-729話 姫巫女降し ⑨-
マルの分身たちが、帝都の“はち蜜と熊手亭”で働きながら情報収集していると、よからぬ噂を聞きつける。店主のおじさんからは、余計なことに首を突っ込むと変な輩に付きまとわれるから、話は半分にしてテーブルの片づけをしなさいと釘を刺された。
噂というのが、物騒な話だが気が触れた筈の第三皇子を飛び越えて、第五皇子あたりにきな臭いものがあるという。これは単なるうわさで、マルの分身たちが、雁首突き合わせて噂の信ぴょう性について議論している段階だ。
ただ、少なくとも意図的な匂いを感じることができた。
「要するにそれは、情報操作」
と、居室の鏡台に話しかけているのは、分身の中のリーダー格である。
ふたりは接客とトイレに籠ってで忙しいらしい。
「操作?」
分身したからと言っても、知能レベルまで凡人に落ち込んだりしない。
ただ、事情の知ることが出来る立場が、マル本人だけであるという事なのだ。
「外側に向けている眼を一度内側に向けさせる。そうしてやっぱりデマだったのかと、再び、外に向いた時には何事も一足遅かったというものにしたいのだろう。そうすることで利益を収めるのは、この場合、いくつか候補がある」
「ふむふむ」
言葉に詰まる。
マルは自分の分身に――メモを取ってるの?――と、問うた。
彼女は頷きつつも、目を丸くして――
「何かおかしなことしてる?」
と、聞き直した。
「あ、えっと...なんで?」
「他の子とも情報共有、そういう事だけど...変?」
もう一度、念を押されるように聞き返された。
「まあ、要するに...こちらからで考えられる利する者だと、独り目は“宰相”だよね」
「うん、亡き皇帝の寵愛を受けたとする末子。もう赤子同然で嘘か誠かなんて分からないから、出生さえ怪しく見える。その点を皆が突かないのは、帝国中枢と主要な大臣を掌握しているからだけど、腑に落ち無いだらけなのに...ラインベルクは信用仕切っている所が」
「で、もうひとりが“第六皇子”?」
切れ者だという噂は絶えない。
これも王宮側のあたりからの流布で、市民の受けはいい。
他の王族からすると、暗愚というよりは名君だろう。
「この二極対立の構図からすれば、恐らくはそうなる。そして、侵略者を討ち取れば“救国の英雄”に成れる。もしも、市民による人気投票で皇帝襲名なんて行事が合ったらならば、間違いなく第六皇子が皇位を継ぐだろうこと」
マルの読みは当たりだ。
どの皇子が“救国の英雄”になっても、付いて回るのが疑惑だ。
仮にゴブリン王が捉えられ、取り調べという拷問を受けたとしても皇子の名が出ることは無い。
用意周到な手配をして、事に及んでいた。
其処まではマルも読んでいる。
問題は、本気で長城を抜く気があるかどうかだ。
◆
再び長城側に戻る。
マスター・ラサのもたらした情報と酷似した物を、第三皇子の側近たちが拾ってきた。
明らかに罠匂いがする内容だけに、ラインベルクは口元をグローブで覆っただけで会話に参加する事は無くずっと聞き役に徹していた。
この話に加わって“実はだいぶ前に知ってました”というボロがでる要素を、極力排除したかったからだ。
先ずは、世間体によろしくない。
もう一つは、ラインベルクの素性をこれ以上公にしない為だ。
ドメル新領主は、物静かな人物という印象を与えたい。
「六皇子らはさぞ面食らっているだろう」
隣に座した宰相が小声で問うてきた。
「ドメル新領主は、慎重な男で物怖じはしない...そして、貧乏なんだよ」
と、笑いを誘った。
円卓で進む会議は茶番でしかない。
進行は六皇子がしゃしゃり出て、彼よりも爵位も継承権も高い、位にある兄らを押しのけている。これは出来レースだと誰もが思っている。
国土の豊かさと思慮深さでいえば、三皇子は徳の高い人だった。
暗殺せずに味方に引き込んだ方がラインベルクとリフル皇女の側にとっては有益だったろう。が、宰相は送させなかった――いや、そういう選択肢たる情報を与えなかったのだ。
今となっては、三皇子の派閥は全く機能しない。
四皇子と五皇子は銀山を持っている。
しかし遊興が酷く、領主としても爵位に見合っていないという評価がある。
六皇子の弁の前では赤子も同然だった。
と、すれば七皇子と八皇子などは、皇籍から受け取れる僅かな禄で十分と考え、六皇子の口車に乗って廃皇子扱いとなった。
今、ふたりは六兄の忠実なる将軍となっていた。
この牙城は崩せない。
「三皇子の一派は状況の打開に躍起だな」
他人ごとのようにラインベルクは宰相に伝えた。
そう仕向けたのは他ならぬ、彼である。
命令を下したのは宰相だが――
「失地というほど株は落としていない。後継となる息子がまた、出来た人間だと言われているからな、油断大敵だぞ?」
と、彼は言う。
ラインベルクの目はどこか遠くを見つめていた。
一応、事の成り行きを見守っている。
もしも、斥候でもいい“バトゥワ”へ兵を向けるのだとすると、常備兵の中から選りすぐりを選抜することになる。そうなれば、必ず発案者である三皇子の側近らも参加する事だ。
「少し気の毒だな」
「それは、君たちが既に問答で得た結果だからか?」
宰相はその席には無かった。
が、三皇子らの供回りが、宰相に持ちかけて会議となった経緯から“罠”である可能性を訴えていた。非公式な訴えであるから、会議を中止できなかった。
「いや、いや...違わないな...どちらもだ」