-663話 才知の攻防 ⑩-
鴨葱 腸次郎――またの名を柘植 半蔵という忍者である。
甲蛾衆との戦いに敗れ、多くの新しい仲間を失い、結果的に黄天王国の都で商売人という第二の人生を謳歌していた。最も、こちらの方が性分には近いようで、大成功を収めたという訳だ。
ただし、少々強引な交易は、冒険者であった頃の経験と、スキルで都合よく無双しているという話だ。
「まあ、あらましはいいよ。他人の成功話を聞いている余裕は、こちらにはないからね」
「また..トラブルって奴か?!」
メグミさんの顔色が変化する。
聞き捨てならない単語を耳にしたからだ。
「いや、あんたも飛び込み癖が治らんとみた...」
余計なお世話だと毒づく。
「俺っちもさ、いろいろあったがな...そういう処は抜けきらんのさ」
鼻の下を指で擦ってみせる。
柘植の女房、薫子はくノ一から足を洗ったが、情報を集める能力は一級品だった。
現場に出なくても、集め方の手筈、手段はあるという事だ。
例えば先の孤児院の話だ。
慈善事業の一環とはいえ、商売人がタダで物流を動かすことはない。
大体の話だが、そこに裏か端に利益があるから、慈善という大義を被って商売をしているという訳だ。
柘植の商売というのは情報だ。
孤児院たちは卒業する前に、薫子から忍者のような真似事、つまりはスキルという技術を伝授される。紹介した奉公口で、そのスキルを活かしてネタを仕込み、収集してライバルを蹴落としてきたという訳だ。
「そんなの、たただの詐欺じゃんいや、押し込み強盗……火盗改め案件じゃん!」
「いつの時代のだよ! ここには鬼はいるけど、長谷川平蔵はいないよ」
柘植の口がとんがっている。
この行為が卑劣であることは、ちゃんと理解していた。
◆
牢番が食事と酒瓶をもって現れた。
この牢が地下にあると分かったのは、半地下の小さな格子から、半分だけの夜空が見えたからだ。
月が大きくて奇麗だと思った。
が、スライムナイトは落ち着いた様子で、床に薄汚れた布を敷いて横になっている。
「おい、お前ら……最後の食事だ!」
「ほう、酒とはありがたい」
隊長のグリーンとは真逆のふたりが、受け取った膳を灯りの下にもっていく。
「皇子さまも飲むか?!」
と、差し出されるのは白い杯だ。
ただ、縁起でもないと腕を伸ばす気にはなれなかった。
白い杯が配膳にあるのは、穢れを注ぐ意味でもある。
要するにこの食事を最後として、朝が来れば処刑されるという事だ。
“蜀”王国では、旅立ちを前にした者へ、手向けで酒をふるまう習慣がある。
横になっているグリーンは、片目をあけて――「杯の色に捕らわれるな、飲める内に呑んで、食える内に食っておいて体力を温存するんだ。まあ、あのおっさんも……乙なことをする」
スライムナイトが口にした、“おっさん”というのは当然、黄将軍の事だ。
ただ、この時の八皇子にはやや余裕がなかった――グリーンが何故、将軍のことを知っていたかについてだ。
◆
賢者であり、戦士でもある“雷槍”は、窓の枠に逗留している鳥をみる。
それは人面鳥という魔物で、総長との連絡にこの妖怪を用いていた。
「ほう、まあ、火種がくすぶる程度で始末できるのなら、どんな手段でも構わん! これを徹底的に殲滅し、二度と“月の城”に歯向かうことが無い様、完膚なきまで叩き潰せ!! そうだな、刑が執行されたのちは」
――“雷槍”には、老獪・黄将軍の始末をも依頼した。
結果的に、北天から多くの逸材が消えても、忠臣を恐怖政治で作ろうと考えている。
だからここで何人死んだところで大差ないという思考になっているのだ。
しかし、人の能力開花には個人差があるし、まず、経験を伴った歴戦の勇士と言うのは、数多くのスキル保持者よりも作るのが難しい天が残る。
少年軍師がこの場にあれば、必ずや計の執行に異を唱えただろう。
反逆する反骨精神を、上手く利用すべきだとも進言したに違いない。
「御意」
クランの中で、やはり一番の反骨者には、総長の成そうとしていることをに異を唱えるだけでなく、力づくで排除しようとするタイプにはある施術がほどこされてある。つまりは、ロボトミー手術だ...この場合は、感情コントロールの制御機能をすべて、総長が握っている。
仮に、少年軍師が反抗しても、魔法力という単純な力比べでは総長を廃することは敵わない。
それが分かっているから、結局、弁の立つものは閉口するか代案をもって、従う方を選択する。
因みに、ロボトミー手術を行ったのは、プロフェッサーと呼ばれた少女に依る。
クラン内に留まるが、戦士系のメンバーを重点的に施術した。
「それでひとつ懸念が」
スライムナイトというイレギュラーだ。
禍々しいオーラを目の当たりにして、脳筋だったことに目覚めた瞬間だが、感情が豊かになったわけではない。およそ戦士系という野性的勘というものだろうか、触れたり、語り合った訳でもないので“異質なものが混じっている”と感じた話を報告しただけだ。
「うむ。その従者と思しきものも、一緒に殲滅せよ! 他に気がついた事はあるか?」
「いえ、全く...」
と、短く切り上げた。
人面鳥はカラスのような声で鳴くと、夜の闇に消えた。
◆
その頃、南洋王国船籍の帆船は、巨大な鍾乳洞のような空間に水中から脱すると、船らしくちゃんと水面に浮いて、桟橋の停泊する。船の周りに色白な人魚たちが取り巻き、船の横っ腹を押しながら桟橋に横付けさせてくれた。
「あれは?」
剣士が船の縁から、水面を覗き込んでいる。
指しているのは人魚だ。
上半身は素っ裸で、腰から下は鱗びっしりの魚の尾を持つ亜人。
「いい乳してるよなあ、すげえよ、こう風船に水をいれて西瓜みたいにぼよんぼよんしててさ」
男同士なら、そこは笑い話で済んだだろう。
剣士の横に居るのは、御椀型のこぶりで未発達なおっぱい持ったマルある。
「セクハラな」
「あ、いや、そんな...つもりは」
いや、絶対あった。
航海にはおよそ2週間くらいあって、言葉責めで鳴かせたのは、指で数える程度だし。
結果的にベッドに押し倒して肌着を剝いたところで、大泣きされて萎えたのはも1、2度だった。
いや、2週間もあって攻略できなかったが、マルの名誉は十分ズタボロである。
まさか、剣士がここまで見境が無いとは思わなかったというのを知った――絶対に、槍使いさんに訴えてやる――というのが、マルの仕返しの言葉だ。
南極の桟橋に降り立つふたり。
しばらく歩くと、マルの視界に見覚えのある動物があった。
二足歩行のシロクマだ――妙な話だが、目が合ったような気がした。
が、突然、来た道を踵をかえしてそそくさと、雑踏の中に消えていった。
「なんだアレ?」
剣士目が点になっている。
シロクマの逃走ではなく、三途の河原町の賑やかさに驚いていた。
よそ見をしているマルの耳元に息を吹きかけた。
マルが変な声で鳴くと――
「ほら、よそ見していると今ので勃ったお豆さんを愛撫するぞ?」
と、呟く。
マルの下っ腹に響くような低い声で囁いた。
「ふっにゃあああ!!」
グーに握った拳で、剣士の鳩尾を襲撃し、彼を撃退した。
「も、もう、お、お遊びは終わりだかんね!!」
“絶対、槍使いさんに訴えてやるんだから!”――という脅し文句もそろそろ効果が薄い。
いや、何故かそんな気がした。