-719話 大魔法大戦 ㉛-
偉大な魔法使いは、時間を操ることができる――という御伽話がある。
竜がまだ存在していた頃の、偉大なる賢者の話だ。
跳躍できる時間の長さは語られていないが、過去と未来と現在という形でつづられた詩編があった。
口伝だから、伝え合っているうちに、3部構成に分かれた可能性もなくはない。
教会の書庫にも似た物語がある。
日を跨ぐ跳躍だと書かれてあるが、実際に時間を駆け抜けたかどうかはわからない。
要するに、日付変更線めいたものを越えたとか、そういう類の事柄かもしれないという事だ。
日中から夕闇の中へと書かれた記録は、過去または未来へ飛んだと書いてあった。
◆
“蘇”王国からはひとつの国を大きく跨ぐような跳躍だが。
瞼をかたく閉じて、息も止めている彼女にとっては、聊か大袈裟だが時間を飛び越えたような雰囲気がある。僅かにそして、恐ろし気にほんの少しだけ眉間に皺を寄せながら薄っすらと周りを見る。
その仕草が滑稽だったのか、ローブのソレが微笑んでいるのは内緒だ。
跳躍の時間は一瞬だった。
それでも1刻くらいの巻き戻しを感じていない事はない。
空が白く、夜の闇を押し退ける、そんな日の出の兆候に干渉するように跳んだ。
「怖がる必要はない」
頭の中で痺れるように聞こえる声。
彼女は、これを知っている――普段は枝を離れた葉のように、風に流されるまま風来坊な賢者“熾天使”と呼ばれた者の声だ。
繋がりはない。
むしろ総長以外で、ふたりきりという姿を彼女も知らない。
仲の良い者もあったかどうか――。
「私が干渉できるのは、せいぜい2時間だ。だが、これだけあれば少しの干渉で乱れは少なくなる。ま、空間転移でその場から、その場へと動いた方がいい時もあるが...時が、な...駆けなければならない事にはならんこともある...総長と君では、まあそういう事だが」
と、じわっと響く。
痺れるだけだから、落とし込めたかどうかわからない。
“熾天使”の跳躍先にもローブ姿の彼?があった。
《こ、これは???》
◆
少し時間は戻る。
北天の都の大半は。升目をきったよに整然とまっすぐ伸びた道によって区画の整備が行われている。小さな四角い升が大きな升を作るように形成されて、四本の大きな通りで“北区”、“南区”、“東区”、“西区”、王城のある“禁区”を分かつ形にした。
黄天の北天京には、北区が無く、そのまま“禁区”が代わりに広大な地域を支配地に置いている。王城の周りには武家などの館が立ち並び、一つ一つが砦のように配置されてあったから、禁城の城壁と組み合わせば、なかなかに頑強な防衛機構だろう。
六皇子は脇腹を押さえながら、走らずもやや速足で“禁区”にある自らの屋敷“王府”を目指していた。
皇子の封じられし王府は“秦”。
器量、気質、栄達への渇望などが密かに黄天王の認めるところで、皇籍の除籍後も何かと案じていた皇子のひとりだった。親の心子知らずと、いったところだろうか。
復籍した後も、軍務に就けて皇太子の補佐ができる将軍に育てようとした狙いがある。
父王の願いは届かなかったが。
六皇子は痺れる身体を、ポーションと皇室の奇跡で癒しながら、王府を目指して歩く。なぜこういう状況になったかを、振り返る時間はたっぷりあった。
「計算が狂った...ことは否めない。いや、違うな...密かにこうなる様な気配はあったんだ。だから、俺は前もって仕掛けておいた爆弾のスイッチを押した...それだけだ――」
整えたはずの息使いが上がってきた。
肩が上下に揺れる。
足元を霞む目でとらえつつ、空を仰ぎ見る。
「彼らとの距離...は、分からんな。だが、未だ、そんなに離れてもいまい」
マルとエサ子らと一応にも戦った当たりの話だ。
マルの創り出した、神殿の光が柱のように見えるから、なんとなくの距離を掴むことが出来る。
王府とは半分。
「父の気まぐれで外に出された俺が今一度、玉座を掴むには、妹巫女の“正室の血統”が必要だ。庶子の子ではなく、廃籍の皇子ではない血統と正当後継の肩書が必要だ。たとえ、妹に意識が無かろうとも、アレに魂が無かろうとも関係ない...俺の子さえ孕めばなんとでも」
膝から崩れ落ちた。
気力を妨げるのは怒りだ。
彼の焦がれる心が回復しかけた身体に追い打ちを掛けた。
「手を貸そうか?」
不意に頭の上で声を掛けられた。
見上げると見覚えのある顔がある――禁城にある筈“東宮”がそこにあった。
「あ、兄...」
差し伸べたのは紅く染まった腕だ。
手首から上の袖はまだ、黒く変色しきっていない。
「な、何が?!」
「いや、分からんのだが皆が...この国を陥れようと企てておる。故に皇太子として国を正しき道へ導かんと、こう奮起しておる。なあ、六弟よ...皇太子の我と共に歩まぬか? 正しき心で民を慈しむ理想の我が王国を!!」
と言いながら、剣を振るってきた。
六皇子の仕掛けた暗示は、至極単純なものだった“逆賊の黄天王を誅殺せよ”だ。
目を見開き、憔悴しきってた意識が開かれて、皇子は明後日の方へ飛ぶ。
致命的な難は逃れるも、次はない。
「むむ、こやつ...我が意を反故とするか?!」
「いえ、滅相もない! あ、兄上こそ如何成されたのです。あなたの“秦”王に御座りますれば、剣を向けて襲い掛かるのをおやめください」
情に訴えかけた方が“虚言癖”の上書が可能だ。
皇太子はもとより、人を信用しないきらいがあった。
己の腹心でも、何時かは寝首を欠いてくると思っていた――こういう狭量ゆえに六皇子の“虚言癖”に捕まったのだが。
毎日を怯えて暮らすその背景に、幻覚へ落とし込むことは不可能ではないレベルだった。
“月の城”にも協力を得て実行された、10年という気の長い仕掛けだ。
内心、これでイケたと確信した。
だが、皇太子の緩む表情に対して、現実を突き付けられたのは六皇子の方だった。
「あ、兄う...え?!」
「いやな、お前が国を傾けていることは、前から知っていたのだ!! が、なかなかその実を出さぬ故、賢者どのより秘術を得ておったのだが...ここに結実である、なっ!!」
と、剣を振り回しながら迫ってくる。
王府までの道のり僅かに百数十メートル。
もう、掲げた“秦”の提灯が見えるあたりまで歩んでいたところで刺殺された。
その皇太子も奇妙な笑い声を挙げながら、自ら首を切り落として絶命を果たした――。