-654話 才知の攻防 ①-
バルカシュ要塞の攻略から、そろそろ3週間目に入る頃となると、北天の国中では対外的に英雄譚というものがたりが造られるようになる。もっとも、その主たる登場人物らが凱旋しないので、中央政府の苛立ちもそろそろ限界を迎えようとしていた。
ただし、為政者と市民の間位には大きな乖離がある。
プロパガンダで流出させた戦勝報告が、独り歩きしたことはどうしようもないとしても、それを楯に凱旋してこない皇子らを“虐めないで”という声が挙がったのだ。
これには各王国共に、予想外だったという。
ただし、その市民からも六皇子ら、英雄の帰還を切望する声が挙がっていた。
「この度も?」
「ああ、これで6度目だ。あちらの領内経営が難しいと言って、応じようともせず...こうして、土産だけは寄越してくる始末。塩湖であるから、結晶塩塊は宝石のような輝きを放つが、単なる塩だからな...幾ら物珍しくとも」
「っ、こんなに贈って寄越されても、もう誰かに投げつけたくなるほどですな」
と、事実、むしゃくしゃしていた役人が、壁に向かって投げつけてストレスを発散させる行為が目立ち始めた。クリスタルソルト壁に当たると、壁を破砕する効果がある――当たると痛いを通り越して、死人が出そうなほどの強度だ。
「投げて当たったら、即死させたとか」
下世話なニュースを小耳に挟んだと、彼は告げた。
「もう、やった奴が出たのか」
「ええ、浮気性の亭主をこれで...なんとも殺伐した話です」
凶器になると分かると、販売方法が変化した。
ほどなくして、結晶は市場から見えなくなった。
ただし、熱が冷めた訳ではない。
これがしぶとく燻り続けるのだ――皇子ら一行が凱旋するまで、ちろちろと燃える囲炉裏の火のような雰囲気であったという。
◆
帝国との休戦を決め込んだ皇子たちの動きは早かった。
もとより段取りを決めていたからだ。
「皇子は出来うる限り難癖をつけて引き延ばしの方向で」
メグミさんの献策だ。
約20万以上の兵権を持ったまま、六皇子はバルカシュに留まることを選択する。
理由は複数用意したが、一番の理由が“帝国から国土を守る為”だとしたのだ。
「ああ、もっともな理由だ。しかし、これで粘ってもせいぜい半年いや、2~3か月が限界かも知れんぞ? それでは時間が...」
六皇子を押しのけて、蜀の八皇子が割り込んできた。
兵権を常時得ている八皇子でも、誤魔化しきれるものではないと、忠告している。
「それは、常時、危機的状況に置かれては居ないからですよ。少なくとも、ここいらの点は皇帝陛下も一枚噛んでくれると思います...いえ、やや本気で取り返そうなんて動きを見せるかも」
冷や汗を吹き出しそうなくらい、バルカシュの外が怖い。
ヤル気じゃなくても、ほぼ半周ぐるりと囲まれているのだから、生きた心地はしないと告げた。
「なるほど...現実的な脅威という事か」
口元を手のひらで隠し、
「それでも、黄天内で“変”を起こすなら、まとまった兵が必要になる。目くらましとして兵権を持った俺だけどうにか――?」
「ここに残すのは半分です。10万はそれぞれ、各地に送り、同志を募って黄天に再集結を図るのが最終段階と言えましょう。超軍の兵が、姫巫女さまの篤き信奉者で良かった...」
もとより、黄天の二皇子こと“黄巾の変”を起こした時の中心メンバーでもあった。
あの事変では、皇子自らがひとりで、罪を背負って斬首された。
その為、超軍は“いつかきっと、皇子の無念を晴らす”と誓った者たちが多い。
「六皇子!」
超の将校らが右の拳を胸に当て、膝を突きたて“ヤー!”声を挙げた。
「おい、お前ら?!」
「最後まで、今度こそ最後までお供いたします!!」
と、甲冑越しから胸を叩いて見せている。
これで結束力が強いことをアピールしていた。
「問題は、誰に声を掛けるかだ」
蜀の八皇子は“心当たりがある”と、先に要塞を後にした。
「燕王国も、先の苦い経験があるんだよね?」
マルは六皇子に尋ねた。
彼は深く頷いて――
「勉強熱心ですね~」
六皇子はマルにとって、苦手な生き物にランクアップした。
「七王国の事情と事変からすると、遼という公国があって、これが宗主国たる燕に反旗を翻したという...“王”を自称した曺沢公から人質を取り“変”を治めたというから、流石にこの地域から再び乱を起こすのは難しいように思うんだけどね」
歩く百科事典みたいな、メグミさんがあらかた解説してしまっている。
これに意を唱えたのは、皇子の下にある将校だ。
「曺沢公は亡くなられましたが、一族の生き残りがおられます。第一公子殿は燕に取り込まれ、牙を抜かれた犬でございましょうが...」
「もしかして?」
「六皇子さまに仕える前は、曺桓将軍の下に居りました。わたくしが、必ず説得させてみませましょう」
頼もしい兵があった。
曺一族は、遼公国を僅かな手勢で切り開いた武家だ。
切り取り自由という御免状で国を拓いたのだから、“王国”の自称くらいは大目に見られるものと思われた。
実際は、燕の従属国でしかなかったのだ。
折しも、二皇子の姫巫女奪還と重なる。
「じゃ、将軍の説得は彼に任せて...」
「俺らも燕へ行ってみようと思う」
ハティは腰を上げた。
その傍らにはエサ子もある。
当然、槍使いの姿があったが――剣士は俯いていた。
「剣士はどうする?」
ハティは、何となく察していた。
が、ここで尋ねておかないとパートナーである少女が膝を屈しそうな気がした。
「俺は...あとから行きます」
マルとの約束がある。
「そうか、待っているぞ」