-685話 六皇子の帰還 ②-
マーガレットの実家は、街の外れにある領主の館である。
とりあえず、見渡す限りの平野と草原が敷地のほんの一部とのことで、館は同じ造りのタイプが2棟立つという城のようなものだ。建物は3階建て、使用人の数は数百名、侍女や家令に料理長な多数の人間が働いしている。
その誰もが、マーガレットお嬢様の事が大好きであることだ。
イクリンガス家は、爵位として伯爵である。
グラスノザルツ帝国の伯爵ではなく、衛星国“パネヴジェートス”騎士王国の領主という立場で、爵位を与えられ、ひぃーひぃーひぃー御祖父さんくらいの頃に帝国へ養女を差し出したことの褒美? と、いったことで“ケーニヒスベルク”領主となったようだ。
現在では、帝国第一市民かつ帝国伯と呼ばれている。
そのイクリンガス家にはこれを宗家として、3つの大きな家とその他分家がある。
ひとつは、ホーエンツ家で分家が支える子爵位を掲げていた。
マーガレットとはもう、遠すぎて疎遠。
もうひとつにアンスバッハ家だ。
冒険家を多数輩出しており、定住を好まない為、絶えずどこかへふらっと出かけている。
マーガレットに変な土産物を買ってくる、変な親戚という認識。
爵位は、子爵である。
最後にウィルヘルム家だ。
こちらは形ばかり残り、女傑で切り盛りしている。
マーガレット的には白粉臭い魔物憑きというイメージにあり、彼らの分家にラインベルク騎士爵という家があった。
両親は早くに先立ち、少ない使用人と不可解な庭の警備を、若干5歳の男の子が見守っているという家がある。
つまり、マーガレットが転生&転移前の前世がそこにあるという事。
事情を知ってからは、何かと引きこもりセットを送っているタイムループに陥っている。
◆
「お前の――」
「聞こえません!!」
トイレの扉を蹴破るように飛び出すと、アリスの扉も勢いよく蹴り破っていた。
それはまさに豪快かつ荒々しく、とても女の子の淑やかな面など一切なく、ソレいやアレもちらっと見えたり、見えなかったり――アリスの姿勢もスカートの波打ちと共に斜めへ前屈みに代わっていた。
「みえ...」
「わー!!!!!」
彼女が再び扉を閉めて、閉じこもるのに時は必要なかった。
◆
皇子の凱旋。
聞こえはいいが、自分の領地さえ碌に守れなかった男は、ただバツが悪そうに逃げるように帰還している――そういう風体に見えるよう振舞っている。“越”出身の軍は3千ほど残し、ほぼ全軍は、周りに醜態を晒すように激しく、六皇子を罵って国元に帰参した。
いや、させたのだ。
およそこれらの行動を見た、北天の内情通という者たちならば必ず“ああ、六皇子もこの程度だったか”と、口汚く罵ってくれるだろう。
それでも監視の目が外れないとなると、最早、ヤケクソくらいしかない。
メグミさんのアドバイスは覿面だった。
女性問題で株を落すよりも、戦上手だとか言われてた評判は地の底に落ちている。
最早、見る影もないほどの落日ぶりである。
「まさか、ここまで人気が陰るとは」
本人の輿だと言って馬車が隊列を成して進む行列に、しばしば人々からの唾が飛んでくる。普段なら、足元に吹き付けられるような行為が、馬車の方へ飛ばされるのは異例かもしれない。
市民が率先してそれを行うのには理由がある。
六皇子は戦火に民間人を盾に使ったと流布させた。
帝国にも同じ流布を行っており、ハイエルフからも同様の非難を受けている――が、帝国の反応はまちまちだし、ハイエルフの非難は“同類が声高に叫ぶな”という声が大きくなっている。
現在、場外乱闘発生中だ。
アスク=マユリで戦った帝国と皇帝も訝しむ。
「だが、市民の目がこちらに向かなくなった事は正直、ありがたいことですね」
同乗しているのは、罷免されたはずの傭兵である騎士だ。
バルカシュ城がさらに難攻不落となった事で、いろいろと清算した後に帰国することにした――というのが表向きだが、軍権を得たままどこまで皇子が国を跨げるか、調査がてら帰ってきなさいとメグミさんに誘われたからである。
そのメグミさんも自らの言葉で紡ぐのではなく“好機は目の前”という言葉をマルを通して聞かせているのだからニクイ演出だ。
皇子の食指が動く、少女をエサに使ったのである。
「一挙手一投足を見張られることがなくなった分、町へ出て、娼館へ出入りしても女の子のひとりも、相手をしてくれないという寂しさがあるとか……聞いてないんだがね」
馬車の中で沈んでいる。
「それも一時のことですよ」
フォローするような事ではない。
皇子の一面が遊び人だから、そういう言葉を掛けたわけだ。
揺れる馬車の中で――
「時に“蜀”の方だが?」
「八皇子殿が説得に成功したようですよ。彼の師が万事準備をすすめていたようですなあ。この日が来るという認識はなかったようですが、王を一時、幽閉してでも事に当たるとのことにございます」
騎士の強い眼差しが皇子を捉えている。
とても見た目通りの人間には見えない。
「それと」
「“燕”は“斎”からの奇襲を受けて王都が落城し、黄天が臨戦態勢に入った模様です」
いずれ六皇子自身にも、帰還の催促が来るでしょうと、告げた。
「え? “斎”王国がなぜ」
と、思わず声に出ていた。
正直、この国は“安梁”同様にダークホースになると思っていた。
いや、もっとも不戦を決めて、共に潰し合う各国をじっくりと、眺めるのではないかとも。
「“斎”王国は海洋国家ですので、そちらに明るい方が説得してくれたのでしょう」
と紡ぐ。