-658話 才知の攻防 ⑤-
「計画だと、領内の周辺で軍事演習を行うのは、3か月までが限度だという話だったが」
六皇子の執務室に、壁掛けの鏡がある。
これが魔王軍で重用されている、所謂TV通話だ。
“遠見の鏡”というアイテムで、その距離に条件は存在しない。が、長くなれば、当然消費される魔法量も少なくはないという事だ――通話の相手は、クロネコの匂いを嗅ぎまくっているメグミさんだ。
殆ど中毒患者のようにしか見えない。
「帝国が意図を理解してくれて自発的に活動してくれるなら...って条件が前提です。或いは、皇帝の指図だともっと早く軍事演習は撤収する事になるでしょう」
メグミさんのトーンは冷ややかだ。
およそ、計画を練った時よりも、皇子に対する態度が硬化しているような雰囲気だ。
別に何か含むところはない。
幾らか距離が離れた後、黄天の六皇子の期待感と人物評は感心させられた。
「皇帝が関与すると、何故...」
「あなたが為政者として、そのバルカシュを見てみたら如何ですか? 軍事演習で内外を欺くのですから、よほど信認の篤い者に限られます。で、なければ...彼の敵は、もう一人の皇帝とその臣下たちですから...」
「いつになったら、行動するのか――」
「そうです。少なくとも、軍事演習から数度の小競り合い...これもあると考えて、領地経営をお願いします。帝国の将兵が皇帝の意図を汲まない愚か者で無いことを祈るほかありませんが...」
「ああ、用心する」
六皇子の通信は切れた。
彼は、再び卓上の便箋へと視線を向けた。
「この手紙もいつかは漏れるようにするわけか...その時は、どれほどの目がここに注がれるのか...」
寒い訳でもないのに身震いが起こる。
武者震いではなく、うっすらと感じた殺気だ。
およそ未来からの殺気を今、感じたところだ。
「兄貴、心中ってわけじゃないが...わりぃ、付き合ってくれ...」
◆
帝国領では、攻める訳でも護る訳でもない軍事演習を実施中だ。
バルカシュ方面に国内の目を向けさせるためだ。
皇帝が動きやすい為でもあり、東征から南征へと方針転換させる時を、稼ぐためでもある。
北天の本国を直接叩く方が簡単である――実際にも、帝国が多数量産しているフラスコの小人たちを以てすれば、兵力差など一気に溝を空け、幾らでも兵士を投入できる叡智へ到達した。
ひとつの懸念材料があるとすれば、質は劣化の一途であることだ。
雑に言えば、触媒を親とした場合の生産品には左程の劣化は見られないが、生産品からさらに生産品を作った場合の劣化は、著しいという事になる。
触媒から、既に生産品に劣化製品が混じっているという事になるか、或いは――だ。
その不可解な点がまだ上手く解明されていない。
実験では、触媒の軍事知識がゼロであっても、肉体強化を施術したデザインベイビーであれば、可もなく不可もない兵士が生まれるという結果を得ている。
これを実践投入しての実験も順調だったから、東征に派遣された訳だ。
皇帝ラインベルクはこの悪魔の所業を目の当たりにして、気持ちの悪いことをすると言ったという。
彼のアイデアでも、彼の命令でもない。
ただ、その段取りだけはした。
資金を回し、工場をつくり、人員を配置した――女帝ルイトガルトの指名によって。
「南征への素案を練り上げましたが...」
腹心と言える大臣がラインベルクの執務室にある。
彼の疑念は大人しい女帝の方だ。
バルカシュ領が切り取られた時こそ激昂して、手の付けられないような怒りようだったと聞いていただけに、今は、その事が嘘だったように静かに息遣いさえ聞こえてこない。
「あちらも何か企んでいるのだろう」
ハイエルフを頂点とする構造は、およそ500年くらい前であればもう少し機能していただろうと思われる。それこそ、森の賢人とするエルフ族の長老としての立場でだ。
だが、今、一番世俗にまみれているのはハイエルフの方であろう。
信仰的にも頂点とは言えない。
ラインベルクの情報網でも、エルフらの不満はハイエルフの堕落――国をつくる為に他国を攻める方針に積極的なところであるとしている――だが、それでもダークエルフ族などは似た雰囲気がある。
かなり以前から、世俗に身を置いて生活圏を確立させた。
国まではないが、やや大きな都市で普通に生活している者たちもいるという。
「南征によって、南欧諸国連合も本格的な抵抗を見せ――」
大臣の台詞を遮る。
「敵は彼らではない」
「と、...言いますと?」
「カスピ海より進出してきた“月の城”の連中が我々の敵になる。これで想定よりかはおよそ早いが、彼らと水面下で手を握る算段がつく筈だ。長い間、膠着という愚かな手しか打てなかった頃に比べれば、目覚ましい進歩だ」
後はと、言葉を濁す。
女帝と交戦派の一派を残す。
これが帝国内では一番厄介な敵である。
組織の勢力図は二分化された。
10年いや20年ちかく掛けた――ラインベルクが生を受けた頃から、練り上げたすべてである。
祖父や父に働きかけ、多くの知己と師を得て、帝国の拡大路線を阻止するために動いた。
その彼は、転生者であるからだ。
転生後で無双できるとは限らない――生まれ落ちた彼にも、それが出来なかった。
そして、ようやくここまでだ。
「では、内密に?」
「いや、意を理解してくれた新しい友が、彼を送ってくれているだろう...その友には見返りを約束してやることが出来なかったがな」
やや寂しげに俯いている皇帝がある。
普段から楽し気な雰囲気はない。
どちらかというと寡黙な方で、無理に微笑みを浮かべている感じのひとだ。
ただ、時々何かを閃くことがある。
それ以外は、瞼を閉じて静かに――そう、うたた寝をしているように静かに俯いている。
「では、素案を」
「ああ、議題に掛け、先の勅使東征よりも早急に手を打つ必要性を大袈裟に...な」
「御意!」