-57話 ちょ、背後霊さん? ①-
依り代制作中は、このドアは開けぬこと――なんて、堅く言いつけてマルは、工房の戸口に粘体騎士を2体配置した。
グエンが不可視化の御業を駆使して、戸口に立ったら彼女の視線の先に、スライムナイトの怖い視線があったという――武勇伝は、もう何度も繰り返して語り継がれている。このゲーム世界でもマルが召喚する眷属たちは恐怖そのもである。
最も、全幅の信頼をマルは騎士らに置いている時点でもう少し真剣に考える必要がある。
グエンとカーマイケルのふたりは、元の世界で数度にわたって酷く老眼な粘体騎士と対峙している記憶がある。
バスターソードを肩に担ぐ騎士と、バトルアックスを背中に背負った騎士。
このふたりは特にマルのお気に入りだった。
いや、ふたりしか呼ばれないのだ。
いつか、こちら側に来たちょっと前にマル自身に粘体騎士について、問うたことがあった。
彼女は、少し恥ずかしそうに『あれは、ボクの傅役。武芸とあと、何だったかな』なんて零していた。
彼女にとって気心を赦せる相手であることが間違いなく、そして頼りになる部下という位置づけだ。
マルの出自が、スライム・ロードという身分であることからも自由に動かせる何かが居ることは想像に難くないと言える。
さて、4日ほど籠っていた部屋の戸が、少しだけ空いている状態をルーカスの中身が目撃している。
ゲームにINはしているが、ルーカスとして行動はしていなかった。所謂、裏アカウントでぼーっと無為な時間を過ごしているだけだ。
ちょっとやる気が薄れている、そんな状態で彼女は、長身で貧相な雰囲気の女の子でINしている。
まあ、リハビリも兼ねているのでまま、本来の姿でトレースしている。
ただ、恥ずかしいのでダボついたロングパーカーに、スポーツブラと無地のボクサーショーツ、黒のストッキングという意味不明な恰好で徘徊していた。もっとも、その姿の方が恥ずかしい気もするのだが、其処は彼女も十分立場を利化しているから、不可視化した状態でいた。
「はいりますよー」
そういえば、スライムナイトの姿が見えなかった。
部屋へ入ると、リアルな彼女とおなじような汚部屋が広がっている。
いや、咽るような女の子臭とでも言うか、いや濃密なホルモンが分泌された匂いだ。
「これは、汗? あ、独特な匂いも...あの子、トイレとかどうして」
マルが泥と宝石みたいな石に埋もれて倒れている。
慌てて駆け寄ると、吐息を立てて寝ているのが分かった。
「もう、心配...」
マルは、少しやつれてやや小さくなっているようにも見えた。
目の下のクマと、頬や唇の色褪せた雰囲気に重なってみえ、思わず長身の彼女の人差し指がマルの口元を触っていた。
これは、ちょっとした出来心だ。
いや、その気があった訳じゃない。しかし、『この唇、かわいい』と思ったことは否定はしない。
マルは、寝言のような言葉になっていないもにょ、ごにょ呟いて、唇にかかる指に吸い付いてきた。
驚いたというより、背徳感が強く増す。
禁断の何かに目覚めそうな、いやちょっと手前。
人差し指の先を舐めていたマルが、第一関節まで吸い付くと、更にルーカスの背後霊は、耳まで赤くしてドキドキと胸の高鳴りを抑えきれなくなった。
指に絡みつくざらっとして舌の感触。
甘噛みに似た、前歯の感覚も感応的だった。
◆
ルーカスの背後霊は、息を殺すように自室に飛び込んでいる。
単に触れたいと思って差し出した指に、マルが吸い付いただけで背徳感を憶え、不道徳な極みを体験したように思えてしまった。そして、他人の部屋で致してはいけない所作をしてしまった罪悪感にある。
「私、こんな子じゃ無いのに」
でも、胸の高鳴りは事実である。
何かに目覚めてしまったような雰囲気に悩むことになる。
「マル...ちゃん...」




