遊び人の卒業
仕事を終えて仲間の屋敷に向かう。週に一度のメンズデー。女人禁制で、独り身も既婚者も羽目を外す日だ。
これを楽しめるのも春までか、と思いながら集まっている友人たちと普段通りの挨拶を交わす。
つい先刻、終業直前のこと。陛下、宰相、外務大臣の三人に呼び出された。そこで告げられたのが、隣国への大使赴任内定だった。来春から二年間。
今あちらにいる大使は三任期目で、もう六年にもなる。齢も五十を越して、そろそろ母国が恋しいだろう。
しかも昨年あちらの国王は代替わりをして、不惑手前の若い王となった。
それに合わせて大使も若返りをはかろう、ということなんだそうだ。
大変に名誉なことで、素直に嬉しい。
ただ遊び人仲間との別れは辛い。
人生から面白さをとってしまったら、何のために生きているのかわからない。
正直なところ、どこで暮らす、何の仕事をする、ということよりも、プライベートが楽しいことのほうが重要だ。
……楽しいプライベート。
隣国へ行ったら、あの面白いタチアナ嬢ともお別れだ。
彼女ほど小気味良い反応を返してくれる女性があちらにいるだろうか。
もしくは、友人のために婚約破棄作戦を企てる令嬢は?
美女も才女も掃いて捨てるほどいるけれど、面白い令嬢なんてそうはいない。
いたとしても、タチアナ嬢ほど馬は合わないだろう。
……タチアナ嬢は私がいなくなっても、変わらず面白く楽しい毎日を過ごすのだろうか。
二年後に帰国したとき、彼女はどうしているだろうか。
さすがに結婚しているに違いない。
それは面白くない気がする。
手にしていたカードを卓上に放りだす。今日はどうしたことか、連戦連敗だ。ツキがないのか、どうなのか。
遊びの輪から抜けて新しい酒を取りに行くと、友人がひとり付いてきた。
公爵家の長男なのに結婚もせず婚約者も持たず、遊ぶことに全精力をそそいでいる奴だ。一番親しい。
なんとなく輪には戻らず、二人でグラスを傾けながらよもやま話をする。その最中。
「結婚する」
奴の突然の宣言に驚いて、その顔を見る。
「どの令嬢だ?」
友人が笑う。
「相手を決めるのはこれからだ。さすがに親がうるさくてな。まあ、跡取りだし観念するさ」
「気の毒に」
献杯を捧げる。
「そこで相談なのだが」
「ふんふん、なんだ?」
「お前、タチアナ・ワレンスキー嬢は友人に過ぎないのだよな?」
改めて友人の顔を見る。
「どうせ結婚するなら、一緒にいて楽しい女性がいい。彼女は楽しくて可愛くて身分も教養も良い。結婚を申し込もうと考えている」
「……結婚なんて人生の墓場だ」
「……知っている」友人が頷く。
「誰にも何にも縛られずに楽しく生きたい。仕事を頑張るのは、薔薇色の人生を送るため。私生活が、気兼ねなくのびのび遊べないものになったら、窒息死してしまう」
「いつものご高説をありがとう」友人はわざとらしくグラスを掲げた。「で?」
「……だが、面白楽しく生きるために必要なら、結婚もいいのかもしれない」
そう口にしたら、胸の中でモヤモヤとしていた物がはっきりと形づくったのがわかった。
「タチアナ嬢は駄目だ。私が求婚する。お前は他をあたれ」
友人は肩をすくめた。
「いつ決めた」
「今」
「だからカードが惨敗か。それを考えていたな」
「まあ、そうだ」
「残念、あと一日早く宣言しておけばよかった」
「それでも譲らん」
友人が笑う。
「どうだか。フラれたらすぐに報告しろよ。私が間髪入れずに求婚する」
「この私がフラれるものか」
「わからないぞ、お前は名うての遊び人。彼女は面白い娘だけれど、真面目で身持ちがかたい。正反対だ」
「その理由で私が駄目なら、お前も駄目だろう」
そう返しながら、急激に不安に襲われた。
彼女とは親しい。顔を合わせれば楽しく話すし、ダンスに誘えば断られることはない。
だけどそれだけ。
彼女は他の女性のように、デートに誘えとかエスコートをしてくれと、私に請うたことはない。
たった今気がついたその事実に愕然とする。
彼女にとって私は、親友の叔父でしかないのではないか?
年だって一回り離れている。
私が思っているほど、一緒にいることを楽しんでいないのかもしれない。
「どうした、急に黙りこんで」と友人。「間抜け面になっているぞ」
「……一度もデートをしたことがない」
「へえ?仲良さそうなのに。そういや確かに聞いたことがないな」彼はニヤリとした。「なんだ、私にもチャンスは大アリだ」
「ないね」
だが心臓がバクバクしている。
彼女と一緒にいたい。
そう自覚した途端、そうならない可能性があることが怖くなった。
彼女のいない日々は確実に楽しくない。
どうやら知らない間に、どっぷり恋していたようだ。
「すまん、帰る」
こうなったら、なりふり構っていられない。作戦を練らなければ。まずは釣書だな。自他共に認める遊び人ではあるが、家柄、経歴、財産の三本柱は結婚相手として悪くないはずだ。
「なんだ、当代きってと謳われた遊び人が余裕がないな」
友人が笑う。
「面白く楽しい人生を送るためには、最大限の努力を惜しまないんだよ。知っているだろう?」
「そうだな。仕方ない、タチアナ嬢は諦めてやるとしよう」
「当然だ」
それから仲間たちにいとまを告げて帰途についた。
その馬車の中で懸命に考える。
どうやってタチアナ嬢に求婚するか。
好感度が高くて面白くて、彼女がつい承諾したくなってしまうのはどんな言葉、どんなシチュエーションだろう。
その前に簡易的な釣書を用意して、まずは彼女の祖父に求婚する許可を得よう。そこが難関のような気がするが、その順番を守ったほうが真剣さが伝わるだろう。
……緊張と不安で心臓が痛い。こんな思いをしたことが今まであっただろうか。
さすがタチアナ嬢だ。私の人生をこんなに面白くしてくれるなんて。
ただし、求婚を受けてもらえなかったら、どん底に落とされる。
そうならないように。心に響く素晴らしい求婚を。
いや、それとも素直に好きだと言うべきか。
そう考えた途端、カッと顔が熱くなるのが分かった。
よく考えたら、本気でそんな言葉を口にしたことなどない。一体どんな顔をして言えばいいのだ。
……とにかく。
遊び人は卒業だ。
それだけは絶対に彼女に誓おう。
関連作品
・短編『「婚約破棄だ!」と叫ぶのは……』
キャロラインとハンスウェルの話 (コメディ)
・短編『婚約破棄が連れてきた遊び人』
タチアナとレーヴェンの話 (コメディ)
・『真実の愛はどこにある?』
リオネッラとミケーレの話
・『結婚相手の探し方』
アントン(この本編にちらりと出てくる公爵令息)とチェチリアの話