-650話 帝国との交渉 ①-
帝国の使者として訪れた一団は、総勢20名。
護衛と称した兵士は、毛色の違う騎士団で10名と満たない。
構成のほとんどは、書類作成などに長じた役人風の者たちだった。
使者として訪れたのも、先の戦いで手を尽くしてくれた、聖櫃出身のふたりの騎士である。
すでに知己を得ていれば、遠回しのくだりも必要ないと踏んでの配慮だった。
「要件は単刀直入にどうぞ?」
案の定、メグミさんが場を仕切り始めた。
もとより六皇子に実権が無くなっている証拠でもある。
グラニエが口を開こうとした瞬間――。
「いえ、待って……そう、そうだった、帝国から領土を勝ち取った私たちから、要求を差し上げるのが道理なのかしら……ねえ、皇子さま?」
展開がよくわからない。
皇子はメグミさんに尻肉を抓られながら、俄かに返事を返している。
グラニエの“そうきたか”という、流れの目の色でメグミさん側も合点がいった。
帝国が本当に話を持ち込みたい相手――マルを含む“世界”の調停者にだ。
◆
「――簡単に出したことじゃないのは分かるけど、ボクは君の判断に“NO”と言わせてもらうよ」
マルは、水桶から飛び出しタオルの中に潜り込む。
瞬きのほんの一瞬で、バスタオルを巻いた少女に変身していた。
「俺は!」
「そんな、恨めしそうにボクを見つめるのは止めて欲しいな。...っそうか、お姉ちゃんのことを君は勘違いしたんだね...なるほど、抜け道か。うん、そうだなもっとはっきり君に言わねばならないか...代償の話を――」
マルの目が怖い。
いや、彼女から見て剣士の方が、鬼気迫る雰囲気だ。
好きな女性に認めてもらいたくて“強くなる”と藻掻いている。
彼は、今、心身ともに鬼になろうとしていた。
いや、もう、成し遂げているのかもしれない。
「ボクも気がつかなかったけど、この世界と重なった時に“選択を迫られたんだ”...“世界”にどちら側に留まるのか、進むのかと。ボクはもとよりスライムで怪物だけど、人にいや、亜人になるチャンスがあった...断ったけどね。お姉ちゃんは、ボクの用意したチューニング済みのアバターを好んで使ってた。元の姿は人犬族だったみたいだけど、ベースのアップデートによって今は別物だと思う――」
マル自身も、メグミさんが獣化した姿を知らない。
そもそも彼女が、見せたがらないのだ。
妹には未だ早いと言って。
それでも、剣士は不思議そうにマルを凝視している。
彼女はタオルを巻き、髪は別のタオルで水気をとっていた。
「だからその時、彼女も“世界”から迫られたんだと思う。人になるのか、別の世界で生きるのかと、恐らく誰もがこの世界に来た時に進むか留まるかを選択して、重なったここに存在しているのだとボクは思ってる――君も、その時...おそらくぼんやりと選択したんだと思うよ、転生する可能性も含めて」
大きな話だ。
いや、当方もない大きすぎる話だ。
剣士は、槍使いとの蜜月を選択した。
エサ子と一緒に居たい気持ちも強かった――強い想いで二人と一緒に今、ここにあるのだ。
「じゃ、あ...」
「ここで死んで、転生できるんだとしたら...魔力の根源たる地に文字通り委ねる外ないと思う。ボクたちは、そこから生まれた訳だしね...あ、いや、ちょっと違うか...違わないけど。ちょっと違う...」
結局、どっちなんだと――マルの部屋にヨネが入出。
そして、悲鳴が轟く。
「何事?!」
マルの目が見開かれた。
大皿のようにまるくだ。
今、息を吹きかけたら、痛いと言って泣きながら転がるだろうほどにだ。
「マル姉!」
「はいっ!」
「した、下、履いてない!!」
そりゃ、沐浴後である。
下着をつけたまま浴槽に浸かるほど非常識は持ち合わせていない。
いや、水着を身に着けて温泉に入ったら、ベックパパにしこたま怒られたことはある。
が、その直後でメグミさんが、パパをしかりつけていたのは良い思い出だ。
「...そうじゃなくて、タオル下半分まで足りてないって!!」
ヨネの金切り声が、マルの小さな胸を貫いていく。
剣士の両眼には、マルのつるっとしたスジが映り込んでいる。
暫くの間、マルの天然によって剣士は、眼福と楽しんでいたわけだ。
ふと思い返す――人の姿になった、マルは得意げに講釈をぶった時。
髪を拭きながら、胡坐をかいた。
いやその前に、タオルを探すため、四つん這いに這いずり回ったことなど思い出す。
どばどばと噴き出す汗の滝。
赤面で顔のパーツが見えなくなる――ほどなくして、彼女はスライムに戻っていた。
「お姉ちゃん、サービスしすぎ」
これは、剣士のオカズの話だ。
マルの抗議は聞こえないフリを見せ、
「剣士さん、お姉ちゃんのどうだった?」
どうだったとは比較対象が槍使いの方である。
言葉に詰まる青年がある。
揶揄われていることは承知しているが、流石に別の子のソレを見る機会は無いだろう。
張り詰めていた空気と言うか、糸だろうか、或いは空回りをしていた自身の想いか、いずれにせよマルと話、マルのを見て、ヨネに弄られて――消えていた。
ずっと抱えてたものが、はっきりと消えたわけではない。
しかし、今は重たくはない――不思議とだ。
「綺麗だったよ」
「そう、いいもの見れたかなあ」
部屋の隅に隠れようとしているマルを、ヨネが小首を傾げてみている。
「なあ、マルちゃん」
箪笥の隅にいるピンク色のスライムは、アホ毛だけ覗かせた。
「俺のスキルって全部まっさらに出来るかな?」
今までで真っ当な質問だ。
“転生してから、本気出す”とかいう話ではない、方向性のものだ。
「無くはない。ただし、一度失えば今まで蓄積した熟練度は全部白紙になるけど」
少しだけ、間が空いた。
ヨネも息を繋ぐことを忘れるくらいの間だ。
「いや、それでいいんだ。白紙ってことはまた、色が塗れるって事だよな」
「うん...」
「...っでも、ステ振りは...」
ヨネが堪らず口を挟む。
スキルは熟練度を蓄積させて、成長させる。
ステータス、冒険者の成長は、そのスキルが成長過程の際に、ランダム判定で付与されたボーナス点を用いて育成させてきた。同じスキルの取り直しは、成長過程中に付与されるはずのボーナスを、受け取ることが出来ないデメリットがある。
完スト前であっても同じことだ。
「心配、ありがとな」
ヨネに声を掛けた剣士が、ちょっと逞しく見た。
「当てなんだが」
「あるよ...」




