-661話 才知の攻防 ⑧-
「姫巫女が“乱”の折に何処へ避難させられるかご存じでしょうか?」
皇子は、唇を指で挟みながら思案する。
“乱”に関わらず“変事”が起きれば、宮殿の最深部の社に避難して貰うのが慣例である。
だが、すでに通例である筈の宮でさえ、彼女の姿はなくなっていた。
であれば、その御身は“月の城”の賢者と共にあると考えれば分かり易い。
「慣例であればな、だが、今はすべてが非常事態で――姫の姿は疎か、巫女使いの従者さえ宮で目撃することはない。聖女は、水の使い巫女でもあるから、神殿でも模した部屋が必要だ」
と、する皇子の台詞に対して、クロネコは首を横に振った。
「なるほど...」
聖女を繋ぎ止める為に、先人たちの苦しい言い訳が垣間見えた。
彼女の身柄が“月の城”の下にある可能性は突き止めた。
クロネコと巫女の間にあった繋がりが薄くなっているようだ。
彼女曰く、霞が掛かって見るものすべてが判然としないという訳だ。
かつて、薬物の可能性もあると、アーチボルトは説いていた。
薬物などという危険な服用物を用いる必要がない――彼らは、いずれも魔法使いであるから、デバフ“ブラインド”で視界を遮れば簡単だ。姫巫女の魂と、身体の方に以前のような強い繋がりが無くなってきたのかもしれない。
どちらかというと、後者の方がメグミさんの思う処である。
理由は魂の引き剥がし方だったと思われた――マル曰く、巨大でかつ複雑な機構の術式って言うのは、略式だとしても“式”そのものはとても美しいものだ。見ているだけで芸術的とでも置換できる。これを図解で展開出来れば、よく計算された幾何学な紋様となって現れただろう――と。
そして、冒険者くずれの魔法使いまたは、賢者が巫女に言われるまま描いた絵図が残っていることを知る。
知らされたのだ。
賢者はこれを美しいと、アーチボルトに告げたという。
“この式は、不完全で間違っている”
聖女には、古代語の読み書きを手取り、足取り教えたものだったが、彼女の癖は最後まで抜けきらなかったと、師匠本人が嘆いた――計算ミスで、もう一度入り直す時のことまで考えずに、引っこ抜くことだけを目的とした式を作り上げていたという。
◆
クロネコ、痛恨のミス。
姫巫女というか、聖女の魂と、姫さまとしての意識の葛藤である。
クロネコ第1回脳内会議が開催される。
「議題は、もうお分かりだと思いますが!」
仕切っているのは言わずもがな、黄天王国の姫だ。
聖女の呟きから、愚痴までを漏らさず聞いてきた16歳の少女がやや憤慨しながら、議題進行を行っている。対して椅子の上で膝を抱えて座っている聖女がある――見た目は、エサ子の姉と称している槍使いに酷似していた。
「えっと、ちょっと...」
頬を赤らめて、姫巫女が聖女に声を掛けた。
膝を抱え、ややふてくされた雰囲気だが、明後日をみつめてた聖女は、姫巫女の声に漸く気がつく素振りを見せた。今まで本当に、どこを見ていたのか不思議なくらいだ。
「あ? な、何???」
「えっとですね...膝、降ろしませんか?」
「何で」
真顔で聞き返された。
椅子の上で膝を抱え、半開きの股から白いパンツが見えている。
聖女は虚ろな目で、やっぱり何処か遠くを見つめていた。
「見えます」
「何が」
「ですから、パンツ」
無表情だ。
気力が何処となくない。
無気力でやる気がない。
「今更、恥ずかしいとか...」
溜息だ。
吸って吐いただけの空気の塊が、机の下に落ちていった。
「膝抱えるの止めましょう! 見てる私が恥ずかしい!!!」
「パンツ...何色?」
「えっと、真っ白に...見えます」
「そっか、真っ白か...ああ、やりてぇー!!」
膝を抱えていた窮屈な体勢を解くと、彼女は勢いよく椅子を蹴り飛ばしていた。
脳内のどこかへ椅子は、すっ飛んでいった。
「うわっ、キレた」
「キレてねえよ」
短いスカートの裾を徐にひっつかむと、
「これ、どんなのに見える?」
「えっと、膝上15、あいや17センチメートルくらいの短い布巻というか...それ着物ですか?」
何となく得心を得たかのような目になる。
聖女と呼ばれた彼女は、裾を持ち上げパンツを顕わにしてみせた。
「魂の欠片が中途半端なせいで、聖女でビッチな私が出来ちまってる...これの術式で自由になれるかと思ったら、はっ、とんだアホだよなあ。分離失敗...巫女まで肉体から引っこ抜いちまった」
と、泣きながら仁王立ちの聖女がある。
スカートは豪快に捲り上げたままだ。
聖女のイメージは清楚であるが、それは、彼女の評価の一面に過ぎない。
彼女に特別な能力があるとして見出されたのは、紅玉姫と呼ばれた賢者からだ。
執政官ラインベルクも、一枚噛んでいた。
魂だけの彼女の記憶にある、断片的な記録は、聖女として教育された10年間だ。
執政官ラインベルクは、遠巻きにしか見た記憶はない。
目通りは恐らく1度か2度といった具合だろう。
が、師匠と呼んだ紅玉姫とは長く過ごした思い出がある。
娼婦宿で、小間使いをしていた子供を助け出した頃から、彼女の赤い瞳に導かれた。
「ああ、輪廻に洞に還りてえ」
「だ、だ...ダメですよ!!」
パンツを脱ごうとしている聖女を、引き留める姫巫女がある。
どこで裸になろうとしているんだと、吠えていた。
「あ?」
「いっつもそうだ! 貴方はいっつもやる気がない!! この脳内会議だって本当は第1回じゃない。第1回から進みもしないし、自分で自分を傷つけようとばかりする...もう、もういい加減にしてください。もっと自分を大切に...大切にしてくださいよ! なぁにがビッチですかっ!!!」
姫巫女が目端に涙を浮かべて怒っている。
ずっと見てきた。
それこそ、瞑想をするたびに、すすり泣く彼女をずっと見てきた。
16年間ずっとだ。
クロネコになってからもだ。
「聖女は、私よりも純真無垢な少女です! だって...お、お...お、、ま、まあ、いいんですけど...」
そっぽを向いて口を尖らす。
少年の身体に入った時、小さなバナナで戯れたことを思えば――彼女の中の聖女は口で言うほどの性欲がゼロだった。寧ろ、10代の頃のトラウマで、小さなバナナでさえ怖がって見せていた。
「私の憤りは、聖女の事です!」