-653話 帝国との交渉 ④-
グラスノザルツ第三帝国にとっては、領土のひとつを盗られたに過ぎず、そのひとつをぐるりと囲むように、大小さまざまな衛星国があった。バルカシュは北天にとって鍋の蓋であったが、吹き零して蓋を除いても、北天は鍋の中の水でしかなかったという顛末だ。
何も変わっていない。
帝国からの交渉には北天側にメリットはあっても、帝国には何ら旨味が無い。
メグミさんは、その旨味の無さについて違和感を直感的に感じていた。
「この世界の平均的な人口比率が分からない...けど、このバルカシュの動員率からみて、周辺を考える――」
話し相手は、姫巫女の魂入りクロネコである。
仰向けにして、白い毛が混じる柔らかな腹を撫でていた。
クロネコの方は、メグミさんの機嫌だけを損なわないよう努めている。
「この規模でも10万もの兵が出せる。でも、領内経営に障りが出るから、普通は最大動員なんてしないから、ざっと2~3万ってとこでしょ...でも、コレが同じ規模で周辺にあってもとより囲まれてたとすると...」
身震いだ。
その試算はあくまでも、メグミさん個人が脳内の電卓で弾いたものに過ぎない。
そしてこの数字は、状況によって上下するという事だ。
「だとすると、余裕で奪還も可能なのに何でしないのか...マルを警戒してる? それは考えられる...けど、魔法詠唱者を放っておくはずはないし。――かつてイズーガルドの折も、あの子は真っ先に狙撃われた...今度も必ず...」
戦争できるのにしないという処が違和感の根源だ。
メグミさんは、クロネコのお腹に顔を埋めている。
考えるのを止めると、ネコの匂いを嗅ぐのだ。
ネコも、そうなるだろうと思って、前もってぐったり伸びている。
《ネコ、やめたーい》
◆
連日ではないが、数度目の会談が始まろうとしている。
会場とされた場所は応接間から、掃除も終わった中庭にセッティングされている。
食堂から持ち出された、傷の無い卓上とガタガタしない椅子が用意され、白いテーブルクロスが敷かれてある。わざわざ陽の当たる場所にした理由が、“今日は、天気が良いので”である。
「まあ、確かにそうですね...ええ、天気がいい」
差し込む日差しの強さは、春のような暖かを感じる。
じっとりと額に滲むのは汗だ。
室内だと思って少し着込んだのが災いのタネになった。
「それで」
「本題ですね」
と、言い出す前にメグミさんが、静止を促してきた。
咳ばらいをひとつ吐く。
「北天から捕虜を買ってください!」
「は?!」
六皇子も含め、会場のすべての人間から、変な声が飛び出した。
「な、何を...今、から賠償の...え?!」
グラニエさえも疑念が顔を覆っている。
「そういう言葉であった方が、分かり易いと思たんですよ。少なくとも、この後も拡大路線は止まらないでしょう。でも、本国には戦後処理は任されていても、こういう交渉ごとの権限は...我らにはない。休戦がそもそもの狙いだとするならば、本国の連中には“交渉”があったことを素直に伝えるのは危険でしかないんです...この六皇子の命に係わる」
メグミさんは、青空の下でそんな話から切り出していた。
ただ、帝国にしてみれば“形だけの報告ならば、何もなかった”と、報告すればいいとさえ思ったが。グラニエ本人も、同じ立場で顧みてしまっている。
そして何となく、腑に落ちたような色になった。
「ご懸念もっともですな...帝国と北天の間にこの交渉は無かったのですから、当然、捕虜が城を出るには大儀が無い」
「ちょ、何を言ってるんですか?!」
と、帝国から派遣された役人からも声が挙がる。
意図は理解されていない。
「買いましょう!」
即答だった。
もっとも、もとよりそのつもりでもあった。
伝令を通じて、皇帝の言葉がグラニエの下に送り届けられた頃からだ。
「話が早くて済みます」
「それと、...っ、協定ですが?!」
「応じる用意がありますが、期限付きですか?」
騎士は微笑みを浮かべ――ようやく本題に入ったと感じた。
「なるべく早く悲願の達成を願っていますよ、勿論、期限付きです――14か月まで待つとのことです」
寛大なのだろう。
バルカシュの防衛を、14か月以内で固める必要もあるが、それよりも姫巫女の救出も同様に、その時間内で行わなければならない。何をしても、大目に見て貰えるのは正直、破格な待遇なのかもしれない。
「返答に困ります」
六皇子は鼻息荒く、乗る気満々だ。
これを蹴って、期間が伸びるとは考えられない。
「返答を急ぐ必要はありません。これは、もう少し先でいい...捕虜の...我が国の兵たちが――」
「その必要はありません。お受けいたします...そ、その条件で!!」
◆
「――で、話が終わったんだ」
意外という声が続く。
「もとより、北天からこの地の経営は、六皇子の担当になってるからね。私の出番はまあ、ここまでってとこかなあ。結局は、あの帝国のいっちばん偉い人の手のひらの上で、転がされてた感じかなあ」
癪に障るけどね――メグミさんは、自分で淹れた紅茶に口をつける。
クロネコは、足元でミルクを舐めていた。
「あとは、帝国の提示した金額で、(六皇子らが)捕虜を売ったことを納得するかだね」
マルも同じ紅茶にフーフー息を吹きかけていた。
同じ動作をヨネもしている。
しかし、よく見れば、よくも似た者同士だと思えるふたりだ。
「帝国の提示額は?」
「いや、もう支払われたわよ」
ふたりから重なったボイスで“早っ”と吐き出された。
タイミングも同じだった。
「確か、兵を10人単位で棒金1本と交換とか?」
ざっくりの試算だが、金貨千枚ちかい価値と同等なのが棒金だ。
これが数万の帰還兵の代金として支払われた。
数千本の棒金だから、荷馬車1台いや、2台が後日、城に届くと言うのである。
「はぁ?! 数千...うっっそ???」
ヨネが目を回して昏倒した。
マルは、ヨネの倒れる方向にクッションを素早く敷いた。
「お姉ちゃん!」
「いや、別に冗談じゃないんだって」
この報告は、すぐさま北天本国へ届けられた。
黄天王国内では、尋常ではない額と、臨時収入に国内が湧いた。
が、同時に七王国会議が招集される――七王国で、均等分配するべきだというのが議題である。
“月の城”のクラン長もこれに出席し、各王に楔を打ち込んでいく。