-732話 姫巫女降し ⑫-
城塞での一晩は、こうして過ぎていく。
確認できたことは、ラインベルクにとっての味方は、エセクターとリフルの他に考えれば“火蜥蜴団”のマスター・ラサなどのごく少数しか居ない事になる。宰相が野心家で、帝国の乗っ取りを考えているならば末子の皇子も身分的に怪しくなってくるという話だ。
ただ、同時に其処までバレやすい行動に出るのか、という考えもある。
マルのような部外者にも不可思議なてところが見えたのだから、少し気を回せば宰相の行動の不自然さは、誰もが気がつくのではないかと指摘も入る。
その主張に対して――エセクターは頭を横に振る。
「彼を野心家だと知っている人間の方が少ない」
と、零し――
「なぜならば、彼が宰相になるまでの10年...そう、僅か10年で彼は文官最高位の地位を手に入れた。それまでの10年は、更に知る人が少ない武官時代で功績を積み重ねて、若くして皇帝の右腕になった経歴がある。フルプレートメイルで正体を隠していたから、他の人たちの記憶に残らなかったというのもあるだろう...ま、幼かったリフル嬢は本能的嗅覚で、ソレと知っていたのかもしれないが、何れにせよ宰相の野心を知っている者、いや、その事情を知る者は少ない」
と、呟いた。
帝国宰相として軍を率いても、将軍だった頃の経験によりラインベルクよりかは十分にまともな指揮官である可能性は高い。それでも、彼が必要なのだとしたら単純に勢力を増やして、一極集中化させない為の妨害でしかないという事だろう。
◆
「まあ、あれだ...俺が気を解いて安らげる場を提供してくれるってのは、リフルとエセクターと、マルの部屋ってことだろ...なーんも問題ねえじゃねえか」
能天気な思考と言うのはこういう時、途方もなく清々しく思える。
ラインベルク自身も深く考え込んだら、気絶していたと言った。
結果的に考えるのを止めたのだという。
「だって、ほら...その時に成らないと、誰が敵かなんて分らんだろ」
それは至極、当然な話だ。
それだけに逃げ道は常に用意すべきだ。
「ま、そん時は俺が囮になって...」
「バカか大将が囮になってどうする!?」
エセクターは強く反発して見せたが、リフルは頷きながら。
「ま、それも悪手ではないな」
「でも毎回は使えない。大将に釣られて出てくるような連中なら、他の手でも足元を掬えるのだからそんな無茶なことをする必要はない。むしろ、リフル姐さまに及ばない武力なら、もっと安全な策で回避して貰わないと...命幾らあっても足りないからね!」
ぴしゃりと、マルから忠告が入った。
もう、このパーティーに死角は無いといった印象だった。
◆
朝餉の頃合いも近づく頃、城塞側で小さくも大胆なイベントが起こる。
外では見張り台からの銅鑼の音が聞こえてきた。
「敵襲か?!」
ラインベルクは、思わず外に飛び出していた。
兵舎の2階にある主人を見つけた騎士は、
「子爵殿! 敵襲にござる」
と、短く吐き捨てた。
銅鑼の音は4連打のようで“バトゥワ”方面の城壁側を攻撃されていると、告げている。
「リフル?!」
彼女は既に甲冑を身に纏っている。
主人のラインベルクよりも戦人らしい振舞と佇まいだ。
「私が直接指揮を執る!」
“いってらっしゃい”と、見送る主夫のような雰囲気だが、エセクターも法衣を身に纏いリフルの後を追う。
「治癒士は私に続け!」
と、号令まで下していた。
頼もしいくらいの女性陣だ。
「で...」
部屋の中を見ると、マルが残っている。
彼女も臨戦態勢は整っているものの、物思いにふけっている様子だ。
「なに?」
この場合は“何を見ているの?”といった具合のキツめの応答だ。
何やらぞくぞくする感覚になる。
《ツンデレかな...最高っ~》
「昨晩は、仮に“バトゥワ”を襲っていたから城壁への攻撃が見送られたとする。でも、普通ならそこで略奪としての戦果、いや、成果はすでに十分すぎるほど得ている筈だよね。兵力も士気も高いとしてだが、この長城を越えるのは難しい。十分な攻略案があったとしても、損なう戦力を上回る魅力が果たしてあるだろうか」
と、マルは、ラインベルクに指さして問う。
ローブの奥から覗く瞳は、真っ赤に光って見えた。
「“バトゥワ”の守備兵力は?」
「恐らく4、5万前後。最大徴兵されれば人口比で3割強じゃないかな...」
マルが首を傾げる回数が増えて、癖みたいに見える。
一晩で陥落した時点で、攻略法を見つけていたか、事前に知っていた可能性がある。また、それはスパイによって城壁の攻略も教わっているという意味に繋がる。
「水門だ!」
マルを背負って走り出していた。
道すがらに街の衛兵を片端から勧誘して、街の上水施設へ向かう。
水門は、街の生命線でありそのまま、脱出路になるケースがある。
普段ならば、絶対に見つけられない場所に隠されてあるのだが、この日ばかりは脱出路の入り口は切れに草刈りが施されてあった。
ゴブリン王とその側近たちの侵入を易々と許し、街の西側の港湾部へ出てきた。
山一つ分真下に長い回廊が敷かれており、協力者曰く『迷うような事は無い』と言われたとおりに城塞内部へ侵入出来た。水路の方は更に狭くなって街の中心地へ向かうのだが、進入路としては港を見下ろせる古い教会跡地から飛び出す形で終点となった。
ラインベルクの筋は良かったが、彼の背後にゴブリン王が立つ構図となる。
「あれ?」
水門についてみれば、狭い取水口から水が流れていた。
「あれじゃない!」
背中のマルが叩いている。
目の前に小さな火花が散って見える。
「子爵殿、どこに敵が?」
「いや、水路を通って敵が来るイメージが...」
衛兵らに告げると、彼らはラインベルクを小馬鹿にしたように微笑して――「それなら港側のですな」――だ。
そうして指さしたところで、戦闘が起きていた。
掲げられた旗は、六皇子の馬印である。