-735話 姫巫女降し ⑮-
子爵軍は帝都に戻らず、子爵領に入る。
今後の拠点は、この地と定めたのだ。
領地を獲得したので、内政ターンという事だが、そう簡単に表舞台から、お暇は出来ないようだ。
その実、帝都にある“はち蜜と熊手亭”の旧騎士団兵舎は“火蜥蜴団のねぐら”へと移管しても、食堂兼宿屋の最高経営責任者は、カルス・ヴァン・ラインベルクとはっきり明記されてある。
この食堂で事件が起きれば、いつでもラインベルクを呼び出せることが出来る訳だ。
まあ、便宜上の話だが。
騎士団兵舎の頃から、人の出入りは多かった。
特段、ガラの悪い連中が出入りする訳ではないが、元奴隷市民っぽい連中の姿は目撃された。
人の売り買いなど道徳的には問題があるだろう。
しかし、時代によっては正当化された頃もあった――ブルーメルという古代王国も例外ではない。
文化レベルは、紀元前2世紀前後だ。
ま、この場合どこがモデルか?という疑問は残るだろう。
が、アナウンスは無い。
看板娘マル(分身3体)も引き続き、給仕でアルバイトだ。
子爵領との連絡が主な任務となる。
「完全に自由じゃ...ないんですねえ~」
給仕マル1号の言。
「当たり前でしょ! ボクにとっても情報収集は大事なの! わかるよね?」
「ええ、まあ...あ、はい...」
気乗りしないのは、別行動できるという、ぬか喜びの落胆が大きかったからだろう。
マルが3匹の思念を読み取らなくても分かる――ただいま“ないわ~”“それはないわ~”の連呼中だ。3匹の大合唱はあれだ、田んぼからそれと無く聞こえてきた蛙のゲロゲロロ~っていうのに似ていた。
何処か遠くで聞く分には、夏だねえ~なんて言えるのだろう。
◆
「ひとまずは腰を据えていられると思う」
楽観が取り柄のラインベルクが、鎧を脱ぎながら皆に伝えた。
まあ確かに一段落はついた事は確かだ。
蛮族討伐というイベントを越えて、ゴブリンたちは散り散りになった。
少なくとも残党狩りくらいは、別の誰かに手柄を譲るとして休息は重要だ。
「逞しくなったね...」
「ああ、そうかな?」
ラインベルクも“まんざらでもない?”みたいにポーズをとってみる。
「いや、その...竿が...」
いきり立つ流々とした棍棒。
やや短いのは内緒だ――マルの視界にそれを捉えていると、何やらチカチカする。視界がうすらぼんやりぐにゅぐにゃと曲がって見えた。
「あれがオスの匂いだ!」
エセクターは、嫌な微笑みを浮かべながらマルに抱き着いてきた。
「はは~ん、あんたもメスだって自覚できたんだねえ」
「してますよ...そ、それぐらい...分身で増やせるけど」
分身したら、株分けみたいに“名”を与える。
今後、それが族名となってスライム・ロードという種が、増えていくことになる。
ただし子孫たちに種の保存とか、種の繁栄という意識が薄くなると――勝手に途絶えるらしい。
「で、どうよ...あの美味しそうなソーセージ!」
「ストレートに言いますね」
「こう、鼻孔の奥を刺激してくれる匂い。しかも、あの理想的な勃ち姿は彫刻のような粗末なものとは段ちだろ? くぅー溜まらねえ。いっけねえ、リフルの奴も狙ってたんだ...」
と、レクチャー半ばで放り捨てられた気分。
マルの目でもう一度、ラインベルクの身体いや裸体を見直す。
肩の筋肉はまだ薄いが、毎朝の素振り30回は一応の成果が出ている――多分、剣は得意な魔法で補えば、冒険者の上くらいは大成するだろう。
胸筋、申し訳ないほどの平たさだ――もっと腕立て伏せが必要な気がする。
腹筋、わりと普通いや、凄く普通。
普通意外に何を見るべきか、強いて苦言を添えるならばだ、腰にかかる脇腹が弛んできているくらいだろうか。
臀部、そそり立つモノと非対称に小尻だ。
締まって見えるのはギャップのせいだろうか――と、もう一度全体像を見たら、裸族ポーズを決めてやがった。ちん...なんとかを隠しもせずに、マルへ堂々のアピールタイムである。
「成敗!」
手元で投げやすそうな花瓶を竿に向かって投げていた。
師匠のエセクターから、折れたらどうすんだ?!と、しかられもしたしリフルからは、お姉さんが重要性を分からせてあげようかと、怖い眼付きで凄まれもした。
ラインベルクの命より、タネが重要なのだと言われ、やや彼に同情する余地が生まれる。
あくまでも余地だ。
◆
ドメル子爵領ギューレ。
付近にラダの大森林と雄大な高地が広がる。
領都の名は、ラインベルクの名に響きが似た“カレアス”という。
人口1万2千人前後、周辺の村を足しても2万にさえ届かない。
皇帝の寵愛を受けていたという理由で兵役は免除され、特産品のチーズが王宮に納められていた。が、チーズを使った料理などは終ぞ見たことは無かった。
「そのからくりは簡単じゃぜ」
と、老子爵がひっひひと嗤っている。
まあ、親父殿と呼ぶべきか迷っている。
「その辺は、テキトーでいいじゃぜ...呼びやすかったら“じじい”でも“じいちゃん”でもよか」
気さく過ぎる。
ラインベルクにも涙...。
「まあ、チーズじゃろ...あれはな表向きは宮廷に卸して居るが、陛下の死後も買い上げてくださっておるのじゃぜ。この領地は火避けと分かっての配慮じゃ...帝国にとっては要石。2万も満たない人口で兵を1割でも引っこ抜いたら、立ち行かぬこともじゃぜ」
「集められて100が限界か?」
リフルの率いた士族の数が限界だという事だ。
老子爵の若い時に、この地へ封じられた。
帝国の拡大路線の最初の頃だから、恐らくは最前線だった筈だ。
領地としては小さく、豊かだが高地が大半を占める。
高地を平面的に捉えた場合で、収穫量計算でもされて居たら、とんでもない枷が懸けられたら大変な事になっていただろう。
そうされなかったのは――
「100で限界じゃぜ。だがな、儂が若い時分に率いて居った兵がまるまる残っておる。主人の儂の方は、命脈を繋ぎ切れんかったのにじゃぜ。故に、カルス殿...この子爵領を頼みますじゃぜ」
老子爵が頭を下げていた。
ラインベルクは直ぐさまその行為を止めさせた。
打算だけでこの家を選んだところはある。
リフルの実家なら意に従わせるのも容易だと思っていた。
が、そういう考えは何処かに置き忘れていた。