第一二話:出し物の提案
太陽が高く空へ昇った昼下がり、休日の高校は部活動の所属者と教師達の往来しかない。本校舎に生徒の影はなく、校門に平日のような活気もなかった。
全校生徒の三割が消えてしまった学校の敷地内を進み、信也は本校舎裏にある部室棟の中にいる。部室棟一階の廊下に張り巡らされている窓から、信也は構内道路の先にある校庭を見物した。
運動部の生徒が練習を終え、グラウンドの整備をしている最中のようで、信也は仲睦まじく戯れる生徒達を羨み、自らの所属する部活動の部室を見遣る。
部員が四人いるはずの部活動で、活動しているのは信也と紗希の二人だけ。自分とて暁嗣や舞依の事情は理解できるが、割り切るのは難しい。
「出品の件、紗希に相談してみないと」
祷の口添えを真に受けるのなら、暁嗣の協力が重要になってくる。信也は引き戸に手を掛けて息を吐き、思考を巡らせながら部室へ入室した。
「お待たせ、紗希。少し遅れたかな?」
部室の敷居を跨ぎ、信也はできるだけ明るく振る舞うよう心掛け、顏を上げる。その瞬間、予想外の人物に出くわして足を止めた。
窓際の右隅にある机でノートパソコンを使う紗希の横で、暁嗣が腕組みをして棒立ちしていたのだ。彼について、紗希へ相談を持ち掛けるつもりだった信也は、少々面食らってしまう。
「暁嗣君、どうして部室にいるの!? バイトがあるんじゃなかったっけ?」
「なんだ? 二人の愛の巣に、俺が上がり込んだのは邪魔だったってのか?」
「いや、そんなことは思ってないから。あと、部室を私物化した覚えもないし」
「暁嗣とは真面目に取り合わなくていい。バイトが午前中で終わっただけだから」
文字打ちを止めた紗希がこめかみを突き、暁嗣は信也へ片目を閉じながら歯を出して笑う。信也は軽薄な暁嗣に力を抜かれながらも、部室が華やいだように感じた。
紗希が小まめに掃除しているらしい資料が並んだ棚も、空席のパイプ椅子も人の訪れを待っていたかのようだ。可能であれば、部員全員が集まって長机を囲いたい。
それは信也が考えないようにした願望であり、紗希が心待ちにしつつも諦めたことなのかもしれない。だからこそ、信也は淡い期待を胸に、他者へ踏み込むことにしたのだ。
「二人に話したい事があるんだけどいいかな? 秋祭りのことなんだけど……」
「著名活動か、上手くいってないらしいな。そんで、思いついたことがある、と」
「それなら、お願い。そのことについて、私も暁嗣と話していた所だから」
パソコンデスクに座る紗希は、一旦ノートパソコンを閉じて両手を太股の上に乗せる。一方の信也は長机に歩み寄り、パイプ椅子の背もたれに手を掛けた。
暁嗣も信也と正面から向き合い、長机の縁に手をついた。相談に乗ってくれるようだ、部員の二人が信也に注目する。
「ありがとう、二人共。僕の考えたついたことなんだけど――」
信也は祷の助言を元に、部員二人へ休日の著名活動中に屋台の出店を提案した。平日は時間が足りずに無理だろうが、休日となれば朝方から準備することができる。
紗希から伝聞したことだが、暁嗣は夏休みの合宿で自動車免許を取得したようで、酒屋のバイトの運搬業務には、自宅の箱バンを使用しているらしい。
つまりは暁嗣の協力さえ得られれば、屋台に出店する商品の型の運搬人と調理人が、一挙に手に入るということだ。
「要するに、俺に手伝って欲しいわけか?」
「そう、なるかな。暁嗣君の事情も分かるから、バイトが休みの日だけでいいんだけど……それでもダメなのかなって」
鈍く光る床板へ瞳を動かし、信也は頬を掻く。自分の提案に眉根を顰めた紗希は、パソコンデスクから視線を外し、暁嗣は腕を組んだまま仏頂面になった。
暁嗣の軽薄さもはたと消え、彼が重苦しい空気を発したため、琴線に触れてしまっただろうかと不安になり、信也は生唾を飲み込む。
「信也、型の方はどうする気だ? 何を作るか、はっきりしてんのか?」
「暁嗣君の家の物を使いたいんだけど……昔は屋台を出してたはずだよね?」
「つまり、ウチの大判焼きを出すわけか?」
「僕達は屋台とか未経験だから、家の手伝いをしてた暁嗣君に教えて欲しくて……僕にできることは、少しずつやっていくから」
恐る恐るというふうに暁嗣の表情を窺うと、彼は険しい顔つきになり、普段の頼もしい兄貴分といった雰囲気はなくなっていた。やはり急すぎただろうか。そう思い、信也がたじろいでいると、
「そう言うことなら無理だ、ウチにはもう型はない。あの人が大判焼き屋を閉めた時からな。それに、俺はもう屋台に出るつもりはないんだ。いい返事ができなくて悪いな、今日は帰らせてもらう」
「えっ、待って! 急にどうしたの、暁嗣君!?」
立ち去る暁嗣へ手を伸ばした信也だったが、彼は自分の制止を無視するかの如く無言のまま、部室の扉を閉め切った。肩を落とす紗希はパソコンを撫で、信也は放心したまま立ち尽くす。
屋台の件は暁嗣にとって鬼門だったのだろう、信也は自らの配慮の無さに落胆する。
「そりゃそうだよね。実家の店が閉店したんだから、いい思い出のはずがないか。結局、僕は空回ってばかりだな」
また三人の交友を深めるため、信也は良かれと思って提案したはずなのに、上手くはいかないものだ。信也にとっては綺麗な思い出でも、それが相手にも当てはまるとは限らない。
やる気が返って、自分を無神経にしているのかもしれない。信也の美化された大切な記憶も、失ってしまった者にとっては、苦痛でしかないのだろう。信也は拳を握って唇を噛み締める。
と、大失敗した自分を気遣ってか、椅子から立ち上がった紗希が近づいてくる。
「信也が悪いわけじゃない。皆、やりたくてもやれない事ってあるのよ」
「わかってる。だから、早計じゃないかって不安はあったんだ。それでも、僕は――僕は、またみんなで笑い合える日がきてほしかったんだ」
部活の仲間と一緒に過ごしたい、それは確かな信也の渇望だった。昔は仲良く遊んでいたはずなのに、十年の歳月が自分と友人達との溝を大きくしている。
たった二日間の共生で友人と思ってしまったのは、信也だけだったのだろうか。度重なる再会と思い出の場所への転校を経て、勝手な期待をもってしまい、盲目に成りがちだった信也の袖を紗希が引く。
彼女は眉を曇らせながら、挫折の混ざった微笑みを浮かべ、信也を励まそうとしてくれていた。
「信也の提案だけど、私達だけでやってみない?」
「できるの? 器材の準備もいりそうだけど……それに、僕は屋台の経験ないんだよ。上手くできるかどうか、自信はないけど」
自信ない時に出る癖だった。またも頬をかく信也に紗希が言い聞かせる。
「大丈夫、型は私の旅館の蔵にあるから。昔は杢敏さんに貸し出していたの。作り方については、母さんに相談すれば何とかなると思う」
「だったら、練習してみようかな? このままじゃ、著名活動に進展なさそうだし、人目につくための工夫とか、特別なことをしてみないとね」
「浅はかな行為かもしれないけど、やれることはやってみましょう」
信也はパイプ椅子の腰掛けを引き、紗希は自分の脇腹を肘で小突く。
二人で行動するのにも、慣れてきたかもしれない。信也は照れくさそうに頬を掻くものの、紗希の方は二人きりという状況に、緊張を抱くことが無くなりつつあった。
紗希にはリードされてばかりな気がする、信也も気合を入れていくべきだ。
「移動はどうしようか、夢見旅館って山道の奥だったよね?」
「良く知っているのね、信也。徒歩だと少しきついかもしれない」
「じゃあ、助っ人を頼むよ。今日、僕の家で暇してる人がいるからさ」
信也は学生ズボンのポケットから携帯端末を取り出し、紗希に画面を覗かれながら、端末の液晶に映し出されたホーム画面の電話帳を指で弾く。
液晶画面に並んだ人名の中から、『姉ちゃん』と記載された項目を触った。信也が携帯端末を耳に当てると、電話の呼び出し音が鳴り始め、やがて通信がつながると、よく見知った女性の声が届けられる。
『どうしたのよ、信也? あんたは部活中でしょ。あたし、昼ドラ見てるんだけど、どうでもいい用事なら後にしなさいよ?』
「ごめん、姉ちゃん。悪いけど、少し頼みたいことがあってさ」
『もしかして、部活でなんかあったの? 紗希ちゃんに迷惑かけてんじゃないでしょうね? 仮にそうだったなら、あんたをしばくわよ?』
いい加減なことを言う姉に、真面目に聞いてくれと思う信也だった。
「違うって、夢見旅館まで連れてって欲しくてさ。車は出せないかな?」
『昼ドラがいいシーンなんだけど……いいわ、迎えに行ってあげる。可愛い弟の頼みだものね、校門で待ってなさい』
携帯端末から通信の切断音が漏れる。信也は学生ズボンのポケットに携帯端末を仕舞い直し、長机に凭れかかる紗希へ振り返った。
「香奈絵さんは来られるって言っていたの? 無理なら歩くことになるけど――」
「大丈夫だよ、今から出るってさ。校門まで行こうか?」
「それはいいのだけど、信也のアドレス帳って少ないのね。私の名前も簡単に見つけられたし、ちゃんと使っているの?」
「それは察して欲しいかな? あんまり触れられたくないし」
痛い部分を突かれ、うぐっ、と胸を押さえた信也は自然と苦笑いを作る。
不器用な自分には、少々刺さる一言だ。最近、紗希のミスを冷かしていた仕返しだったのだろうか、彼女は信也を冗談めかし、顎に人差し指を立てる。
その刹那、信也の背後でパイプ椅子が蹴り飛ばされる音がした。自分が背後を振り返ると、そこには四つん這いになり、額をパイプ椅子の角で殴打した紗希がいた。
報いを受けたとすべきだろう、紗希は復讐が成功しないタイプのようだった。
「あぁ、大丈夫? 痛むところはないよね、紗希?」
「信也、うるさい! 痛いに決まっているでしょう! 頭じゃなくて主に心だけど……なんか、悔しい」
顏をしかめ鈍痛の響く膝と額を擦り、紗希は立ち上がってパイプ椅子を元の位置に戻す。
脱力してしまいそうな気分だ。羞恥に耐えかねた紗希が顔を赤くし、一方の信也は込み上げて来る笑いを必死で堪え、瞳から溢れかけた涙を拭った。
やがて秋空の陽光が鰯雲に遮られた頃、部室棟を出た二人は高校の敷地内を通り抜け、迎えの車両が待つ校門へ向かうのだった。




