彼は執事くん 中編
休みの日、部屋でくつろいでいると美千代さんが私のベッドのシーツを取り替えにきた。
美千代さんはこの屋敷の家事全般を取り仕切っていて、主に指示を出す側である。
「美千代さんが来るなんて珍しいね。サヤさんとチカちゃんは今日はお休み?」
何気なく聞いたのだが、驚くような答えが返ってきた。
「……いえ。辞めました。」
「えっ?二人とも?」
二人が同時に辞めるなんてなんかおかしい……
そういえば最近、屋敷の中がなんだか寂しくなっていた。
随分顔を見てない人がたくさんいたのである。
「もしかしてアルに辞めさせられたの?」
美千代さんが口をつぐみ、答えにくそうにしている。
「そうなのね?なんなのあいつっ!」
「アリス様、実は……」
「余計なことは話さないように。」
アルがドアを開けて入ってきた。
アルににらまれた美千代さんは急いでシーツを替えると部屋から出て行ってしまった。
「ちょっとアルどういうこと?」
「この屋敷はムダに人が多すぎる。」
ムダって……
サヤさんやチカちゃんがムダだったって言うの?
「今から庭の清掃をする。アリスもこれに着替えて手伝え。」
アルが私に向かって作業着を放り投げてきた。
庭の手入れはずっと上田親子がしていたのに……
「やだっ。」
なんでアルがみんなにこんな酷いことをするのか納得がいかなかった。
アルは私に近付き、一言、凄んだ。
「手伝わなかったら飯抜き。」
間近で見下しながらメンチを切られてしまった。
逆らえるわけがない……
渋々作業着に着替え、庭に散らばった落ち葉をホウキで掃き始めた。
アルは脚立に上がって延びた庭木の伐採をしていた。
すごく汗をかいている……
力もいる大変な作業なのに、なんで自分でやってるんだろう?
意味がわからない。
「落ち葉は一箇所に集めておけ。それが終わったら切った枝をゴミ捨て場まで運べ。」
なにその命令口調……私はあんたの使用人かよ。
ゴミ捨て場は遠く離れた庭の端っこにある。
ムッとしながらも私はアルに言われた通り落ち葉を集め、枝をゴミ捨て場まで何回も運んだ。
最後の枝を運び終えて帰ってきたら、アルが集めた落ち葉に火を着けて燃やしていた。
「アル……もしかして中さんも辞めさした?」
最近学校の送り迎えの運転は全部アルがしていた。
前までは遅刻しそうな時だけだったのに……
「ああ……クビにした。」
なんで……
中さんはセバスチャンと同じくらいこの屋敷にずっと仕えてくれていた。
いつも穏やかで…私にとっては家族同然の大切な人だったのに……
「中さんは船舶免許に航空ライセンスも何種類も持ってる。そんな人が学校の送り迎えだけのお抱え運転手をしてるなんてもったいないとは思わないか?」
「……それは…」
「庭師の上田親子もそうだ。この庭を見れば高い技術を持っているのがわかる。でも、ここで働く限りその美しい庭は人の目に触れることはない。」
アルが言いたいことは痛いほど理解出来た。
出来たけども……
「…みんながいなくなったら、私は寂しいよ……」
堪えきれずに泣き出した私にアルが困ったような顔をした。
「……アリス。ちょっとここに座って。」
アルに託され隣に座ると、アルが私の方を向いて座り直した。
「俺の事を恨んでくれても別に構わない。でもこれだけは言っておきたい……」
私をのぞき込むアルの瞳が焚き火の炎に照らされ、何色もの神秘的な光を放っていた。
「俺を……信じて欲しい。」
─────アルの目に吸い込まれる……
ずっとこのまま見ていたい。
「……アリス?」
自分のことを凝視したままで固まっている私を見て、アルが不思議そうな顔をした。
「アルの目は…なんでそんな色をしているの?」
アルは一瞬悲しそうな表情をして私から顔をそむけた。
触れてはいけないことだったのだろうか?
とても綺麗なのに……
アルの目は…真っ青な海に、稲穂が生い茂った大地が浮かんでいるような……
そう……それはまるで──────
「地球みたいでとても綺麗な目だよ。」
私の言葉にアルの体がピクっと揺れた。
しばらくの沈黙のあと、アルが少し照れくさそうに私を見た。
「……参ったな。それを言われたのはアリスで二人目だ。一人目はセバスチャンだった。」
「セバスチャン?」
「セバスチャンはオランダにある孤児院に毎年多額の寄付を送ってくれてたんだ。俺はその孤児院で育った。」
孤児院……?
セバスチャンがいろんなところに寄付をしているのは知っていた。
遺言書にも残った遺産は全て寄付に回して欲しいと書いていた。
でも、アルがその孤児院の出身だなんて……
「俺には親がいないし、この瞳のせいで随分いじめられた。生きるのが嫌になってた時に初めてセバスチャンに会ったんだ。」
アルは懐かしむように遠くを見つめ、目を細めた。
「君のその瞳はアースアイといって、地球そのものなんだよって……」
────アースアイ……
初めて聞くその言葉に、胸が激しく鼓動した。
「正直、最初は変なおっさんだと思った。でも何度も手紙のやり取りをしたんだ。すごく…素晴らしい人で……俺も、セバスチャンのようになりたいと思った。」
アルはすっかり燃え落ちた焚き火の中から、トングでなにかを取り出した。
「焼き芋。食うか?」
すごく香ばしい香り……
私は笑顔で大きくうなずいた。
中さんは観光地のクルージングの船長に、上田親子はテーマパークの植木の管理をする仕事にそれぞれ就職が決まっていた。
その他の辞めていった人達も、自分の特技を生かした待遇のいいところへと決まっていた。
全部、アルが紹介したらしい。
屋敷に残った人達は仕事が増えてしまったけど、今までが暇すぎたのだと笑っていた。
美千代さんから聞いた話だと、この屋敷の人件費の多さにはセバスチャンも頭を悩ませていたようだ。
人が嫌がる汚れ役をアルベルト様は自ら行ったのですよと、美千代さんは褒めていた。
「おいっアリス!ゴミ箱に入ってたこのテストの点数なんだ?!」
アルがノックも無しにドアを蹴破って入って来た。
やっば…見つかった。
昨日の数学の小テストで30点を取ってしまったのだ。
小さく折りたたんで捨てたのに……まさかゴミ箱をチェックしてるだなんて。
「女の子のゴミを漁るなんてサイテーです!」
ちょっと抵抗してみたんだけど……
「はあ?どの口が俺に文句言ってんだ?」
「ご、ごめんなさいっ。」
間近で見下しながらメンチを切られてしまった。
その目でにらまれるとすっごく怖いんだって……
「ちっ、夜勉強見てやるから用意して待ってろ。今からメシ作ってくる。」
「……うん。」
アルって休憩時間あるのかな?
夜中も遅くまで部屋の明かりがついているし、朝は誰よりも早くに起きている。
人が減って、アルの仕事は格段に増えた。
人件費を減らすにしても減らしすぎのような気がする……
「ねぇアルっ。」
部屋を出て行こうとしたアルを呼び止めた。
「なんだ?」
「私も……ご飯作るの手伝うっ。」
アルがすごく驚いたような顔をした。
「ほらあの、花嫁修業って言うの?料理作れるって大事なポイントじゃない?」
本当は忙しそうなアルを手伝ってあげたかっただけなのだけど…そんなこと言えない。
「……そうだな。じゃあ今日は日本の家庭料理にしようか。アリスにも作れそうなもの。」
そう言って私に微笑んでくれた。
これ……私に向かって初めて微笑んでくれたかもしれない。
セバスチャンが私に微笑んでくれた時はいつも温かい気持ちになれた。
アルの場合は──────
絶対に好きになっちゃダメよ。
麗子さんの言葉がよみがえる……
いやいや、違うからこの胸のドキドキは……
初めて料理作るから緊張してるだけ。
うん、きっとそう……
初めて作った料理はひっくり返すは分量間違えるわでサイアクだった。
「こんなに下手くそだとは思わなかった。かなり特訓しないとダメだな……」
アルに呆れられてしまった。
手伝おうと思ったのに足を引っ張りまくってしまった。
困ったことになった。
私、意識し始めてる。止められない……
「……で、この公式を当てはめてここの部分を先に計算して……おいっアリス聞いてんのか?!」
「はっ…聞いてますっ!」
ぼ〜っとしながらアルの横顔を見てしまっていた。
「はってなんだ、はって?!ボケっとしやがって。今度あんな成績取ってきたら二時間走らすぞ!」
ひぇえっなにそのスポ根漫画みたいな罰ゲームは!
「アルベルト様、柊弁護士事務所からお電話が入っております。」
美千代さんがアルを呼びに来た。
アルの顔が強ばったのがわかった。
「俺が帰るまでにこのページ解いとけ。間違えたら一問につきスクワット10回。」
だからなんなのその罰ゲームは。
柊弁護士事務所は父と母が経営する企業の顧問弁護士をしてくれているところだ。
アルにいったいなんの用事があるのだろうか?
不思議に思ったのだがスクワットはイヤなので数学のドリルに取りかかった。
アルの字……すごく綺麗。
アルはいったい何ヶ国語話せるのだろうか?
日本語、英語、母国であるオランダ語…フランス語とドイツ語も話せると言っていた。
仕事だってなんでも出来る。
いくらセバスチャンの頼みとはいえ、なんで私しかいないようなこの屋敷に来てくれたのだろう?
キャリアを積むなら、それこそ海外の大富豪の家や以前務めていたラグジュアリーホテルのコンシェルジュをしていた方がずっと良い。
セバスチャンのようになりたいんだったらここにいるべきじゃない。
いつまで……
ここにいてくれるのだろう?
私はさっきまでアルが座っていた空間に手を伸ばした。
近くにいても……
決して触れることは許されないのだけど。
ズキンと胸が傷んだ。
苦しさが収まらず胸に手を当てる……
どうしよう私……
アルのことが好きだ─────────
アルの顔を見たいのだけど見れない。
自分でもすごくぎこちない態度になっているのがわかる。
でも…どうしようもなかった……
ため息ばかりが出る……
朝食のエッグベネディクトを食べてる時にアルから声をかけられた。
「アリス、今日は出かけるから用意しろ。」
「はい?」
なんなのだろうと思いながらもアルの運転する車に乗っていると、セバスチャンとよく来た海沿いの街に着いた。
車から降りると海から吹く風がとても心地よかった。
「あの店だろ?アリスが好きなクレープ屋さん。」
なんでアルがそんなことを知っているのだろうと目をパチクリさせていると、アルがクスっと笑った。
「セバスチャンと手紙のやり取りをしてたって言ったろ?セバスチャンが送ってくる手紙にはアリスのことがよく書かれていた。」
「セバスチャンが……?」
「ああ、今日はキャラメルバニラホイップかストロベリージャムホイップのどっちにする?」
セバスチャン、私の好きなクレープのことまで手紙に書いたんだ。
なんだか嬉しくて口元が緩んだ。
「あらイケメン外国人の彼氏?いいわね〜。」
クレープ屋のおばちゃんが話しかけてきた。
「いえ、そんなんじゃ…彼は…」
「そうです。彼女に会いたくて日本に来ました。」
アルが私の口をふさいで代わりに答えた。
アルに触れられいる顔の部分が熱いっ。
今日はストロベリージャムホイップにした。
アルは甘いのが好きらしく、チョコカスタードホイップを頼んでいた。
「なんで彼氏のふりしたの?」
「いろいろ詮索されるのは面倒だ。」
確かに私の執事とか言ったらいろいろ聞いてきそうなおばちゃんだったけど……
私に会いたくて来ただなんて……顔が真っ赤になってしまった。
「……それに…本当のことだしな……」
アルがなにかをポツリと言った。
「なにアル?なんか言った?」
「……いや、砂浜を歩きながら食べようか。」
二人でクレープを片手に海を眺めながらゆっくり歩いた。
まるでデートみたいだ。
前を歩くカップルがこれでもかってくらいイチャイチャしている。
う、羨ましい。
「元気出てきたか?」
「えっ……」
「最近ずっと元気がなかった。またセバスチャンのこと思い出してたんだろ?」
そっか……
それで急に私を海に連れてきたんだ。
セバスチャンじゃなくてあなたのことを考えてたんです…とは言えない……
こんなことされたらますます好きになってしまう。
逆効果だよ……
少しアルと距離をあけようと足早に歩いたら砂に足をとられてしまった。
「危ないっ。」
アルが後ろ向けに転けそうになった私の体を両手で支える……
「セバスチャンがお嬢様は砂浜ですぐ転ぶから危なっかしくて仕方ないって書いてた。本当だな。」
私の顔のすぐ上でアルが笑ってる……
ちょっと動けばすぐ触れてしまいそうな距離にアルの唇があった。
海の光に照らされたアースアイの瞳がキラキラと七色に輝いて見えて……
吸い込まれる───────
ダメだ……もう止まらない。私……
「アル……私、私ね……」
アルもなにかを感じ取ったのか、フッと笑うのを止めた。
アルに触れようと私は手を伸ばした……
「────私……」
執事と恋愛だなんてバカなことを…
彼の将来を完全に潰してしまうだけなのに。
麗子さんの言葉を思い出し、手が止まる。
「私っ、やっぱりキャラメルバニラホイップも食べたい!」
アルが私を支えていた手の力が抜けて、私は砂浜にずっこけた。
「ごめん、アリス。てかおまえどんだけ食うの?」
「お、お腹が減ってるんです!」
アルは仕方ねえなぁと言いながらも買いに行ってくれた。
ヤバいよ私……
このままじゃアルのこと押し倒しちゃうよ〜っ!
「美千代さんっお粥ってどうやって作るの?」
「お嬢様、それは砂糖…ああっ火が強すぎますっ。」
「氷枕ってこれに氷入れたらいいのよね?」
「ああっ氷が塊のままじゃないですかっ。」
「あとなに?なにしたらいい?」
「お嬢様はじっとしといて下さいっ!」
美千代さんに叱られた。
アルが朝から熱を出して寝込んでいるのだ。
働きすぎだ……
家にいる使用人達は今では美千代さんを入れて5人だけになってしまった。
美千代さん以外の4人は警備会社の人達なので、多くの雑務をほとんどアルが一人で行っていた。
海外の大富豪じゃないにしてもそこそこ大きな屋敷である……
聞けばここ1週間くらいまともに寝てないらしい。
美千代さんが作ってくれたお粥を持ってアルの部屋の扉をノックした。
「アル、お粥食べる?」
扉を開けるとベッドで寝ていると思っていたアルが机に座り電話をしていた。
「それじゃ困る。早く名義を……あとでかけ直す。」
私に気付き、電話を切った。
「アル、寝てなきゃダメじゃない。」
「寝てるヒマなんてない。もう治ったし。」
治ったって……
まだ顔が赤いのに…下がってるはずがない。
鈍い私でもさすがに勘づいていた。
なぜアルがこんなにも無理をして仕事をしているのか……
父と母の会社の経営がうまくいってないのだ。
アルはこの屋敷を維持するために頑張ってくれている。
きっと…私のために……
いくら立派な屋敷が残ったって、その中身がないんじゃそんなのただのハコなのに。
私は丸テーブルにお粥を置いてアルに近付き、おでことおでこをくっつけた。
「ほらやっぱり!熱なんか下がってないじゃないっ。」
「ちょっ……アリス!」
いつもセバスチャンが私にしてたことだったんだけど、相手はアルだった。
これ以上ないってくらいの至近距離でアルと目が合った。
「わわっごめん!」
慌ててアルから離れたのだが、アルの顔がさっきより赤い。
熱が上がってきたのかもしれないっ。
「私っ氷枕取ってくる!」
「アリスっちゃんと前見っ……」
丸テーブルにけつまずいてすっ転び、お粥をひっくり返して頭から被ってしまった……あっついっ!
火傷するところだった。
アルのお世話をしようと来たのに結局お世話されてしまった。
なんで私っていつもこうなんだろ……
「アリスにこれ以上仕事を増やされたくないから大人しく寝る。」
とりあえずはアルをベッドで休ませることが出来た。
だいぶ呆れられてしまったけど。
「なにかして欲しいことない?食べたいものとかない?」
「ねぇよもう…アリスも自分の部屋で大人しくしてろ。」
「でも…でもっ。」
こんな時ぐらいしかアルに恩返しなんか出来ない。
いつまで経っても自分のそばから離れようとしない私にアルがため息をもらす。
「……じゃあ…手を握っといてくれるか?」
布団の中からアルがそっと右手を上げた。
「……手を?」
「アリスが望むのならだけど。」
触れてもいいのだろうか……
ドキドキしながらアルの手を両手で握りしめた。
温かい…優しい手……
「……アリスは自分がお嬢様じゃなくなったらなにかしたいことはあるか?」
「えっ……」
私がお嬢様じゃなくなる?
父と母の会社はそんなに危ないのだろうか……
それって…私とアルのこの関係もなくなるってこと?
私のそばからアルがいなくなる。
そんなこと、考えたくなんてない……
「考えといてくれ。なるべく早く…全面的にサポートするから……」
そう言ってアルは目を閉じた。
随分疲れていたんだろう…すぐに寝息が聞こえてきた。
私がしたいこと……
なりたいことならあるけど……
私はアルの手をギュっと握りながらつぶやいた。
「……アルのお嫁さん。」
それならずっとアルのそばにいられるのに……
どんなに幸せなことだろう。
「……それは却下……」
……えっ?
「アリス。ちょっとは真面目に考えろ。」
うそっアル起きてたの?!
これ告白になる?好きって言っちゃったことになる?!
ど、どうしよう!!
「じょ、冗談だから!」
ダメだっ顔が真っ赤になっている。
これじゃあ顔で本気ですって言ってるようなもんだっ。
「ちょっと新しい氷枕取ってくる!」
「アリスっちゃんと前見っ……」
丸テーブルにけつまずいてすっ転び、美千代さんが新しく作り直してくれたお粥をひっくり返してしまった。
「アリス!なにやってんだ!!」
「今回は頭から被ってないからセーフっ…」
「そんな問題じゃないっ!!」
はいっ……反省します。