-711話 大魔法大戦 ㉓-
かつての戦場では、そもそも魔法剣士と幻術士が対峙するようなシーンが見当たらない。いや、公式で用意された“闘技場”というPvPでならば、あり得たかもしれないが結局、その対立カードには、間を埋める駒もあった筈だ。
で、とちらが上かは先攻か、後攻かによるところだろう。
一概にだが、幻術士は魔法使いなのだから、接近戦に弱いユニットとは言えないパターンがある。
そもそも、自分以外のパーティが、全滅するシーンを想像しないプレイヤーは居なかった。それが『ハイファンタジー・オンライン』というゲームの特徴だった。
ソロプレイヤーにとっては、難易度は“鬼”である。
パーティでも“鬼畜”だと評価された――そのため、最低限ソロで逃げ切る、生き残れる隠し玉を用意するのが当たり前になっていた。これを度外視して、優劣をつけるのは難しいのだ。
◆
メグミさんの頭の上で“ぺしゃんこ”になっているクロネコが合図に前足で額をぺしぺし叩く。若干、爪が出ていたせいか『痛いわ、ボケっ!!』という言葉と共に獣化発動。
急に周囲の空気が、重く圧し掛かる雰囲気に変わる。
息が詰まる。
ストレッチ中に何の前触れもなく、背中に土嚢でも詰まれていくような息苦しさを覚えた。
そんなところだ。
重圧の正体は、明らかに目の前の人物だ。
幻術の裏で、肉体強化を妨害する“スタン”や“スロウ”などのデバフをエリアに伏せて誘導し、ほぼ半永久的に魔法剣士の動きを封じてきた。それでも、踏み込みの早さが尋常では無いメグミさんには、ほとほと参っているのが現実だった。
とことん地味な戦いだが、幻術士の本分は、対象に覚めぬ夢を見せて、無力化することにある。
夢を夢と思わせない虚構をつくり出すためのリソースに命を注ぐ。
この辺りは、アーティストと呼ばれるゆえんだ。
「おいおい...」
《獣化ってバケモン解き放つのかよ!?》
青年は、切り札の“跳躍”を使ってエリアの外に出る。
術の外に出たとしても、幻術発動エリアの持続効果は、発動から10数分ていど誤差の中で続くように出来ている。また、エリア内の対象者には、体感時間の引き延ばし効果によって10数分が3時間以上にも感じている筈だ。
マルのように、状態異常の自動浄化でもされない限りは、数十、数百倍にまで伸ばされた時間の牢獄に閉じ込められて、地獄の苦しみを味わい続けることになる。その躯が、塔の周辺に転がる鬼人の亡骸である。
蜃気楼のように揺らぎを感じるのは、エリアの爆心地だった場所だ。
一度は、マルを模した影の影に隠れて、メグミさんの背後に迫ったものの彼女特有のパッシブスキル“自動迎撃”の発動によって凶刃は宙に弾かれてしまった。
幻術の肝である“だまし”には成功していたが、彼女を牢獄に閉じ込めるには至らず難儀していた。結果的に効果時間ギリギリで撤退することに考えをシフトした矢先だった。
《あの爆心地から光る目が怖えなあ...》
もうもうと上がる煙と、霧。
そろそろ効果も切れて、張れる頃合いだ。
未だ周りは暗く、月の光と篝火が都を明るく照らしている。
そんな、大通りのひとつにメグミさんの影がある。
《もっと跳躍で距離を稼がねえと...》
気配だけで視線が追ってくるような感覚にある。
まっすぐ、思いっきり走れば背中を見せることになる――恐らくそうした時の背中に当たる視線はもっと刺すような痛みに代わるのだろう。
今一度、自問自答する。
《六皇子の口車に乗ったとは言え、俺たちが何をしたってんだ》
反省の色はない。
むしろ、善悪が皆無だ。
《いや、その前に大勢の立て直しだ...蘇に行ければ》
◆
「身体が重い」
メグミさんの呟き。
そもそも獣化して、全能力値を解き放ったことは一度もない。
自ら放った重圧に自身まで対象にするのは本末転倒なのだが、これも制御できていない故だ。
幸い、青年の残していった幻術の残渣は、術効果時間の最大伸長であるからマルの影に纏わり憑かれながら、ゆっくりと自分を見つめ直すことに務めることが出来た。
頭の上のクロネコも、メグミさんの霊子チャンネルによって覚醒しているようだ。
目が光っている。
「さあ、コメ家長姉の実力を!」
クロネコは腹の下の御仁に“発進”を促したが無反応だ。
額を爪を立てたうえで叩いたみる。
また、無反応である。
頭の上で180度反転し、顔の方へ足から降りる。
彼女の顔にへばりつくと――『必殺! ネコフェロモン!!!』――出る筈のない謎物質をまき散らし始める。迷惑なことだが、吸い込むと動物アレルギーを発症するので、注意が必要だ。
「臭いわ!」
クロネコをひっつかむと、ぶん投げそうになった寸前で動きがぴたりと止まった。
左腕の先に握り潰しそうなネコがある。
こいつには蝙蝠の翼みたいなのがあり、瞳が妙に光っているようにも見えた。
「誰?」
クロネコは、クロネコである。
進化して、コウモリネコになった。
「苦しい、中身出る。口から出る、お尻からも出る...」
「あ、ごめんごめん」
頭の上に戻し、目を細めた――
「私、どう見える?」
唐突だが、やはり一番気になるのは見た目だ。
戻れなかった時、マルとヨネには説明しないとイケなくなる。
クロネコは明後日の方を見ながら。
「どっちかというと、犬っぽい...いや、犬かな...うん」
一息入れて、元の姿をイメージする。
外見擬装は、再構築が難しい。
メモリーが残っていれば、徐々に簡単になっていくが。
解放後の再構築で失敗すると、その失敗が尾を引くことになるからだ。
“ザボンの騎士”でクラン長のベックが、人虎のままであるのは人の姿に戻る際、失敗したからである。以後、人々に周知させ“人虎のベック”と呼ばせている。
《マルちゃんが鳴く姿は見たくないぃー》




