-750話 姫巫女降し ㉙-
振り返ると、それは美しい男性があった。
禍禍しいオーラは、悪魔のせいだ。
黒い短髪、ギザギザの眉、冷ややかすぎるアイスブルーの瞳。
眉間に皺がある。
いや、ラインベルクをのぞき込んでいる、その男性が眉間に皺を寄せてガン見しているのだ。
「おい、誰か眼鏡を寄越せ」
振り返った彼が丸い眼鏡をかけた――あ、どこかでお見かけしたような――と、ラインベルクの脳裏に電気が走った瞬間だ。
記憶の中のエセクターがじわっと、よみがえる。
召喚された後の席で、牛乳瓶の底板かと思わせるような冴えない文官を指して、彼女本人が『私の兄だ!』と紹介してくれた、人のようにも思える――その眼前いな、上から見下ろしてくるその人も、何者かと気が付いた節がある。
「ほう、お前はあの時の...よくも可愛い妹に触手を伸ばしてくれたな、人間風情が!!!!!」
激オコな人、ここにも居ました。
◆
数日前までは、本当に何もなかった。
肖像画家を呼んで、絵葉書みたいなものを描かせた挙句に――『兄上さま、長らく隠匿していた非礼をお詫びします。私、ミリアム・エセクターは、可愛い玉のような女の子を授かりました。えっとですね、お相手は...以前ご紹介しました通り“魂の契り”を交わした、カルス・ヴァン・ラインベルク=ドメル子爵にございます。あ、えっと正式に未婚の母となりますが、そこは兄上様のご威光を使って、養ってくださいますようお願いします――追伸、物入りなので金貨200枚、都合つけていただけると助かります』と、書かれた手紙が、王城から来た伝令を踏み倒してもたらされた。
王城からの伝令には、本国より急場凌ぎの5万を派遣する故、麾下に組み込み采配を振るえという命令書だったが、伝令もボロボロ、親書もぐちゃぐちゃになっている。
で、シェイヴァン・エセクター伯は、阿保みたいな進軍速度で西方戦線を放棄して“ドニエプル”を目指した。
少なくとも2回の転移門強行を使用し、馬と馬車による疾走でラインベルクに追いついた形だ。
帝国宰相もまさか、追いつけるとは思っていなかった。
ラインベルクはこのエルフ戦で命を落とすことが決まっている予言を得ていたが、存外しぶとい生き物だったということだ。が、状況が好転したわけではない。
彼らがドニエプルに布陣したとき、その同時刻で東の衛星国“東ドニエプロ王国”が降伏勧告に応じて陥落していた。同国は緑豊かな森を多く有する国家で、帝国と現地のエルフとの間には“森の開拓と、開墾は無理を強いらない”という盟約を交わしていた。
その約定を守り、森にすむすべての生物(=もちろん、魔族や魔獣なども含め)への手出しさえも禁じていたほどだ。その彼らが森を燃やし、里山付近の民家、猟師小屋、村、街をも襲っていった。
理不尽であり不憫だ。
「落ちた」
短く吐き捨てるように、伯の近くに集まった将軍たちが雁首をそろえている。
どこかの天幕に入り込んで、じっくりとこの後を話すような雰囲気でもない。
マスター・ラサも飛び込んできて、ラインベルクとラウルに耳打ちした。
「良くない状況です...東の大国が陥落。無条件降伏だったようです」
「で、王族は?」
「皆殺しですね、10にも満たない子供は男女に限らず、城壁から吊るされ絶命に至り...市民も見せしめで半数が街中で串刺しにされました。もはや、かの国に戦意などと呼べるものはないでしょう」
息をのみすぎてせき込んでいる。
苛烈すぎる。
「なぜ、なぜ、そんなことができる。かつては共に戦った仲間ではないか」
「時の虚ろぎでないなら、主人の問題だ。自分たちの意志だけではどうにもならない、眷族の縛りみたいなものがあるのだとしたら、各所に点在するエルフもまた被害者のだろうな」
「そういう考え方をするのか」
オウルの方はそこまでに至らなかった。
せいぜい、ひどい行いが過ぎる連中だという風にとらえていた。
実際に許せるかというと、正直半信半疑だ。
「エセクター伯の方はどういう...」
と言葉に出したと同時に、兵が二人の天幕へ入ってきた。
「正面と側面の同時攻撃を受ける可能性は避けたいと、伯の仰せである陣立てを変えよ!」
と、怒鳴り込んできたが――『お前はどこの者か?!』伯爵本人が男の肩を握りつぶす。
◇
「西ドニエプロ王国と連携を図り、我が軍は一旦、“ゼートミラ大神殿”を目指す」
ラインベルクは目を丸くしながら、
「魔族でも教会の庇護下にある神殿に入れるのですか?!」
と、口走っていた。
まあ、本気にするものはすくなかったが、彼は伯爵からげんこつで殴られた。
「教会こそが悪の巣窟で、神様がこれを正さない時点で...我らも神殿の出入りなどはわりと、スムーズに利用させてもらっているのさ。例えば、聖水はMPの回復に役立ち、我らも光属性耐性というのを獲得して無心人でも使えるように進化した。また、祈りをささげる時もな...ただし、信心深い奴が近くにいると、パフォーマンスを発揮することはかなわないがね」
軍隊生活が長い。
ヒールを使う連中は必ず“神”に祈りをささげてから、仕事を始める。
最初は聞こえづらいので、気にも留めないが。
だんだんと耐性が付くようになると、その声が真言のように木霊して、体に染み渡るようになるのだとか。
信心深いほど、治癒力に差が出ると知ったのもこの時だ。
「ふ~ん」
「他人事みたいに」
「いや、義兄さんとて、はっきりさせてしまえば他人ですし」
ラインベルクの肩の上に伯爵の太い腕が回ってきた。
「おおう、俺の可愛い妹をな...」
「あっれ~何のことでしたっけ?!」
するりと腕から抜け出すと天幕の外へ走り出していた。




