-725話 姫巫女降し ⑤-
ブルーメル・イス帝国が他国を圧倒出来たのは、魔法士の運用に長けていたという点がある。
魔法士団という500人規模の兵団が存在し、これを戦場のあらゆる地に送り込んだ。
とはいえ、帝国で揃えたものではないから、魔法士ひとりにツキというレンタル料が“教会”へと支払われた。
ひとり、ひとりならばたいしたことは無い。
ただ帝国の異常なまでな、侵攻意欲に振り回された魔法士は総兵力の実に約4%も送り込まれた。
世界の半分を掌握したという大帝国だから、世界中の魔法使いを使っていたかもしれない規模であるから、人間もさることながら動いた金も相当な額に上っただろう。
ただし、全額支払われたかまでは子細な情報が残っていない。
そ、いうのも、帝国の庇護下にあった教会というのが、セーライム正教である。
自前の領地と国名を赦されており、帝国保護領“セーライム法国”としていた。
帝国の聖女信仰に則しているにも関わらず、女性には寛容ではない謎の国でもある。
養成する魔法使いのすべてが男性であり、治癒士はごくわずかに女性も交じっていたが、それも教皇に仕えた一部の者たちだけだ。
帝国内の異物という定番のイメージが“セーライム法国”なのだ。
◆
北域鎮台の城壁を越えて北の地に入ると、背後に聳え立つ山城の堅牢さが窺い痴れた。
これは、攻略のし甲斐がある。
「俺が攻めるとしたら、少数で登るね」
ラインベルクはいう。
彼が上るのではなく、彼の部下がという話だろう。
と、いうのもこの1年と数か月、こちら側に来ても基礎体力が増したという話は聞けなかった。
剣術も学び、兵法もだが何一つこれといって精進出来たものは無い。
せいぜい、魔法への適正があったことぐらいだろうか。
「ま、人間だし1年で伸びたらむしろ化け物だよね」
「だろ?! マルの方が分かってるじゃないか」
と、マルのローブに指が滑り込んできた。
訝しむ彼女の目がラインベルクの顎に向けられる――小声で――
「ちょ、何する気?」
「俺ってばさ、実はデカいのよりマルの方が好みでさ」
と、性癖を開け広げる。
「ほら、つねるとか、声を出すとか...そういうのしないとこ見ると...」
「べ、別に...好きじゃないけど、そういう気分でもないし。でも、触るならリフルさんの見えないとこでした方が良いと思うよ?!」
背後に殺気を感じる。
咄嗟の事だ、リフルの乗っていた馬へマルが飛び乗り、その馬からリフルが飛び乗ってきた。
がっちりと背後を盗った彼女は、肉質の良い胸を背中に押し付けてくる。
「あ、」
「あ...じゃないよね? ダーリン」
玉を鷲掴みされ、竿は萎えた。
マルは笑いをこらえるのがたまらなく苦しい。
「夫婦漫才はそのくらいにして、雪山に入るんだから防寒準備だよ~!」
200人の隊で、先頭を歩くエセクターからの声が通る。
第一陣、二陣の歩兵らは既に先に入っている。
防御陣地5合目を目指していたが。
◆
結果的に6合目をも抜かれてしまう。
7合目の砦に入り、守備隊の屯田兵と合流すると、北域の過酷な状況を知ることが出来た。
「で、間に合わなかったと?」
第一陣は5000人規模だった。
6合目に入った処で開戦し、荷解きする間に南下してきた敵兵力とまともに正面からぶつかったというのだ。
第二陣は7合目で足を止め、援軍にさえ行かなかった。
結果的にはその判断が、多大な犠牲を出すことが無かったことに繋がっている。しかし、同じ兵士たちの中には、たまたまの組み分けで、生死が分かれた同郷の士というものもあった。
そのたまたまのせいで、助けられなかったという憤りも残った。
「兵士たちの中には恨んでいる者も少なくは無いだろうな」
三軍にあったラインベルクらも漸く合流する。
総兵力2万弱――三軍の後に四軍と五軍ほど続いて現れた。
「女は与えられんが、酒は出せるよな?」
ラインベルクの相手には宰相がある。
彼も居るという事は、この戦が国難だという事だ。
「ああ、勿論だ」
宰相の組は補給品の中から果実酒を仕入れていた。
今頃は、鎮台府の蔵から大量の酒が無くなっている事に驚いているだろう。
「防衛線の砦ってひとつだけ?」
マルがパジャマ姿で、男二人の部屋に来る。
毛布以外に頭から被っているローブはそのまま、彼女のもう一枚の布団となっていた。
そのローブを引きずりながら、目を擦っていた。
「どうした?」
「なんか胸騒ぎがして」
宰相の表情も次第に曇っていく。
総兵力は2万だ。
正攻法であれば、住民の多い地にある街道沿いでこの砦が狙われる。
今までが単純に真正面から、かち合って気過ぎたせいで敵は常に街道沿いの街を狙ってくるものばかりと思っていた。
もしも、この読みが最初から釣り上げるものだとした場合の軌道修正は、もう今からでは無理とは言えないが、難しいとしか考えられなかった。
「マル殿! どこでそう思い至られた?!」
「え?」
眠い目を擦る少女に宰相が詰め寄る。
投げた杯が床に2、3刎ねてから割れた。
「6合目の強襲...当たりかな、たぶん」
両膝を突いた宰相は、ラインベルクの方へ上体を反らし、
「これは不味いぞ」
「どうした」
「相手が魔物だと思っていたから、てっきり人を襲っていると思ってた。確かに散発的なちょっかいはあったし、これまでにも斥候や皇子の隊までも襲われて、襲撃者の意図が我々の食料など思い込んでいた。が、もしも本気で知恵のある事をしているとすれば――」
城塞から守備兵を2万も引き抜かせたことになる。
しかも、かなりギリギリの防衛ラインまで真正面から、攻撃を仕掛ける大胆な戦略眼を持つ。
「だから...」
ラインベルクの目にもうっすらと絵図が見え始める。
エセクターのみせる注目を集めておいて、実は何もないという風にお道化る例のアレだ。
「砦の周りには、等間隔で物見塔くらいしかない。せいぜい10人か20人くらいの守備兵で、打ち寄せるのが大軍だとしたら、知らせる間もなく陥落するだろう。もしも、今、この時点で城塞に戻る手筈を整えたとしても...」
「明け方か、或いは合戦中の敵の背後に出るってとこか?」