- 緋色の冑、その騎士はグエン -
帝国には知識の塔にある賢者たち以外にも、大魔法使いという肩書を持つ魔法使いがあった、それがかの“魔女”である。歳は僅かに、20を少し超えたところにあり、奇しくも現皇帝とは同い年という不可解さがある。
そんなキャスターが20歳まで無名というのは解せない。
そもそも、賢人たちが老人に至る神秘を彼女は、20歳の若さで到達したというレベルに人は、恐れを抱く。
かの賢者たちも同じく怖れを感じたという。
先の皇帝より見いだされ、帝国の軍学校(=上級将校を育成するために、設営された国立の軍大学)へ入学し、今、一軍を率いる将軍級であるという。
出世が早いと妬みや恨みを買う。
だが、件の魔女ならばその負のエネルギーは、力になり得る。
人の感情を用いて政敵への攻撃に利用した。
そして彼女は畏怖のもとに立身を果たすのだ。
今や男子以外で伯爵を名乗れる身分となった。
彼女に“伯爵令嬢”も“伯爵夫人”要らない。
ケーニヒスベルク伯マーガレット・イクリンガス、騎士にして将軍、軍師であり大賢者、そして恐怖公と渾名された魔女と肩書が多い。
これは、彼女自身の強さに由来する。
◆
帝国は属領トリノ王国からジェノバを見ることにした。
ジェノバから北東の“ミラノ公国”からも同じ選択肢を取ることは可能だが、マーガレットは首を縦に振らなかった。
理由として――「面白くない」と言ったからだという。
軍議の場には名だたる将軍たちがある。
西欧諸国連合と知恵比べで中という連中もあるが、冒険者という傭兵を率いて戦っている対魔王方面軍のお歴々らも、遠見の鏡でリモート会議にて参加中だ。
そうした将軍たちの前でも物怖じすることなく、自分のペースでマーガレットはNOを突き通したという人物なのである。
自身の天幕に戻ると、ベッドの上にはハムスターがある。
ハムスターの姿をした使い魔たちだ。
「お疲れさん、会議どうだった?」
一匹が彼女に気が付いて話しかけてきた。
マーガレットは着替え中である。
「その様子だと、また、例の発作が出たようだな?!」
見透かされたように物言い。
刺さる棘。
身に覚えのある感覚――ぴたりと彼女の動きが止まった。
「図星かよ! もうちょっとは大人になれよ...子供の頃の精彩さは何処に消えたんだか」
ハムスターの言葉が胸を突き抜けていく。
HPの残量が心配になるような青ざめた表情へ。
ぎこちなく振り向き、ぎこちない動きのまま、ベッドへ身体を向けると。
彼女は、平服するように「ハムちゃん、お知恵を!!!」と泣き崩れていた。
威厳も何もない。
今までのがウソのように、凡人以下のオーラになる。
天幕外の騎士たちはそれぞれが、遠い目になり――またか――と呟いている。
「――導師がイケないんですよ! あんなもん残したまんまにしておくからツイ...ムキに、...って」
「そんなもん俺たちも知らねえよ、てか、関係ねえだろ何年前の話してんだおめえーは!」
マーガレットは天井を見ながら、
「えーっと、人類史で最初の巨大帝国ですから...たぶん、2千年前?」
バカかーって叫ぶ、ハムスターの前足ボディブローが炸裂した。
「げふっ」
嘔吐物が虹色加工される。
3匹中、2匹は必死に“ひまわりの種”を頬張っていた。
何事があろうとも、食事をやめないのが彼らの習性――いや、ハムスターのだ。
「お前の一言は重い。今や技、魔法、権力においてお前に勝てる者などは居やしない...玉砕覚悟でなら皇帝しかお前を諫める者は居ねえんだ!! この意味、お前なら分かるだろ?!!! ハムスターに殴られて、涙ぁ、流してんじゃねえ。これは戦争だ、お前が好機だと言ったから帝国は、先帝が避けてた傭兵国家に手出ししようとしてる...」
どの国も攻めあぐねていたのは、国境に不可侵の盾があるからだ。
この盾は、物理攻撃も魔法攻撃さえも通さない最強と謳われた。
だから、国力差に大きな帝国でさえ手出しができなかった。
「ふえ?」
「まだ、気が抜けてやがるな...」
マーガレットは涙をぬぐう。
ハムスターからは“しゃきっとしろ”と言われ、彼女はその場で正座した。
「あれは俺の見立てでも、魔法城壁だ。マジック・シールドの対軍防御スキル...対物理攻撃の弱、中攻撃無効化にして大攻撃、究極攻撃の8割相殺のバフまで施している。まあ、伝説がすべて真実なんて事はないだろうが、竜種を退けたという詩文は間違いじゃ...なさ」
マーガレットが胸を張っている。
「おい?」
「私の導師は凄い人なのですよ! 見直しなさい、ふふふ」
先刻のボディブローは右に入ったものだが、マーガレットの左わき腹にハムスターの攻撃を喰らい右に吹っ飛んでいく。
「褒めるかよ! てめえは、その導師の壁を壊すんだろうが!!!」
帝国の獅子一行をやり過ごし、その馬車は傭兵国家“デュイエスブルク”大公国に入る。
途中、物々しい関所を何度も通過しながら、都度、鋼鉄の名を名乗りながら歩を進めた。
帝国の飼い犬であることは、どの国も知るところにある。
が、それ以上に13英雄の一角を抱える冒険者集団という事の方が、有名だから通行手形のようにフリーパスが効くといったところだ。
とはいえ、これのリスクは命のやり取りまで発生する可能性がある。
関所破りの為に使うのには向いていない。
◇
「いや、待て」
いつものように手形代わりの紋章を、見せ終えた老騎士を呼び止める者が現れる。
「何か不都合がござい...」
槍の穂先が向けられる。
下級騎士や兵士であれば槍ではなく、棒を持って応じている。
関所破りが即、死刑ではない為だが。
「これは...ちょっと尋常な話で」
「ああ、これより先は重要な都市も多い。我が国の最深部故に手形もない連中を、紋章だけで通すことは無いと知れ!!」
至極まっとうな話だ。
これが一つ目のリスク。
紋章はあくまでの関係者であって、偽造も容易であるし本人を差してはいない。
鋼鉄の腕鎧は、帝国の飼い犬という理由からも、不正利用が多いからだ。
虎の威を借りる狐と言ったところか。
「だ、そうです...」
馬車の方へ老騎士が投げた。
車が上下に大きく揺れて、大柄な男が馬の首を撫でながら現れる。
ヒグマが二足で立ち上がったような、大きさである。
「お、おお...デカいな?!」
呼び止めた騎士に冷や汗が流れる。
2メートルは越えた雰囲気で壁のようだ。
覆いかぶさる影だけでも威圧感はある。
「お前の負けだ、槍を納めて持ち場に戻れ!!」
奥から、股座を掻く少女が現れる。
水色の長髪、相変わらず、酷い寝癖のアホ毛が見える。
「よう、メスガキ...元気してたか?!」
少女は股座を掻いてた手で握手を求めてきたが、大柄の男はひとつ後ろに下がっている。
「あれれ?」
「あれれじゃねえよ、性病か? 医者に行けと言ってるだろ!!」
引退前に会った時は未だ、ガキだった。
少女というより童女だろう。
英雄の血統は希少性で有名だ。
例え、父親が血統だからと言って、その子も受け継ぐとは限らなかった。
代を重ねれば、親戚縁者は多くなる代わりに“血”も“地”に縛られることなく増え、薄くなる。
13英雄は、500年前の魔神討伐の頃に生まれた、世界調整システムだと言われている。
神による、最後の導きだと伝えられてきた。
だからこそ、各国では“血統”の存続と繁栄は人類の事業だと思い込んでいる。
小柄な姿のままの騎士。
緋色の団長、グエン・シートも“血統”によって自由を奪われたひとりだ。
「性病じゃないです」
再び、股座を掻き始めた。
分かっている。
ドラゴンライダーという職業による後遺症だ。
吸血動物が人に寄生しているという証拠であるし、職業病なので性病のそれとは少々趣は違う。
が、同じように行為に臨んで宿主を替えれば――言わずもがなだ。
「もう、しょっちゅう掻いてるんだろ? 血も出て膿んじまってるとかなら、大差ない...虫に好きも大概にしてだなあ」
目の前に拗ねた娘がある。
少し涙目なのは、久しぶりに会った父親みたいな、憧れの男から蟲を否定されたからだ。
「酷すぎます」
「悪かった...すまない」
手は繋げない。
寄生動物を移す可能性があるからだ。
ドラゴンライダーには耐性がある。
それでも、グエンは子供のころから蟲に晒された生活を強要された子だ。
太ももの柔らかいところは、赤い斑点が多い。
それだけで済んでいるのはラッキーだが、耐性のない人ならば肌を掻きむしり、肉を抉るほどの苦痛を覚えるだろう。
耐性のあり、なしも大概にしないといけない。
「それで、こんなところまで何しに?」
「帝国が戦争をするという話は聞き及んでいるか?」
唐突過ぎた話だ。
いや、これは帝国への反逆行為である。
「今のは?」
ひどく狼狽しながらグエンが男に問う。
男は平然とした表情で彼女を見ていた。
それは、国家反逆ですよと、それとなくアイコンタクトを飛ばしているが、彼は冷静だった。
「い、いや、いいんですか?! 今のは...」
「分かってるから。これは俺の問題で、グエン、お前のじゃない!」
納得した。
納得せざる得ない。
「は、はい...私たちの下にも打診はありましたが...先方より断りの報告が来て、ビジネスチャンスを失ったと、公王さまが嘆いておりました。軍務卿からの打診でしたから傭兵の貸与で莫大な金が動いた筈ですから...」
「断ってきたのは?」
「さあ、分かりません。帝国の内情はおじさまの方が良くお分かりじゃありませんか?」
グエンは男を客間に通して、自身は執務室の椅子を用意して腰を下ろしている。
「気を遣わせたか?」
優し気な笑みが少女の腹の下をきゅっと締め付ける。
「あ、いえ...」
「お前は帝国の魔女、どう思う?」
世間話ではない雰囲気を感じ取った。
下腹のきゅっ、きゅっという締め付けはなかなか抜けないものの、それを悟られないように装うことはできる。
「会ったことはありませんが、相当な切れ者という噂ですよね。二つ名が多いという事は、それぞれ毎に感じ取った力量を差しているという事ですし。そうなると、相当ヤバイ人...って事ですかね?」
「仮に対峙したら...」
「え?! い、いやいや...それはちょっと、嫌です。なんか怖いですし...」
女の子らしい表情が垣間見れた。
国では兵器みたいな雰囲気だが、これでも年頃の娘だ。
「いや、そうだな...今のは忘れてくれ。だが、帝国の戦争を邪魔することはできるか?!」
グエン曰く――忘れてないじゃーん――だ。
ジェノバ騎士国に続々と援軍が押し寄せる。
かつての反帝国同盟からなる支援だ。
なぜ、ジェノバにピンポイントで支援が入ったかが謎だった。
「裏切り行為?!」
誰がという話に転じた。
皇帝と王の手を交えた、会議室に大臣と賢者も集まっている。
帝国の魔女が進めている作戦だが、帝国に利益がある内は政敵であっても利用するは、ごく自然である。
利用しつつ排除するのが上手い政治家なのだが。
今のところ、呪った者から先に排除されている為、彼女を呪う者はなりを潜めている。
だが、彼らが利に反することはない。
それが帝国の政治家なのだ。
「魔女を排除したいという者はおるだろう...私はそう思わんがな」
内務卿は、心を偽る。
「ジェノバは盗れるのであれば盗っておきたい地である。地中海の出入り口として最適である。イズーガルドにより“ボスポラス海峡”が封じられている今、北海からでしか外海を臨むことができない! これは由々しき事態...」
「内務卿に言われんでもわかっておる!」
賢者っぽい爺は、件の軍務卿だ。
傭兵国家に打診した張本人だが、兵の貸与で戦争の情報をやり取りすることはない。
結局、マーガレットの横やりで傭兵を借りるという話は流れてしまったが。
「では、どこから?!」
「斥候の者たちからの調べにより、ジェノバ攻めがバレたという話だ。まあ、特別統制していたわけではなかったから、トリノの周辺から漏れた可能性も否定はできない。或いは...我々の子飼いの冒険者とも...な」
魔王軍を前にして、人間同士の戦いに否定的な意見は多い。
故にそうした者たちがリークするという事も否定できなかった――政治を知らないというのも厄介だ。
「では、我々の知る処の人物ではない...と?」
波風を立てるなと、皆が胸中でざわついた。
財務卿は物静かに涼し気な雰囲気だ。
やや冷めた感じにも見える。
「恐らくは金だ...」
ぽつりとつぶやく。
財務卿は冷静なのではなく、震えていた。
「今、なんと?」
「軍資金を追われた可能性がある...バレていないと思ってたが、食料をスカイトバーク経由で収集していた...その金の流れを追われた可能性がある...迂闊だった」
物資の調達には魔女の採択も得ている。
スカイトバーク王国経由は、指示された以上の手で、多くの物資を買い込んだり売ったりもしていた。
「まさか?!」
皇帝へ向き直り、財務卿は膝を突いて首を垂れた。
「陛下、私の浅慮により」
「よい、知れたことは仕方のない事だ。...まあ、マーガレットも無茶なことをして無駄に兵を死なせる無能ではあるまい。頃合いを見て、茶目っ気たっぷりに微笑みながら戻ってくるだろう...失敗しましたと言ってな」
皆は引き攣りながら、皇帝の言葉を全否定する。
《あれが...茶目っ気たっぷりに...いやいや、あり得ないだろ??? どうなされた、陛下よ...》