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祝詞 ―願い人の残華―  作者: 輪叛 宙
序章:思い出の街
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第一話:少年は過去に思いを馳せる

十月の始め、秋空の下で黄金に輝く稲穂が田野に揺れ、風は腐葉土の臭いを運ぶ。バッタの飛び交う田畑に囲まれた農道には、トラクターの残した土の轍ができていた。

 その田圃道を、茶髪ショートパーマの少年は歩く。青のカーディガンとベージュのチノパンを着用した彼、日比野ひびの信也しんやは農場の長閑な空気に浸り、懐郷の念を抱いていた。


 夏に受けた手術が成功して、信也は思い出の深い柳仙谷りゅうせんだにという町に戻って来た。紅葉に彩られた山々に囲まれた自然豊かな田舎町である。

 約八千人が暮らす市外に位置した町で、人口の三割が高齢者だという。主治医の提案により手術後の療養も兼ね、信也は柳仙谷町の高校に通うことになったのだ。

 田舎の新鮮な空気を吸いながら生活した方が、心にゆとりを持てるらしい。


「久しぶりだな。また僕がここに来れるなんて夢みたいだ」


 舗装された一車線の交通路を靴底で踏み締めながら、信也は想いを馳せる。退院後の生活の候補地は、主治医の方でいくつか用意されていた。

 その中で、柳仙谷町を選択したのには訳がある。十年前、思い出作りに両親が連れてきてくれたのが、柳仙谷町の秋祭りだった。


 当時七歳だった自分は、徐々に筋力が低下していく病気を患っていた。

 とは言っても病状は軽度で重篤症状もなく、病気の進行もゆっくりであり、薬による治療も効果的だったため、年頃の少年らしいやんちゃもできなくはなかった。

 そこは運がよかったと言うべきなのだろう。けれど、ことあるごとに通院を繰り返さねばならず、友人を作る機会が少なかったのは難点だ。

 自分の悲観的な性格のせいもあってか、同年代の子供達とは、うまく話をすることもできず、少しばかり距離を置いていた。


 その時期に、信也は柳仙谷町に住む少年少女達と出会う。それは自分にとっての喜ばしい出来事となり、友人に教えて貰った華弥姫はなやひめ神社の言い伝えも覚えている。

 内容は、『華弥姫神社に百度の祈願をした者の願いは、巫女様により叶えられる』、というものだったか。古い民謡のようなものだ。


「でも、あの祭りはもうないんだよな」


 澄み渡った快晴の空を仰ぎ見て、信也は心地良い空気を肺へ吸い込むと、憂鬱を晴らすように大きく吐きだした。今はお礼参りに向かっている途中だ。

 一五歳の頃に信也の病状は急変し、全身の筋委縮が進み、歩くことが困難になりつつあった。実は一年前にも、信也は両親と姉に連れ添ってもらい、町まで行くために車の運転を家族に頼み、華弥姫神社へ連れて来てもらっている。


 信也が神社への参拝を頼んだ時は、両親も少し困った顔をしていたものの、「重要な手術の前だから」と、自分の思いを汲んでくれたのだ。

 その日の参拝は家族と相談し合い、人工多能性幹(IPS)細胞の移植手術に応じると決め、その成功を祈願するための参拝だった。もはや朽ちた神社に何の価値があるのかと、両親と姉は半信半疑だったようだが、自分がここにこうしていられるのだから、効果があったとは思いたい。

 そのけじめとしてのお礼参り、信也は気を引き締めていくことにする。


「ここ……だったよね。じゃあ、行こう」


 小川にかけられた小さな橋の前、左側の参道へと続く車一台分の脇道がある。舗装もされていないような狭い参道だ。足を踏み出す度に土埃は上がり、道は森の中へと続いている。鬱蒼とした森の木々は秋風にざわめき、鳥や虫のさえずりを近くに感じた。

 参道の右側には、山奥から流れ落ちる小さな支流が川底を透かし、水音のせせらぎは信也の耳に語り掛けてくる――秋の水辺は少しばかり肌寒い。


 一緒に暮らす姉に、信也は無理をしないように警告されている。手早くお礼参りを済ませ、日が暮れるまでには帰宅した方がいいだろう。

 小言の多い姉だし、怒られるのは自分も癪なのだ。しばらく自然の包容に身を委ねて進むと、信也の目指す神社が見えてきた。流れ落ちる滝を背に、色づき始めた落葉樹に囲まれる古ぼけた社が建っている。両側に小川の流れる大きな中州にある社は、まるで人の訪れを待つかのように寂しげだ。


「久しぶり、また来たよ」


 誰に語るでもなく、信也は神社前の広場に差し掛かり、赤い塗料が剥がれ落ちた鳥居をくぐる。石を積み階段のように造られた坂を下り、小川に架かった曲線状の橋を渡った。

 半年前にも通った道だ、信也は迷いなく中州の境内へと踏み込む。

 

 これが何度目の参拝だろうと、信也は礼節を忘れるつもりはない。


 境内に入り、信也はすぐ右横にある苔の生えた御手洗場に赴くと、黒ずんだ柄杓を取って手を洗う。そして左の奥へと続く石張りの地面を通り、五段くらいの石段を登って拝殿へと脚を運んだ。鐘と賽銭箱はなくなり、拝殿の扉が閉ざされた神社だった。

 穴の開いた扉の下には、百回分の小銭が今も放置されている。積み重なった小銭は、色の荒んだものがほとんどで、信也は栄華を失った神社が寂れてしまったことをひしひしと感じつつ、手術成功の感謝を伝えるために、小銭の山の上へ五円玉を上乗せした。


「願いを聞き届けてくれて、ありがとうございます」


 信也は二礼二拍一礼を済ませる。これが最後のお参りになるだろうか、信也は一抹の寂しさを感じてしまう。懐かしく思い出深い神社に、愛着を以ってしまっていたのかもしれない。

 目を閉じて感謝する信也の一礼は、一段と長いものになっていた。


「そっか、安心した」


 ふと、遠くから自分とは別の気配を感じる。信也は目を見開いて辺りを見回すが、周囲に人影らしきものない。在るのはただ閑散とした広場と、里神楽の踊り場だけだ。

 そこで不意に、信也は拝殿の裏側が気に掛かった。前回の参拝では足を踏み入れなかった場所だ。流水の音が激しい滝へとつながる土道を、信也は拝殿の壁に沿って回り込んでいく。

 所々に穴が空き、朽ちかけた拝殿の裏には、遥か昔より雄々しき姿を保ち続けている存在があった。


「すごく綺麗な滝だな」


 流れ落ちる滝の飛沫は差し込んだ光を反射させて輝き、辺りを取り囲む落葉樹の葉が風に舞う。僅かな木漏れ日はスクリーンのように、滝を煌めかせていた。

 着水の音は天に響く轟音となって、森全体へと木霊する。その雄々しき滝の姿に、信也は暫し圧倒されてしまう。


「あれは、女の子……?」


 ふと我に返り、信也は大滝の目下にできた淵に佇み、水飛沫を浴びる長い蒼髪の少女を見つけた。水色のボーダーブラウスに白のフレアスカートを身に着け、少女は水面を見つめて微笑んでいる。

 まるで一夜にして命を散らす蜉蝣かげろうのような、淡く儚い雰囲気のある線の細い少女だった。幻想的な美しい滝の麓があまり似合い過ぎていて、息を殺されて全身が金縛りにかかったみたいに、信也は思わず見惚れてしまう。


「君は、こんな所で何をしてるの?」


 信也は右手を少女に伸ばす。誰もいないはずの神社に存在する謎の少女へ抱いた感情は、恐怖でもなく疑惑でもなく、ただ懐かしさだけだった。

 初対面のはずなのに、信也は少女へ旧知の友人のような親しみを覚えている。


「君こそどうしたの? 私は水面を見ていただけ」


 ゆっくりと、蒼髪の少女は信也に振り向いた。

 少量の水しぶきを浴びて頬を緩める少女に、信也の心臓が脈を打つ。それは邂逅かいこうを告げる鐘のように、信也の身体中を駆け巡った。


「それじゃあ、どうしてこの神社に来たの? 君もお参りかな?」

「う~ん、なんとなく?」


 くすりと少女は笑い、はぐらかすように言う。

 悪戯っぽい少女だ、信也は動揺を隠すために頬を掻き、彼女から顏を背ける。異性に対する免疫のなさは自覚していたけれど、ここまでとは自分でもびっくりである。

 つかず離れず、滝が着水する轟音が響く中で、妙な沈黙が流れてしまう。石段の上にいる信也と滝の麓いる少女の間には、両者の距離を推し量るような、ゴツゴツとした河原が伸びていた。


「そうだね、私は不思議なふしぎな女の子とでも思えばいいよ」

「いや、それは流石に。冗談にしても、説明になってないような……」


 屈託なく笑う少女に、信也は愛想笑いを返す。 

 おかしな娘だ、外見は同年代くらいの普通の――いや、かなり綺麗な顔立ちの少女だが、どこか浮世離れした近寄り辛さがある。そんな少女だからか、新手の冷やかしにしか聞こえない。


「う~ん。ここに人が来るのは久しぶりだし、私もそっちに行くから待ってて!」


 両手を組んで上に挙げ、滝壺にいる少女は背筋を伸ばす。そして滝の水圧で盛り上がった河原を通り、少女は境内へ続く裏口の階段を上がると、信也の顔を覗き込む。


「うん、元気そうだね。よかった、また会えて」

「――えっ!? ちょっと近いって!」


 警戒心のない少女の胸元へ視線を移すと、信也は後方に飛び退き、顔を赤らめ顔を逸らす。自分も男なのだ、このくらいの下心は許してほしい。

 朽ちた神社に奉納する奇妙な男と二人きり、この状況で彼女は自分を疑わないのだろうか。それとも男として見られていないのか、「なんだかそれは不本意だぞ」と、そう思わなくもない。

 童顔の自覚はあるし、弟君タイプだとよく言われるから納得いかないのだ。


「ここじゃなんだし、どうせなら拝殿の方に行かない?」

「えっ? ちょっとまってよ、まだ話は――っ!」


 有無を言わさずに少女は信也の手を引き、表の拝殿へと向かう。信也が少女に引きずられるように運ばれると、雄大な滝は拝殿の影へ姿を隠していった。

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