ、遂に私の自我は消失した。
――最後にどうか、この願望を人々へ




