第一死 H
Hな世界に導かれ……
男は地面に倒れていた。広い草原のど真ん中で四肢をもがれ臓物をぶちまけられ、まるで死体のように倒れていた。
空は男が死のうが生きようが何の影響も何の関係ないと言わんばかりの高く青々としている。そんな空を見つめる男の目は死んだ魚のように虚ろで濁ってはおらずでしっかりと生を感じさせる輝きを放っていた。
「……これで何度目だ……」
「げっへへ……これで丁度40回目だな」
男の独り言に対して律儀に答える謎の声。しかしその声は矮小な笑いを上げており男の現在の状態を面白がっている。
「……」
謎の声に対して一切反応を示さない、というよりも示せなくなった男はゆっくりと高いを空を見つめながら目を閉じていくのだった。
― 第一死 H ―
男の前におかしな人物が現れたのは、男が世界に蔓延る悪を討ち滅ぼし十年が経過した頃であった。
世界は男の力によって誰もが笑顔と豊かな生活をおくる、何の危機も感じない平和な時代を迎えていた。しかしその中で一人、国の王となった男だけは気力を感じなれない死んだ魚のような目で日々を送っていた。
男は異世界にやってきた時に授かった不正な能力によって男は何も苦労することなく世界丸ごと救った英雄、勇者、王となった。その不正(チート』は容姿にも関係しているのか十年という歳月が経過した今も男の姿は十年前と変わらない。
とある自称神となのる胡散臭い人物の話によれば、男が授かった力の一つ不老なのだと言う。まさかと思ってその自称神に聞くと、男の想像通り不老といえば次に繋がる言葉、不死の力までもが男の能力として備わっていた。
不老は兎も角、不正の力によって異世界に降り立った初日から恐ろしい力を持っていた男には不死という能力は実感が無かった。そもそも最初から最強である以上、命の危険に陥ることが無い男にとって不死という能力は必要ないようにも感じられた。
不正な能力によって自分を脅かす存在が居ないこの世界に最初男は狂気乱舞した。現実世界にいた頃に味わっていた窮屈な感覚から解き放たれた解放感、自分が中心である感覚。なにより自分がしたいように世界が動かせる不正の能力は全能感すら感じさせた。
しかし人間という生物は欲張りで強欲で自分勝手だ。英雄や勇者として世界を救い、王になった男は十年経った今、最初は狂喜乱舞したその能力の所為で退屈していたのだ。そして自分の絶対的な力を脅かす何かが現れないか、この世界が再び危機に瀕するような重大な事件は起こらないかと望んでしまっていた。
しかし平和となったこの世界にそんな兆しは1ミリとも感じられない。日々小さな揉め事や争いはあるものの、それが原因で世界が動くことはまず無い。なんせ世界を救った最強の力を持った男が存在しているからだ。
国の人々は従順で男の言葉は直ぐに信じ受け入れる。争いあっている国同士であっても男が間に入ればすぐに解決、仲良く手を結び同盟国となる。男自身が呆れてしまう程にやりたい放題であった。
富も栄誉も、異世界転移という言葉を知っている者なら一度は夢に見るハーレムすらも容易なことになっている男にとって流れる日々は退屈この上無いものに成り果てていた。
現実世界でパッとしなかった男はこの異世界で童貞を捨てた。最初の相手は、最初の町で出会った娘だった。その娘は異世界転移などの物語で言うヒロイン的ポジションで現在では男の国の王妃だ。
現在の王妃に出会い結ばれて以降、道を歩けば、ダンジョンを歩けば、ボスを倒せばありきたりなイベントと共にサブヒロイン的存在の娘たちが男の前に現れ仲間となりそして、異世界ラブコメ的な展開を繰り広げていった。
パッとせず童貞だった男にとってそれは最初憧れの光景であった。だがどんなに好物なものであっても毎日大量に食い続ければ当然飽きる。
十年も同じ状況が続けば憧れはただの日常になりそして作業と成り下がる。世界を救い王となった王には未だにサブヒロインと出会うイベントが続いている。正直、同じような毎日を繰り返しているような状況男はスキップ機能が欲しいと思う程であった。
そう既に男にとってこの世界は物語としての結末を迎えているのである。ゲームで例えるなら何の足しにもならないやり込み要素だけが残った世界となっていたのだ。
そんな終演物語をこなす日々に退屈しかない男の前に突如現れたのは、賢者となのる胡散臭い老人であった。
城に現れた賢者はすぐさま城の兵達に取り囲まれ牢屋にぶち込まれることとなったが、老人が発した一言で男を動かした。
― 王は体験したことが無いHな世界にご興味があるはずじゃ ―
その一言は日々に退屈していた男に僅かなときめきを与えた。Hと聞いて男ならば反応しないものはいない。体験したことが無いと聞けば尚更である。日々女性に囲まれ同じようなイベントを毎日こなし今では立派なヤリチン野郎と言っても過言では無い男が体験したことが無いH。これにはヤリチン野郎に成り下がった男でも興味がそそられる言葉であった。
男はすぐさまその賢者を解放し自分の玉座の前に呼び出した。
「それで……俺が体験したことがないHってのはどんなもんだ?」
既に自分の言葉に嫌悪を抱く者も変な目で見る者もこの世界にはいない。周囲の目を気にする必要が無い男は、恥も外聞も一切無く賢者に単刀直入に聞いた。
「ええ、それはそれは……退屈した王が満足される世界であることは間違いないです」
「……満足する世界?」
確かに趣味趣向、性癖などは世界として語られることがある。これまで様々な趣味趣向、性癖を味わってきた、もとい体験した男ではあるが、その本質は極めてシンプルなものであり突出したものは無い。そんな自分を満足させられる趣味趣向、性癖の世界とはと更に興味が湧く男。
「……それでは……早速ご案内しましょう……Hな世界へ」
「H?」
賢者の言葉に首を傾げる男。その瞬間、世界は歪む。賢者は聞き取れない呪文を呟くと目を見開き男に喝をいれるように手に持った杖を振う。すると男の視界は暗転し意識が遠のいていった。
それからどのくらい時間が経ったのか、男は体に感じる寒さで目を覚ました。
「……ここは……」
思い体を持ちあげ周囲を見渡す男。そこには馬鹿広い草原があった。夜を迎えた草原は気温が下がり男に寒さを感じさせる。夜の草原の寒さに男は自分の二の腕に触れ少しでも体温を上げようとした。
「ッ?」
自分の手の感触に疑問を抱く男。手から感じる自分の二の腕の感触はすこし冷えた体温のみで城で着ていた上質な布で仕立てた服の手触りは一切感じない。
「な、なぜに裸?」
自分の体に視線を向けた男は驚愕する。男は衣服を殆ど纏っていなかった。纏っていたのは申し訳ない程度に下半身を覆う下着のみであった。
「……何が起こった?」
自分の身に起った状況が呑み込めない男。確か自分は賢者にと男は、自分が意識を失う前までの記憶を呼び起こす。
「…確かあの賢者……Hな世界……いや違うHな世界って……」
最後に聞いた賢者の言葉を自分で口にする男。
《グゥオオオオオオオ!》
その瞬間、男の耳を劈くようなけたたましい咆哮が草原に響き渡る。
「な、なん……」
男がその咆哮の正体をつきとめようと振り返った瞬間。
「え?」
男の視界が地面にゴトリと落ちる。
「……」
なぜ自分は地面に倒れたのか、疑問を抱く男。それ以前に腕や足の感覚が無い男は、遠のく意識の中、咆哮を上げた正体を目にする。
それは熊型の魔物だった。しかし男の経験上、目の前にいるのは低レベルの魔物であり男を一瞬で倒す力など持ち合わせていないはずであった。
「……な……んで……」
異世界に降り立ってから一度たりとも死を感じたことが無かった男はこの日初めて死を感じる。だがそれ以上になぜ自分が地面に倒れているのかが疑問でしかない。
(……それは、この世界がHな世界だからですよ)
意識が途絶えていく男の耳下で賢者がそう呟く声がする。男は自分の意識が途絶えていく中で自分が勘違いをしていたことに気付いた。
(……そうか……ここは……)
そこで魔物に首を落とされた男の意識は『一度』途切れるのだった。