-779話 姫巫女降し 55-
「ま、正直な話。エスカリオテ帝国は何を狙ってるんだ?」
音沙汰がないのが不気味という話だ。
新生ブルーメル・イス帝国の政治的一新によって、帝国本土の半分は混乱なく治世下に治まっている。地方領主たちの反乱という流れになるか、とも考えられたがそれらは取り越し苦労に終わった。
それだけ反動が大きかったのだ。
摂政の苛烈さによる――。
いずれは、帝国の命運を誰かに託すという考えがあったのではないかと、摂政への評価が改められている。が、その検証が行われるのは、彼の死後100年くらい後の話である。
それだけ、素直に貴族たちがイングヴルムの下に降ったからだ。
ただ、そのイングヴルムは暗愚であるのが頂けない。
「狙う必要がないのだとしたら?」
“遠見の鏡”ごしのラインベルク。
遠距離通信を可能にする便利な魔法のアイテムだが、実際に向こう側の鏡の前にラインベルクが居るのかと問われると、虚像は妄想で、変身される声は幻聴ではないかと思われる節がある。
ただ、そこを疑うともう、魔法さえも何でも信じにくくなるものだ。
「狙わない? 何をだ」
「何もかもでは?」
今一、ピンとこない。
「暗愚であることを知った我々でさえ将来を悲観せざるえません。これが、国民や臣下に漏れれば、いや、極大に解釈されれば単純ではないでしょうが、国は国としての未来を失うのではないでしょうか。いや、第二の摂政さえも市民は望むでしょう! たとえそれが悪人でも、暗愚によって滅亡するよりかはマシであると、人は考えないでしょうか?」
◇
交信を終えた伯爵のもとにガラハット卿が立つ。
戸口にあって、中に入るの憚るような雰囲気さえある。
「如何した貴殿と私の中であろう?」
戦死した北方の備えにあった将軍も含めれば、彼らは生まれも育ちも違ってはいても、同じ釜の飯を食らって大将軍職に上り詰めた、帝国屈指のたたき上げである。決して身分に胡坐をかいたものとは、ひとつも、ふたつも頭の上にある存在だ。
帝国の至宝とさえ呼んでもいい。
「なあ、おれは正直、どうしたらいいと思う?」
「なんだ藪から棒に」
「幼帝の為、幼年学校進学を進めたところのなのだが。あの摂政の手によって雌犬にさせられていた乳母がだな――『帝国皇帝に剣など不要』と申してきた。確かにあの方しか今は、心身的な後見人は居ない。自分の乳で育てていたという自負もあろう」
「まあ要するに貴殿は、幼帝の代わりに代帝のような人物が必要なのだな?」
帝国史上に置いて、その存在は1例しかない。
病床に伏した皇帝に変わり、妃である方が代役として1年間献身的に補佐したという話だ。
ラブロマンス的な戯曲にもなって、国民の多くも親しんでいる物語だ。
さて、そうなると。
その代役が必要になる――皇籍にあって幼帝の安全が確かでなければ意味がない。
◆
エスカリオテの建設中の王宮に密偵が現れる。
新生帝国の情報はすべてこういう形で、エスカリオテ王に届く手はずになっている。
国内の整備はあらかた整った――あとはいつ開戦しても、新生帝国に後れを成すことはない。
そういう意味では充実した、数か月であった。
ライバル国はとんだ災難に見舞われていると言ったところだった。
「また、あの伯爵か...方々で動き回っているようだが、今更、遅いということを知れ」
貴族たちの懐柔も終わっている。
今、このタイミングで戦争がはじまると、エスカリオテの動員兵力は10万をゆうに超えることになる。新生帝国は代わりに骨抜きにされて、兵も集まらないという状況だ。
これが彼らの誇る成果である。
「さて、どんな秘策を...」
紐解いた手が止まる。
短い文章だが、それだけで十分だった――殿下、復籍す――だ。
その紙を丸めて暖炉の中に放り込んだ。
火を点けると熱くなるのでゴミ箱変わりだが、何となく投げたくなったのだ。
この皇籍の復活した殿下というのは、末妹のリフルしかいない。
彼女以外に皇籍を失った女性は居ないし、父王が可愛がっていた娘もいない。
いや、そもそもで帝国中の人気をさらう人物としては、彼女は別格である。
エスカリオテ王の家臣の中にも、リフルが王位を継ぐのならばという声はなくもない。
聞かなかったことだと思って対処したことはある。
「だが、」
看過できないと思った。
敵味方と、関係なければ今でも可愛い妹である。
そのリフルを害しようなどと考えは微塵にもわかないのだが、こと、継嗣問題ならば話は別だ。
都合のいい事だろう理解している。
わがままだが、こうなることはどこかで避けたいと思っていた。
「誰か、あるか?」
「は、お傍に」
密偵とは違う配下が背後にある。
こちらも黒装束の軽業師のような恰好をしていた。
表情が分からないよう、フードを深くかぶっている。
「例えば、どの程度の警戒ならば暗殺は可能だ?」
「いかなる場所にでも」
「それは、朱の海に浮かぶ白亜の王城でもか?」
「御意」
男とのやり取りはたんぱくに進む。
これが実行されれば戦争になる。
失敗しても、しなくても戦争は確実だ。
「狙う相手によるリスクは?」
「ありますが、刺し違えてでもと決死なので届かずとも、致命傷は与えて見せます」
「ああ、届かないか...では依頼する! リフルの命を獲れ!!」
「御意」




