-731話 姫巫女降し ⑪-
《俺たちの...いや、カルス・ヴァン・ラインベルクという男は安泰かという事だ》
カルス理性は言い放つ。
疑問に思わないのは煩悩だけだが、眠たげな感性でも理解は出来た。
ネガティブなポエムを呟く心性も部屋の隅っこにいる。
あれが、元の世界でラインベルクを引き籠らせていた原因である。
《目を向けるな、そっとしておいてやれ》
と、煩悩が呟いた。
“触れると危険”なんて張り紙が、心性の背に張られてある。
《で、安泰というのは?》
《気がつかなかったというのは正直に言うと間違いだ。気がついていたが、気がつかないでおこうとした――が正解にちかい。この世界で仕事をくれた事、少なくとも理解者として、いてくれている点において俺は目を瞑ってしまったんだ。が、考えてみればだが何の見返りもなく、異世界人同士が心を開くと言うのは...都合が良すぎる点だ》
まくしたてるような、セリフがここで途切れる。
部屋の隅でネガティブポエムが聞こえ始めた――三人は耳を両手で塞いでいる。
《素直に見れば、末子を遺言通りに皇帝にする...ため...と...》
どんどん不信しか湧かなくなる。
落ちこぼれニートでも、頼ってくれる世界があるというだけで単純に嬉しかった。
親戚すべてが優秀過ぎて、残滓みたいな気分だった自分に、女の子が寄り添ってくれた。
幸福というのを嚙み締められた。
《目を曇らされていた?》
《リフルは置いておくが、エセクターとは魂の契約がある...》
何処までかは分からない。
考えてみると、何もかも分からない状態だ。
◆
気絶中のラインベルクを見下ろすエセクターは、顔を覆う。
「で、こいつに何をした?」
見下ろしていた目がマルに向けられる。
その視線は鋭くはないが、刺すくらいの痛みがある。
「この人をこの場においてもう一度聞きます。誰が味方で、誰が敵ですか?」
いつか前にも言聞いてはぐらかされた。
事情が見えてくると、第一印象で感じた疑問に何度も立ち戻ってしまう。
「事情を知ると、突き進む道しかなくなるが、それでも構わないのなら教える...」
自然と合点がいく。
エセクターはひとつの意思を以て、ラインベルクという青年を呼び出した。
いや、この場合は決意だろう。
マルは頷いた。
「こいつの始祖は、おそら、くこいつ自身だろう。ま、意味が分からんだろ...南極の予言者が時代を変える者として、ラインベルクという名を告げた。これが事の発端だ...そこで召喚術式が考案された――媒介は、彼の血統の祖だ」
訝しむマルの目が足元の青年に向けられる。
「まさか、皇帝の傍流?」
「リフルとは近親ではないからな、2千も離れれば殆どあかの他人だ。だが、それでも皇帝の血が彼へと導かせたのは、やはり偶然では無かったという事になるな...まあ、帝国には、救国の英雄の召喚だと言い含めてある。宰相にまで上り詰めたあの野心家は、どこまで信じているかは分からん」
「やはり師匠も信用してないんですね?!」
「信用?」
エセクターの眉根が上がる。
切れ長の目が三白眼にみえた。
「そんなものは一度もない。だって考えてみろ...」
エセクターは部屋を見渡しつつ、マルの隣脇に腰を下ろした。
脇にあるマルを抱えると、自分の膝上に着地させた。
「帝国宰相といえば、政治的にも軍事的にもトップの文官最高位だぞ。帝国法の下においては、皇子とて従わざる得ない絶対的な地位だ。皇帝の遺言が確かなものであるならばだ...そもそも英雄なども彼には必要ないということになる」
マルの胸を揉む。
揉みながら、彼女の髪の匂いを嗅いでいた。
揉まれているマルも、お腹の下がきゅーっとして、荒い息使いになっている。
「王宮魔術師として数百年、色んな野心家を見てきたが...恐らくは歴代の文官の中で気を許してはならない相手は身近にいる...ま、リフルを気にかけているってのも、かつて、幼い皇女に求婚をしたという負い目があるからだ。アレはダメだ...」
「...っだ、め?...」
「ガキの頃からギラついた野心が見え見えだったが、あれから更にドス黒く成長している。あれの家も名門で、後宮に女人を送り込ませるだけの財と地位があった。あれの叔母と姉も皇帝に貢がれた者だったから、恐らくは家にではなく、帝国そのものを恨んでいる可能性もある」
生き字引としての、エセクターを垣間見ることが出来た。
彼女ほどの魔法使いだと後宮へも出入りが赦される。
性別だろう――魔人である正体を知っているのは、皇帝となる者のみであるから、皇位継承権を持つとされる第一子の誕生の際には、必ずエセクターの姿が目撃された。
魔法使いとして出産イベントのフォローをしていると推察できる。
「し、ししょう...」
マルは絞り出す声と共にスライムへ転じ、水分大放出を招いた。
所謂、潮を噴いたところだ。
足元に転がっているラインベルクもびしょびしょだ。
「あらら...」
◆
水桶に張った水の中にマルがある。
浮いたり、沈んだりを繰り返しつつ、ピンク色の肌をやや赤らめて泡を吹く。
《何やってんだろ、ボク...》
水桶の中でくるくる回っている。
ラインベルクは覚醒後、潮の匂いがすると呟いたと聞くが、消息は不明だ。
リフルに耳をひっぱられながら、部屋を出たという話だ。
マルは、エセクターの部屋にある。
自室は掃除中という理由からだ。
「お、気がついたか?」
「師匠ー」
ぶくぶくと泡を吹かせている。
「下のつくりもどうかと思って、触れたら...な」
と、謝罪だ。
大放出しながらスライムに戻るとは思わなかったという。