-40話 誰かの非日常-
マルは、猫のように背を伸ばすとベッドから這い出ようとした。
その腕を力強く引き寄せるものがある。
気怠そうに振り返り、巻き付いた腕を解こうともがいてる間にルーカスの――
「入るぞー!」
と、何の躊躇も無く入出してきた。
プライバシー侵害アラートは無音。
ハラスメント侵害アラートも無音だった。
「しゃっきとしろ、もう何時だと思ってるんだ?!」
マルは、まだ眠たげな表情だ。
短髪の髪はボサボサ、寝ぐせがアホ毛を隠して壮大に直立している。
一体どんな寝方をすれば、こうも刺々しい髪型になるのだろう。
ルーカスは、部屋の中をざっと見渡し踵を返してドアの前に戻る。
「それにひとつ、何か服を着ろ! そのままだと風邪を引くぞ」
と、言葉を残して出ていった。
マルは小首を傾げながら、鏡の前で赤面する。
◆
暫くして、ザボンの騎士に所属する魔法詠唱者からフォーラムで話題になっていることを告げられる。マルの横にぴったりと寄り添うグエン、それを嫉妬交じりに見つめるベック・パパと呆れ顔のルーカス、お菊さんと夜桜衆も会議に参加し、カーマイケルが情報の整理をしていた。
「マルちゃんの雄姿が話題に上がるなら、別に問題ではないでしょう?」
ひっついてくるグエンを交わすので精一杯なマルは、会話に参加できない。
「おい、グエン! いい加減に」
カーマイケルもちょっと鬱陶しいと思っていた。
資料整理中に机を下からゴトゴト揺らされるのは、イラっとくる。まして、目端に映るのは女の子が女の子を襲う様である。どこか他所でやれとも言えぬ問題でもあったので、少々我慢していたがついにカーマイケルが席を蹴った状態だ。
が、カーマイケルを突き飛ばして、ベック・パパ大地に立つ。
グエンの小さな身体を掴むと、マルから引き離しにかかる。
「や、こら! ウチに触るなー変態」
お腹と胸の境が狭いグエンの身体をベックの手が襲う。
彼女がもがきながら暴れていると、ハラスメント侵害アラートが騒々しく鳴り響く。
原因は、ベック・パパの大きな手が、しっかりとグエンの乳房を握っている。
「お! 柔らかい...いや、コレは不可抗力」
グエンが『揉むなー、弄るなー、あ...バカ! 摘まむなよ』って涙声を上げている。
ルーカスもベックの腕を引いて、
「やめろ、これ以上やったらペナルティが...」
「このガキが暴れすぎて...」
「そいつを放れば、済む話だろうが!」
ルーカスは、逆にベックの腕からグエンを引き剥がそうとした。
どんなスイッチが入れば、こんな小さな女の子を背中から抱き着こうとするのだろう。いや、そもそも一体何の呪いなのだと。乳房を揉みしだく動作が止められない呪いなんて聞いたことも無い。
マルから引き剥がされたグエンは、ベックの蹂躙に悶え耐えていた。
口元に両手をあて、頬や耳を赤く染めている。
「...やめろ...」
彼女の声は小さく掠れて聞こえた。
ルーカスが気になって振り返ったのは、マルの表情だ。
「おい、ベック! 愛娘が怖がってるぞ!!」
◆
狂喜乱舞な騒動は、マルの寂しそうな表情で終焉した。
「パパ、生臭い...」
この言葉が決定的な一撃となって、グエンを放り投げた後、彼は『腹を掻っ捌いて、マルの赦しを請う』と宣言した。
放り投げられたグエンは、ヒーラーによって助け出された。
ヒーラー曰く『精神攻撃を受けたようなので、暫くは安静が必要です』と告げている。
その日、何の進展も無くそれぞれが宿屋の部屋に戻った。
ベックも両掌を見つめながら、ログアウトする。
バイザーを上げ、瞳に注がれるのは蛍光灯の光だ。
1日4時間のノルマを課してINするのが日課だったが、マルが来てからは長時間、入っていることが多くなった。その分、睡眠の方が削られてしまう訳だ。
「億劫だ...」
黒い髪を掻きながら、立ち上がる。
自分の部屋を見渡して、重い溜息を吐いた。
「しかし、あれは...柔らかかった」
「っと、こんな時間か...バイトに行かんと」
彼は、椅子の背もたれに掛けてあったジャケットを手に取ると足早に部屋を出た。
その行く先にて幼馴染と遭遇する。
見上げるような長身の女性だ。
髪は前髪も、後ろ髪も長く腰辺りまで伸ばしている。
ただ、昔はよくつるんでバカをやった二人だったが、高校へあがると別々の道となって疎遠になった。
ゲームに誘ってからもリアルで会うことは少ない。
そんな彼女が途方もなく上から、彼を見下ろしている。
「よ、よう」
「さっき会ったろ」
淡泊な返事だ。
仏頂面で女らしさも感じられない。
「...あ、ああ」
「あの、さ、さっきは」
「っ...本当に野獣みたいだった...」
顔を背けて呟いている。
「ご、ごめん」
「...男の子だから仕方ないか...」
歯切れの悪い言葉をつぶやいて、彼女は彼と別れた。
長身の女性は、高校の最後から不登校となった。それ以来、外出は決まって夜になった。
その彼女を説得してゲームに誘ったのは幼馴染の男の子だ。
「もっといい言葉が浮かべば良かったんだけど...」




