-723話 姫巫女降し ③-
“はち蜜と熊手亭”には、いつも表向きの食堂が大繁盛している。
味がいいという評判以外にも、店で給仕しているマルが可愛いという評判で、客の足が絶えないのだというのだ。
一目見たさの客が、リピーターになるという始末だ。
「何か、魅了でも使ってるのか?!」
マルは自らの分身を3体つくると、交代制で給仕に専念させている。
これでお小遣いを稼ぐ方法にでた。
「え? そんなの使わないよ。これはボクの純粋な魅力!」
と、突き放す。
まあ、実際に体力の回復と環境把握を兼ねた、マルの作戦は、副次的効果も加えの一挙両得として成功を収めていた。
獲得した“お小遣い”は、新しく仕入れたガマグチというお財布にしまってある。
◆
「随分の賑わいになったな?」
この帝国の宰相が宿の一室に入ってくる。
随伴する騎士のひとりも無く宰相という身分の彼があるのは、腹心だからだろう。
「御付きの騎士はまた、食堂ですか?」
奥から、平服のラインベルクが出てくる。
何事もなければ、普段から甲冑というのは護衛か、衛士くらいのものだ。
「茶か、白湯...の一杯もなしか?」
もとより、其処まで長居をする気があるのかと、探り合いなところがある。
「まあ、ボクにはどなたか知りませんが、主人が粗相を働きまして申し訳ございません」
と、更に右隣の部屋からマルが茶を淹れ、給仕しに現れた。
食堂で働いている分身とちがって、本体である。
「ふむ、バカな主人と違って、臣下の者たちのデキは格別だな...オイ!」
小馬鹿にしているようで、そんな下卑たものは感じられない。
彼と過ごしてきた年月の中で、この帝国の重鎮が、心を開いて接しているという雰囲気だ。
「ドメル子爵領は、視てきたか?」
「いや、未だだ。先にリフルが行って兵を集めると...そういう事だが」
皇女リフルにとっても、その方が効率がいい。
皇籍のはく奪の後は、母の縁者であるドメル子爵が父母替わりであるし、其処は彼女の故郷でもある。領主の孫娘からの号令である方が、集めやすいと考えた。
ラインベルクがというより、リフルの意見だ。
「そうか、新領主...いや、どういう形でもいいが、時期を見てお前が前に立たねば兵は付いてこないぞ?! 分かってるか...騎士いや子爵殿」
宰相に懸けられた言葉の意味は深い。
爵位を得て、領地も獲得して領民を得る。
各地には領主ごとに法があって、国に奉仕する為に義務が生じる。
帝国貴族には、軍役があった。
領地の価値に応じた兵役の義務は、国庫へ納められる年2回の納税義務よりも、重く辛いものだ。
働き手の男たちが年単位で奪われるからだ。
これは、生産力に直結する痛みであった。
だが、この政策によって帝国は、国内の反乱を未然に防いでいる。
領国が大きな皇子たちにとっても同じことで、国法の下では身分の上下に関係なく、富豊かな土地から容赦なく人手を奪う力があった。それでも、帝国では今、内紛必死の御家騒動が起きているのだ。
「ところで、だが」
「あん?」
「この可愛い娘は何だ?」
よもや“愛人”か――と、宰相が疑いの眼差しをラインベルクへ向ける。
その目はいつかの、リフルと同じような殺意に満ちていた。
「いやいや、こ、コイツは...だな」
「申し遅れました。ボクはマルです! この部隊の軍師をしています」
と、拝礼する。
魅了魔法によって、場の空気が瞬間的に180度反転した。
が、結果的にマルの愛想を振りまく行為のそれが、チャームという魔法であったことがバレる訳だ。
◆
兵を集めている理由は近々、討伐という名の戦争があるとラインベルクは答えた。
マルの身分は、これはこれで“軍師”という形に定着する。
情勢の師であるエセクターは、修道女として参戦。
部隊の治癒士である。
リフルも皇女でありながら、腰に剣を帯びて参じるという。
「えっと、何で?!」
マルの言葉をリフル本人がつき返した。
「ま、それはラインベルク様よりも私が強いからです」
マルは主人を見る。
本人も否定せず、軽く頷いて見せた。
「そんな理由?!」
「ええ、不服?」
「いや」
「それに、あなたが如何ほどに魔法への才があるのだとしても、こんな乳の小さき小娘も参戦するんですから、むしろ今、この状況で心配されるのは、あなたの方ですよマル・コメ...」
あっさりと言い返された。
そして、小馬鹿にされた気分だがいずれも棘が無い。
小ぶりだと言われて揉まれもしたが、嫌な気分になれなかったのだ。
「あ、ちょ...」
揉まれるなんて、久しぶりな気がする――遠い眼で空を見る。
「なあ、リフル...規模は?」
我に返るとともに、部屋にピリッとした気が走る。
流石に浮かれている場合ではないという雰囲気になった。
「100だ。農兵では無く、じい様の命で動く、騎士と戦士を搔き集めて100とした。親族ゆえに勝手は効く。私がお前を婿にする形でまとめた兵の手配ゆえ、そのつもりでお前は振舞えばいい」
マルの口は開いたままだ。
婿にするという話は聞いてもいないし、宰相からも帝国から新たに100の兵が貸与される。
そういう話で決着がついていた。
「はは、マルの奴が置いてかれてるな」
軍議として開いている訳ではないが、エセクターとマル、リフルが揃っている。
マルの髪をくしゃくしゃに搔き乱しながら――
「裏でこそこそとやり繰りするのは今まで通りだが、この先は表舞台でも武功ってのを稼ぐ必要があるってな、宰相に言われちまってな...俺たちが守らなきゃらねえのは、身分は末の皇子で生まれてまもねえから、力がねえ。それにリフル、こいつも皇女だから守る対象のひとつだ」
「うん」
「で、だ。こっち側には帝国宰相さまがいるんだが、これだけじゃあ武の力が足りないって事で...俺がいるって寸法だ。ま、如何ほどに力に成れるかは...俺自身もちっとも分らんがな」
ラインベルクは嗤った。
豪将のような嗤い方ではないが、頼もしく見えた。