- 西欧戦線 序幕 -
ブリテンからは引き揚げ船というのが西欧諸国連合の名で用意された。
費用面はすべて魔王軍によるものだ。
結局、12万の動員兵のうち最後まで抵抗した殆どが半ば、捕虜となり睨み合っていた砦周辺に収容された。指揮を執っていた将軍というまあ、お偉い人たちの姿が、気が付けば見当たらなくなっていた――ただし、そういう状況だったから玉砕覚悟なんて思考に至らなかった理由でもある。
ブリテンからの撤収作業は結局、三か月掛かってしまった。
帝国支配下ではブリテン領と呼ばれてた同地。
マル耳ダークエルフ族、とんがり耳エルフ族、クマ耳ハーフエルフ族あたりを主とする住人で構成され、帝国入植者は少なかった。
恐らくは馴染めなかったのだろう。
「総督代行の者です。この度は、魔王陛下にご挨拶の貢物を...」
ウナの指示で、御付き騎士が箱の中身を吟味する。
食料以外にも、高価な織物などが纏められていた。
察するにこの地域で生産されたものでは無い、恐らくは大枚を叩いて購入したものだろう。
《徴税を科してこんなものを...》
ウナの性格からは受け取る気はない。
脇に控えていた竜種の老人は魔王の耳元で――「ここは一端、受け取られよマイ・ロード」
「ボクに帝国と同じ行動をさせる気か?!」
その行動は彼女の嫌うところだ。
だが、老人は重ねて「受け取られた物をどうするかは、陛下のお気持ちひとつにございます。これは彼ら流の礼儀作法...いわば統治者が代わったので、庇護を受けるための儀式に他なりません。ここで袖にすることは簡単ですが、今後、彼らと友好を結びなおすのは極めて難しくなるでしょう」
「そういうものなのか?」
「御意」
老人は再び、ウナの背へと元の位置へおさまる。
彼はウナの“王の手”、助言者だ。
人々でいえば“賢者”だろう。
総督代行という者は深く首を垂れ、これらのやり取りは聞くことも、見ることもしていない。
結局のところ彼に重要なのは、支配者が代わったという事実だけだ。
辺鄙な地域の生産地という立場は変わりようもない。
時々訪れた帝国の総督という役人に接待をして、云われなく村娘を宴で捧げるという身分。
守ってもらう為の彼らなりの知恵みたいになっている。
「分かった、預かろう」
ウナは毅然とした態度で臨み、代行と使節団には一晩、宿泊していくよう勧めた。
これに他意はない。
◇
「ええと? これは...」
代行が玉座に呼ばれ、謁見するとその場には朝貢したよりも多くの食料が下賜された。
その事実に戸惑っている状況だ。
「なに、忠義に厚き民に対する余の感謝の気持ちと、とらえるがよい」
瞬きが多い。
魔王は魔界では単なる“爵位”である。
第二魔王領という緑豊かで、広大な牧草地帯を有している。
それこそ余るほど作っているので、飢饉に対する備えと他国への支援、経済にまで影響させられる力がある。まあ、あくまでも穀倉地帯としての強みだが、魔界でも“食糧庫”と呼ばれていた。
そこから取り寄せた分も含まれる。
一晩かけて、飛竜ゴーレムによる空輸が行われたのだ。
「いや、ちょっと多すぎ...」
「各村や町で分けよ、今後は帝国で科していた税率の半分を総督府に納め、残り半分は飢饉の為の備蓄に回すがよい。収入が芳しくなかった荘園は休ませ、土を肥やせるよう努めよ。苦情、意見、改革に関しても遠慮なく申し立てて構わん!」
ウナ的にはドヤ顔だった。
代行たちは涙で顔がぐしゃぐしゃになってた。
魔王のドヤ顔なんて見えてなかっただろう。
《なあ、爺...これ、ボクの株上がったよね?》
と、背後の老人に尋ねている。
「陛下らしいお裁きです」
ジェノバ攻略戦の準備にひと月費やされていた。
トリノ王国からは啄木鳥の如く催促の兵が送られてくる。
それでもマーガレットは動かなかった。
トリノ王国にすれば時間を掛けた分、敵国は精強化していく。
とにかくこれが怖い。
獅子の紋章を掲げた軍団でも、数としてみれば1万前後だ。
先のブリテン島の攻防戦では、12万を動員しても負けたという事実がある。
トリノ王が落ち着かないのは必然だ。
「戦争だから何があるか分からない...」
マーガレットは、そう言って使者の兵を追い返している。
実のところ、魔法城壁攻略にはひとつの道筋を立てていた。
「金剛石?!」
「金剛石、加工が難しいとされる希少鉱石だが、故にこれで矢を鍛造する。1本でいい城壁に付与されたエンチャントごと粉砕する! これが私の考えたいや、答えだ」
主人のベッドを占領しているハムスターの考えだ。
マーガレットの方は、毎夜、床で寝かされている。
「故郷より連れてきた職人によれば、ひと月は必要だと言った。だから情報統制を強いたのだ。貴殿らは皇帝直属の騎士であるが、私の一存で部外者にしてしまって申し訳ない」
なんてらしくもなく、マーガレットは首を垂れた。
会議の場には5人の騎士がある。
その誰もが、漏れなく彼女を気遣い身を起こすよう勧めてきた。
「閣下は、これらをおひとりで?!」
「あ、う、うん」
歯切れが悪い。
見透かされたように他の騎士からの微笑みが浮かぶ。
「まあ、そういう事にしておきましょう。毎度の癖も、この閃きも...閣下らしいと言えばらしいことです。あとは...」
「試作の出来は良かった。本番に合わせて都合、2本の矢が届く手はずだ」
城壁が崩れたのちの段取りを話し合う場となる。
城壁は、ジェノバにとって精神的支柱であることは間違いない。
だが、それは一つが倒れたというだけの事。
「騎士王ですかね、彼の地域は戦闘民族だと思っていい。国民一丸で立ち塞がる皆兵国――これはちと厄介です。出来得るならば、総力戦は避けたいですなあ」
鏃のような国土で構成され、二辺を高地が隣接している。
都市ごとで武装蜂起されるたびに、慣れない高地戦で帝国の兵は疲労を溜めることになるだろう。帝国が慣れた頃、兵数でかなりの差が出ている可能性があった。
「うむ、そこでなんだけどね」
◆
再び国境に帝国の獅子が掲揚される。
トリノ王と王国軍の痺れは、あからさまな“怒り”となって表情に刻まれていた。
マーガレット自身の胸中も穏やかではない。
《うひぃ~怖いよ~、睨んで、睨んで...》
泣き言ばかり呟いている。
当然、トリノ王も半ば「魔女とは言っても所詮は女子! 何者ぞ!!」と憤慨してた。
人を呪うと、邪気は跳ね返るという――王はその日、飾っておいた自身の甲冑の下敷きになった。留め具が緩んでいたらしく、重量30kg前後が突如、襲ってくれば駄肉の塊ではひとたまりもなかったようで、侍従らが見つけてくれなかったら圧死していたかもしれない。
「トリノ王、大丈夫か?」
思わず他人の心配をしてしまった。
勘に触ったのか、彼は半ギレだった。
「余のことはどうでもよい! 貴殿らの首尾はどうなのだ??? もう、女の日だとか言って悪戯に時間を稼ぐような事はしないでいただきたいものだ!!!」
怒気が混ざった物言い。
5人の騎士らの視線が王に刺さる。
「あ、はいはい...」
“弓を持て”と、マーガレットは声を掛ける。
騎士のひとりが誂えたような豪奢な弓を持ってきた。
皇帝より下賜された非常に恥ずかしい弓である。
魔女と呼ばれた彼女には、相応しくない装飾の施された一品。
実のところ、弓を豪華に飾り立てる趣味は無いので、こういうアホみたいなのは好みじゃない。
“弓を持て”と声を掛けたら、従者が弓兵のを持ってくる手はずだったのを、騎士の方で勝手に変えられたものだった。
《うえ、何でこんな...》
《政治的問題です! 皇帝陛下の御寵愛を受けている事実が必要なのです!!》
ジト目からの受領までが流れ。
トリノ王の腑抜けた表情は、弓の価値に心を奪われたからだろう。
《貴族社会、面倒くさい、面倒くさい、面倒くさい...》
マーガレットが弦を引く。
弾力と張り具合を確かめ、従者が矢を捧げてきた。
「何だあれは?!」
銀色に光る矢。
明らかに金属だと分かる。
「――っ、隠蔽強化、更に隠蔽強化に強化を重ね、物理攻撃強化、強度強化を付与、重ねて物理攻撃耐性に対するデバフを付与...」
と、次々にスキルを重ねていく。
内訳として――
隠蔽強化(矢本体に対して)
隠蔽強化+(軌道の隠蔽化)
隠蔽強化++(マーガレットに注目が集まるようにするタゲ盗り)
物理攻撃強化(金剛石の矢の攻撃力を乗算)
物理攻撃強化+(相殺分の上をいく乗算値)
弾芯強度強化(矢本体の強度を高める)
弾芯強度強化+(更に耐性に対抗した強度値の乗算)
物理攻撃耐性弱体化(デバフ効果、成功率は低めだがHITすれば1割減)
物理攻撃耐性弱体化+(重ね掛けによる減少値を倍にできるが成否率は変化しない)
物理攻撃耐性弱体化++(上記同様)
魔法攻撃耐性弱体化(魔法およびその他、バフスキルを剝がされる効果の相殺目的)
女神の祝福(サイコロの女神に捧げる乙女のキスを付与)
最後のキスで、実際にLUCK値が上がるらしい。
マーガレットが魔女扱いされたのもこうして、最後にキスをした何かがやらかしたせいである。
番った弓を弾くと、手元から一瞬で姿を見失った。
戦場の誰もが彼女しか見れないよう細工されてだ。
《あは~みんなぁ、私を見てる...恥ずかしいよー》
ハムスター曰く、最後のタゲ盗り要らなくねだ。
凡そ、その年で一番いい音だったろう。
ガラスの板が粉々に割れる音が響き渡り、騎士王の頭が吹き飛んだ。
金剛石の矢は、城壁に直撃したと同時に周囲の耐性強化と反応しながら、判定と結果の反復を行って相殺し合ったが、弾芯だけは突き抜けて王を襲撃した。
この矢は、弾殻と弾芯の二重構造が用いられていた。
ドワーフ職人の知恵である。
「は?!」
トリノ王が城壁から身を乗り出して――落ちた。
落命した模様。
ジェノバ軍の動揺も国境線からよく分かる。
さあ、遠慮くな進軍開始という銅鑼が鳴る前に、帝国とトリノ陣営でも同様の空気が流れた。
「皇帝陛下より“ケーニヒスベルク伯には、西欧戦線へ赴いてもらう”との事にございます!!」
鋼鉄の腕鎧の元団長と、緋色のグエンが奔走した結果、結果というのも少し違うかもしれないが、帝国の目が再び、西欧側に向くことになった。
帝国は、西欧にそれほど注視していたわけじゃない。
無視しているくらいで、丁度いいとも思っていた。
しかし、魔王軍がブリテンに続き、西欧から上陸してきたことは、見過ごせない事態になった。
それだけの事だと、帝国なりの理由が必要になった。
「西欧の連中め、つけあがった真似を!!!」
口調が貴族らしくないと諫められながらも、貴族院は紛糾している。
「反帝国同盟であったか? 実状的には黒海を封じられた程度だと思っていたが、魔王と手を組むか普通? ここは人類存亡を賭けて...だな」
「それ以上に我らが、目障りというだけの事なのでしょう」
国防大臣が入室してきた。
御前会議に出ていたメンバーも続々と貴族院に合流する。
「で、陛下は?」
「会談を所望しておられる...その時期はとうにないと、伝えたが...魔女を召還されたという。あの女に何ができるとも思えんが、まあ...ここは高みの見物といこうではないか!」