-836話 ウォルフ・スノー攻防戦 10 -
南への圧迫が増し始めた。
“雷帝”の再投入が、再び戦線を苦しめ始めたのである。
確かにエサ子とその配下、姉と兄のふたりも、帝国兵では足止めも敵わない強者である。
しかし、部隊として孤立すると分は悪くなってしまう。
突出すると叩かれるを繰り返しながらのじり貧になっていた。
まず、問題点が。
ウナの配下であるマンディアンの部隊が滅法弱かったという事だ。
これは誤算である。
22の師団すべてを投じても、3万規模の獣王兵団の足下に及ばなかったことだ。
完全にお荷物となっている。
いや、救いは箱娘のマンディアン本人が全体の兵力を底上げするかのように強かったことだ。
師であるアロガンス並みの武人だった。
が、その部下がどうも見掛け倒しだ。
「ちょっと、ウナちゃん!! これどういう事!!!!!!!」
“遠見の鏡”からのクレームが入る。
エサ子を押し退けて槍遣いが使用中の鏡を占領している。
エサ子本人は「マルちゃんと会話させて」と請願しているが一蹴された。
「は?」
魔王ウナ・クールは、その剣幕の意味を未だ理解できていない。
◇
最前線からのクレームはこうだ。
どう予測していたかはこの際、重要ではないが――エサ子たちに対して余裕を見せていた彼らの実力は、獣王兵団に並ぶものと思っていたというのだ。そこで、エサ子は例のごとく挑発し彼らを戦場に呼び込んでみたところ、紙か暖簾かの違いなく一瞬に燃え尽きたというのである。
もうこれは散々足るもので、結果的にピンチになったキメラ22師団の8割を救出するために、獣王兵団の1000人が犠牲になってしまった。こいつらは、エルザン王国統一戦争から参加しているサムライたちだ。今は、国を棄ててエサ子の為に命を張っている連中だ。
これが8000人いる。
その一部が、この戦場で倒れた。
「どういう事ですか! 魔王ッ!!」
槍遣いの憤りはここにある。
剣士は冷静を装っているようにも見えなくはない。
「いや、え、えっと...」
「そりゃあ、本人尋ねるのが早いんじゃないか?」
一席、アロガンスが魔王に代わって鏡の前に陣取った。
「えっと?」
「島であった...いや、会っても居ないか...魔王軍筆頭、一席のアロガンスだ。どこかで会ったような気がしないでもないが、俺も脳が筋肉のバカと同じ部類なんでな。難しい事は考えないようにしているが、アレはまあ器用な奴なんだが...ズルイ性分を持っちまってる。それが答えかなあ」
将軍の答えをそのままで受け取ると、相手を舐めていた――いや、エサ子は横に首を振った。
「違うね、ボクだったら自分の眼力を信じる。その目で、ボクらの方が強かった...この兵団なら戦線を任せられると思ったんだ。ズルイってそういう事なんでしょ?」
「別の“世界”のマンディアン卿は冴えが良いな? そうすると、そっちの俺は...」
エサ子は鼻で笑いながら、はにかんで見せる。
「ボクの師であるアロガンス様は、怖い人だよ。執事を兼任しているニーズヘッグが仏さまに見えるくらい怖くて、絶対に弟子を褒めないんだ。単に物凄く怖いイメージしかない...今、ボクの目の前にいる“あなた”とは別人です」
スパルタ教師らしい。
エサ子が大袈裟に言っているきらいもある。
が、彼女の強さからも実力は伺い知れる。
「ま、まあ、あれだ...22の師団を連れてきたのはアレだ。あいつが一番、後悔しているだろうから慰めてやるのが得策だと思われる。いや、あれがごちゃごちゃと父親に告げ口する前にだな...」
通信がキレた。
ほとんど一方的にだ。
「あれ? キャッチきてる...」
便利な鏡である。
“遠見の鏡”が再びどこかと繋がりだす。
少し薄暗くも見える部屋のような場所だ。
暖炉があって、平たいテーブルもあって――鏡がゆっくりと移動させられている。
右回りに動いて卓上が映る。
「繋がったか?」
野太い低い声に、エサ子がピクリと反応した。
そっと背中を見せている。
剣士と槍遣いは鏡の中を覗き込んでいた。
「んあ?! 人間かッ!! 貴様らに用はない失せろ野蛮人が!」
ご機嫌斜めかと勘繰る。
「すみません、失礼ですが...どちら様で?」
「ここは獣王兵団の」
「知っておるわ! たわけ、だから人間なんぞと話す舌は持っておらん。食うぞ、この野郎!!」
酷く口の悪い人物と繋がったようだ。
「この兵団の多数が人間で構成されてますが何か?!」
と、槍遣いもキレている。
ガンの飛ばし合いである。
「ちょ、ちょっと落ち着こう。ね、姉上も兄上も...こちら側の父上も...」
「おお、やっぱりそこに居ったか我が愛娘よ!」
「いや、ぼ、ボクは...厳密には、あなたの娘ではありませんよ」
エサ子としては酷く冷静でぎこちない。
まあ、最前線というか防衛線ではニーズヘッグの指揮の下、戦線の縮小を行っている最中だ。
これはエサ子の野生の勘だ。
マンディアン卿には更に北上してもらい、デュイエスブルクの国境線際まで退いた辺りで陣地構築にあたってもらっている。その間の北上阻止が獣王兵団の仕事になっていた。
最早、しんがりも同然の状況だった。
「いやいや、お前は、お前だよ我が愛しの娘よ!」
溺愛しているのが分かる。
そして、鏡の向こう側の主こそ、現獣王その人であることだ。
いや、そもそも彼は何のために――。
「儂の娘がちょっと失礼な事を仕出かしたと聞いてな」
告げ口を働いたら、愛娘がもうひとり居ることがバレた。
そこで、初めて父親は怒ったのだろう。
妹?いや、姉それも違うがまあ、同一人物だが別の娘にいい処を見せようと、父は動いた――まあ、そんなところなのだろう。