-712話 大魔法大戦 ㉔-
ハティ将軍と雌ゴリラの戦いは――戦いと呼べるようなものでは無かった。
ハティの獲物は、片手剣=騎兵サーベルというブロードソードにやや近く、そして軽い。
柄の意匠は複雑な加工が施され、それが如何に精巧なつくりであるかをうかがわせる。およそ蒐集家などが見れば、将軍の剣に金貨の大枚を賭けるような者も出てくるだろうつくりだ。
一方で、対峙する雌ゴリラの息遣いは最早、底の尽きかけた酒樽のようなものだ。
大きく肩を上下させながら、息使いだけで見ているこっちが苦しくなる。
「皇子!」
マルが溜まらず、ふたりの行動に差し込んできた。
戦闘狂の影からひょこっと六皇子の顔が現れる――獣化した者たちの体躯は異常に大きくなるものがある。例えば人熊族や人虎族は、二足歩行時は2メートルをゆうに超え、大きいタイプは3メートル近くにまで成長する。
野性動物の世界と同じで、獣人族の最強は体重の重い奴で決まる。
「...」
「その人、治癒してあげて!」
敵に塩を送ると言うが、そういうつもりではない。
肉体的に限界であることから、助命嘆願をしただけのことだ。で、ないと本当に死ぬまで犬馬の如く戦わされそうだと思った。
マルだけでなく、エサ子もヨネの介抱をしながら気を回していた。
「マル殿の申すのも至極当然だ。タンク役にも立っていないが、治癒してやれ」
ハティは剣を鞘に納刀する。
◆
「ハニー、君の限界はココまでか?!」
と、焚きつけるような言葉を耳元で囁く。
六皇子の瞳が光り、囁かれた息の荒い獣は――人ではない叫びで再び立ち上がっている。
切り口の腕からの出血は止まったが、ゴリラの表情は満身創痍のなにものでもない。
もとより治癒を施す気はなかった。
これは、皇子を仕留める為に“月の城”の総長こと青年が送り込んだ刺客である。
声色で人を操る皇子に対し、初心な乙女を差し向けた時点で破綻していた暗殺劇だが、彼にとっては、帝国人より弱い鬼人を操るよりも、冒険者から身を落とした傭兵たちの方が何倍も得難い戦力だった。
ただし、ハティとの力の差を見誤っている。
「なんとういう惨さだ」
「惨いってきたか...なら、このまま、俺たちの刀錆になってくれよ」
六皇子と言えば、黄天王国の皇子の末席にある人物だ。
物心つく前に家臣の家に養子に出され、皇籍の復活は近年である――二皇子の乱を経て、黄天王が皇子らの監視に躍起になったというのが背景にある。これは、家臣団の結束を高めるために送り出した、元皇子たちにも影響したようだ。
六皇子と、呼ばれながらも何処か影の薄さは、こういう流れであったからだともいう。
市井にあった時間は12年だ。
血の繋がりが、父王のみという妹巫女を身分違いという理由で、公主殿下と呼ばされていたのも7年くらいになる。そうなると、人間、どこか卑屈なものに心を蝕まれるようで――魔が差したと、彼自身がそう思っている。
皇籍への復帰後、秦王府を開くも、性根が治ることは無かった。
これが皇室を恨むきっかけとなっていくのだ。
「動かせるな! 殺す気かっ」
ハティの恫喝を六皇子は嘲笑った。
「ああ、その通りだ。一度は、俺を狙った雌だからな!」
◆
遠投という形で竿をしならせて、遠くに疑似餌を飛ばす技術がある。
その時“ひゅんっ”と音を鳴らして矢のように飛んでいくものである、それらと同じように風や空間を越えてハティの手首から先の剣がしなるような音を奏でた。
抜刀から、左上、右上へ動き「Z字」でも虚空に描き切った。
その凶刃は、雌ゴリラの戦意を喪失させるには過ぎたる物だったが、腕と足の腱を瞬時に立ち切っている。
狼面は、素早く納刀を済ませて崩れるゴリラの胸倉を掴み、彼の後方へ投げている――「マル殿、ヨネ殿! 治癒を頼みます」――皇子の手元から最強のカードが消えた。
ゴリラも出涸らしの茶葉の如く、著しく消耗している。
獣化していた身体も、精魂尽きると元の亜人に戻り、素っ裸の姐さんが現れる。
剣士はワカメを直視して鼻血をまき散らしながら倒れ、槍使いは狭間で揺れ動く。
「満タンにしなくていいから、治癒始めるよ!!」
マルの号令と共に、未だに本調子ではないヨネを含めて治療が開始された。
「こんなとこで、くたばるんじゃないよ!!」
と、声を出したのは剣士である。
少し鼻にかかった感じの声は、両穴に詰め込まれた介錯紙のヨリのせいである。
◆
「なるほど、一度は獣化しないと本来の性能を発揮できない訳ね」
なんて、独りごちているのは、元の姿に戻れたメグミさんだ。
腰まで長い黒髪に、線幅の広がった白い線のあるコメ家長姉の魔法剣士。
色白なのに明朗快活な雰囲気を持ち、妹大好きの変態だ。
獣化解放後に得た、状態異常の自動浄化スキルにより爆心地の幻術エリアでも、もうもうと立ち上る霧しか見えなくなっている。マルと同じ能力に目覚めた事で、知覚麻痺などの影響下でも、青年の逃げた先は、何となく追えるという雰囲気だ。
が、メグミさんは呆然と立ったままだ。
クロネコからは先ほどから――『発進、発進せよ!』
なんて言葉が、頭の上から聞こえている。
「ねえ」
「討ち取ろう!」
「目的、忘れ過ぎじゃない?」
メグミさんに冷静さが戻る。