-835話 ウォルフ・スノー攻防戦 9 -
「ほう、思った以上に善戦しておるな?」
ルイトガルトは“遠見の鏡”を用いて、戦場の様子をつぶさに観察している。
「デュイエスブルク大公国に送った使者に由れば、機を見て寝返る手筈も整えましてございますれば、この善戦もどこまでかと――」
甲蛾衆は使い捨ての駒として十分に働いている。
ハイエルフにも忍者の集団が存在する――土蜘蛛衆と呼ばれ、妖術師レベルが60ほどの者たちだ。
甲蛾衆では、魔王軍の囲いを突破できなかった。
が、彼らを囮にして土蜘蛛衆が皇帝の身辺にまで迫ることが出来ている。
「ラインベルクを排除できれば、人どころか魔王さえも大義を失うであろう...そこで、我らの勝ちを宣言すればよい。“世界”は絶望し、我ら神代のハイエルフの千と言わず、永劫なる統治の時代が始まるのよ!!」
壮大な計画だ。
ハイエルフたちはかつて、表の世界で“神”と呼ばれたことがある。
人々に魔法が使われる前から存在する。
◇
終末戦争を生き延びた、後の世代の神である。
彼らの仕事は、多くの生命を導く担い手であり統治者ではない。
その与えられた仕事(命令プログラム)を反故にする因子が生まれる――それが、竜と対決する道を選んだハイエルフの王であるという。これは“竜”の間で語り継がれたひとつの物語で、記憶で、記録だ。
各地に残る遺跡の中の石板が語っている。
「ほう、この壁画はそういう意味なのか?」
“聖櫃”の総長はライトに照らされた壁を見上げている。
大層に色付けされた鮮やかな文化的資料をだ。
「いや、それだけなら、他の遺跡でも同じ事が語られていた。これは、今現在まで至る歴史を克明に記録している代物だよ。まったくどういう原理なのか、皆目見当が付かないがな...俺たちの知っている“世界”ってのは、全体の半分だと記している」
「半分?!」
総長は振り返りながら、人影に注視した。
狩人然としているのに紳士的で長身、瘦せ型の中年男性だ。
くたびれた革のジャケット、山高帽子を着こなす鞭使い――山師“ジャック・テイラー”という、冒険家だ。
いわゆる冒険者ギルドに所属して、モンスターと闘うような連中とは違って、まあ、登山家みたいなものだろうか。
学者肌で、石英の洞窟内で難儀していたところ“聖櫃”の調査団と遭遇したのである。
「ああ、半分だ。最も、これを知ってしまった俺たちも、まだ全体の4分1程度にしか理解できていない。今、地上に棲んでいるあらゆる生物にも言えることだが、残念なことにこの記録では“管理者”が数名存在しているものの、それを除けば“世界”の1割も認識していないことになる」
恐ろしい話だよな――なんて、言葉が続く。
総長は小首を傾げながら「管理者か...まあ、記憶で思い当たるとすれば、先生において他にはいないだろう。あの小娘の壮大な実験というのに関わらなければ、俺の娘も、妻さえも...」
「あんたの失意には同情するが、このカウントが気になるんだが?」
石塊と思われていた台が光る数字を表示している。
これが、どんどん少なくなっている。
表示されている順から、2131230123である。
これが下一桁あたりから“3”が“2”になり、“1”となったあたりで“19”と数字が減った。
「ああ、確かにカウントされてる...だが、いったい何の?」
物凄く速いわけではない。
ただリズム的に下一桁がコツコツと数字が減っていくのだ。
そうこうしているうちに、数字は下5桁の“3”を“2”にしてしまったところだ。
光る数字の総数は、2131225951となっていた。
◆
南欧諸国同盟としてはジレンマを抱えている。
地中海の勢力バランスは、魔王軍の水軍に頼り切っているところがある。
第2席アンセディリティが担っているが、彼女自身もその海だけという贔屓は出来ない立場にあった。海の王者たる彼女にとっては、拡がった広大な海すべてが支配地域であるからだ。
結果的にそういう事になる。
海の魔物であるから、いや、海に棲むすべての生命から“神”として崇められているからだと言ってもいい。
これは、物凄く大変な事業である。
魔王軍の傘下にあって2席と列せられているが、多くの信者の面倒を見なくてはならない。
彼女言い分をそのまま、ダイレクトで通訳するなら――「地中海の覇権くらいは人の方で、勝手にやってくれ」である。あくまでも魔王軍として助力に努めていたのは、そのためである。虎の子の“黒曜石艦隊”は、確かに手酷く攻撃され再編成の為に最前線から退かざるえなかった。
まあ、人間たちの思惑にいいように使われたと言ったところだろうか。
彼女の苦情は魔王にとって耳の痛い処だ。
「と、まあ...あの女性は暫く地中海に戻ってこないそうだよ」
ウナがトーンの下がった声で答えている。
やや苦笑気味なのが、印象深い。
「って事は、へそ曲げられたの?」
うなづいて見せた。
質問をしたメグミさんも、明後日の方を仰ぐ。
「こんなトコで人間の他力本願が炸裂したか...地雷だね」
マルの辛辣なコメントに、ラインベルクの頭も下がる。
「グワィネズさんも戦線維持...難しそうですね」
ヨネも卓上の地図を見ながら、頭を掻いていた。
地図は、飛竜ゴーレムより航空撮影した絵図を元に、書き起こされたものを使用している。
もっとも、これ以上に今、この世界には精緻なMAPはないので、こんなところでオーパーツを増産中である。
後に与える影響は、全く考慮されていない。
それが、コメ一家のクォリティである。