-655話 才知の攻防 ②-
「で、どうだ?」
間者を放っていた宮中の高官らの下には、これといった情報が集まらなかった。
帝国の動きを観測するために送った間者らは、悉く雁首揃えて送り返されてきている。
文字通りの“首”だけの存在でだ。
バルカシュにひと月半も籠る、六皇子の報告書通りに帝国の動きがあわただしい。
「報告通りであるのなら、これ以上詮索するのは野暮なのでは?」
高官の中からやや、同情する声が聞こえ始める。
帝国領を切り取った結果、皇子は故郷に帰ること叶わずにいるという事実にだ。
だが、これに異をとなるのは“月の城”の賢者らである。
帝都に残っている賢者は少ない。
「六皇子と言えば、妹想いの強い者であったと聞くが、それがこの通り...一時も考えずに居られるものか? 私にも兄が居るが、会えないと思えば懐かしくも想い、一日も早くと懇願するところである」
プロフェッサーを冠する少女めいた賢者が呟く。
が、これでもそこそこ年上の女性だ。
見た目が地味に子供っぽさが滲み出ている。
そして、極度のブラコンでもあった。
◆
賢者の言葉を噛みしめる様に思い考え直す者も出てくる。
が、その声を押し退けるものがある。
皇太子であった。
黄天王国の次期国王たる長男は、賢者の言葉にまっこうからは向かっている。
「そんな気遣いは無用だ」
「気遣いとは」
「あれが謀反でも起こすと思いか?」
事実のその片鱗はあるのだろう――と、いうのが凱旋を先延ばしにしている理由だと告げた。
「それは……あれが可哀想だよ、妹思いなのはあれだけではない、私も同じだし。六より文を多く預かっている私が弁護しよう。妹の成長を見守ることができない兄を許してくれと……綴って寄越してきたよ」
と、告げてきた。
最早、これで長く問答をする余地がないまでに、頭を押さえつけられたような気分だ。
賢者は親指の爪を甘噛みしながら、無念そうに引き下がっている。
今、この小さな問題で北天の中心国と、揉めるのは得策ではないと判断した。
「そうか、聞き届けてくれてかたじけない」
これは一時の間だけだと、胸中でつぶやいた。
その感情の揺らぎさえも、皇太子には見透かされたような感覚を持つ。
「他の者たちも、皇子の行いに疑いを持つか?」
と、皇太子が問うてきた。
が、高官たちには、皇太子を疑うことはできない。
仮に、真っ赤なウソだったしても、“月の城”以外は疑わないものだからだ。
六皇子は、妹を気遣いながら、多くの文の中に忍ばせた単語で皇太子と密かな秘め事を進めていた。
“月の城”から姫巫女を奪還するという段取りをだ。
◆
「ふむ。確かに怪しいな」
総長が腕を組み、静かに唸った。
プロフェッサーから報告を受けた彼が行ったのは、皇太子の身辺を調べることだ。
市井へ足を運び、元奴隷の人を買い付けるとこれに“鬼人”としての、立ち振る舞いを仕込むのだ。
そうして、細やかな動きまでを日常的にこなせるようになった処で、外見偽装魔法が掛けられるという訳だ。
わりと時間をかけた諜報活動だが、もともとの鬼らを使うよりかは、忠誠心が違う。
いざとなれば、死ねる判断さえも簡単に実行するだろう。
「下女として潜り込め」
元人間のふたりは、額を床にこするように平伏して“御意”と呟いた。
「いいんでしょうか……そんなことをしても」
怖くなったわけではない。
共生している手前のささやかな義理だ。
しかし、総長は不思議そうに彼女を見ている。
「怪しかったのだろう?」
「ええ、それはもう灰色か黒という感じです、勘ですが」
前髪が鼻にかかるので、何度も左の耳にかかるように押し流している。
「ならば、構わんさ……徹底的に調べてこちらの不安材料を少なくしておこう。さて、他に案件は?」
「“宝船”の開発に成功しました」
卓上に敷かれるのは、テーブルクロスをも凌駕するような大きさを誇る設計図だ。
「プロトタイプか?!」
「試作モデルは3隻にしました。内1隻は予備ですので、実際に運用試験できるのは2隻となり……」
と、彼女は告げた。
その声には不思議と、強い自信に満ちたトーンで彩られていた。
「試作モデルといえど、武装はどうだ?」
「総長のご注文通りに大砲を備えさせました。船体には、多くの詩片を刻ませておりますから、強度上ともに最低限とさせていただいて」
まだ。報告中なところもある中で、プロフェッサーを太い腕で迎え抱く。
労をねぎらうように、後頭部を撫で、熱い抱擁を贈っている。
彼女には、これ以上にない喜びであった。
クラン長のお役に立てているという喜びと、片思いの男性からのご褒美にだ。
「その後の試験も、頼んでよいか?!」
「はい 勿論です」
と、力強く返事を返していた。
“月の城”が開発を進めているのは、空を飛ぶ帆船である。
マルだけが持つ、飛竜や怪鳥ゴーレムと同じ発想から着手した航空輸送システムの確立だ。
成功すれば、召喚門による魔法で転移する必要がない。
転移術の基本的構造欠陥は、任意の地に誰か居ないといけない事だ。
糸電話の反対側に声を受け取るもの、発するものが存在しないと機能しない。
もどかしいのだ。
これを根本解決するシステムが、航空輸送ということになる。
帝国でも考慮されたが、衛星国システムで不要とされた。
必要な戦力は、従属国が賄ない帝国は、それを指揮すればいいと考えた。
結果的に帝国の本土到達までには、沢山の国を攻略しないといけない“たまねぎ”の皮むきとなっている。
《だが、これが実用化に耐え得れば、格段に戦術の幅が広がるというものだ》