-714話 大魔法大戦 ㉖-
「いきなり歯を立てる奴があるか!」
青年は前屈みに丸くなっている。
剥ぎ取られたズボン、裏返しになったトランクス。
大いに荒らされて折れたり、踏みつけられた草場。
何が起きたかは想像に難くない。
青年は、仲間である“熾天使”に襲われたのである。
ローブを纏った異形の者にだ。
一見すれば、同性の老人のように見えるが、ローブの裾から尻尾が見え隠れして、艶のある四肢を持つ。
三対六枚の翼を持ち、二対四本の腕がある。
ま、明らかに人ではないし、天使にも見えない。
ただ、キノコ好きという趣味がある。
◆
“熾天使”は明らかに拗ねている。
深々と被ったフードの奥から青白い瞳が光って見える。
三角にひきつった雰囲気で見えている。
「俺は魔力を使い果たして精も根も...あれ?」
と、前屈みにあった青年は、股間のキノコを隠しながらも、襲われる以前の感じていた疲労感が晴れている事に気がつく。菊門を突く二本の指で拡張させられ、親指は竿と門の間を押された。きゅっと痺れるような違和感から、身体をのけ反らせて跳ねる海老が如く――キノコは傘を広げる前に“熾天使”の口腔へ消えたわけだ。
が、何故か酷い眠気がある。
それは予想以上に吸われたからだが、多幸感に近い優しい誘いを感じる。
「暫く、寝てろ」
フードから声が漏れ出る。
“熾天使”は見た目が同性の初老みたいだと皆は言う。
ただ、総長である青年は首を横に振り、紅い縁のメガネを掛けた人見知りの激しい竜人の女の子だと、皆に伝えたことがある。当然、イリュージョンマスターである幻術士の言葉など真に受ける者はなく、信じられてはいない。
“熾天使”も、総長がひとりでいる時以外は、見掛けることもないから存在さえも忘れがちになっていた。単に「あと、誰か居たよな?」的な覚えられ方だ。
「いや、まだ...こ、こんな...」
股間を抑えたまま、彼は爆睡する。
窮屈な寝方だが、これでも精一杯な抵抗である。
仰向けにぶっ倒れたものならば、フードの賢人の好き勝手にされかねない。
いや肉体的にもどこまで吸われるものか――「歯を立てるなよ!」――寝言だ。
「歯じゃない、犬歯が当たっただけだ...だが、犬歯をカリ首に這わせるように刺激すると、もっと硬くなるとハウツー本に書いてあった...から、実践しただけなのに...そ、そんなに私のは痛いのか?!」
親指の腹で徐に、口の中の犬歯を押す。
尖っているというほどではない。
先は少し丸くなっていて、外側に張り出している。
これでも少しは削って怪我をしないように努めていおいた――「未だ、足りないのか」
◆
都には大きな月が見える。
その空に乾いた大きな音が響いた。
六皇子の左頬を、槍使いが叩いた音だ――それは、突然の出来事。雌ゴリラの治療で皆が躍起になっている中、ハティと六皇子が睨み合っている一寸で生じた出来事だ。槍使いの中で何か癇に障ったものがあったのだろう。
ハティも目が点になる出来事だが、槍使いの空いている腕を掴むと、自らの素へ引き寄せていた。
「何という無謀なことをする!」
保護者のような、しかりつけ方だ。
六皇子が手練れの剣客であれば、自動迎撃スキルで槍使いの身体は無事ではない。
頬を打たれた男に反撃の意思が無かったことが幸いだった。
「だって...」
ハティの太い腕に巻きつけられて、やや安堵した己を感じた。
狼面で眼帯を身につけた将軍の顔を見る――頬を涙がつたう――「悔しくないですか?」
「それは、君の感情じゃない」
ドレッドヘアの女性に視線を落とす。
彼女の想いである。
槍使いが代弁するように動いただけだ。
「まいったな...妹巫女...みたいなのが居るんだな」
六皇子は叩かれた頬に、指を這わせてひとりごちる。
突然の事で、耳元で囁く機会を失った。
これは痛恨の極みだ。
「今の一撃に反応が出来ない時点で、お前の戦士としての実力は理解できた。大人しく逃げるか、抵抗を止めて神妙になるべきではないか?」
ハティは、皇子に自首を薦めた。
が、咄嗟に槍使いの身体を庇うように、覆いかぶさってきた。
脂がのった、やや強面で紳士なハティらしからぬ行動に、槍使いは頬を朱に染める。
「っちぃ、勘のいい奴!!」
六皇子の姿が、ハティの肩越しから彼の背後に見えた。
振り返れば、対峙しているのが蜃気楼めいた影であることが分かる。
《幻術?!》
「キルト君のように、思考から対象の行動を制限させ、環境に影響するような高度なものじゃあない。が、俺が使えないとは一言も言ってないよな?!」
下種な笑い声が聞こえる。
目の前には、苦悶の表情に顔を歪ませている将軍があり、青緑色の瞳が優しく槍使いに注がれていた。
「大事ないな...」
と、声も優しく心地よい。
「将軍っ!!」
剣士は、ヨネとマルの護衛に回り、ふたりの元へは、駆け付けることが出来ない。
今、この場を動けば、視界を奪われて治療中のふたり何れかに害が及ぶ。
「ふ、ふふ...案ずるな。未だ...ひとり頼りになる者が居るだろう...」
頑丈な体でも、鎧の隙間から突き立てられた刃から、身を守ることは敵わない。
槍使いを凶刃から守るために、ハティのパッシブスキルは無効化した。
その注意をすべて己に集める為だ。
槍使いは、護られながら周囲に目を配って状況の確認に徹する。
オールラウンドマスターな魔法使いマルは、治癒士ヨネのサポートに回っている。流石に、背負っている姫巫女を放り出してしまうことは無いと考えれば、彼女も含めて迎撃スキルがアクティブに作動中な筈だ。
もしも、槍使いがあの輪から飛び出していなければ、マルによる核の傘に守られていたかもしれない。
剣士君はオマケであろう。
《ん?》