-691話 大魔法大戦 ③-
マーガレットの部屋に導かれたアリスは、部屋に入った瞬間からどうも夢心地のいい雰囲気に堕ちていた。目の前の景色は淡く、水面に移る世界のような鈍い感覚の中にある。
どうにも藻掻くといった感じだ。
「お館様はなぜ、私の後を?」
マーガレットの声だけは、芯に響くように聞こえてくる。
舌の動き重い、まどろっこしいというか、麻酔でも受けたように喋っている感覚がない。
「お前が心配なだけだ」
「それだけ?」
やや不機嫌そうな雰囲気だ。
が、そうした機微も心の芯に響くようで――
「無論、気になるのだ。お前のなんだ、その...考えとか、いや、何をするのか、どうしたら俺を意識するのかとか...まあ、そういう...そういう事だ」
「...っ恥ずかしいことを言わせるな!」
と憤慨してから、口を閉ざした。
《俺は何を言わされたのだ?!》
と。
◆
槍使いが振り回す、如何にも危険な槍――じつは、その名も“ぶんぶん丸”というものだ。
命名者は、当時の使用者である聖女本人だ。
槍術を究めし“槍聖”という者からの手解きを受けたが、センスがなかった。
そこで師匠である紅玉姫は一計を案じて、貴重な神樹とされていた“世界樹”から一振りの枝を叩き折って、これを基に二又の鉾を作ってと言うわけだ。
槍使いに似ている聖女には扱う事のできなかった代物だったが、彼女でも6割の制御といった感じで4割――時々、すっぽ抜けて何処かえ飛んでいくことになる。その行方は、回している時の角度次第だから、もう確率という偶然しかない。
エサ子を強襲し、槍は、大戦斧を弾いてすっ飛んでいった。
柄を浅く持っていたから大事はないが、弾かれた際の衝撃であわや骨折かというニアミス。
もう少し深く持っていたら、間違いなく無意識に手首が見知らぬ方向へ曲がっていただろう。
「姉上!!!」
エサ子の泣き声が聞こえた。
痛くて泣いたというより、怖くて泣いたクチだ。
未だ風切りの音色が聞こえる。
ハティでさえ間合いに入ると、自動迎撃されかねない。
「おまえは大丈夫か?!」
狼面の黒衣の騎士が尋ねる。
当然、心配している――こうも高速で腕を前、後ろ、上から下へ、下から上へと踊らされている訳だ。およそ遣いもしない筋肉をしならせながら、肩の可動域限界までぶん回している様子にだ。
「ええ、まだよ、余力は...」
いや、いうほど残ってもいない。
屋根の術師も気持ち悪がって、“火炎球”を兎に角作れる分飛ばして、悉く弾き飛ばされていた。
「キモっ!」
「やっぱだめ~ とまんな~い!!!!」
風属性に明るければ、世界樹の枝が造る槍の風圧は、間違いなく魔法の糧となっただろう。
これを触媒にして、例えば“風の刃”とか“風の衝撃楯”、“浮遊術”なんて使い方も出来ただろう。魔法剣士とかそういう職業の門戸を叩いておけば、今、この大量の風を媒介にしてた維持できていたのかもしれない。
ただ、自動防衛システム――紅玉姫が組み込んだ仕掛けのせいで? 屋根上の術者の精も根も吐き欠けようとしている。ありったけの魔力をこめて叩き込む火属性魔法を悉く吹き飛ばしているからだ。
ただ、その後が良くない。
都の方々に吹き飛ばされた火炎弾が、爆発延焼の火種になっている。
都が燃えているのはふたりの精であった。
《っ、この化け物が!!》
息が上がって余裕がなくなってきた。
殆どひとりで自滅しているだけに過ぎないとしても、最上位級に練られた魔法を弾く槍も槍だ。
振り回している槍使いも、炎の塊の強烈な炎にさらされているのは、生身であるから厚くない訳じゃない。手のひらは何度もつぶれた豆から血が滲み、腕や頬首元に軽度の火傷を負っている。
『縮地!』
聞き覚えのある声が響き渡る。
垂直に振動する槍の傍らに、着流し浴衣の青年があった。
夏には未だ早い姿だ――昼間なら20数度を越えて初夏のような日差しもあるが、陽も落ちるとやや肌素六雰囲気だ。ハティは、屈んで吹き飛ばされた、槍使いの小さな身体をキャッチしていた。
「わりぃ、少し押しすぎた」
びっくりして状況が掴めない槍使いの眼前には、浴衣と雪駄、太い腰帯を巻いた男がある。
精悍な雰囲気となった剣士の姿だ――以前のような、がちゃついた変な違和感はない。どことなく頼りがいのあるそんな雰囲気だ。
「間に合ったか?」
「でもねえよな?」
ハティは明言を避け、エサ子は「兄上のバカ―」と叫んでいる。
「おいおい...」
「でも、」
今にも暴れ出しそうな槍がぶぅーんぶぅーん鳴り響きながら複数に振動している。
その柄をしっかりと握った剣士の腕の中で、槍は直立不動の状態だ。
「制御方法を倣ってきたからさ」
一堂は、誰にと思いを巡らせ、槍を今一度一瞥する。
やはり、それは激しくぶぅーんぶぅーんと鳴いているのだ。
「こいつさ、目立ちたがり屋って話でさ...聖女にいい格好みせようと思って景気よくぶんぶん動いてたら、いつの間にか制御不能になって封印されたって話なんさ...」
バカだろ――という言葉が続く。
術者も、その光景を見ている。ただ、ポットでの剣士の後ろ姿にスキが無い。
やや転がりながら、屋根から降りる。
術者の腰帯に差し込まれた長ドスと、左足を引きながら上体を捻って前屈みの姿勢になる。
「おい、」
「...」
「未だ...やる気か?!」
という言葉が聞こえていたかは定かではない。
残量魔力を生命維持へ回し、身体強化スキルを重ねて発動させる。
...瞬発力向上、超向上。
...一の太刀、腕力、上体強化限度撤廃。
今、その一撃にすべてを賭けるというおよそ最後の一撃。
生命維持の為の魔力は、ひと息さえも越える超速度の一閃に肉体が耐えられないと知っているから施したものだ。もしも、届かなければただの犬死であるから。
「貫け! 抜刀術“焔”――」